12 / 43
12.おかしい※
破れたままの窓から、下げ布 ごしに風が入ってくる。
なのに身体が熱い。
あのとき外から覗いていたこいつ の部屋に連れ込まれて寝台に置かれ、変化 で破れた服を剥ぎ取られて敷布を掛けられた。力は少しずつ戻り、しばらくして身体はひと形になった。
けどずっとこいつの手が敷布ごしに撫でてる。
変化中は毛並みをなぞるように、変化が解けてからは胸や腕や髪や頬を……ずっと撫でていて……それがヤバい。
熱いんだ身体が。
内臓が発火してるみたいに熱くてたまらない。変化が解けてから、ずっと息がハアハアで、心臓がドキドキしっぱなし。身体中から汗がダラダラ出て……なのに指先や足先は冷たくて震えが止まらない。そして体に力が入らない。
節高い指が俺の頬に触れる。ゾクゾクッとして鳥肌が立つ。指が髪を撫でる。ビリビリッとなにかが流れ、ピクッとしてしまう。
「蒼の雪灰。苦しいのか」
「そんな風に、……呼ぶな」
苦しいっていうのとは違う。でも俺はおかしくなってる。
「俺は、子狼 、じゃない……」
金の瞳が見下ろしてるからだ。その眼を見てるだけでおかしくなるんだ。
全部、こいつのせいだ。こいつのせいでおかしくなってる。
「苦しいのか」
「くっ……黙れよ」
この声もヤバい。
気配は攻撃的なものじゃない。眉寄せた心配そうな顔で害意は無いと分かる。
けどでもヤバい。こいつの存在自体がヤバい。あっち行けと言いたい。
けど動けなくてこいつの寝台を取ってるのは俺で、出てくなら俺の方だ。頑張れば起き上がることはできそうだけど、ずっと撫でてるベータの、金の瞳が嬉しそうに細まってて、それもできないでいる。
ドキドキする。おかしい。ヤバいヤバい、心臓がヤバい。
ヤバいのに魅入られたみたいに見返してしまう。金の瞳をずっと見ていたい。この匂いもヤバい。ずっと嗅いでいたい……て、なんだよそれ。おかしい、俺はおかしい。
「……頼むから……、……」
「どうした」
心配そうな声。覗き込んでくる金の瞳。
見ていたい衝動を、どうにか抑え目を閉じて顔を背ける。
「……す、少し離れて……」
「どうした、気分が悪いのか」
この声ヤバい。耳も閉じなきゃ。
両手で耳を抑えたけど、本能が声を聞きたいって言ってるみたいに聴覚は鋭敏なままで、ほんの僅かな息遣いまで聞き逃せない。全部聞こえる。
見ないように聞かないように感じないように、そうしたい。
だから感覚を閉じようとしてるのに、ぜんぜんできない。背を撫でる手の動きに身体はさらに熱くなって息は落ち着かない、汗も止まらない。
背中に気配が近づいてくる。
離れてって言ったのにくっついてきた。なんで、なんで……ああ……背中に厚い胸板が……手が前に……胸の辺りを撫でて、首筋に息がかかって……それが熱い。
はあ、と吐いた息が首筋にかかる。熱い息にゾクゾクする。それに……こいつの匂いが身を包んで、それで……
くそっ! おかしい! 俺の身体はおかしい!
「……たまらんな。この匂い……」
「そっちこそ……っ!」
むせかえりそうな匂いに鼻がやられる。どんどん身体が熱くなるのに、もっと嗅ぎたくてたまらない。
思わず胸一杯に吸い込んだら、どくん、と心臓が高鳴り、カアッと身体の熱が高まった。
思わずハァッと息が漏れる。熱い。血流がどくどくして。それに……それに……
「済まない。だが、おまえも」
宥めるように胸を叩いていた手が、するりと腹を撫で、股間に伸びた。敷布ごしに、すっかり熱く勃ち上がっているそこを撫でられて、「ヒッ……!」漏れた声は細い悲鳴のようになった。逆の手が敷布を剥ぐ。変化して破れた服は脱がされて、俺は全裸だった。
「……辛そうだ」
手が熱を持つ中心を柔らかく握る。
「……アッ……!」
細い声が漏れ、知らず腰が動いた。手の中で擦られ、そこから今まで知らなかった感覚が背筋を昇る。腰が重怠く、なのに腰の動きを止められない。
「アッ、……アッ……ァ……」
首筋にフッと笑うような息がかかり、握っていた手が自ら動き、先端をなにかが撫でる。ぬるりとした感触。
「ハァッ……!」
ビリビリっと、なにかが背筋を走り昇った。握る手が巧みに動く。腰が止まらない。
「ンァ……ッ! やめっ、アッ」
「一度出せば、少し楽になる……はずだ」
なんだこれ、なんだこれ、勝手に腰が動く、勝手に声が出る、なんか分からない、分からないけど……
「アァッ、や、ア、ァ、アァッ……ッ!」
「ああ……その声……」
耳元に落ちる低い囁きに身体がビクビクした。俺を包む匂いがさらに濃密になる。目の奥がチカチカする。
「アアァァーーーーッ!!」
全身が緊張する。
息が詰まる。
一瞬、なにも見えず匂わなく、なった。
少しして、身体が弛緩していく。
ハアハア息が荒い。身体が怠い。まるで新月に森の中を丸一日走った時のよう。
五感が戻って来た。うっすら目を開く。
「……は、あ…………なにこれ……」
嗅いだことの無い匂いがする。なんだこの匂い。初めて嗅ぐ匂いだけど、嫌な匂いじゃ無い。
「出したのは初めてか」
耳元に低い囁きが落ち、ぞくりとしながら「だ、し……?」聞き返すと、手が目の前に来た。
白い粘液が、手を濡らしていた。あの匂いが濃く香る。
「これだ。おまえの精……」
声が軋むように途切れた。苦しそう。
はあ、と深い息を吐いて、ベータは背から身体を離した。支えを失い、弛緩した身体は仰向けになる。
見上げた顔は、銅色に縁取られた全ての部分が赤い。息も荒い。それに匂いが、さっきより濃くなってる。
金の瞳をぼうっと見上げる。
「たまらんな……なんて甘い匂いだ……」
呟いたベータは目を細め、自らの手に舌を伸ばして、白い粘液をペロリと舐めた。
ベータの匂いが、また濃くなる。
ここはひと族の里なのに、感覚を閉じてないのに、ベータしか感じない。
むせるような匂いも、圧倒的な気配も、息遣いの揺らぎも、今首筋に汗が一筋流れたことまで分かるのに。
感じるのはベータだけ。
いや、ベータの全てを感じる。……世界に俺とベータしかいないみたい。なんて安心感。
「あ……あれ……?」
なぜだろう。
鼓動はバクバク、手足の先が冷たく痺れて、身体の奥から熱いなにかがこみ上げ続け、身体の一番奥の辺りがなにかを欲して疼いてる。
さっきと同じ、いやさっきより変なのに、あんなに怖かったベータが、今は怖くない。
それどころか胸が温かいもので満ちて、締め付けられるような感覚になり、涙が滲んできた。
「どうして……なんで……」
思わず手を伸ばし、震える指先でベータの目元に触れた。金の瞳が細まって、優しく笑む。
気づくと俺の中指と薬指が、銅色の強 い毛の中に埋まっていた。
「あんた、怖くない……? なんで……?」
ドキドキする。
なのにぜんぜん嫌じゃない。むしろ胸の奥がじんわり暖かくなるような……
「蒼の雪灰……」
ベータは囁くように俺を呼ぶ。その声に、またゾクゾクする。
「おまえは」
くちを一旦閉じ、ゆっくりまばたきして、苦しそうに眉を寄せ、ベータは言った。
「俺のオメガだ」
「……なに……?」
いまこいつ、なんて言った?
ともだちにシェアしよう!