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13.声

 王都は遠い。  一気に走り抜ける距離じゃ無い。それにそんなこと、できなくなってる。  満月になっても変化(へんげ)しなかったし、走り続けることができない。胸の奥のモヤモヤのせいか、それとも…… 『蒼の雪灰』  あの声がずっと追ってきているからか。ベータから逃れて、今は離れてるのに、声が追ってくるみたい。気を抜くと聞こえてくる。  満月を迎えて、俺は変になった。  慣れてるはずなのに感覚をうまく閉じられない。  身体の自由も効かないなんて、あのときあいつに呪いを掛けられたんだろうか。精霊師(ガンマ)でもないのに、そんなことができるんだろうか。  それとも人狼の本能が、能力が、衰え始めてるんだろうか。 『蒼の雪灰』  そして聞こえる。聞こえ続ける。  閉じられないからひと族のいるところは辛いのに、王都に近づけば近づくほど畑や家が増えて、どこにでもひと族がいる。畑のあるところはそんなに臭くないけれど、ひと族が集まるとすぐ臭くなる。感覚を閉じられないから、街道を歩くなんて無理。 『蒼の雪灰』  聞こえ続ける。  気配も無いのに、追ってきてるわけないのに、すぐ後ろで言われてるみたい。  耳に聞こえるわけじゃない。身体の一番深いところに刻印されて、そこから湧いてくるみたいで、なのに後ろから追ってくるみたいでもあって……分からない。どういうことか分からない。  けど嫌じゃない。 『蒼の雪灰』  ベータの響きが後ろから湧いてくる、そのたびに身体の自由が奪われてるような気もするのに、思うようにできない身体には焦れるのに、嫌じゃない。  また聞きたいと思ってしまう。 『蒼の雪灰』  近くに来てくれないかと思ってしまう。  触れたいと、匂いたいと思ってしまう。  そう思うと身体が熱くなる。気づいたら発情してる。 『蒼の雪灰』  ひと族のいない畑の脇の森で、小さな村で一晩だけ借りた小屋で 『蒼の雪灰』  俺はあの夜みたいに────── 「あっ、……ああ……」  あの夜ベータの手がしたみたいに、熱を持って昂ぶるものを擦った。  でもうまくできない。 『蒼の雪灰』  自分の手で擦っても、ベータの手の真似をしても、あの時みたいにはならない。 『蒼の雪灰』  なんとか精を吐き出しても、身体の熱は収まらない。  俺はずっと、おかしい。   ◆ ◇ ◆  ベータが笑んでいる。優しい笑みで俺を見てる。それだけで胸が熱いもので満たされる。走り寄って抱きしめたい、あの匂いに包まれたい、けどできない。  苦しそうに声を軋ませ、ベータが言うから。 『次のオメガはおまえだ』  熱が一気に下がる。鼻も耳もベータを拒絶するみたいに閉じる。ベータを感じなくなる。悲しくて悲しくて──────  目が覚めた。  俺は寝台の上で、ボロボロ泣いてた。 「ああ、……そうか」  新月になって、あの声があまり聞こえなくなって、感覚を閉じることもできるようになって、少し楽になった俺は、少し大きな町に宿を取ったんだった。  疲れ果てていて歩くのが嫌になってた。  カネはあったし、獲物を取りに走るのも面倒だった。感覚を閉じて借りた宿で食事をもらったけど食欲無くて殆ど残したまま貰った湯で身体を拭き、寝台に転がって──────夢を見たんだ。 「……もう、なんなんだよ……」  グスグスと鼻が鳴る。涙も止まらない。夢なのに、ただの夢なのに、胸が押し潰されるみたいに悲しい気持ちのままだ。  もう自分が分からない。  前までは逃げるんだと、それだけ思ってた。アルファが死ぬまで逃げて、郷に戻ろうって。郷を出たことが逆らってることになってるんじゃないかって思っただけで、ものすごく不安になって、俺だってアルファに逆らいたくなんてないよ、とか思って……  けど今は違う。  逃げたいのかどうか分からなくなってる。  アルファと番うのは絶対に嫌だ。けどベータに逢いたい。ベータの声をもっと聞きたい。ベータに触って欲しい。ベータに触りたい。でもベータは掟を守る。アルファの命には、絶対に逆らわない。  どこでもいいんだ。群れに戻れなくてもいい。ベータがいたら、それだけでいい。  ただベータのそばにいたいって、ベータの所に行きたいって、それしか無くなってる。  なのになんで逃げてるんだろう。  ベータが追ってくるなら、おとなしくつかまれば良いんじゃないか?  そうしたらベータと一緒にいられるんじゃないか?  なんで逃げてるんだ、俺は?  考えながら、敷布でぐしぐし涙を拭いた。けど涙は止まらない。  もうほんとにわけが分からない。自分も、ベータも、みんなおかしい、おかしいだろ?  顔を拭き続けながらぐしぐし泣いてたら、コンコンコン、とノックの音がする。  鍵は掛けてないし、起き上がるのは嫌。 「どうぞ」  敷布で顔を覆ったまま、情けない震えた声だけ出した。  ドアが開いて、誰か入ってきた。 「なんだ? おまえ、泣いてんのか」  え、この声……  顔を上げる。  そこに立ってたのは、郷の語り部(シグマ)だった。

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