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16.語り部
明るい緑の目。鋼 色の毛。
郷の語り部 筆頭 。
……なんでここに？
十五歳になるまで、俺たちは子狼だけのコミュニティーに所属する。年嵩が幼い仔の面倒を見て、群れの中でのやり方なんかを教え導くのだ。ちゃんとした階位 や序列は無いけど、おのずとリーダーは決まる。
自分と相手のどちらが上か、本能で悟る。力、知恵、理由は様々だが、上だと分かれば従う。それが人狼 だ。
俺が幼い頃、子狼たちを纏めていたのは、七つ上のベータ だった。
走るのが速く身体が大きく力が強いベータは、自然に子供たちの尊敬を集めてた。木登りが上手で、誰も至ることのできなかった高い梢から飛び降りる姿は、俺も見ていた。
けれど八歳の頃、あいつにいきなり抱き締められて泣き叫んだ俺は、無視されていた。むこうは近寄ってこなかったし、こっちからも行かなかったので直接話したことは無いけど、すごく厳しかったらしい。
そしてこいつ は五つ上。
いつもニヤニヤヘラヘラしていてずっと喋ってて、年下や年上ときには大人をからかうような事ばかり言う。くちは偉そうなんだけど、身体動かすと何をやっても年下より下手くそで、あんまり偉い感じはしないし俺たちはバカにしてた。
なに言ってもたいていニヤニヤ笑ってたから、俺たちも好きに弄ってたんだけど、やりすぎると大人にはバレない強烈な悪戯で仕返ししてきたから、密かに恐れられてたし十五の時はリーダーだった。
成人して語り部 になってから、すぐトップに収まったって聞いた。子狼たちの語り聞かせにも来てたし、馴染みのある顔。
やっぱり物知りで話し方も上手いし、だからトップなんだろうなとみんな納得してた。けど……
なんでひと里 に？ しかも俺が泊まってる部屋に、いきなり？
「ほれ」
驚いて涙も乾いた俺をニヤニヤ見ながら、シグマはヒョイと何かを放った。思わず受け取ったのは小瓶。
「癒し 特製の薬。今のおまえなら、飲めば楽になるだろってさ」
「……なんで」
「いいから、まず飲めって。話はそれから。な？」
イプシロンが作ったなら悪いものじゃないとは思うけど……
「なにこれ」
「いっぱい酒を飲んだときと同じ感じになるんだよ」
たくさん酒を飲むと感覚がぼやけて、下町でも楽に過ごせた。納得して口をつける。
意外と旨かった。
でもじゃあ、今の俺は過敏になってるって事？ 新月なのに？
「飲んだな、よしよし。んじゃあ、そこに横になれ」
ヘラッと笑ってシグマは言ったけど、疑問はどんどん湧いてくる。
「……なんで？ ていうか……」
「話してやるから、まず落ち着け。な？」
溜息を漏らし、小さく頷きながら寝台に横たわる。
とにかく身体は怠いし疲れていた。シグマは乱れていた敷布を伸ばして肩までかけ、俺の腹をポンポン叩く。まるで幼い子狼をあやすみたいに。
シグマになる前から、ときどきこうして寝物語を聞かせてくれてたのを思い出す。まだ子狼だった頃に戻ったような気分になって、なんだかホッとする。
「ポーッとしてきたら言いな。ひっでえ顔してる。どうせまともに眠れてないんだろ？」
ニヤニヤ笑いながら言われ、唇を噛んだ。言う通りだ。声が聞こえたり夢を見たりで、ぐっすり眠れてはいない。
「つうかなあ、おまえがいる場所、丸わかりなんだよな」
「えっ……」
必死で逃げてたのに……？
信じられない思いで、ニヤニヤ笑ってるシグマを見上げた。
「俺たちも追ってたけど、とにかくベータが言うこと聞かなくてなあ」
「ベータ……」
ああ、逢いたい……。
「そんな顔すんな。あいつは郷にいるよ。どうしても見守るって頑張ってたけどな、俺が追い返した」
……え？
「で、でも……ずっと、……ずっと声が」
「それだよ。あいつが近いと、おまえがきついだろ？」
「……聞こえ……追って……」
「だから追い返したんだよ」
────確かに、少し前からあんまり聞こえなくなって……でも新月だからだろうって……違う、のか？ そうじゃ、ない……のか？
「まあ、落ち着けって」
ゆるゆると首を振った。
そんなの無理だ。もう郷へは戻らないって、必死になって……なのに丸わかり？ 嘘だろ？ そうじゃなくてもひと族の匂いや気配がする、息も苦しい。身体の熱も治まらないままで、じっとり滲む汗が止まらない。
「わけ分からないんだろ？ 仕方ない、成人前だし、何も知らないんだから。けど、おまえは重要だからな。だから説明も兼ねて俺が……」
「……俺が……？」
重要……？
──────『郷にとって宝』────
ベータの声が蘇る。
「……俺が、オメガ、だから……？」
「ん～～、まあなあ」
────それが、俺の価値……ベータにとっても。
ズキン。
胸が痛む。深く刺し貫かれたような、強い痛みが。
────番として、じゃなく。『郷の宝』だから。だから追ってきた。
俺に逢いたかったわけじゃない────
ズキンズキン、胸の深いところが痛み続けてる。
「狩り の連中も何人か来てる。ココに入ってくるのは無理だったけどな」
身が軽くて足が速く、気配を追うのも消すのも得意。それがルウだ。密かに存在を補足して郷と連携を取る、つまり追跡に最も適している。俺を追うなら、ベータ一人よりずっと確実。
けれどルウにとって感覚は重要だ。元々感覚の鋭い者が選ばれ、階位 を得てからも、より鋭敏にしようと磨く。ゆえにルウが人里で過ごすなら、かなりの苦痛を伴うことになる。
無頓着なひと族は、無防備に色々なものを垂れ流している。俺も最初は過剰なまでにあらゆるものを感じ取って食欲も無くなった。俺より優れたルウなら、下手したら狂ってしまうかも知れない。
だから、優れたルウが近寄れないだろうと思ったから、ひと里に紛れることにしたんだ。
「ともかく、この薬 飲むの極端に嫌がるルウがそれを圧 して飲んでる。そこまでして見守ってるんだ、おまえを。意味分かるよな？」
……分かる。
そして絶望的な気分になった。
最初のうちは俺も、酒を飲んで感覚が鈍るのを本能的に避けていた。感覚を殺すのはルウにとって自殺行為に近いんだ。自分の価値を半分殺すようなものだから、喜んでこんな薬を飲むはずない。
……なのに飲んだ。
「俺を連れ戻すことが……それだけ大事……てこと……」
「そういうこと」
ヘラッと笑ったシグマは、腹をポンポン叩き続けながら、表情を改めた。
「このまま逃げても、なにも始まらない。なにより今おまえ身体が普通じゃないだろ？ どういうコトか分からないで混乱してる。違うか？」
真面目な声が落ちてきて、思わずコクンと頷いた。
言う通りだからだ。
もうわけが分からない。もういやだ。ベータに逢いたい。
「強引に連れ戻せって声も大きかったけどな、俺はそれじゃダメだって思ったんだ。まず説得させろって抑えて、ルウに協力してもらった。俺は走るのも見つけるのも苦手なんでね」
「……でも、あんたは一番賢い」
「おお、分かってるな」
ククッと笑ったシグマに「悪知恵も働くけど」と付け加えると、額を軽く弾かれた。
「いたっ」
「ひとこと多いよ」
弾かれた額を手で擦りながら睨むと、「あっはっは、悪い悪い」すぐに頭を撫でられた。
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