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17.役目
「ガキの頃から分かってたよ。おまえは賢い」
あやすような手と笑みに、複雑な気分になる。
俺は知ってる。いい加減ぽいけど、シグマがすごく優しいってこと。
「でもまあ、語り部 向きじゃないな。まあ身体は強いし俺より動けるから、頑張れば優秀な狩り に成れるのかも知れない」
ニッと笑ってそこまで言うと、シグマはスッと笑みを収めた。
「けど、おまえに求められてるのはそれじゃない。ここまでは良いか?」
くちを閉じたシグマの目に促され、俺は小さく頷いた。
「おまえ、けっこうヤバい状態になってるんだよ。精霊師 も滅茶苦茶うるさくて」
────ガンマ。
いつも暗い色のローブを着て深くフードを下げ、真っ白な毛が長く伸びてて顔も身体も見えない。どこに住んでるのか知らないし、滅多に姿を見せない。
けど祭事やお祝いの時にやってきて、ぶつぶつボソボソなんか言う。ガンマがそうするととても気配や風がスッキリして、みんなすごく元気になる。
でも声が小さくて、なに言ってるかは分からない。
そのガンマがうるさい?
「このままじゃダメだ、前と同じになるって」
「前……?」
「おまえの親、前のオメガのことだよ」
「ああ……」
ガンマが何歳なのか誰も知らない。
けど親のことを知ってるなら、若くはないのかな。
「よし、じゃあまず、郷の話をしよう」
「郷の……?」
「そう。まず知らなければ、受け容れも難しいだろうからね」
「受け容れ……」
「そう。おまえは受け容れなきゃならない。そういう運命 なんだ」
「…………」
シグマの手は黙り込んだ俺の腹を規則的に叩く。
「俺たちの親世代はみんな不幸だった。俺たちはそう教えられただろ?」
黙したまま頷くと、眉尻を下げて声を落とす。
「番を失い、それでも郷のために仔を成した雌たち。番がなんなのか知る前に子作りして、未熟なまま年だけ取った稚い雄 たち。仔を成したのにオメガと番わねばならなかったアルファとその妻。老いた者たちは郷が澱んでいくのを悲しい目で見ていた。……そして階位 を追われ、つとめだからと望まぬ変化を受け容れ、子を産んだオメガ────やっと今は、郷の形を整えられるようになってきたけれどね」
俺たちは子狼の頃からこの話を聞かされて、人狼として正しいことをしないと不幸になると学んでいた。
「誰も幸せになれない、そんなやり方を選んだのはアルファだ」
とても力なく消沈したような、シグマらしくない声だった。
「……といっても、責任を問うのはちょっと可哀想だと、俺は思う」
そう言って苦笑したシグマは両手を広げる。
「だって考えてみろよ。ある日突然アルファになって、たったひとりで全てをやらなけりゃならなかった。相談できるシグマは皆失われ、残ったひとり はオメガになってしまっていただろ。そのオメガも、状況が普通じゃなかったから冷静では無かったんだろうな。ただでさえ異常事態だったんだ。間違いない行動なんて無理だって」
沈痛な顔と声で言うと、シグマはフゥッと息を吐いてヘラッと笑った。
「ま、俺なら他の方法を進言したけどな。たとえば他郷に協力を依頼するとかね」
「……協力?」
「そう。どこの郷だって番ナシは何人かいるだろ? 成人はしたけど番が見つからないってんで、独り身で過ごすやつ。そういうのに来て貰って、子作りに協力してもらう。そのままうちの郷に来ても良いし、元の郷に戻っても良いから、子狼を増やすのに協力してもらう」
「へえぇ……」
さすがシグマは賢いなと感心する。
「他郷の番無し同士が出会うことで、もしかしたら番が見つかるかも知れないからな、協力してくれるやつはそれなりにいたと思うんだ」
なるほど。すごいな。そんな方法、今まできっと誰も思いつかなかった。
「俺たちは産まれた子狼をしっかり育てて、郷を安定させる。番を失った雌たちは、ここで今までの役目を続けて子育てに協力するか、それとも他郷へ行くか、納得して決める、とかね。……なんて、くちで言うほど簡単じゃないだろうし、実現できたか分からないけど、そういう方法を模索することはできた筈なんだ。まあ、その頃まだ俺は産まれてもいなかったからね。後からなら何とでも言えるって話だけど」
ぼうっと見てると、シグマは苦笑して腹をポンと叩いた。
「とにかく、俺たちの郷には不幸なことがあった。だからこそ、俺たちは学ばなければいけない。間違いは繰り返さない。分かるな?」
なんだかぼうっとしてきたけど頷く。
「言いたいことは色々あると思う。けど、まず呑み込め。おまえはオメガだよ」
『おまえが、次のオメガだ』
『オメガはおまえだ』
鈍銀の瞳と、金の瞳が浮かぶ。
身体の奥が蠢くみたいな、変な感じがする。
明るい緑の瞳が優しく細まった。
「これはもう決まっていることだ。オメガがいない郷は、精霊の加護を受けられない。おまえが必要なんだ」
「精霊……」
「そう。郷には、俺たちには、精霊の力が必要で、精霊はとっても大切。知ってるよな?」
もちろん知っている。
郷は精霊に守られ、郷を治める人狼が生気を養うことで精霊は潤う。精霊が元気になれば森が栄え、人狼も豊かに生活できる。
子狼の頃に重ねて言われることだ。俺はお互い様な感じだなって思ってた。人狼も精霊も森も、みんな元気じゃないといけない。
でも……。
オメガがそんな役目だなんて聞いたことない。ただ雄なのに仔を産めるようになるってだけ……じゃないの?
「表立って見せてないし、精霊師 は滅多に出てこないから知られてないけど、オメガはガンマと協力して祭事を成すんだ。だから郷を出ることはできなくなる」
覗き込むように見つめられ、混乱したまま目を伏せた。
「このことを知るのは、オメガ本人とガンマと語り部 筆頭 だけ。アルファにも、『精霊に祝福されて変化する』としか伝えない。で~、ガンマは郷を出られないからな。だから俺が来た」
────そうか。
「おまえに話したって意味も分かるな?」
こくりと頷く。
俺がオメガだから話した。聞いたからには拒否も逃げることも許されない。そう言いたいんだろう。
もう、動かせないのか。郷のために、俺は……
「前のオメガは、子狼とたまに関わるくらいで引きこもってたしな。おまえオメガって役目に良いイメージないんだろ? けどあれは特殊なんだよ」
規則的に腹を叩いていた手が、頭を撫でる。眼を向けると、シグマは緑の眼を細めて優しく笑んでいた。
なぜだか、ひと族の気配や匂いが遠くなってる。ずっと聞こえてたベータの声も聞こえないし、目の前のシグマの匂いさえ感じない。……なんだかぼうっとしてきた。
「安心しな? 他郷じゃオメガは元の階位 を兼任するんだ。うちの郷だって以前はそうだった。けど前のオメガはそれができなかった。極端に体力が落ちてたからな」
なんだかホッとする。ほうっと息が漏れた。
「……ポーっと……して、きた……」
「そうか。じゃあ寝ちまいな。何日もまともに眠れてないんだろ?」
頷いて、分かった、と言ったつもりだったけど。
言えたかどうか、分からない。
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