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19.森に入る
薬が切れると、やっぱりベータの声が聞こえて身体は熱くなり、胸がモヤモヤして苦しくなった。
すると背負ってる奴が気づいて立ち止まり、イプシロンの薬を飲めと言われる。薬を飲むと少し楽になり、俺は背中で揺られながら眠る。
寝たり起きたりでハッキリしないけど、三日くらい経って、知ってる匂いがしてきた。
ここまで来れば分かる。もうすぐ郷のある森だ。
三匹に疲れた様子は見えない。むしろ月が満ちるに合わせて、走る速度は早くなってる。
というか、背負われてるだけの俺の方がひどく疲れてきて、必死にしがみついてるけど落ちそうになったりした。
「また熱くなってきたな」
速度を緩めず走り続けながらトップが言うと、セカンドも続けた。
「疲れたか? けど森が見えたら薬はダメって言われてるんだ」
「あとちょっとだから頑張れ?」
声を掛けてきたサードに、トップが言う。
「おまえ、先に行って、もうすぐ着くってガンマと語り部 次席 に伝えろ。それと荷車に干し草かなんか敷いたやつ用意して迎えに来いって」
「うーっす」
じゅうぶん速く走ってると思ったのに、サードはさらに足を速めた。
「おまえの足! 異常だな!」
「言い方だいじ! ひでーよ!」
セカンドに抗議の声を声を上げながら、サードの背中はみるみる遠くなっていく。
逆にトップは速度を緩め、セカンドの手が俺の腰を支えるみたいに添えられた。
郷には、人狼には、俺の知らないこと、子狼たちに知らされてないことが、たくさんある……んだな。俺もこれからそれを知って、郷のために働く、んだ、よな。
……オメガになって……。
アルファの鈍銀の瞳が浮かぶ。ごわごわしてそうな銀灰の毛も、ちょっと眠そうな目も。
──────番うんだ。アルファと。
子作りって、どんなことするのかな。
その時になったらおのずと分かるって言われてるけど、もしかして、あの夜ベータがやったようなこと、なのかな。思い出しただけで身体が熱くなるみたいな、あんな……
ぞくり、と背筋が凍る。
いやだな。すごくいやだな。なんだかすごく。ちょっと想像しただけで、指先が冷えて震えるくらい、ものすごく嫌だな。
ギュッと目を閉じて、頭からアルファを追い出した。
「あ~、生き返るなあ」
「やっぱり郷は良いな」
森に入って、ルウたちがくちぐち言ってる。俺も少し楽になった気がしたけど、頭はボーッとしてるし、ひどく疲れていた。
ハッキリしない頭で、ぼんやり思う。
森に入ると精霊が力をくれて、だからルウは楽になったのかな? 精霊に守られてるって、そういうことなのかな?
けど俺は、胸のモヤモヤが少しスッキリしたかなってくらいで、あんまり変わらない。
それどころか、さっきから指に力が入らない。ちゃんとしがみつこうと必死になってるのに力が入らなくて、走る揺れで指が外れそうになる。
ずっと背負われてて、頭もボーッとして、必死にしがみついてて、すごく疲れてはいたけど。
「おい、ちゃんとつかまれ」
トップの腕が俺を支えた。
なんかおかしい。
森に近づいてきて、胸はスッキリする感じがあるのに、力が入らなくなってきてる。
ただしがみつくだけなのに、三日三晩走ってるみんなに手をかけさせて、ほんとに俺はダメだ。悔しくて泣きたくなる。
「ごめんなさい」
呟くと、腰の手が腰をポンと軽く叩いた。
「熱あるのに、ここまでよく頑張ったな」
セカンドが優しい。ルウの仕事中は一番厳しくて良く怒鳴られたし叩かれたのに。
じわりと涙が滲んできた。
「よく分からんが、大変そうだなおまえ。癒し の薬じゃ治らないんだって?」
「語り部 が『精霊師 じゃなきゃだめ』って言ってたけど、どういう病気なんだ?」
セカンドも聞いてきたけど、そんなの分からない。ふるふると首を振る。
「なにか聞いてないんすか?」
「聞いてねえ。聞いたって俺らに分かるかよ。任せときゃ良いんだ」
「ま、そうっすけど」
トップがチラッと俺を見て言った。
「余計なこと考えなくて良いから、もう少し頑張れ。寝ても良いぞ」
「安心しな、支えてやっから。落とさねえよ」
仕事を教えてくれた先輩 たちがそばにいる。なんだかとても安心して、うとうとして……
気づいたら荷車に揺られてた。
「いきなり匂うな」
俺は荷車の上、乾いた草に埋もれてる。
「トップの指示通り準備はしてあったけど……起きたのかい?」
横を歩きながら声を掛けてきたのは、語り部 次席 。
「大丈夫かい? 苦しいかもだけど、薬はあげられないんだよね。寝てて良いよ、ていうか寝ててくれる?」
荷車は馬が引いていて、セカンドの他に誰もいなかった。
「あれ……ルウたちは……」
「先に戻ってるよ。あのひとたちはゆっくり進むのが嫌いだからね。それに……」
ニコニコと見下ろされる。
「その匂いはマズイでしょ。薬無しじゃ近づくのキツイって」
笑顔なのになんだか声も眼差しも冷たい気がした。
「番無しには毒だよ」
「なに、言って」
「おまえだよ、おまえ」
「……おれ、が……?」
セカンドの金茶の瞳が細まり、嫌な気配がした。
「うちのトップも、ガンマも、ベータも、おまえのことになるとおかしいんだよね。まあいいんだけど、その感じもむかつくかな」
嘲笑うような笑みを浮かべ、見下ろしてくる。
なんか嫌だ。この人……嫌なゾクゾクが来る。
「なにも知りませんって? 被害者ぶってる感じ? なに言ってるんだか、自分のことでしょ。それくらい、ちゃんと理解しといた方が良いんじゃない?」
自分になにが起こっているのか、ベータのことやアルファのことや色々、一番知りたいと思ってるのは俺だ。
なのに、シグマ・セカンド はずいぶん嫌な言い方をする。
ルウたちになにも聞かなかったのは、たぶんなにも知らないだろうと思ったから。頭フラフラで、寝てろって言われたし、安心してたのもあるかも。
けどこの人は何か知ってるのかな。でも簡単に教えてくれそうにないな。
のそのそ身体を起こし、辺りを見回す。
馬の横で手綱を持ってる背中をぼうっと見る。どこに行くのか聞こうか、一瞬思ったけどやめた。なんか馬鹿にされる気がしたから。
ゆったり歩きながら馬を操るシグマ・セカンドは、それっきりこっちを見ることも無く、ひとこともくちをきかずに荷車を進めていく。向かってるのは今まで行ったことの無い方向。集落でも癒し の建屋でもない、子狼の頃、入っちゃいけないと言われてた辺り。
薬を飲んでたせいで薄れてたものが、森が近づいてからどんどん強くなってて、ものすごく辛くて……なんなんだ、これ、なんなんだよ?
だってベータに触れられてからずっと、歩いてても横になっても、ベータの声が身の奥から滲み上がるように響いてくるんだ。
その声はベータの手や銅色の毛の感触や、金色の深い眼差しや、少し掠れたような低い声や……そんな色々を連れてくる。身の奥にモヤモヤしたものが生まれて身体中に広がって行って、甘噛みされた首の背がゾクゾクして、またあれやってくれないかなとか、そんなことばっかり思ってしまう。
見たい、聞きたい、匂いたい、触れたい、触れられたい……あの時は力が入らなくてできなかったけど、抱きついて全身で五感全てでベータを感じたなら、きっとすごく幸せになれる。そんな感じがする。
ベータベータベータ──────
草の中に顔を突っ込む。イイ匂いがする。落ち着くかと思ったけどダメだ。身体が熱い。やだ。もうやだ。こんなのもう……
「……あいたい……」
いつのまにか流れてた涙が止まらないことにも気づかないまま、呟いていた。
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