22 / 43

22.郷のこと

「いやぁ~、ひどいめにあった~」  ガンマの洞窟で過ごした三日目の夜、ボロボロの語り部(シグマ)筆頭(トップ)がやってきた。 「なんだってあいつらはああもガサツなんだ? なあガンマ? いや分かるよ、あんたがそんなの気にしないなんて分かってるけど。おっ、元気そうじゃないか。調子戻ったか?」  ヘラヘラしてる。  鋼色の髪はボサボサだし、肌も汚れて着るものヨレヨレだけど、シグマのくちは止まらない。 「俺も目一杯急いだんだけどさ、だからって一瞬も止まらずに馬を脅してさあ、怯えた馬が暴れるから馬車の中はさんざんだったよ。まあ、あの馬はひと族の里で買ったからな、脅すしかないんだけど。ああそれより待たせて悪かった、話の続きをしような。どうせガンマはなにも教えてないだろうから。でもしょうがなかっただろ? あの状態じゃ、少しでも早くここに来る必要があったんだ。どうだい、ここなら楽だろ」 「……えーっと、まあ、た……」 「おい!」  シグマは目を輝かせて声を高め、答えようとした声は遮られてしまう。 「竈がキレイになってる! あ、おまえがやったんだ、だよなあ、ガンマがやるわけ無いもんなあ。よし湯を沸かそう、茶でも飲もう。おいガンマ、いくらなんでも茶葉くらいあるよな?」  ガンマはチラリと目を向けただけで、声も返さない。 「ある」  仕方なく俺が答えた。 「あ~、茶、飲む? 淹れるよ」 「そうか頼んだ」  機嫌良さそうに返したシグマは作業台前の椅子にどっかと座り、うーんと伸びをした。 「あ~~、揺れてない座席に座るのって素晴らしいな!」  腰上げて茶を入れてると、シグマはガンマをからかって遊んでた。といってもガンマはぼんやりしてるだけだ。髪をボサボサに下ろしたままだから、どんな顔してるか分からないけど、あれは多分、半分寝てる。 「あ~~、うまい! いいねえ温かい茶! 動かない座席に座って飲むと、また格別だよね!」  大袈裟に感動してるシグマは、本当にくちを止めなかった。  ガンマと二人だとひたすら静かで、なんか違う世界に潜り込んだような気分になってたけど、シグマが来て、一気にここが郷だって感じがした 「はぁ~、じゃあ本題いくか。ああ、ガンマは寝てて良いよ、勝手に喋るから」  小さく頷いたガンマはフラフラ寝床に向かい、倒れ込むと、そのまま本格的に眠り始めた。  ガンマの行方などまったく気にしない様子で、シグマは軽い調子の声をかけて来る。 「えーと、どこまで話したかな? ガンマにはなに聞いた?」 「……オメガは精霊に好かれるって」  ずずっと茶を飲みながら答えると、シグマはニッと笑った。 「そうらしいな。そこらへんはガンマの方が詳しい」 「あと、仔を産まなくてもイイって」 「なんだそりゃ」 「だってあんたが教えてくれたんだ。俺の親は、郷に必要な強い仔を産むためにオメガになったって」 「ああそりゃ、おまえの親はな。あの時の状況が特殊だったからだろ? オメガが全てそうだなんて俺は教えてないよ。そりゃまあ産んでくれたらありがたいけどな」  ヘラッと言ってから口元を引き締め、「おまえだって特別だ」漏らした声は、嬉しそうだった。 「おまえはさ」  夢見るように宙を見やるシグマは、また茶をひと口飲んで、ほう、と息を吐く。 「俺たちの世代から初めて出たオメガなんだよ。郷が元気になるんだ、ようやく」  本当に嬉しそうに目を細めている。  少し軋むように、胸が痛んだ。 「親たち世代はやり方を間違えたと俺は思う。けど、仔を成してくれた。俺たちを育ててくれた。全ての階位(クラス)が揃ってるわけではないし、前代のクラスから教えを請うことはできないけれど」  ここの書物を読んで知った。あるべき階位のうち、今あるのは八つだけだ。まだ成獣の数が少ないから、全ての役目を宛がえないんだ。 「俺はね、子狼の頃から師に……おまえの親な、知恵と知識を伝えられていたんだよ。俺がシグマになるって、師は知ってたのかな。ともかく郷の正しい形を知ることができた。シグマだけは郷ごとの決まり事があって他郷に教わることができなかったからね。ありがたかった」  茶を飲み干し、シグマは自分でお代わりをつくってカップに注ぐと、俺のカップにもつぎ足す。 「俺たちは郷をそこに戻さなきゃいけない。他のクラスの連中も、他郷で役目を教わった。そいつらが戻ってきてトップになり、下を育ててる。アルファがいて、オメガがいて、俺たち階位(クラス)がいて、上は下を育て、下は上に従う。そういう正しい郷の形ができあがれば、俺たちの生気は精霊を生き生きさせるだろう」 「精霊……」  シグマは立ち上がり、両手を広げて声を高めた。 「精霊は森そのものだ。俺たちは森を治め育む。森は惠みを落とし、獣が増え、水は輝き、芳しい風が渡る。そんな全てが精霊を育み、俺たちは森に力を貰う。一人一人が強くなり、郷が生き返る。本来の郷に戻るんだ!」 「……本来の郷」  シグマはニッと笑って腰を下ろす。 「そうだよ。あるべき形を取り戻すんだ」  カップを手に取って、ふふっと笑う。 「子狼は二才まで親に甘えて育つ。ガキのクラスで鍛えられて成人し、階位(クラス)を得る。そのとき郷には老いた者、壮年の者、若い者、幼い者、さまざまな年頃がいるんだ。素晴らしいだろ?」  今、うちの郷で壮年なのはアルファだけ。老いた者は徐々に失われつつあり、ほぼ若者と子狼しかいない。 「雌もそれぞれ役目を果たす。番と共に仔を成して、子狼が怪我しないよう、病が郷を汚さぬよう、整える。誰もが自分の役割をこなして、郷のために働けることに満足するんだよ。もうすぐそうなる。ようやく本来の形になるんだ。その為におまえは」  シグマは笑んだまま俺を見た。ごくりと喉が鳴る。 「とても重要なんだよ」  郷のため。本来の郷の形を取り戻すため……  ────オメガは郷の宝  ベータの声が蘇る。 「だから俺は、俺たちは、……」  言葉を切って、シグマはチラリと寝床へ目をやる。ガンマは眠っているようだ。 「……あ~、うまい茶を飲んだら、なんだかムズムズしてきたな。ずっと馬車で座ってたからね」  カップを置いて、シグマは腰を上げる。 「ちょっと森を歩いてくるよ。ここら辺りは最高に気持ちいいんだ」 「……知ってるよ。実りの季節だし、けっこう歩いた」  洞穴を出ると、周りは深い森だ。ちょっと歩けば木の実や果物が実ってるので、木登りを楽しみがてら、その場で食べたりしていた。なぜか肉を食いたくならないので、それで満足していた。 「おお、じゃあ狩り食いするか。一緒に行こう」 「いいけど、あんたもちゃんと狩るんだよ」  言いながら腰を上げた俺に、「そんなこと言わないでくれよ~」と甘えてくるシグマと一緒に洞穴を出る。  このシグマは昔から木登りが下手で、良く落っこちていた。子狼(おれたち)はみんな、それ見ながらゲラゲラ笑った。だって五才の子狼より下手くそなんだ。最近は見てないけど、きっと今も下手くそだ。  シグマはどんどん森の奥に進んで、ガンマの洞穴から千歩くらい離れたところで止まって振り返る。  ガンマは半分寝てたし、元々感覚は鋭くないようだ。ここまで来たら、なにを話しても、きっと聞こえない。 「そっか、ガンマに聞かせたくない話なんだ?」  そう言うと、シグマがニッと笑った。俺は、はあ、と溜息を吐く。 「うん。おまえは賢いよ。ガキの頃から」  目の前に来ると拳を上げ、こつん、と軽く額に落とす。 「けどね、そんなのわざわざ言うもんじゃないよ」  ぶうう、とくちびるを震わせ不満を現したけれど、ヘラッと笑われた。俺は手近な木に足を掛けてするする上り、手頃な枝に腰を落ち着ける。  シグマを見下ろしながら手を伸ばして実をもぎ、ひとくち囓った。実はまだ若くて、少し渋い。 「おい、俺にも一個くれよ」 「自分で取れば良いじゃない」 「おい、意地悪言うなよ。そんなに俺の尻餅が見たいか?」 「……ちょっと見たい」  久しぶりに……俺よりダメダメな姿を見たい。  下から、はぁっと息を吐くのが聞こえた。 「あのなあ、落ちる必要なんて無いぞ。おまえは誰より重要なんだから」  だって……。  俺はオメガで、だから価値があるんだ。……俺が優れてるからじゃなくて、精霊に好かれるから。  価値があるのはそこで、俺自身はダメダメだ。  ホントに、ぜんぜん 「おれはダメだ」 「なに言ってる。おまえは俺より早く走れるし木登りもうまい」 「あんたよりうまくても嬉しくない」 「あ~、はは、まあな。……そうだ、狩り(ルウ)トップが、おまえの鼻はスゴイと言っていたよ」  トップがそんなこと言ってたなんて知らなかった。けど。 「……そんなの……」  たいしたことじゃない。 「成人の儀を超えれば良い戦力になるって。楽しみだってね」 「でも……」  俺はオメガで、だから成人の儀を超えても、これ以上感覚が鋭くなることなんて無いんだろう。 「おまえは、ベータやアルファより賢い」 「……シグマ(あんた)たちは、俺をバカだと思ってるだろ。自分のことなのに、なにも知らないって」 「知らなくて当然だよ。おまえにオメガのことを教える先輩はいないからな。俺たちだって、オメガになにが起こるかなんて、ちゃんと分かってない。どの郷だってオメガは秘する。他郷のやつに逢わせたりしないし、何も教えて貰えない」  ────そう、なんだ。  俺だけじゃないんだ。みんな、……分かってないんだ。  若かった実を投げ捨てる。  シグマはうまいこと受け取って、囓った。 「だからガンマに頼もうと思ったんだけど、まあなあ。あいつには無理だったってことだろ? それじゃ不安になるのも当然だよ。でも俺が分かってることは全部教えるから。なあ、降りて来いよ」  なんと答えれば良いか分からずに、もうひとつ実をもいだ。 「悪かったな、不安にさせて」  見下ろすと、シグマは、笑ってなかった。 「でも俺は、俺たちは、おまえが大切で、大切すぎて……また間違えるところだったのかもな」  あの宿で最後に見た時みたいに、真面目な顔で見上げてる。 「分かってること全部、教えるよ。そのために急いで帰って来たんだ。ガンマはこの話を嫌うから、ここまで来たんだ」  手にした実を囓る。  じわっと果汁がくちに広がる。今度のは良く実ってて渋みが無い。

ともだちにシェアしよう!