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24.オメガと郷

 ずっと否定してきた。オメガなんて嫌だって、立派なルウになるんだって……でも……  ────俺は、……オメガ、なんだ。 「それは……分かった」  分かったふり、だけなのかもだけど。 「郷のために、必要なんだって」 「そうか、偉いな」  シグマの手が、頭を撫でている。 「やっぱり賢いよ、おまえは」 「けど……」  あの夜、ベータの気配を感じ、絶対に勝てないと悟って……その後は良く覚えてない。すごく怖かったことも、今はなんだか遠くて、全部がぼんやりして霞んでる。  強烈に覚えている、あれ以外。  あの声、あの手、あの匂い、あの圧倒的な気配……ああ、思い浮かべただけで、今も。  この森にいると苦しいほどにはならないけれど、やっぱり身体は熱くなる。 「俺、ずっとおかしいんだ。ベータの声がずっと聞こえるんだ」 「声? ベータはいないぞ?」 「そうだよ!」  いきなり、頭の中までカッカして、頭の手を払いのけた。 「どこにもいないのに聞こえる! 耳にじゃないんだ、なんか聞こえて……それで……分かんない、分かんないよ! なにも考えられなくなって! 怠くて逢いたくて身体が熱くて、……なあオメガってみんなこうなのか? アルファと番うのがオメガだろ? なのに誰でも発情するのか!?」 「ああ、それはな……」 「でも! ガンマにはぜんぜん発情しなかった! アンタにもぜんぜん……! わけ分からないよ! どうしたらいいのか……!!」  手が頭をポンポンと叩く。 「落ち着けって。歩きながらゆっくり話そう。な?」  穏やかに笑む緑の瞳を見返し、興奮してしまったと恥じる。冷静でいなければならない。ずっとそう意識してきたのに……。  歩き始めたシグマの後を、ゆっくり進む。深い森は緑の匂いが濃厚で、深く呼吸すると胸がスッキリする。……少し落ち着いてきた。 「産まれた時、すでにオメガになる素質のあるやつと無いやつってのは決まってるそうだ。ガンマには誰がそうなのか分かる。で~、オメガの素質があるやつを番と認識する者の中からアルファが出るんだと、ガンマは言ってた」 「……うん。アルファなんて誰でもイイと言っていた……」 「あいつは考えが精霊寄りなんだよ。森も郷も獣も俺たちも、ぜんぶ精霊のためにあると思ってるからな」 「うん、そういうコト言いそう」  フフッと笑ったら、なんか身体から力が抜けた。 「あいつはオメガがいなければ始まらないとか言うけどさ、人狼(おれたち)は森を治めてるんだぞ? まずしっかりしたアルファがいないと、森は治まらないだろ? オメガだって精霊だって、その後の話なのにな」  シグマの言うことは分かる。  子狼(おれたち)はずっと、そう教えられてきたから。  けど今……ちょっと思ってしまった。  ガンマも、シグマも、どっちも少し違うんじゃないかって。  森はただ森……なんじゃないかな。  たくさんの木があって草があって虫たちがいて鳥たちがいて、小さい獣がいて大きな獣がいて……そして俺たちも精霊も。  精霊のためにあるのでも、人狼のためにあるのでもない。……そんな気がする。 「俺の師、おまえの親でもあるオメガの身体には、強い負担がかかっていた。その上、精霊の加護をうまく受けられなくて、通常オメガが受けるべき健やかな変化を得られなかったんだ。結果的にひどく体力が低下して、疲れやすく病みやすい身体になってしまった」 「どうして、加護を……」 「ん~、はっきり分かってるわけじゃないけど……アルファもおまえの親も、ガンマに嫌われてるから、そのせいじゃ無いかと思うんだ。ガンマが意識しなくても、精霊とガンマは近いからな」 「そんな、だって親は好きでオメガになったわけじゃない」  俺の親も同じだったんだろうか。 「そこら辺はなあ。好き嫌いってことになると、相性ってもんもあるしさ、ましてガンマは特殊だし」  俺だって郷のためにやるべきことだって、そう思おうとしてはいる。  決まったことなら従わなきゃならないって、……言い聞かせてる感じだ。  けどオメガになりたいなんて、やっぱりぜんぜん思ってない。アルファと番うのはやっぱり嫌だし…… 「まあガンマもだいぶ反省して、後から色々手を尽くしたらしい。けど、結局弱った身体を癒すことも、縮まった命を長らえることも、できなかった」   「おまえがいなくなったとき、ガンマはそこに揃っていた筆頭共(おれたち)に言った。 『変化の起こる大切なとき、精霊のいないところで過ごすのはダメ。前と同じになる』  あんな事な二度と起こしてはいけないってね。自分を責めてたのかもな。ひどく冷たい目をしてた」  透きとおるような薄い灰色の瞳を思い浮かべる。  ずっと二人でいて、素っ気なかったりはするけど、ガンマは優しい。  けどあの瞳が冷たい光を放ったなら、……想像しただけで、ちょっとゾクッとした。 「ガンマも悔いはあったんだろう。だからおまえがいなくなったとき大騒ぎしたんだ。行事も無いのにこの森を出て、俺の所に怒鳴り込んできた……といってもガンマだからな、声はちっさかったけど」  ガンマが騒いで、どうするとなっていたとき。  俺がなぜ郷を出たか、どこに行ったのか、誰も分からなかったし、森で怪我でもして動けなくなってるんじゃないかと郷のみんな全てが大捜索していた。 「なのにベータは誰にも言わずに郷を飛び出しちまった。まあ、おまえが村にいるのを見つけたんだけど」  え……? ベータは俺を、追っかけてくれてた……? 「それもガンマは気にくわなかったみたいでな。近づくなってあれだけ言ってんのに、なにをやってるんだとか激怒してさ」  笑いながらシグマが話すのを聞いて、俺はドキンとしていた。  俺を、追ってくれた……ベータが。  誰になにを言われても、いや言われるって分かってて、それでもベータは俺を追って、探してくれた。誰にも秘密で、俺に会いに来てくれた。  近づくなって言われてたから、物陰から見てる感じになったのかな。  そういうことだ……よな?  じわじわと喜びが湧いてくる。 「まあガンマだからなあ、迫力はゼロなんだけど、あいつが怒ると、周りの気配が変わるだろ? なんかピリッとするっていうか、それでみんなも慌ててガンマを宥めたりしてさ……」  シグマのくちは一瞬も止まらなかったけれど、声はどんどん遠くなっていく。  ああ、どうしてあんなに怖いなんて想ってたんだろう。  もし村で気配を感じたとき逃げ出さなかったら、俺の方からベータに会いに行っていたら……今とは違う感じになったんだろうか。 「成人近くなると、オメガの素質を持つ者の身体は変化する準備を始めるんだ。変化は精霊がもたらすもので、一年近くかけて少しずつ、ゆっくりと変わっていく。けれど変化があまり進まないうちに引き金が作用すると、一気に変わろうとしてしまう。ひと族の所にいたときのおまえが、それだよ」  引き金────変化を起こす、きっかけ、のようなもの。  それは固定したものじゃ無い。さまざまな場合がある。  なにかの行動、なにかの音、なにかとの出会い……俺の場合はそれが、ベータ、だったらしい。  シグマは、俺の知る範囲だけと言いつつ話してくれた。 「今、成人の儀は春産まれから冬産まれまでまとめて、十八になった次の冬に受けるだろ。これは『正しい形』を郷に根付かせるためなんだよ」  俺たち世代は、“季節外れ(はぐれ)”がけっこういて、俺も実りの季節、冬になる前に産まれてる。春産まれや夏産まれもいるから、十八才(せいじん)を迎える時期は、かなりバラけてる。  それは発情期に関係なく子作りしたからで、これは間違っている。  そう言うシグマは、ひどく真剣な顔だった。 「俺たちの世代は、きちんと春に発情を迎え、仔は冬に産まれてるから、いずれ形式だけじゃ無く、自然に正しい形になると思う。けど、今のうちから間違いないリズムで生活しないと。森の(あるじ)たる俺たちが乱れると、森のリズムも乱れちまう。摂理に反した森に、精霊は居着かないからな」  季節構わず子狼が産まれていた頃、自分の森から出てきたガンマがフラフラになりながら、彼的に大声で訴えた。  多くの精霊が他郷の森に行ってしまった。郷を立て直さねば、この郷も森も生気を失う。滅びてしまう。  けれど、その頃は何をどうするべきか、誰にも分からなかった。  知恵を引き継ぐべきシグマは失われ、オメガとなった元シグマは一日のうち半分は眠っていて、起きても歩くのがやっと。郷のために知恵を生かして働くなんてできそうに無かった。  ガンマも今よりもっと元気が無くて、ほとんど動けなくなっていた。  その頃まだ子狼だったシグマは、ベッドの傍でシグマの知恵と知識を乞い、語り聞かせてもらっていた。そうして得たものを元に仲間と相談し、アルファに助言をした。オメガには自分から聞いたとは言うなと念を押されていたから、自分の知恵だと胸を張って。 「ま、そんなわけで、今の俺の立場は半分以上、師……おまえの親と仲間のおかげなわけだ。つまりシグマたちとかベータたちとかイプシロンたちとかな。カッパたちやルウたちは考えるのは苦手だったけど、身体を使うことなら惜しまず協力してくれた」  そこまで話して、ようやくシグマは一旦くちを閉じた。  ずっと喋ってるし偉そうだし、掟もいい加減だし、……木から落ちるし走るの遅い、みんなからかうし、いつもヘラヘラ笑ってるし……でも、みんなこいつが好きだ。  シグマはにへらとしたいつもの顔に戻り、声を高めた。 「だからさ、俺は貰った以上のものを郷に返さなきゃなんないってわけよ!」  うん、こういう奴だから、好かれるんだよな。 「精霊はそれぞれ、俺たちの中からお気に入りを選んで、子狼の頃からずっとまとわりついてる。俺たちの力はそういう精霊がくれるもので、たくさんの精霊に気に入られると、より能力が強くなるってこと、らしい。ここら辺、俺はまったく実感ないんだけどな」  ククッとシグマが笑う。  確かになあ。  木に登れば落ちるし、走るの遅いし、力弱いし、すぐ疲れるし、鼻も耳も感覚もボロボロのスカスカ。シグマにそういう能力は、ほとんど無いように見える。  けど、他の誰も考えつかないようなことを考える。  誰より賢くて、なにげに優しいシグマを気に入ってる精霊は、知恵の精霊に違いない。  俺を気に入ってる精霊って、どんななんだろ…… 「郷の外へ行くときも、精霊たちは勝手について来るんだと。といっても、森や郷に比べれば精霊はものすごく少ないってことになる。そういう場所にいると恵みを受けられず、なかなか変化は進まない。ひと族の町にいたおまえは、そういう状態だった。しかも成人近い時期に引き金と接触したことで、変化が一気に進んだ。急激な変化は体調を狂わせる。ましておまえは鼻が効くし感覚が鋭いからな。かなり苦しい思いをすることになっちまった」  うん、ひどく苦しかった。辛かった。  おかしくなったって、俺はどうなるんだろうって、不安で仕方がなかった。 「その時期の不安定は、後々まで響いてしまう。それをガンマは危惧してたんだ。師が、おまえの親が、そうだったからな」  確かに、俺の知るオメガは……親は、たいてい横になってた。  すごく優しかったけど、気配も匂いもすごく薄くて……大切にしないとって、そんな気分になった子狼(おれたち)は、最も良く実った果実や一番おいしい新鮮なはらわたを持って遊びに行き、お話を強請った。  シグマもそうだったのかな。 「……師が二十二才のとき、アルファを初めとする郷の雄のほとんどが失われた。詳しいことはアルファに聞けと、師は教えてくれなかったけど、大きな戦いがあったらしい」  そのときベータの一匹が、戦えない雄や雌たち、子狼、そして郷を守るために残っていた。郷をまったく無防備にすることはできないってことだったんだろう。  しかし他の雄が失われ、必然的にそのベータがアルファとなった。  シグマだった俺の親はオメガが必要だと主張し、残った戦えない雄の中で選ぶことになって────自ら選ばれてしまった。 「いったん成人の儀を超えてシグマの階位を得ていた身体が、無理矢理二度目の変化を受け容れたんだから、本当なら特別手厚い加護が必要だった、らしいんだけどね」  ガンマは俺の親のことが好きじゃなくて、おざなりな世話しかしなかった。 「前のアルファについて誰も語らないから、どんな奴だったのか分からない。でも雄がほぼ全滅するような戦いをしたという一事で、俺は無能なアルファだったと判断する。そしてシグマも……それは師が自ら言っていたけどね」  シグマは、珍しく笑わない顔で語ってる。 「ともかく、その頃のオメガは守り(ミュウ)も兼任していた。そしてアルファ共々失われてしまった」  ミュウというのは、郷や森を守る役目を負うもので、争いになった時はアルファの盾になる。うちの郷には無い階位だ。  今は狩り(ルウ)がその役目も負っているけれど、本来ルウの役目は、狩りや採集をするだけなんだ。郷の食を司る重要な役目だから、ルウはすぐに必要だった。そしてルウの面々が優れた能力を持っているため、他の役目のつとめもやっている、ということらしい。  そういうのを知ったのは、ガンマに読めと言われた書物を読みまくったから。  知った事は、他にもある。  本来、発情期は春先に迎え、番以外に発情なんてしない。そして子狼は冬、ひと族風に言うと一月から二月にかけて産まれる。育った子狼は、二月の終わりに成人の儀を迎える。  けれど成人前から子作りすることを求められた(わか)い雄たちは、番を選ぶことをせずに、どんな相手とも子作りした。自分の母と子作りした者もいたらしい。本能に反する子作りをした彼らは、ひと族のように、いつでも発情するようになっていた。 「やつらは成人の儀を超えられなくて、階位を得られなかった。あいつらも可哀想なんだよな。分別が産まれる前、ガキの頃にやれと言われた通りにやってただけなのに、精霊に嫌われちまったんだから」  階位を得られなかったそいつらは、能力も身体も、子狼から成長しない。ガキと見下していた子狼世代(ベータたち)に、どんどん追い抜かれていく。鼻、耳、目、感覚、走る速さ、走り続けるスタミナ、腕力……すべてが年下より劣ることを見せつけられ、荒れた。  郷のために、命じられた通りにやっただけ。なのになぜ報われない────  ほんの少しだけ、胸が痛む。  俺は雄たちが荒れて暴力的になったのしか見てないし、本能に反して好き勝手した連中のことなんて興味無かったけど。  そういう話を聞いたら、少し……うん、哀れだ。

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