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25.ベータのこと

 森を経巡(へめぐ)り、狩り食いを続けながら、シグマはずっとしゃべり続けた。  ベータやみんなの幼い頃とか役目を負ってからとか、可笑しい話ばっかり。  俺は笑って、ずっと笑って、心が軽くなっていく。  良くこんなに喋り続けられるなこのひと。  と、感心しながら。 「それであのバカ、真正面から突っ込んで、相手ごと崖から落ちたんだぞ! ほんっとバカだよなあー。それでかすり傷ひとつで済んでるんだから、バカだけど頑丈すぎるよな! 単純バカ、つうか、すぐ周りが見えなくなるんだよ、バカだけど面白すぎつうかさ、───って、おっと脱線したな、オメガの~……なんだった?」  いやずっと脱線してるから。しかも忘れてるし。 「いいよ、ベータの話聞かせて」  笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指で拭いながら言った。  まあ、むしろ聞きたいし、その方がいい。  ていうか今まで意識して避けてたから、あんまり知らなかったベータのこと、一杯聞けて嬉しい。  真っ直ぐ突き進むベータ。きっとそのとき、雄々しく遠吠えなんかも……うん、カッコイイ。  それに落ちてもかすり傷……なんて素晴らしい強さなんだろう。  でも少しは痛かったんじゃないかな。それでも痛い顔なんてしないで、くちもとを引き締めて、あのキリッとした目で…………うわあ……。  やっぱりカッコイイよなあ。  ああ、逢いたいなあ……  ふっと想ってしまい、ずっと考えないようにしてたことを思い出していた。  ここに来てから声は薄まって、無闇に身体が熱くなることは無くなったし、少し思い出すだけなら大丈夫っぽいけど。  でも怖かった。  ────あの夜のことを思い出すと、またあの時みたいに身体が熱くなるんじゃないかって、怖かった。  けど、今はシグマがいる。  今なら、なにかあっても助けてくれるって、なんとなく、そう思えて。  しゃべり続ける陽気な声を聞きながら────あの日の、あの短い時間のこと、思い出しても……いいよな、……なんて自然に思ってたんだろう。  封をしていた、ベータのこと……  ────最初に名前を呼ばれて。  全身の血が逆流するみたいだった。  毛穴が全て開いて、そこから身の内に忍び込んでくるよう。  匂いも感覚も音も、それ以外の何か圧倒的なものも、全てが。  ガキじゃ無い、とか言ったけど、あれは身体がどんどんヘンになってくから、やめさせようって思ったんだ。なんかおかしいって、ゾクゾクするし毛は逆立つし、怖くて、怖くて────  だからやめて欲しいのは本当だったけど、……もっと呼ばれたい……とも、思ってしまって……でもそれを認めるのも怖くて……いきなりだったし、わけが分からなかった。  ────だからずっと声が聞こえるのかな。あのときの望みが続いてるのかな。  あの指。  髪や頬や……なぞるみたいに滑るあの指から、なにかがジワジワ染みこんでくるみたいだった。  そして────ああ、ヤバい、思い出すな。でも、だって…………あんなの知らなかった。  すごく幸せな気分、だった。あのまま、あの匂いに、ベータの温かい気配に、包まれていたかった。逞しい腕で、もっと抱き締めて欲しかった。    ……でも。  逃げ出しちゃった。だって真っ暗などん底に落ちたみたいな気分だった。  それから声は聞こえても、姿は見てない。  間近で見たのも触れたのもあのときだけ。  なのに、今でも脳裏に、あの凜々しい姿が浮かぶ。  雄らしいがっしりした身体は力強く俊敏だった。誰より輝く瞳は、逢えなくても俺を魅了し続ける。最高に魅力的な、ベータ……ああ、ベータに逢いたい…… 「おい聞いてるか? 赤くなってるぞ? おまえ、せっかく話してるんだから聞けよ~」 「あ……うん。ごめん」  でも、だって。  声は……まったく消えてるわけじゃない、ような気がする。  今でもうっすら声が聞こえる気がするんだ。ここにベータはいないのに、ずっと俺を呼んでる気がする。 「しょうがねえなあ」  ヘラッと笑いながら、ベータや他のみんなの笑い話を喋り続けながら洞穴に戻り、シグマは「また来る」と帰って行った。

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