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27.つがい(番)
洞穴から出て覚えのある匂いのする方へ、こっちが郷の真ん中方向と思い進んだ。知ってるところに出れば、狩りのできる場所も分かるだろう。
なぜだか歩みが進むごとに、感覚が鋭敏になってくる。気配も少し感じられた。歩みに迷いは無い。
んだけど、なんとなく納得いかない。ガンマの態度が。
なんかいきなり不機嫌になったよな。俺なんかやったかな。
なんてことを考えながら、進んでいく。ガンマの森 から出るのが久しぶりだからか、なんだかウキウキする。
しばらく進むと、知ってる匂いに近付いてた。この気配も知ってる。他郷まで番を探しに行き、前の実りの季節に番を連れて戻って来た三歳上、ルウの先輩。
さらに進むと辻が見えて、そこにひとり立っていた。うん、やっぱりこの匂い。
いつも番と幸せそうにじゃれ合ってるのに、なんでこんなとこにひとりで? しかもちょっと怖い顔になってる。
ていうか慌てたように両手を広げて、通せんぼの格好になった。
「おまえ! こっから先に行けないぞ」
「なんで?」
歩調を緩めること無く進みながら、こっちも声を上げ、ずんずん進む。
あと数歩の所まで近付いても、先輩は両腕を広げたままだ。
「止まれって」
「だから、なんで」
「おまえは今、こっから出ちゃダメなんだってよ」
「はあ? なんで」
「俺が知るかよ。とにかくダメだ。通すわけには行かない」
無理して怖い顔作ってるけど、基本にこにこしてる優しい先輩だから、いまいち怖い顔が似合ってない。
でもこのひと優秀なんだ。
感覚はいまひとつで、獲物を見つけるのはあまりうまくないけど、狩りに入ると、ぜんぶ仕切る。
どんな獲物でも習性をよく知っていて、それに合わせた罠を張る。逃げる獲物を追うときは機転も利くし、走るのも速いし、狩りの技術もピカイチで、素早く獲物を抑え込むんだ。
追い詰めた獲物を逃がさない。トップもセカンドも狩りに入ったら勝てないって認めてる。
つまり、ここをすり抜けたとしても、逃げられそうに無い。
仕方なく足を止めて言った。
「でもガンマは行けって言ったよ?」
「は? なんだって? ガンマが?」
「そうだよ」
疑いの眼で見つめられ、溜息が出た。
「しばらく来るなって言われた」
「は? マジかよ~」
そう言いたいのはこっちの方だ、と思いながら頷く。
「とにかく止まれ、ちょっとそこで待ってろ」
焦ったように言いながら、そこらの木の葉をちぎってくちに当て、ピーと音を上げる。この先輩の得意技だ。
けど、なにも起こらない。
「ねえ、いつまでこうしてたら良いの」
「知るかよ。とにかく待ってろ」
とか言って、しばらく。
ふうふう汗を拭きながらやって来たのはシグマ筆頭 だった。
「おいぃー、緊急ってなんだよー」
よっぽど焦って走ってきたのか、汗みずくで息の荒いシグマは、俺を見て「あれ」声を裏返させる。
「おまえおとなしくしてなきゃダメじゃん。なんでこんなとこまで来てんだよ……うっ」
なぜか鼻を手で覆ったシグマが顔をしかめ後ずさってる。
感じ悪いなと思ったけど、なんか臭いのかと思って数歩後ろに飛び、距離を置いて自分の匂いを嗅いでみる。
別に臭くは無い。
「だから、ガンマがしばらく戻ってくるなって言ったんだ」
もう一度説明しながら、シグマを睨んだ。
「はあ?」
けどシグマは声を裏返させて、今度は両手で鼻と口を覆っていた。
「え、じゃあ戻るなって? ガンマが?」
「うん」
「なんだよ、どうなってんだ?」
「肉喰いたい、狩ってきていいかって聞いたら、いいけどしばらく来ないでって」
「あ~~~そっか~~」
手で顔を覆ったまま声を上げたシグマは、天を仰ぎながら呻くように言った。
「あいつ肉嫌いだもんな~~~けど、う~~~~ダメだ」
「おい、おまえどうした」
先輩も不思議そうにシグマを見てる。
てことは俺は別に臭くないんだ。良かった。
「ちょ、ルウ、おまえさ、アルファのとこまでコイツ連れてってくんない? 郷に近づかないように遠回りで」
「あ? いいけどあいつが、今メシ取りに行って……」
「さっきすれ違ったから言っとく! だからさ、う~~来る、うわ」
「ちょっと! 俺は狩りしたいだけなんだって! アルファのとこなんて」
「いいから、そこら辺ウロウロするなって! ヤバい、ちょ、俺行くわ」
分かんないこと言いながら、シグマが走って行くので追いかけようとしたけど、先輩が「ちょー待ち」と腕をひっ掴む。
「なんでさ! アルファの家ならひとりで行けるよ! ここからなら分かるって!」
腕をつかまれたまま、シグマの背中に怒鳴る。
「おまえ匂うんだよ!」
とか怒鳴り返され、必死ぽく走って行く。
「なにそれ!」
「あそこにいりゃ大丈夫なのに! おまえ出てくんなよ!」
裏返った声が遠ざかっていく。シグマとしてはかなりの速度で背中は見えなくなった。
「なんだよ、匂うって」
「なんかそうらしいぞー。俺は分からないけどな」
首を傾げて先輩がとぼけたような声を出す。
「番がいれば匂わないとか言ってたけども、なに言ってんだかな。おい、こっちから行くぞ」
「……うん」
番がいれば匂わない……ということは。
もしかして、オメガだから、なんだろうか。
ちょっとイヤな気分になりながら、先輩の後をついて郷を迂回するルートで森の中を歩く。
「そういえばあんた、ずっとあそこに立ってたの?」
確かに見張りとかはルウの仕事で、ルウで番がいるのはこいつだけだ。
ということは、いつからか分からないけど、ずっとひとりで辻 にいたってことだ。
「なんかごめん」
番とも離れて、辛い任務だったよなと頭が下がる。
「気にするな! つうかむしろありがとうだ!」
なのに思いっきりの笑顔を返され、ちょっとビックリした。
「いやあ、あいつ一緒にいるって聞かなくてさあ」
先を歩く先輩は、嬉しそうに話し始めた。
「ルウの番はルウと共に働くもんでしょ、なんつってな? ずっと一緒にいるって、そういう可愛いこと言うんだよ! もうたまんねえだろ? そんで仮の寝床だけでも作るかって話してたら、大工 がさ」
しょうがねえなと笑って、辻から少し入ったところに急ごしらえの庵 を建てた。
「最初は風が入ってきたりしたけどさ、二人で手直しして、今はもうサイコーに居心地イイわけよ。まあ竈はねえんだけど。ここで火使うのはな、精霊が嫌がるつうから、シグマが」
「……ふうん。いいね……」
「いや、もちろん勤めはきちんとこなしてるぞ? あたりまえだろ? おまえのことだってちゃんと止めただろ?」
「うん、そうだね」
「一緒にいれたらそれだけで良いとかさ、そんなこと言われたらもう、俺が生涯守ってやる!ってなるよな。そんで子狼が早く欲しいとかさ、可愛いに決まってるとかさ、そんなことまで言うんだよ!」
始まってしまった。いつもの惚気が。
こうなると長くなるんだよなあ。ルウ次席 がいたら、惚気もキッパリ止めてくれるんだけどなあ。セカンドも番いないしなぁ。
「今はメシ取りに行ってるんだけどさ、周りに誰もいない森の中、起きても寝ても仕事中もずっと二人なんておまえ、最高だぞ?」
うんうんと相づちを打ちながら溜息が出そうになるのを堪えて歩きつつ、ぼそりと声が漏れてしまった
「番、かあ……」
俺の運命はベータだ。
ガンマの森から離れたら、またうっすら声が聞こえてくる気がする。ベータがどっちの方向にいるか、なんとなく感じる。
うん、あっちの方。間違いない。
……ああ、逢いたいなあ。
でも俺はオメガ、なんだ。
受け容れるしかない……のかな、やっぱり。
郷のためにはオメガが必要だから、イヤだとか、わがまま言っちゃいけない……んだよな。
精霊はともかくとして、郷のみんなは、早くアルファの仔をって……やっぱり言うのかな。言うんだろうな。
アルファとオメガの子は強いんだし、たくさん産めとか言うかも。
うちの郷はまだ成獣 の数が少ない。
俺たちの世代まで、産まれる子狼の割合はなぜか雄十匹に雌二匹くらい。同世代の産む子は半々だけど、つまり今は雌が少なくて、郷には番がいないやつの方が多い。
成人したら他郷へ番探しに行くやつが多いので、郷で仕事してる雄はまだ少ないし、番が少ないから子狼の数も多くない。
これから産まれる仔の中に番がいるかもなんて言ってるやつもいるけど少数派で、みんな少しでも早く番を見つけようと探しに行く。
そして郷のためにも子狼を増やそうって、みんな思ってる。
「あーあ……」
なんで俺、オメガなんだろ。
なんでベータと番えないんだろ。
先輩がずっと惚気てるのを聞きながら、じわっと目が潤んできた。
「ちょい恥ずかしそうな感じとかたまらねえよ? 次の春には子作りだ! 雄ならやるしかねえよな! おまえだってそう思うだろ?」
「ああ、うん」
惚気が尽きる様子はない。いいかげんうざい。……でも幸せそう。
俺も……こんな風に言いたい。惚気たい。けど、あんまり知らないからな、ベータのこと。
群れで一番大きくて逞しくて、カッコ良くて。でもそんなのきっとみんな知ってる。俺が知ってるのは、あの時の……
────圧倒的な気配。
逞しい腕。低くて掠れた声。香しい匂い……それだけ。あとはシグマが話してくれたことくらい。
あんなに逞しくてあんなにカッコイイのに、シグマの話すベータはちょっと抜けててすごく可愛い。
逢いたいな。逢えたら良いのにな。聞きたいこと、知りたいことがいっぱいあるよ。
一番高い木に昇ったってほんと?
うまく昇るコツとかある?
てっぺんはどんな眺めだった?
その後もうひとりのベータとルウに落とされて、どうしてかすり傷で済んだの? どんなことしたの?
好きなものってなに?
俺はね、大人になったばかりの雄鹿の肉が一番好きだよ。雌ウサギの肉も好きだけど、雄鹿のはらわたって、なんであんなにおいしいんだろうね。一緒に食べたいな。俺が狩って行ったら、一緒に食べてくれるかな。
逢いたいな。
逢いたい、逢いたい……
「お、もう少しで着く……て、おいどうした」
「……なにが」
「なんで泣いてるんだ? どっかぶつけたか?」
「え」
目の辺りに手をやると頬が濡れてた。慌ててゴシゴシ擦る。
「な、なんでもない」
「ほんとにか? 怪我とかしてない?」
「し、してない。ていうか怪我くらいで泣かないし」
「ならいいけど。なんかあったらシグマに殺されちまう」
え? なにそれ
パチクリしてたらポンと肩を叩かれた。
「なんか大変そうだけど頑張れよ。ホラ行くぞ」
いつも通り、ひとの良さそうな笑みで言われ、俺はあいまいな顔で頷く。
でも、シグマに殺されるって……やっぱり俺がオメガだって、
────先輩も知ってるんだ。
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