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28.アルファの棲まい

 人狼の棲まいは、木と草で作られるドーム型のものだ。  でも書物や薬草を保管するとか、大勢が集まるのに都合が良いとかで、ひと族に倣った木造の建物もいくつかある。  郷で木造なのは、イプシロンの建屋とシグマの建屋、そして集会場の三つ。  集会場は、部屋がいくつもあって、郷の中で最も大きい建物だ。  元々アルファが住まう場所だったけど、今は子狼を育てる為の場所になってる。  雄の殆どが失われた時、番を失った雌は一人で棲まいにいるのを厭って、互いに手を取り合い、慰め合いながら野宿していた。  そこでアルファは前アルファの棲まいとしていた建物に迎え入れることにした。  やがて雌たちは(わか)い雄と子作りするようになり、失った番を恋しがることも無くなって、それぞれの棲まいに戻ったり、何匹かで共に暮らしたりするようになると、アルファはここを子育ての場と決めた。  老いたものがここに棲まい、子狼の世話をするようになり、部屋もいっぱいあるので、話し合いの場、集会場としても使われるようになった。  空いてしまったたくさんの棲まいは、(わか)い雄が子作りするのに使われることもあった。  そして郷の外れにあるここは、もともと失われたオメガの親がいたところで、それまでシグマの建屋で寝起きしていた親は、オメガとなって行き場を無くし、ここに住まった。  アルファは毎日ここに泊まったので、建て増しして共に眠る寝床を造り、結果ここがアルファの場所ってことになったと聞いてる。  けど俺たちには、アルファの場所っていうよりオメガの棲まいって認識がある。  子狼(おれたち)はよくここに来て、オメガにお話を強請ったりして甘えていたから。  オメガはみんなのオメガだった。  いつだって穏やかに微笑んでいて優しかったし、ためになるお話や面白いお話をしてくれたから、俺たちはみんな、オメガが大好きだった。  育てられた記憶が無いから、俺もみんなと同じな感じでオメガが大好きだった。……親だって知ったのはいつだったかな。  成獣(おとな)たちは普通に話してたから、自然に耳に入ったんだと思う。俺だけじゃ無い、みんなそうだった。  雌たちも本能を失ってたから、誰の仔だとか、そんなことを気にする奴はいなかった。 俺もただオメガの子なんだから賢いんだって、そう思ったくらいで、何も変わらなかった。  俺たちは等しく郷の子狼で、健やかにと郷のみんなで育まれた。  けれど親は去年くらいから毛艶が落ち、それまでよりさらに寝込みがちになって、みるみる衰えていった。  ……そして今年、雪が消える前に失われてしまった。  亡骸も無かったし、俺は十六歳を過ぎ、ここに来ることも無くなっていたけれど、他のみんなと一緒に、ここの周りになんとなくたむろしてた。そしたらおれだけアルファに呼ばれて、言われたんだ。 『次のオメガはおまえだ』  ゾクッとして足が止まる。 「おい、どうした」  先輩が振り返って、不思議そうに言った。 「……いい。俺、外にいる」 「は? なんでだよ、中に入ってろ」 「いいよ、ここで」 「なんかあったらマズイだろ」 「郷の中だし、なんもないって」 「まあ、そう思うけども……送り届けろって言われたからなあ」  じゃあ、このまま一緒にいてくれないかな、アルファと二人になるの嫌なんだけど。 「良いから入っちまえって。それ見届けてから戻るから」  だけど先輩はそわそわして、チラチラ森の方を見てる。ああそっか、番が待ってるんだっけ。じゃあ引き留めちゃ悪いか。  そうだシグマは来てるのかな。来てるよな。走ってたし。……ならいいか。 「うん、分かった。先輩は行きなよ」 「いや、家に入るまで見てるって」 「だって待ってるんだろ? 早く行ってやれよ」 「そうか?」  ニヘラとだらしなく顔を緩めた先輩に手を振る。 「大丈夫、すぐそこだもん」 「そっか! だよな!」 「そうだよ。あ、郷の中通った方が早いんじゃない?」 「だな! じゃ、ちゃんと入れよ!」  言い捨てるように走り去る背中を、生ぬるい笑みで見送った。  ひとり立ち、ぼんやりとアルファの棲まいを見る。 「これから、どうなるのかな」  アルファと番うなら、俺も、ここに住むことになるんだろうか。  …………なんか、嫌だな。  ふっと。  惹かれるもの……目と鼻が、そちらを向いた。  ────いる。  ……こっちに、いる。  ずっと動いていない。こっちに、いる。  他郷に行ってる。しばらくしたら戻ってくる……シグマはそう言ったけど、しばらくって……どれくらい?  あと何日? いつになったら逢える?  アルファと……番って、から……?  その後、逢ったら。  ────俺はどうなるんだろう。  フウッと息を吐き、目をアルファの家に戻す。けど足は動かない。  ていうか肉喰いたい。  そうだ、肉が喰いたくなって、それで追い出されたんだから、肉喰わなきゃ。肉を喰えばもっと元気になる。俺が元気になったら、────帰って来る。……ベータは、帰って来る。  シグマが肉持って来てくれるのかな。でもシグマは狩りも下手だし、俺は自分で狩れる。そこら辺で狩ってきて良いのかな。  ああでも一応、狩ってきますとか言った方が良いんだろうな。  じゃあ扉開いて声かけて、……と、思うのに。もしアルファしかいなかったら────そう思うと進めない。  ────なんか今。  アルファと二人になっちゃ……ダメな気が、した。  いやでも、そうはならない、よな? シグマが来てるんだよな? 大丈夫だよな?  そうだよ、いくら足が遅くても、これだけ遠回りしてるんだから先に着いてるだろ。あの良く動くくちで、ちゃんと説明してる、俺がここに来るって伝えてる、……んだよな?  アルファと二人きりになるなんて事は無い……よな?  うん。なら……入ってた方が良い、ん……だよな?  ボーッとしてたら扉が開き、太い腕が見えた。  身体が見えて、顔がまっすぐこっちを見る。銀灰の髭に覆われた顔。暗い鈍銀の眠そうな瞳。  ────アルファだ。 「なにをしている。入りなさい」  枯れた声。  でも動けない。  アルファがこちらへ向かって歩いてくる。  ……あれ?  なんか、小さくなった?  違う、痩せたんだ。郷で一番大きくて力強いアルファ、だったはず。なのに……歩みも少しよろけ気味で…… 「あ」  腕をつかまれ、建物の方へ向いて歩いてくまま引っ張られる。  けど俺は動かなかった。 「どうした」  アルファの顔がこっちを見る。眠そうな目が、ゆっくりと俺を捉え、少し笑んだ。 「入って休みなさい。肉が届くまで座って待っていれば良い」 「肉……」 「食いたいのだろう。ルウが狩ってくるから、中で待っていなさい」  腕を掴む手は力を強め、俺を家へ入れようと引っ張られた。 「おまえはオメガだ。自覚を持ちなさい。大切な身体なのだから」  ────あ。 『オメガを失うとアルファは衰える』  衰えたアルファ。うん、衰えてる。 「…………いやだ」  ……オメガを求めてる、のか? 「これ、おとなしく」  衰えた身体を戻すために? オメガ……俺を? 「俺がオメガだからっ!」 「なに?」 「オメガなら、言うこと聞くって、思ってんだろっ!」 「なにを言ってる」 「俺は違うぞっ! 俺には番が、運命がっ!」 「ああ、分かっている。だからおまえがオメガに……」 「離せぇぇぇっ!」 「これ、おとなしくしなさい」  足を踏ん張り、抗う。 「わがままな」 「やだっ! 行かない、行かないっ!」  アルファの太い腕が俺の身体に回り、両腕がアルファの腕に拘束される形で抱きしめられて、そのまま少し持ち上げられる。足が地面から離れ、踏ん張れない。アルファはそのまま家へ向かった。 「やだ! やだっ!」  滅茶苦茶に足を振る。腕の力はそれほど強くない。 「なにを教えていたんだガンマは、こらっ」 「ガンマはっ! アルファなんて! おまえなんて! ケンカ強いだけでっ!」 「おとなしくしなさい。まったく……」 「離せっ!」 「聞き分けが無いのは、あれとそっくりだ!」 「うるさいっ! 離せって!」 「あれに、オメガに似てる、……血は争えん、ああこれ、おとなしくしなさい」 「離せっ! 離せぇぇぇっ!」  めちゃくちゃ暴れ、身悶えした。いやだ、無理だ、こいつじゃ無理だっ!! 「毛の色も似ているが、強情なところも、匂いも」  ククッと、アルファが笑う。  俺を拘束したまま────呟いた。 「あれと、オメガとそっくりだ」  ゾクッとした。 「親と同じ……同じことするのか、俺も、親みたいにっ!」 「なにを言ってる。今はそういう話じゃない。肉が来るまで待ってろと……」 「適当なこと言うな、離せ、離せぇっ!」  足がアルファの脛を蹴る。「むっ」唸るような声。腕の力が緩む。振った頭がアルファの顎に当たった。 「これっ! なにを……」  必死で身悶えし、腕での拘束を振り払う。動くようになった腕で身体を押し、足でアルファの股を蹴る。  放り出されるように離れた身体を空中で回転し、ズサッと着地する。 「待ちなさい、なにか勘違い……」  アルファがなにか言ってたけど、聞かずに俺は走った。  無理だ、アルファと番うなんて絶対無理、だから行くべきところへ、俺は行く!  俺のいるべきところ  ベータのいるところへ──────!

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