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34.成人の儀
深緑の木々に囲まれ、ぽっかりと開けた場所。
生い茂る草は真ん中へ向かうにつれ少なくなり、両腕を広げたくらいの広さが、苔に覆われている。
濃緑の葉を覆うように、黄や赤に色づいた蔓植物が絡みついて垂れ下がり、まるで大きな窓の下げ布のよう。
その下辺りに、苫を重ねただけのかんたんな庵 がいくつかあった。
これだけ葉が茂っていれば月の光も届かないだろうに、苔に覆われた真ん中あたりだけ、ほんのり明るい。
苔の少し手前で立ったガンマは俺を見てる。
精霊がたくさんいる。たくさんそこら辺で遊んでる。
……あ
分かる。
これは焔の精霊。それに光の精霊も。
分かる。なんの精霊なのか、分かる。
だからこんな季節なのに、ここだけがこんな風に、暖かく明るい。
「「「 おいで 」」」
ガンマが手をさしのべる。
歩み寄り、手を繋ぐ。
焔のが、光のが、集まってくる。
俺にまとわりつく。
ガンマがこっち見てる。真っ白な毛が垂れ下がって目は見えない、けどくちもとが、満足そうに笑んでいる。
足を進め、誘われるまま苔の真ん中に立った。
苔はふわふわだ。気持ちいいな。
「「「 ……だいぶ進んでる 」」」
「なにが?」
苔から湧きあがるように、水の精霊がふわっと漂い出た。
蔦から、木から、辺りに潜む小さな虫たちから、湧き出でる精霊たちが俺を包む。
「「「 だいじょうぶ。きっと、早い 」」」
水色、黄緑、赤や橙や紫や青や……いろんな精霊たちが集まって……風の精霊がみんなをまとめている。それが分かる。
まとまった精霊たちは塊のようになっていく。
塊が俺を包むように伸びて、膜のようになっていく。さまざまな色と匂いを纏った、濃密な膜。
それは何重にも、何重にも、重なっていく。
…………なにかが、流れ込んでくる。
視界がまばゆいもので満ちる。
耳は血流がドクドクと流れる音のみ感じ取る。
それ以外何も……
聞こえない
匂わない
感じない────
葉や土が雪に覆われ、湖が氷に閉ざされる季節を前に、人狼たちは粛々と冬を迎える準備を始める。
雌たちや子狼たちが集めた森の恵は、塩づけ肉を燻したものと共に炊事場近くの洞 へ蓄えられ、雄たちも冬の間の薪とする為、倒木を集め適度な大きさにする。
若狼たちが迎える儀式の為に、成獣たちはそれぞれなにか一つずつ持ち寄り、儀式の森に庵 を設える。
そうして雪が来るのを待つのだ。
人狼にとって、冬は豊かな季節である。
洞 に蓄えた果実や木の実はおのずと熟成して深い味わいを得る。塩づけ肉は温かいスープとなり、胃の腑から人狼たちを暖める。
実りの季節に蓄えた蜂蜜は、その為だけに使われるハーブと共に漬け込んで、味わい深い蜂蜜酒となる。熟成した木の実や果実は、蜂蜜酒ともよく合う。
冬は狩りに良い季節でもある。
鋭いルウの感覚は、雪に隠れる生命を感じ取り、肥えた獲物を郷へもたらす。
雪に阻まれる子鹿や老いた鹿、冬眠するリスなど小動物、ときにはクマなども。眠るために実りを食い溜めた獣は肥えており、その血肉やはらわたは、雪に閉ざされた郷でこそ愉しめる、格別なごちそうだ。
冷たい風は獲物を冬毛にしており、得られる毛皮も暖かいものになる。
子狼は雪の上を走り回り、じゃれ合いながら匂いや気配を、狩りの手順を覚えていく。成人たちは子狼を守りながら森に入り、不要な枝を落とし不要な木を伐る。
広大な森を整える作業は、森を治める人狼の大切なつとめだ。雌も若狼も、みながつとめを果たすべく働き、その周りで遊ぶ子狼も人狼のつとめをおのずと理解して行く。
冬は、命を育む季節でもある。
この春に番のいた雌たちが、冬が深まると次々仔を産むのだ。
番は力を合わせ、ねぐらで幼狼 を育む。
幼狼を健やかに育てることは、郷にとってなにより大切なこと。それ以外の勤めなど二の次三の次だとみなが分かっているから、郷の全てが育児に協力する。
やがて雪に覆われた郷や森を駆け回る子狼の姿が見られるようになる頃、ガンマの洞穴からほど近い森の奥で成人の儀が行われる。
儀式を受け階位を得た若狼たちは、周囲に数々設えた粗末な庵 で一週間ほどを過ごし、成獣となる。
冬は、神聖な季節でもあるのだ。
そんな季節の入り口を肌で感じ取ったある日。
誕生の日を一週間後に控えた蒼の雪灰が、ひとり儀式の森へ入った。
その報せと共に、俺、金の銅色は郷へ帰ることを許され、ルウの三番手 と共に疾駆した。
報 せを受けて即刻、金のアルファに暇 を告げ、急ぎ郷へ向かったのだ。
ひた走る足が止まらず、当初飲まず食わず眠らずで走り抜ける勢いだったのだが、一昼夜経過した頃、サードが「ちょ、落ち着けよ」と言うので足を止めて野宿した。
だが逸る気持ちは抑えきれず、短い仮眠から目覚めるとサードを叩き起こし、また走った。
永の年月、待ちに待った日が来るのだ。悠長に構えていられるわけがないではないか。
郷に到着し、まっすぐ森に踏み入ろうとしたら、ルウ筆頭 やカッパに寄ってたかって止められ、シグマに大笑いされた。
「ていうか早く来すぎだっての! まだ入って三日目だから!」
「もう少し待て」
「分からんじゃねえけど落ち着け」
ルウ筆頭やカッパがくちぐちに言う横で、耐えきれぬとばかりブッと吹き出したシグマが声を高める。
「おま、いくら急いだって五日はかかるだろ普通! サードがヨレヨレになってるじゃないか!」
そしてまた爆笑する。
一度野宿して以降、サードを叱咤して一度も足を止めずに走り抜けた。確かに到着は早過ぎたかも知れない。しかし、それのなにが悪いというのか。
ことさら胸を張って睨みをきかせたのに、シグマの笑いをさらに煽る結果を呼んだだけだった。
呼吸すら苦しそうなシグマを横目に、ルウは感慨深げに言う。
「あいつが成人か。良いルウになるだろうと期待していたが」
ひょろっと顔を出したイプシロンは、にまにま笑んでいる。
「まあねぇ、オメガなんだからねえ。ルウとは違う恵みを得るんだろうなぁ。楽しみだねえ」
そうだ、蒼の雪灰は期待されていた、優れているのだ。
しかし彼に課されたつとめは、誰もが予測し得ぬものだった。
カッパが顎を擦りながら言う。
「それよりおまえの棲まい。あいつがしっかり整えたんだ。見てやれよ」
ハッとした。
そうだ、蒼の雪灰は俺の棲まいを整えると言っていた。
カッパに誘 われ向かったそれは、ガンマの森にほど近い場所に、他の棲まいと離れてぽつんと設えられていた。ここは確か、いつ壊すか相談をしていた朽ちかけがあった場所だ。
「見事に直してくれたな。さすがだ、カッパ」
新しい枝葉で葺かれた棲まいは屋根も高く、二匹だけで棲むものとしては大きめだ。
一歩踏み入れると、気持ちの良い匂いがした。
こんもりと盛り上がった寝床は、寝心地が良さそうだ。こぢんまりとした炉には、いかにも不慣れな造りの、簡単な鍋が刺さっている。
炉の周りに敷いてある布に腰を下ろし、改めて見回した。
「……いいな。良い棲まいだ」
「おう、一所懸命やってたぞ。雌たちも喜んで手伝ってた」
「おお~、いい感じじゃないか」
ようやく笑いの収まったらしいシグマも入ってくる。
火種の落ちていた炉に火を熾し、水瓶から汲んだ水を鍋に満たして、フィーが気を利かせて持って来た茶を淹れることにした。
ルウやイプシロンもやってきて、炉を囲むように座る。成獣の雄が五匹入っても座れるとは、やはりかなり大きい棲まいだ。
「あいつ、どんな風になるんだろうな」
ぽつりと漏らしたルウは、やはり感慨深げだ。
誘われるように想像する。
おそらく、神々しいほど美しいに違いない。
「あの子はぁ、頑張り屋さんだからねぇ」
「だーいじょうぶだよ! ガンマもついてる」
イプシロンとシグマも言いつつ、茶を啜る。
カッパは屋根や柱の様子などしげしげ眺めながら顎を擦ってる。
「どうだ見てみろ。特別丈夫な柱を使ってしっかり組んだんだぞ。おまえら二匹で組んずほぐれつしても大丈夫なようにな」
「……ああ」
組んずほぐれつ……そうか。組んずほぐれつか。
「おい、聞いてるのか。見ろと言ってるだろう」
「ああ……、ああ。そうだな、立派な柱だ」
シグマがブッと吹き出して俺の肩を小突く。
「なーにワクワクしちゃってるの? 待ちきれないとか?」
「…………そういうことではない」
からかうような声を向けられ、憮然と返しながら、柱や窓の辺りを睨む。
「素晴らしい棲まいだ。広くて、丈夫で、いい匂い……」
「うっそ! おまえホント誤魔化し下手だな!!」
また爆笑し始めたシグマの向こうで、ルウが目を細めて茶を啜った。
「……思い出すな。成人の儀」
ルウと俺は世代で最初に儀式を超えた、同期だ。
あのときはなかなかに大変だった。
「……ああ。思い出すな」
「懐かしいな」
────あの当時、働ける成獣はいないに等しかった。
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