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第3話

 浩汰はリビングの隅にあるケージにフェルメールを入れ、パタパタと戻ってきてテーブルの前にペタンと座る。そしてクレヨンで画用紙になにやらをザッザッと書き込んで、入谷に向かって得意げに掲げた。 「みて、みてっ」  いきなりお絵かきか? と思ったけれど、そこに書かれているのは。 「浩……汰……?」  バランスの崩れたダイナミックな線だが、『浩汰』と、かろうじて読めた。きっと、漢字を覚えたばかりで自慢したくてしかたないなのだろう。  浩汰は画用紙をさらに突き出し、「ほめて」といった顔で鼻の穴を膨らませる。 「そっか。漢字で名前が書けるって、さっき言ってたね。ほんとだ。すごくじょうずに書けてるよ」  大げさに目を丸くして思いきりほめてやると、浩汰は満足そうに笑った。そして忙しなく立ち上がり。 「おもてなし、おもてなしぃ」  唄うように言いながら、カウンターで仕切られたダイニングキッチンに駆け込んでいく。  そして冷蔵庫を開ける音のあと、コップをふたつと牛乳パックを抱えて元気に駆け戻ってきた。 「ぎゅうにゅう、すき?」 「えっ」  入谷は差し出されたコップを見て、ギョッとしてしまった。  健気におもてなししてくれるのは嬉しいが、どこからどう見てもそのコップは洗ってない。白く濁っていて、底に牛乳らしき飲みカスがこびりついて恐ろしい汚れよう。  そんなので飲んだらお腹をこわす。乳製品はあたると怖いのだ。  と思うそばで、浩汰は汚いコップに牛乳を注ぎ「はい、どおぞ」と入谷に勧め、自分も飲もうと口に持っていく。 「ちょ、ちょっと待った」  慌てた入谷はストップをかけ、浩汰の手からコップをもぎ取った。 「洗ってないでしょ、これ」  言われた浩汰は、キョトンとして首を傾げる。 「お腹痛くなっちゃうよ?」  子供の不衛生な現場を見たら、大人としては放っておけない。一緒になって汚れたコップで牛乳を飲むのも嫌である。  ここはきれいなコップを使わなきゃいけないということを教えるべきだろう――とキッチンに入って、入谷はまた唖然としてしまった。  八畳ほどもある洒落たダイニングキッチンだというのに、シンクに汚れた食器、出前のどんぶりが山積み。デリバリーピザの箱は干からびたチーズがついたまま放置。ダストボックスはゴミが溢れて、蓋が閉まらず半開き。  裕福だから食洗機くらいあるはず、とシンク下のそれらしき大きな引き出しを開けたら、中に乾燥過程まですんだ食器がびっしり収まったまま。これを食器棚に戻さないと、シンクに積んだ汚れ食器が片づかない。自分のアパートの部屋もたいがい片づいてないがそれ以上、どこもかしこも目を覆いたくなる惨状だ。 「い……いつも、こんななの?」  棚の上段からコップを出しながら思わず口にすると、浩汰は「?」といった顔で入谷を見上げる。 「あ、えと……おうちの中、いつもこんなふうに散らかってるの?」  言いなおして訊ねると、浩汰は片手を挙げ、なにやら考えるようすで指を一本ずつ折って見せる。 「きのうと、そのまえのきのうとぉ……そのまえのぉ……」 「わ、わかった。ありがとう」  愚問だった。何日も散らかりっぱなしというのは、一目瞭然。 「じゃ、牛乳を飲もうね」  それにしても――大学時代の高嶺はなににおいても完璧と言われた男。身だしなみだっていつもこざっぱりしていて、清潔感があった。きっと完璧で幸せな家庭を築いているだろうと思ったのに、この現状はどういうことか。奥さんが忙しい人だったり家事能力がない人だったりしても、家政婦くらい雇っていてもおかしくないと思う。どちらにしても、家の中に女手の気配がないのは不思議だ。

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