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再会〜兄と弟〜【前編】

    俺はそんな中、やっと教室にこそこそと入り、自分の席に着こうと思い歩を踏み出そうとした。  しかしその歩みはいつのまに、目の前にまで、忍び寄っていたある人物に抱きすくめられる形で止められてしまった。 「つばさああぁぁぁっ!!!」  聞き覚えのある声だ。  ものすごく、聞き覚えがあり、なおかつ記憶よりか大分低くなったその声……  俺は恐る恐る顔を上げて俺を抱きしめている人物の顔を見た。 「元気にしてたかっ!? 恋するお兄ちゃんは、寂しくて翼のこと思うとふるおっきしちゃって毎晩、鎮めるのが大変だったぞ!」  変態だ。  クラス全員の視線が俺達二人に集中していた。  とんでもない変態がいます。  おまわりさん呼んでください。    やっぱり、クラス分け表の前で見た、見覚えのあるあの後ろ姿は兄貴だったんだ……  気のせいだと思いたかったのに、最悪すぎる現実を突きつけられて、呆然としている俺を、嬉しそうに見下ろして、抱きしめている兄貴は、俺のそんな心情など何処吹く風で、弟の頭を撫で繰り回し、頬擦りしまくっていた。  二つ年上である兄貴がなぜここにいるのか?  他にも聞きたいことは山ほどある。  だが、とりあえずは、俺を抱きしめている兄貴をどうにかすることの方がなにより先決だ。  このまま、クラスメート達の奇異の視線に曝されたままでいるのも、俺まで変態だと思われるのは絶対に阻止したい。  もう、手遅れかもしれないけどな。  というわけで、俺は兄貴を退かそうと腕を突っ張って、押しのけようともがいてみる。  しかし、兄貴のほうが頭一つ分背が高い上に体重もある。  さらには両腕で首をしっかりとホールドされてしまって逃れられそうも無かった。  びくともしなかったのは言うまでもなく……これを何とかするには兄貴と会話してコミュニケーションをとる以外に方法はないようだった。  しかし、兄貴は普通の人間じゃないから、常人には計り知れない、独特の思考と突拍子のない行動や発言をするのだ。  そんな兄貴を確実に、どうにかする方法を俺は一つだけ知っている。  だがそれは最終的な手段であって今すぐに使うべきではない。 「兄貴……とりあえず、離れてくれないか?」 「えーー」 「えーーじゃねえよ。暑苦しいんだよカスが!」 「やだやだーー! せっかく久しぶりに会えたのにーー」     「いいから、離れろっつっとるだろが!」 「じゃあ、昔みたく、お兄ちゃんって呼んでくれたら離す……かも」 「かもってなんだよ……お兄ちゃんって呼べば離すんだろ?  『お兄ちゃん』ほら、もう言ったから離せよ」 「愛情がこもってない……」  ……このやろう!  やっぱり普通に会話してるだけじゃどうにもならないみたいだ。  図体ばかりでかくなってガキの頃から兄貴は全然変わってない。  となればあの方法しかない。 「お兄ちゃんなんか、嫌い……」  俺がぼそりと呟いたその言葉にビクリと大げさに反応を示す兄。 「離してくれないと、大嫌いになってやる!」  と俺が言うが速いか、兄貴は俺から離れて、大げさによろめいて、窓にガタッとぶち当たりその反動で、その場に泣き崩れた。     「翼ーーっ! お兄ちゃんがわるかったあぁぁーーっ! だから大嫌いだなんて言わないでくれえぇっ!!!」  この世の終わりだと言わんばかりに、わあわあと、泣き出してしまった兄貴を慰めるように、ポンと肩をたたいて、俺は言った。 「兄貴は二つ上の学年だろ? 自分の教室に戻ろうな?」  と俺に言われた兄貴は、ぶんぶんと首を横に振って否定した。  そして 「俺、翼と同じクラスだもん」  と言った。  ……はあ?  なに、 ハゲたこと抜かしてやがんだ!  俺はなんとか、ぶちきれそうになる堪忍袋の尾を繋ぎとめて、どういうことか詳しい話を兄貴に聞く。 「二つ年上の兄貴が、なんで俺と同じ一年なんだよ?」  怒りに口端を引きつらせつつも、なんとか無理やり笑みを作りながら俺は疑問を口にした。     「俺、隔離病棟に入院してたから……せいしん……」  兄貴が言おうとした言葉を俺は彼の口を手の平で慌てて塞いで止めた。  これで、事情は理解できた。  兄貴は、精神科の隔離病棟に入院していたと言いたかったのだろう。  周りにいるやつらに大声で吹聴してまわるような話ではないので、俺は兄貴の言葉を途中で塞いで慌てて止めた。  わざわざ精神科の、しかも重症患者が、入院させられる、隔離病棟にいたなど、言わない方がいいに決ってる。  世間の反応なんて、冷たいものだし、そう言う施設にいたと言う経歴だけで変な目で見られるのもわかりきっているのだから。    詳しい事情は兄貴に聞くよりも、親父に直接聞いた方が速い気がした。  入学式が終わって寮に帰ってから、携帯で連絡してみよう。      兄貴の携帯に親父の電話番号とメールアドレスが入ってるだろうし、あとで借りてかけてみるか。 「兄貴が俺と何で同じ学年なのかは、大体解った。それはそれとして、もうすぐ担任が来てHRが始まるだろうし、とりあえず席に着け」  俺はそう言いながら兄貴の背中を押して、席に着かせようとした。  が兄貴の席番号を見てこなかったんだ……あのときはタダの同姓同名の他人の名前だと思ってたしな。 「牛山君の席はここだお!」  そう言いながら、自分のまん前にある席をばんばん叩きながら、肩までの長さの金髪に、蒼眼の生徒が陽気に手を振っていた。  親切で教えてくれたんだろうが、目立つ。  平穏な学園生活を送るという、俺のささやかな希望は、もう一日目にして絶望的だった。  俺は兄貴を教室の、一番前の席の窓際まで押して行って、金髪ロン毛の生徒が教えてくれた席に座らせた。    「もしかして。キミ、牛山君の親戚か何かかいっ?」  そう聞かれたので、適当に答えてやる。 「まあ、そんなところだ……」 「そうなのかーー! 「翼は、俺の正真正銘血が繋がった弟だぞ」    金髪ロン毛の生徒が「そうなのかー」と言ったセリフに兄貴のセリフが、かぶって聞こえた。 「苗字違うじゃん? もしかして、両親離婚したとか?」 「うん」  うんじゃねえよ!  律儀に言わんでいいことぺらぺらとばらしやがって……!  これから先のことを考えると非常に頭が痛い。 「そうそう、自己紹介を忘れていたね! 僕は畝田 馨(ウネダカオル)よろしくっ!」  金髪ロン毛の生徒がナルシスティックに髪をサラリとかき上げながら自己紹介をしてきた。 「牛山君は僕のまん前の席で、さっき彼が座ってたからネームプレートみてフルネーム知ってるけど、弟君の方の名前は?」 「美空翼だ……」  俺は疲れきった表情でそう答えた。    「いい名前じゃないか! なにか困ったことがあれば、何でも聞いていいからねっ!」 「……ああ」 「そろそろ、8時40分か……担任の先生まだこないみたいだねーー」 「入学式は9時からだったな。大丈夫なのか?」  俺と馨がそう話してるのを聞いて兄貴が俺の服の袖を引っ張って、兄貴の目の前にある教員用の机を指差した。  そこには、柔らかいハニーブラウンの髪から兄貴と似たような触角が生えていてかつ気の弱そうな顔をした男性が座っていた。  目の前にいたのに全く気配がしなかったせいで気がつかなかった…… 「そろそろ、HRはじめたいんだけど、みんな自分の話、聞いてくれないんです……」  正直、全く聞こえてなかった。 「ずっと、HRはじめたいんですけどって言ってるのに、自分、存在感薄くてなかなか皆さんに気がついてもらえなくて、ど、ど、どうしたらいいんでしょうっ?」  俺のクラスの担任教師、初日からこんなんで、大丈夫なんだろうか?  G組の生徒達もみなそれぞれに、中学時に同級生だったりした奴や、仲がいい同士で同じクラスになった奴なんかが、それぞれに雑談したり、後ろの黒板前にあるスペースでほうきで、ちゃんばらして遊んでいたり、教室内は騒がしく、非常にカオスでフリーダムな状態だった。  コレを何とかして鎮めて、HRを始めるのはなかなか大変そうだ。  何処の学級崩壊した小学生だ!  と言う突っ込みを入れたくなるような惨状に、目の前にいるG組のクラス担任は頭を抱えている。 「もうだめだ……自分は教師なんかにやっぱり向いてなかったんだ……! 初日からこんなんじゃ、とても、やってける自信がないです……」  だめだ、この教師何とかしないと!  見るからに気が弱そうだが、マイナス思考気味で物事を、前向きに考えられないタイプらしい。  龍之介とは、真逆のタイプだ。  俺がそんなことを考えてる間に兄貴がスッと立ち上がると、自分が座っていた椅子を持ち上げた。  何をする気かと聞く前に兄貴はそのイスを、窓ガラスに向かって大きく振りかぶり、そして、ブン投げた。  ガッシャアアアァァンーーッ!!!  と派手な音がしてガラスが砕けばらばらに飛び散った。  幸い、一年のクラスは一階なので、外にすっ飛んでゆき落下したイスは、教室後ろの裏口からすぐに取りにいける。  物凄い破壊音にシーンと静まり返る教室内。  生徒達の視線は兄貴がいる場所へと集中していた。 「今から、HRをはじめるから、死にたくない奴は席につけ!」  と兄貴が言って恐ろしく、狂った獣(ケダモノ)のような鋭い眼光で、後ろのスペースでちゃんばらしていた生徒らを睨みつけながら口端だけで笑顔を作って指示した。  こえぇっええぇっ!!!  相変わらず、破天荒すぎる!  隔離病棟にいて退院してきたはずなのにぜんぜん、更生されていない。  あれだけ騒がしかった生徒達は慌てて自分らの席へとついて、大人しくなった。  恐怖で教室内を支配した兄貴は、新米教師らしいクラス担任に話しかけた。 「これで静かになったろ?HRはじめろよ」  と言った。 「……死にたくないので、ここの席に着いたままでHRしていいですか?」  クラス担任は、手に持ったプリントで顔を下半分かくして、兄貴の目を見ないようにしながら、怯えた小動物のようにガタガタ震えて、そう消え入りそうな声で呟いた。  だめだーーー!  この教師なんとかしないと!!!      兄貴が窓をぶち破ったせいで、すっかり風通しがよくなった窓際の席で、ガタガタと震え、怯えまくっている新米教師の肩を、俺はぽんと優しく叩いて声をかけてやる。 「兄貴は生徒のことを言っただけです。  先生は大丈夫だから、とりあえず、時間もつかえてるし、教壇にちゃんと立ってHRはじめてください」  新米教師は、涙目で俺を見て頷いた。 「す、すみません、あまりのことに、混乱してしまって……HRはじめますっ!」  ガタッと慌てて立ち上がり、先生は目じりに滲んでいる涙をポケットから取り出したハンカチで拭った。  しかし、ハンカチを取り出した時に手にしていたプリントから手を離し、机に置いた瞬間、風でプリントが、ばらばらに散らばって教室内に花吹雪のように舞った。 「わあああっ!!! プリントがっ!!!」  あちらこちらに舞い上がったプリントをかき集めようとあわあわと先生が、焦った挙句、今度はイスに足を引っ掛けて、派手に顔面からすっ転んで、コント芸人のように綺麗にうつ伏せに倒れた。  静まり返った教室内が変な空気に包まれる。 「先生……大丈夫ですか?」  俺はおそるおそるうつぶせに倒れたままの先生に手を差し伸べる。  顔を上げた先生は、額にたんこぶを作って拭いたばかりなのに顔を涙でぐしゃぐしゃにしていた。 「ら、らいじょうぶれひゅ……」  先生はそう言って俺の手を掴んで、立ち上がるとぺこぺこと頭を下げて謝った。 「すみません、すみませんっ!」  生徒にガチで頭下げまくる教師なんて始めて見た……  俺は半分呆れ気味に教室内に散らばったプリントを拾うのを手伝った。 「先生、プリント拾うの手伝います。あと兄貴はブン投げた椅子を裏口から表に拾いに行って、割れて散らばった、ガラスも綺麗に片付けてこい!」 グダグダなこのクラスを纏めるには、こうなったら、もう俺が仕切るしかないと思って兄貴に指示を出して、外に放置されたままの自分の椅子を取りに行かせようとした。  兄貴は自分で取りには行くつもりがないのか、その場から動こうとしなかった。 「さっき、後ろでちゃんばらしてた二人組!」  兄貴はそういって、さっきメンチをきって服従させた生徒達を呼び出す。 「は、はは、はいぃっ!」 「なな、なんでしょうっ!」 「お前ら俺がブン投げたイス取りに行け!  あとほうきとちりとりで散らばったガラス拾って片付けろ!」    といって、裏口がある方角を指差した。 「わ、解りました!」 「すぐに、片付けて参りますっ!」  兄貴に命令された二人は、ビシッと敬礼してから慌てて、外へと兄貴がやらかした不始末の後片付けをしに出て行った。  その日、兄貴に舎弟が二人できた。    「僕もプリント拾うの手伝うよー」  馨がそういって散らばったプリントを一緒になって集めてくれた。  あいつらがこき使われることによって俺が兄貴のお守りをする労力は幾分か減り、楽になるに違いない。  破天荒な兄貴に俺一人が振り回されるのはごめんだ。  なので、あの二人を、かわいそうに思いはするが、兄貴に「パシリにするのはやめてやれ」などとやかく言うつもりはない。  そもそも兄貴は俺がとやかく言って通じるような相手じゃないしな。  普通に日本語通じない時が有るからな。  人の話、聞かないのがデフォルトだし。  俺は馨達から受け取ったプリントと自分が集めたやつを一纏めにして端を綺麗に整えてから先生に手渡した。 「あ、ありがとうございますっ!」  俺に手渡されたプリントを受け取った先生は、教壇に上がる。  教室内を見渡してみれば、龍之介と、あと信じがたいが真澄も飛んできたプリントを拾うのを手伝ってくれていた。 「それにしても、佐藤君と鈴木君、入学初日から間が悪かったというか……」  馨がそう言いながらかき集めたプリントを俺に手渡しながら言った。 「佐藤と鈴木?」 「牛山君が、外に片付けに行かせた二人のことだよ。」 「ああ……」  アイツらか。  アイツらはかわいそうだが、これから卒業するまでずっと兄貴にこき使われる運命だ。 「皆さん、初日からご迷惑をおかけしてすみませんでした! 頼りなくて申し訳ないのですがG組の担任になりました、西野 空太郎といいます!」  そう言いながら、黒板にチョークで名前を書いて、まず自己紹介から入った。   担任の名前は、にしの くうたろうか……  存在が空気だったと思っていたが、名前まで空(気)太郎だったのか……  額にたんこぶは出来てるわ、泣きはらして目元は赤いわで非常に情けない顔をしているのだが、入学式まで幾分も時間がないので急ピッチで自己紹介~入学式の諸注意、事前指導など、プログラムの書かれたプリントを読み上げて生徒に説明していった。 「……ですから、新入生はA組からG組まで順番に入学式の新入生入場時間になったら体育館に入っていってください。  G組は一番最後に入場する手はずになっていますので、A組よりかは多少時間に余裕があります」  入学式とかかったるいんだよな……  校長とか来賓の話がやたら長かったりするし。     「えーーと。今がもう9時丁度ですので、A組が入場し始めたくらいの時間ですね。  あと、5分くらいしたら皆さんも体育館に入場する準備に入ってください」  西野先生がそう言い終わった時に、表に片付けに出ていた二人、佐藤と鈴木が教室内に戻ってきた。 「片付け完了しました! 取ってまいりましたイスにどうぞおかけください!」 「それじゃ、俺達失礼します!」  と言って佐藤と鈴木は自分達の席に戻り着席した。  兄貴は何事もなかったようにイスに腰掛けて足を組んだ。  俺は自分の席の斜め隣に鈴木がいるので、一応、兄貴が迷惑かけたとフォローを入れようと声を掛けた。 「迷惑かけてすまない。ああみえて、兄貴に悪気は全くないんだ(多分)」 「いいえ、俺気にしてませんっスから! むしろすがすがしいくらいの堂々振りに野性的な男らしさっ! 同じ男として惚れました! 一生ついていきます!」  と熱く語られた。  鈴木の細められた瞼の間から覗く瞳が憧れの対象を見たときのように、輝いている。  兄貴は妙なカリスマがあって昔から男友達(半分以上は面白半分、からかい目的の冷やかしだったが)だけはやたらと多かったりしたのだ。  さらに、見た目だけはかなりいいほうだったせいか、兄貴の本性を知らない女子にもモテていた。 「お兄様の名前はなんていうんですか?」  と鈴木に聞かれたので、食傷気味になりつつも答えてやる。 「牛山 礼二だ……」 「礼二様っスね! ちょい悪っぽくてかっこいいお兄様っスよね!」  入学初日から教室の備品を破壊するとかちょい悪どころじゃねーぞ。  まあいい。  俺が兄貴の面倒を全て見させられるよりか、こいつらが兄貴のパシリになってくれれば俺が楽できるわけだし。      鈴木とそんなやり取りをしてる間にもう、時間が来たみたいだ。  ばたばたと生徒達が席を立ち、廊下へ向かい、出席番号順に並んで列を作る。  西野先生に引率されて、俺達は体育館へと向かう。  入学式が滞りなく無事終わればいいのだが……兄貴が途中で飽きて暴れだしたりしないか、それだけが一番の心配なのだが。  俺はそんなことを考えながら、前を歩く兄貴を見てため息をついた。 □  ―――2時間後  入学式のプログラムは滞りなく終了した。  校長や来賓の話が長すぎて、ずっと座り続けていたせいか首が痛かった。  新入生達はぞろぞろと自分達の教室に戻っていき俺達兄弟二人だけがとり残された。  兄貴は結局途中で飽きて、暴れるようなことはなく、入学式の最中ずっと爆睡していた。  退屈すぎて眠たくなったのだろう。  暴れられるよりかはるかにマシなのでそのままにしておいて正解だったな。    俺は入学式が終わっても未だに爆睡し続けている兄貴の肩を叩いて起こしてやる。 「おい、兄貴! 入学式終わったぞ! 起きろーー!」  そう呼びかけながらがくがくと肩を掴んで揺する。  すると兄貴は瞼を開いて起きた、と思ったら俺の首に腕をかけて固定してきた。  そしてそのまま、動けずにいる俺に口付けてきた。  もろに唇にキスをされて俺は固まった。  イスや舞台の装飾を片付けるのに残っていた上級生達が目を丸くして、びっくりした表情で俺達を見ていた。  俺は自分に集中する視線の痛さに我に返り兄貴をグーで殴り飛ばした。 「いきなりなにしやがんだっ! こんの、糞兄貴があぁぁーーッ!!」  寝ぼけるのも大概にしやがれっ!  ガターンッ!と派手な音を立てて兄貴がイスごとひっくり返った。  後頭部をしたたか打ち付けた兄貴は、ハッとした顔をして、今度こそ本当に目を覚ましたのか、打ち付けた頭をさすりながら、起き上がった。    「ふあぁぁ、よく寝た……翼、どうしたんだ?」  膝を付いて落ち込んでいる俺を見て兄貴がそう声を掛けてきた。  俺はバイト三昧で女の子と付き合った経験はおろか手も繋いだことすらないというのにファーストキスを実の兄貴にしかも寝ぼけ半分で奪われるなんて…… 「……コレは事故だから、カウントされないはずだ」  俺は自分にそう言い聞かせるように呟いた。  いつまでもここでこうしているわけには行かない。  後片付けをしている上級生達があることないこと、憶測で俺達二人のことをぼそぼそと話している内容が聞こえてきた。 「あいつら、男同士でつきあってんのか?」 「マジきめえなそれーー」 「やらまいか?あべし!」 「ぶはははははははっ!」     うわあああああぁぁっ!  確実に誤解された!  上級生達のいい笑いものにされてしまった。  俺は怒りと混乱と落胆とその他の感情がぐちゃぐちゃになって、真っ赤になった顔を上げて立ち上がり、兄貴を置いて逃げ出すように駆け出した。  そして、いきなり駆け出した俺を、兄貴が追いかけてくる。 「追いかけて来るんじゃねえぇ、畜生!」  俺はただ、平穏な普通の学生生活を満喫したかっただけなのに、そのささやかな希望も全て終わりだ! 「翼! 待てよ! どうしたんだいきなり!」 「どうしたもこうしたも、兄貴が悪いんだろッ!」 「お兄ちゃんなんか翼を怒らせるようなことしたのか?!」 「思いっきりしたわっ!!!」  兄貴のが足が速いから廊下で追いつかれて腕を掴まれて、引きとめられた。    だめだ……なんかもう頭の中がぐちゃぐちゃで、泣きそう……  兄貴に、キスされたばかりのせいか、妙に意識してしまって顔が熱い。  掴まれてる腕を振り解くことも振り返って兄貴の顔を見ることも出来ない。  兄貴が異常なまでのブラコンで、俺に執着していることも、溺愛されてるのも知っていたはずだ。  上級生達に見られていたから、笑いものにされたのが恥ずかしかったから、逃げ出してきたけれども。  しかしショックを受けたのも事実で、何より、兄貴にキスされて、全く不快感を感じずに自然に受け入れてしまった自分が一番嫌でそれを認めたくなかった……  実の血の繋がった兄弟で、しかも男同士だなんて、俺がなにより望んでいる 普通 とは全くかけ離れている異常なことなのだ。    「翼、なにしたかはわからんが、お兄ちゃんが悪かった!」  兄貴にそう謝られて、掴まれていた腕が離される。  俺は、思わず振り向いて兄貴を見た。  兄貴は柄にもなく、普段見たことのないような真剣な表情をしていた。 「俺は、翼を悲しませたいわけじゃないんだ、それだけは解ってくれ」  そう言って、兄貴は何を思ったのか、徐に胸元のポケットから、シャープペンシルを取り出して、そしてそのシャープペンシルを、右手に持って、そのまま左手の平に振り下ろして、突き刺した。  シャープペンシルが、兄貴の左手の平の真ん中を貫通して、グッサリとつきぬけていた。  そのシャープペンシルが突き刺さった、血まみれの左手を兄貴は俺の目の前に翳した。 「ぎゃあああぁぁっあぁぁぁーーーッ!!!」  それを至近距離で見せられた俺は悲鳴を上げた。      兄貴がなぜいきなりこういった自傷行為に走ったのか常人の俺には全く理解できない。  常軌を逸脱しているその行動にどういった意味があるのか、わからないのだ。  手の平を極細の銀製のシャープペンシルが突き抜けている光景を間近で見せられた俺はかなりのショックだ。 「俺が翼を傷つけたのならそれ以上の痛みを罰としてこの身に受けよう」  兄貴はそう言って左手の平に深々と突き刺さった、シャープペンシルを引き抜こうと右手でグッと掴んだ。  俺はハッとして我に返り、慌てて兄貴のその右手を両手で押さえつけて止めた。 「今、引き抜いたら確実に大量出血するだろうが! このまま保健室に行かないと、大惨事だ!」 「まだ足りないだろ!」 「いいからっ! もう、いいからやめろって!!!」 「俺は翼を悲しませるんなら、傷つけるんなら死んだほうがいい」 「馬鹿野郎! ……本当に、もういいから、やめてくれっ!」  兄貴は本当に、どうしようもない大馬鹿野郎だ。  兄貴が突拍子のないおかしな行動に出るのは、いつも俺のことを考えてのことなのが、解るから、俺は余計に辛くなるんだよ…… 「もう、怒ってないし、何ともないから、だから、やめてくれ!」  俺は兄貴の右手を両手で掴んだまま懇願した。 「翼……俺を許してくれるのか?」 「許す?俺に、なにしたかすらわからないんだろうが……」 「何したかはわからんが、翼を怒らせたのは事実だ」 「もういい。許すから、このまま保健室行くぞ!」 「俺は翼に嫌われたら、生きてる意味ないんだ」  兄貴はそういってうつむいて前髪に隠れて表情は見えないが、泣いているのか肩を震わせていた。 「なぜなら、俺にとっての世界は、翼だから」    そう言って、顔を上げた兄貴は泣いてはいなかった。 まっすぐに俺を見つめる その瞳は、何よりも純粋でそして淀みがないように見えた。  そして、狂気に満ち満ちていた。       「俺は翼さえいればほかに何もいらない。  翼に必要とされない自分も翼以外の全ても、なにもかもだ」  兄貴がそう言葉を続けるけど、兄貴がなんで俺なんかにそこまで執着してるのかわからない。  俺はズボンのポケットからハンカチを取り出して、兄貴の左手首に巻きつけてとりあえず応急処置の、止血をしてやる。  きつく縛り上げて血液の流れをせき止めてから、シャープペンを抜かなければ、太い血管を傷つけていた場合、大量に出血するだろうから……。  詳しくはないからコレで応急処置の仕方があっているのかわからないが、とりあえず出血は多少抑えられたはずだ。 「…………」  俺は、無言のまま兄貴の腕を掴んで保健室へと向かう。  保健室は、たしか職員室を通り過ぎてすぐあったはずだ。  試験を受けに来た時に手渡された学校案内のパンフレットに、校内の簡略化された地図があって、とりあえず職員室と保健室と手洗いの場所は印をつけて覚えて、把握しておいたから知っている。  途中通り過ぎる生徒達が、兄貴の左手の惨たらしい状態をみて、何事だろう?と言いたげに、目を丸くして驚いた表情でこちらを伺ってから、数人通り過ぎたが、教師には遭遇しなかった。      保健室前にたどり着き、引き戸を開ける前にノックをして中に人がいるか確かめる。  ノックをしたが、返事は返ってこなかった。  ためしに引き戸をスライドさせてみると鍵は開いていて保健室内へと入る事が出来た。  保健室特有の薬品の匂いがして、俺は眉をしかめた。  昔から病院なんかの薬品の匂いには、慣れない。  アルコールやエタノールの匂いが苦手な俺はそういった薬品を使った理科の実験も余り好きではない。  俺はとりあえず、薬品棚見て消毒液を探す。    職員室に保健の先生がいるか確かめてから来れば、よかった。  ガタンッと薬品棚が音を立てるのと同時に、右奥に設置された病人用ベットの周りを囲うカーテンが少しだけ開いて、中から誰かがこちらを伺っていた。 「……ふう」 こちらを伺っていた人物は俺と兄貴の顔を見て、安心したようにため息をついた。 「なにか、物音がするから、ヤツが追ってきたかと思った……」  その人物はベッドを降りて、カーテンを完全に開いて立ち上がり、軽く腕を伸ばして伸びをしてから、俺達二人のいるところまで近づいてきた。  無造作にはねた短い銀髪に金色かかった瞳をした不思議な容姿をした生徒だ。  俺達と同じ真新しい制服を着ているところを見ると新入生だろうか?  無愛想だが精巧で整った顔立ちをした少年だ。  あ、ヨードチンキがあった。  コレを兄貴のシャーペンが刺さった手にぶっかけてから引き抜いて、包帯巻かないと……  あとでちゃんと医者に見てもらったほうがいいんだろうけど薬品の匂いなんかが苦手な俺は、病院に行くのが億劫だし、兄貴一人で病院に行かせるなんてのは、なにしでかすかわからないから出来ない。  太い血管なんかが傷ついてないことを祈るしかないか。  俺はそんなことを考えながら、薬品棚を開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。   「……薬棚がどうかしたのか?」 とその人に聞かれて、俺はうなずいて、答えた。 「兄貴が怪我をしたから消毒をしたいんだ」 「ああ、薬棚の鍵を探してるのか? ちょっと待ってろ……」 その銀髪頭をした生徒は、保健室にある机の横に設置された棚の引き出しの底をはずすと中から鍵を取り出した。 「予備の鍵だが使える」  そう簡単に告げてからその鍵を俺に投げてよこしてくれた。 「おっと!」  俺はなんとかその鍵を落とさずにキャッチして受け取ると薬棚の鍵穴に差し込んで回す。  カチッ!  鍵が開いた音がした。  ガラス戸を引いてみるとちゃんと開いた。  銀髪の生徒がなぜ予備の鍵がある場所を知っているかなど、疑問に思ったこともあるが、今は、兄貴の怪我をどうにかする方が先決だ。     俺は薬棚からヨードチンキとガーゼが入った箱と包帯を取り出して薬棚のガラス戸を閉めた。  ヨードチンキを染み込ませたガーゼで傷口をちまちま拭くよりか、直接ぶっかけたほうが早いので、兄貴を手洗い場に引っ張って連れていく。  引き抜く前にヨードチンキをぶっかけて……  ぶっかけたのはいいが、突き刺さったシャーペンを引き抜くのが怖くて俺は躊躇った。 「……ちょっと待て!  引き抜いた後に多量に出血するだろうから、医療用のゴム紐なんかできつく手首を縛って血液の流れを完全に止めてからのほうがいい! あと清潔なタオルと軟膏を用意してだな……あと傷口を縫った方がいい」  銀髪の生徒がそう言って兄貴の手の平に刺さったシャーペンを引き抜こうとしている俺を止めた。

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