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再会〜兄と弟〜【後編】
薬棚から軟膏を取り出して棚の下部にある引き戸からまだ未開封の医療用の針と糸とタオルとゴム紐を取り出した。
あと、黄色っぽい液体の入った点滴用の袋を取り出して、点滴をぶら下げる為の詳しい呼称はよくわからんが、それをベット脇まで押して運んで来て設置した。
「傷の治りが早くなるから一応、抗生物質なんかの点滴もしといたほうがいいと思う」
銀髪の生徒はそれだけ準備してから、俺達がいる手洗い場に来て、兄貴の手の平の下にそっとタオルを宛てた。
開いてるほうの手から医療用に使うゴム紐を手渡されたので俺はそれを受けとって手首をきつく縛り上げて血液の流れをせき止めた。
「よし、もう抜いていい」
銀髪の生徒にそう言われるも、俺は怖くて出来そうにない。
そんな俺の様子を察したのか、兄貴が自分の右手で突き刺さったシャーペンを握りこんで掴んでから躊躇いもなく一気に引き抜いた。
引き抜いた瞬間真っ赤に染まるタオル。
血を見るのが得意じゃない俺にはかなりきつい光景だった。
銀髪の生徒はタオルで血を拭き取ってから、消毒液をガーゼで塗布して、医療用の縫い針をあけて袋から取り出して、糸を針に通した。
……って自分が縫う気なのか?!
銀髪の生徒は何故か異様に慣れた手つきで兄貴の手の平にあいた穴を縫って塞ぐとハサミで糸を切った。
「傷口自体はかなり小さいからまあ、こんなもんで大丈夫だろ。
出血量の割りにはあまり血管や筋も傷ついてなかったみたいだし、多分な」
と言って俺の頭をぽんと手の平をのせるように軽く叩いた。
多量の血を見て涙目になっている俺をみて気遣ってくれたのだろう。
見た目だけじゃなくて中身もかなり男前なその銀髪の生徒は、点滴をセッティングしてあるベットまで行くと、兄貴をそこに連れてくるように俺達に手招きをした。
俺は兄貴の腕を引いていき、ベット脇にある椅子に座らせた。
兄貴の手首を縛るのに使ったゴム紐を解いて応急処置をする為に使って、固結びしてしまった為、解くのが困難になったハンカチをなんとか解いてから、薬を染み込ませたガーゼを、ピンセットで傷口に貼り付けて、手際よく包帯をくるくると巻き終わると、銀髪の生徒は携帯電話を取り出した。
どこぞの誰かにかけているらしい。
しばらくして相手が電話口に出た。
『和成か? どうした? 何かあったのか?』
『急患がいるから、いますぐ保健室に戻ってこい!』
『ああ、わかった』
『ただの保健医じゃなくて、診療所併設してる医者だろ! ほいほい留守にされたら困るだろうが! 何かあってからじゃ遅いんだからな!』
『あー、うっせぇな! そんじゃ今から行くから、患者に保険証用意させとけ!』
カチャッ!
電話をしおわったその銀髪の生徒は苦々しげな表情で携帯を閉じると胸ポケットにしまった。
「ふう……今から医者がくるから、保険証用意しておいてくれ」
保険証……兄貴の鞄の中身探れば多分あるかな?
というか保健室と診療所を併設してる?
「ここってただの保健室と違ったのか?!」
「ああ、隣り合わせで、診療所があるんだ。 一枚ドアを隔てて」
そうだったのか……兄貴を連れて病院に行く手間が省けてよかったけど……この学園ってどうなってるんだ?
そういや、前に貰った学園案内の地図にコンビニやファーストフード店のマークもあったような気がするし……無駄にだだっ広いとは思っていたがそこまで設備が充実してる所だったとは……
学園内の食堂を一般人に開放して商売してるところもあるわけだし、まるきりありえないこともないのだろうが。
とりあえず医者が戻ってくる前に、保険証を取りに教室に戻らないと。
しかしだ……兄貴と銀髪の生徒を二人きりで置いて俺一人が保険証を取りにこの場を離れてる間にまた兄貴が、おかしな行動に出やしないかと考えて、保健室を出ようとした足が止まる。
ここはひとつちゃんと釘をさしておくべきだろう。
「兄貴。俺が保険証取りに行って戻ってくるまで大人しくして待っていてくれよ」
「大人しくか……具体的にどうすればいいんだ?」
「そこにそのまま、指一本たりとも動かさずに、座ってればいいんだよ」
「わかった!」
「ぜったいだからな!約束破ったら今度こそ俺は兄貴を大嫌いになってやるからな」
「息も止めてれば、ゆび動かさないでいられるな」
「息はしとけよ!」
兄貴と昔よくやった、懐かしいやりとりをして俺は保健室を出て、保険証をとりに向かった。
「図体でかい幼児がいる……」
翼が保健室を、退室した後で銀髪の生徒が礼二を見てそう呟いていた。
保険証を取りにG組へ向かう途中のA組前の廊下で、見たことのある金髪ロン毛の後ろ頭を見かけた。
誰かを探しているのか、A組の教室内を外から伺っている。
「おかしいなぁ……和成君の机に鞄引っ掛けられたままだし、まだ寮に帰ってないはずなのにいない……」
と呟きながら廊下をうろうろしていた。
「馨じゃねーか。なにやってるんだ?」
俺はなんとなくふと足を止めてA組の前の廊下をうろついている不審者に声を掛けた。
「ああ、翼君! どこいってたんだいっ? もう帰りのHRも終わってみんな解散しちゃったよ」
「ああ、ちょっと兄貴が怪我をして……」
「えぇっ! 礼二君、怪我しちゃったのかい?!」
「いや、命に別状ないから大丈夫なんだけど……」
「そーなのかーー! よかったよ!」
「それはそれとして、お前なにやってんだ? さっきから、A組の前を行ったりきたりして、思いっきり不審者にしかみえないぞ」
「嫁を迎えに来たら、鞄だけ置いてどこかに消えてしまっていて探してるんだ」
「はあ?!」
嫁って……ここは男子校だろ?
何ハゲたこと抜かしてんだ?
俺はそう思っていぶかしげな表情をして馨を見やる。
「ああっ! なにその、差別するような蔑むような目っ!」
「嫁ってここ男子校だろ?」
「なにをいまさらっ! 愛があれば性別なんて関係ないんですよっ!」
「げっ! マジか……」
俺は身がまえて壁を背に後ずさって、バックを狙われないようにガードした。
「その態度……慣れてるとはいえ傷つくなぁ」
馨は、俺のあからさまな態度に眉を動かした。
「まあ、僕の場合男にしか興味ないから仕方ないけどね!」
「思いっきり愛に性別、関係あるじゃねえかあぁっ!!!」
俺の突っ込みが廊下に響き渡って、通りすがりの生徒らが一斉に振り向いた。
しまった!
つい、我を忘れて突っ込みを入れてしまった……。
通りすがりの生徒らが、ふいに、みな立ち止まって、俺達二人のやり取りを見てきた。
恥ずかしさと、居心地の悪さに、耐え兼ねた俺は、早足で駆け抜けるように、G組へ向かい、その場を立ち去った。
「廊下は走っちゃダメだってばーーー!」
A組にいるらしい嫁を探すのをあきらめたのか、ガチホモであることをこともなげに、カミングアウトした馨は、俺がかけてゆく後を早足で追ってきた。
――保健室
銀髪の生徒に、携帯で呼び出された校医を兼ねた医者が、保健室へと到着して、引き戸を開けて中へと入ってゆく。
肩までの長さの銀髪を無造作に一つに束ね、気だるそうな目は金色をしている。
銀髪の生徒によく似た容姿をした男が、患者がどういった類の負傷をしてここに来たのかを聞いていた。
礼二は翼に言われたことを守るため、唇を動かすことが出来ず、黙したままで微動だにせずにいる。
指先はおろか眉一つ動かす気配がない。
瞬きも、翼が保健室を出てから全くしていない。
「ああ?」
呼び出された医者は、礼二の異常さに眉をしかめる。
「さっきから、どういう怪我をしてここに来たのか聞いてんのにだんまり決め込んでやがる……」
「親父。 この人はシャープペンが左手を貫通する怪我をしてここに弟さんと来たみたいなんだが……」
「ああ!?」
医者はさらに眉をしかめていぶかしげな表情になる。
「一体何をどうやってそんなことになりやがったんだ?!」
「さあ? 詳しいことは聞いてない」
「まあいい。とりあえず点滴しときゃいいだろ。 応急処置は和成がもう、やったんだろ?」
「ああ」
「んじゃ、ベッドに横になりやがれ」
銀髪の医者が礼二の腕を取りベッドに横にさせようとするが、翼に指一本動かさずにじっとしていろと言われた礼二は動かない。
「……どうしろってんだ?」
「親父。弟さんが来るのを待て」
「コイツの弟のやろうが来れば催眠術がとけんのか?」
「……ああ」
銀髪の親子がそんなやり取りをしている間に翼はG組から兄と自分の鞄を抱えて飛び出して保健室に向かっている最中だった。
馨もその後を早足で追いかける。
「ついてくんじゃねえっ!」
「翼君、保健室に行くんでしょっ? 僕もちょうど、和彦さん(保健医)の顔を見に行こうと思ってたんだよ」
「保健医なら外出してていなかった! だからついてくんな!」
「保健室で待たせてもらうからいいよ」
「俺がよくねえんだよ!」
翼と馨はそんなことを言い合いながら、保健室前へとたどり着く。
兄貴と自分の鞄を抱え、保健室へとたどり着いた俺は引き戸を開けて中へと入る。
後ろを早足で追いかけてきた馨も俺の後に続いて保健室へと入る。
保健室内を見渡すと俺が大人しくしているように言って座らせた場所から兄貴は動いていなかった。
というよりか、石のように固まって、呼吸すらしているかさえ危ぶまれるほどにじっとしていた。
そんな彫刻のような兄貴の前にあるイスに、足を組んで座り、不機嫌そうに眉をしかめている白衣を着た男と、その隣に、兄貴の怪我を処置してくれた銀髪の生徒が立っていた。
その銀髪の生徒は、俺の背後にいる馨を見るなりハッと驚いた表情になって、白衣の男の背後へと隠れてしまった。
俺は、兄貴の前に座っている白衣の男に話しかけた。
「あんた、医者か?」
もっと年を食った老年の医者が来るのを想像していた俺だが、兄貴の前にいる白衣の男は、どう見ても20代後半くらいにしか見えない。
ハタチちょうどと言われても、普通に信じてしまうだろうぐらいには。
「ああ。全寮制の男子校内にある診療所で医者やってる物好きだ」
と答えた。
「立地条件が悪すぎて、野郎の患者しかきやがらねえんだからな」
と続けて、ぶっちゃけたことを言い放つ。
またこの人もそうとう変わり者の医者だ……
この学園にはまともな人間は余りいないらしい。
「それはそれとして、おめえ、コレの弟だろ?」
そういって兄貴の眼前に突きつけるように指差した。
「あ、はい、一応俺の兄貴です……」
「暗示がかかってんのか、なんなのか、おめえがいない間じゅう、瞬き一つせずに静止したままで、いやがったぞ!」
医者がそう言うのを聞いて俺は、額に手をやってから呆れ果てて盛大にため息をついた。
じっとしていろと言ったが、何もそこまで徹底して微動だにせずにいろとは言ってない。
俺は兄貴の肩を叩いて、話しかけてやる。
「兄貴。もう動いてもいいぞ」
俺にそう言われてイスに静止したまま腰掛けていた兄貴は瞬きをして、俺を涙目で見上げる。
長いこと瞬きせずにいたせいで、少々、眼球が血走っている。
あほか……
俺は額に手をやって呆れ果てたような顔をしたまま医者の方を見た。
「おお、暗示が解けたみてえだな! 手間ぁかけさせやがって、糞ガキが。 今度こそ、さっさとベットに横になりやがれ」
医者は、やれやれといった風に苦笑いをすると立ち上がり、兄貴にベッドへ横になるように促した。
が、言い方がべらんめえ口調で悪すぎた。
医者ってイメージじゃない砕けた、言葉遣いをする人だ。
「兄貴、点滴してもらうからそこのベッドに横になってくれ」
俺に、再度そういわれて兄貴は立ち上がると黙ってベッドに横になった。
ベッドに横になった兄貴に、医者が点滴をするのを、邪魔にならない程度に間を空けて俺は見ていた。
そんな俺の眼前と言うか、座っている医者の背後でなにやら、やりとりする馨と銀髪の生徒のセリフがさっきから聞こえていたが、あえて無視していた。
医者の背後に慌てて隠れていた銀髪の生徒は、医者が兄貴に治療を始めるために場所を移動すると、今は窓際にあるカーテンの中に隠れている。
馨はその隠れている生徒の腕を掴んで、嬉々としていた。
「マイスイートハニー! ていうか、和成君っ! ここにいたのかいっ?! ぼかぁ、随分探したんだよっ!」
と言った。
どうやら、探していた嫁が見つかったらしい。
つか、銀髪の無愛想なイケメンの生徒が、馨の嫁だったとは……
俺は、馨の愛の言葉を受けて、カーテンの中でカタカタ震え上がっている銀髪の生徒を同情の目で見やりつつも、せっかく医者にしてもらった点滴の針を、兄貴が抜いたりしないかベッド脇の丸イスに腰掛けて、見張っていた。
医者は処置が済むと、デスクに戻って、なにやらカルテを整理したりなんだりの作業をし始めていた。
この医者も、馨と銀髪の生徒のやり取りなど何処吹く風で事務作業を進めている。
二人が、こういったやり取りをする場面を見るのは、きっと、慣れているのだろう。
「速く、寮に帰っていちゃついたり、メイク☆ラブしたりしようよーー」
「離せっ! 俺は寮には帰らない!」
「なんでさっ?!」
「おまえと同室なんて冗談じゃない……」
「冗談じゃなくて、事実なんだから、あきらめて、初夜を迎える覚悟してくれません?」
「誰が、するかっ!!!」
まるきり、完全に痴話げんかだ……
うるさいから、どこかよそでやれよ。
俺はそう考えながら、兄貴を監視している。
夫婦喧嘩は犬も食わないんだっけな。
そんなことも思ったりしたのだった。
デスクワークに勤しんでいた医者が、不意にイスに座ったまま、くるりと回って振り返ると手を出した。
「保険証。持ってきやがったんだろ? さっさとよこしやがれ!」
医者は、そうぶっきらぼうに言って差し出した手を軽く振って保険証を自分によこすように促した。
俺はうなずいて足元においていた、兄貴の鞄を手にとって中身をあさる。
教科書と筆箱とガムと携帯が出てきたが保険証は見当たらない。
鞄の外側にあるポケットになっている部分も開いて探してみる。
保険証……見付けた!
保険証と、あと、幼い頃に撮った、俺と兄貴が二人で肩を組んで笑顔でVサインをしている写真も、出てきた。
……こんな昔の写真、後生大事に持ってたんだな。
兄貴が何回も写真を見ていたのだろう。
所々に皺が寄っていて色も褪せていた。
俺は取り出した保険証を医者に手渡すと、一緒に取り出したその写真も元の場所に大切に戻しておいた。
兄貴が寂しいときとか辛いときとかに、この写真を見たりしていたのだろうか?
俺はそんなことを思ってほんの少し胸が苦しくなって、鼻の奥がつんとしてきた。
一応、瞼をごしごしと袖で拭ってから俺は兄貴が寝ているベッドに座ったままで、改めて向き直る。
点滴の針を抜いてしまわないか心配だったのだが、そんな俺の心配をよそに兄貴はすやすやと寝息をたてていた。
入学式の最中もずっと寝ていたくせに、また人の気も知らずに寝入っている兄貴の安らかな寝顔を見て、俺は苦笑した。
寝顔は起きているときの、兄貴より幾分か、幼く見えた。
俺がそんな感じでちょっとだけセンチな気分に浸っている背後で、馨と銀髪の生徒が相変わらず、痴話げんかをしていて騒がしかったのだが……。
□
一時間ぐらい経過した所で点滴のパックの中身がなくなって終わり、未だ寝入ったままの兄貴の腕から点滴の針を医者が抜いた。
そして、薬棚からあれこれ取り出した薬を袋につめて俺にぽんと手渡した。
「一応、痛み止めも入れておいたから、痛みが酷いようなら飲むようにいっとけ!
まあ、我慢出来るなら飲まないにこしたこたぁないけどな 詳しい内容はこの紙を見て自分で把握しとけよ」
薬と薬の内容説明なんかが書かれた紙を手渡されて俺は受け取った。
手渡された紙を見て、医者に治療費を支払い、俺は丸イスから立ち上がると、寝てる兄貴の肩を掴んで揺すりながら声をかけた。
「兄貴! 点滴終わったから帰るぞ!」
俺に肩を揺すられて目を覚ました兄貴が、のろのろと起き上がって、右手で目を擦った。
「ふぁぁ……翼……?」
寝ぼけている兄貴の手を取り俺は立つように促すと、兄貴と自分の鞄を手に抱えて帰り支度をし始める。
「ああ、そういやぁ、まだこっちは名乗ってなかったな。 兄の方は保険証を見てフルネーム知ってるけどおめぇの名前はまだ聞いてねぇな」
そう医者に言われて俺は、自己紹介するのを忘れていた事に気が付いて、自分の名前を名乗った。
「美空翼といいます」
「そうか! いい名前じゃねぇか」
「……そ、そうですか?」
「俺は、羽瀬和彦(ハセ カズヒコ)だ。 金髪頭のヤツと痴話喧嘩してやがる銀髪頭の野郎は俺の息子で羽瀬和成(ハセ カズナリ)ってんだ。 よろしくしてやってくれ」
「あ、はい……」
医者が自己紹介がてら、銀髪の生徒を指さして自分の息子の名前も教えてくれた。
似てるとは思っていたけどやっぱりこの医者と銀髪の生徒は親子だったらしい。
よろしくしてやってくれと言われた手前、俺は一応、和成と言うらしい銀髪の生徒の所へ向かう。
「俺の名前は美空翼だ。兄貴のほうは牛山礼二。よろしくな」
そう言いながら、自己紹介がてら握手を求めて、手を差し出した。
銀髪の人は、今まさに兄貴が使っていた隣のベットで馨に無理やり、押し倒されてて、それどころじゃなさそうだけどな。
俺が握手を求めて差し出した手を、和成は掴むと無言で頷いた。
自分の名前は父親が指差しながら、俺に教えていたので、名乗る必要はないので握手にだけ答えてくれたようだ。
「自己紹介はいいから、とりあえず、助けてくれ……」
握手したまま、和成がかすれた声でそう言って俺に助けを求めてきた。
助けろと言われても、俺は余り腕力には自信がないためどうしようもない。
「親父も黙ってみてないで、さっさと助けろよっ!」
と息子が眼前で押し倒されてるのを、なんでもない顔でスルーしている父親に怒りの矛先が向かったらしい。
確かに、一時間もずっと痴話喧嘩を繰り広げた挙句に、力任せにやり込められてる息子を見てもずっと何事もないような素振りで事務をこなしていたからな。
和彦と言う名前の医者はこういう場面にすっかり慣れきってるんだろう。
「自力で何とかしろよめんどくせえ。ゴムはつけてやらせろよ。腹壊されでもしやがったら、いろいろとあとが面倒くせえ」
「息子が襲われてるのに、父親が言う台詞か!」
「不純異性交遊は校則の禁止事項に入ってやがんだが、不純同姓交遊するなとは書いてねえしな」
「どっちも、たいして、変わらんだろうがっ!」
言い合いする親子を見て、馨が口を挟んだ。
「たいして変わりがないなんて!?
僕は女体には全く興味がないというのに!」
「「うっせえ! 変態は黙ってろ!」」
羽瀬親子にそう突っ込まれた馨は、変態と言われた言葉を否定した。
「変態なんかじゃないよ! 仮に変態だとしても僕は変態と言う名の紳士ッぽい何かだよっ!」
ぽいなにかってなんだ?
俺は、羽瀬親子と馨の三つ巴のやり取りを見てげんなりしながらそう思った。
もう、いいから速く寮に帰って、ゆっくりしたい。
俺は兄貴の腕を掴んで保健室を退室しようとした。
「ああ、待って翼君! 僕達も、もう寮に帰るから一緒に行こうよーー」
馨がそういって抵抗し続けて、すっかり疲れきっている和成の手を引いて俺達が向かった出入り口へと追いかけてきた。
まあ、帰る場所は同じだから仕方ないか……俺はそんなことを思いつつも、世話になった医者に会釈をして兄貴の代わりに礼を言った。
「今日は、いろいろと、有難うございました。 それじゃ、俺達はこれで失礼させてもらいます」
「おう! 気をつけて帰れよ!」
和彦先生はひらひらと手を振ってシッシと追い払うようなジェスチャーをしながら答えた。
□
俺は保健室を退室して、廊下を突き進んで、昇降口まで向かった。
入学式が終わったのが昼前だったせいかまだ所々に生徒が残っていて、どの部活に入るかなど掲示板に張り出された、ポスターを見て何か言い合ったりしていた。
「翼君はどこかの部活に入る予定とかあるの?」
馨が和成の手を引きながら俺にそう聞いてきた。
「そんな余裕ねーよ」
自分の学費を稼ぐためになるべくはやく、新しいバイト先を見つけなければならないのに、そんなことをやっている暇はない。
「そーなのか……」
馨がさも残念そうにそう言った。
「帰宅部に入れば問題ない」
そしてなぜか、兄貴がそう答えた。
「帰宅部ってのは部活じゃないよ」
「部がつくからにはりっぱな部活動だ」
「……ま、まあ、そうともいえないこともないけどね」
兄貴と馨がそんなくだらない会話をしている間に学生寮の出入り口にたどり着いた。
一度、下見に来て知ってはいたがやっぱりでかい建物だ。
校舎にひけをとらないスケールの広さを誇る建造物だ。
自分の部屋とか覚えておかないと同じような部屋ばかりが並んでいたし気をつけないと迷いそうだ。
俺はそう考えながら玄関の扉を開いて室内へとあがる。
靴を脱いで靴箱にしまうと、長い廊下を歩いて大広間まで向かう。
この学園に入学する前に荷物が全てこの寮に届くように手配してあるから受け取りに行く。
大広間に着くと、今朝この学園に到着したときにプラカードを手に新入生を誘導していた教師がホワイトボードの前に立っていた。
「こんにちは! ホワイトボードに書かれた番号の部屋に荷物を運び込むようにしますので、まず誰と同室で何号室が自分の部屋なのかを確認してください」
大広間に今しがた到着したばかりの俺達に声を掛けてきた。
「僕達の部屋は、42号室だよ。荷物はもう一度、僕がここに来て、運んでもらうように言っといたから、後は部屋に運び込まれてる荷物を、整理するだけだね」
馨は心なしか、嬉しそうにそう言って和成の肩を叩いた。
和成はすげー嫌そうな顔をしてうなだれている。
不憫だ……
そんな訳で、馨と和成は同室でルームメイトだから、自分達の部屋へと荷物を運んでもらう手配は既に済んでいるようだ。
「これから、ウキウキ、ドッキドキの同居生活の始まりだねっ!」
そう嬉々とした声で言う馨の瞳はキラキラと輝いている。
そんな中で運搬業者の人たちと見られるツナギを着た人達は黙々と、指定された荷物を部屋へと運ぶ作業をしていた。
俺が、ボードがある場所へ行き、部屋番号を確認しようとした時に、騒がしい声が大広間まで響いてきた。
「真澄のバッカヤロオォーーッ! 俺の荷物、全部勝手に捨てただとーーーッ!!!」
その声はすごく、聞き覚えのある声だった。
龍之介の怒鳴り声が劈く(つんざく)ように響いて、バタバタとこちら側に向かってくる足音が聞こえた。
龍之介が前も見ずに全速力で、長い廊下を駆け抜けてきたせいで、荷物を積んだ台車を押していた、運送業者の人たちと正面からぶつかって、その勢いで龍之介が跳ね返されて、仰向けにひっくり返った。
運搬業者の人が慌てて助け起こそうとしていたが、龍之介はその手を取らずにひっくり返ったままで小さい子供がするように手足をバタバタと暴れさせて、やり場のない怒りをどうにかして発散しようと、ごろごろ転がったりしていた。
大広間と廊下の出入りをする、ど真ん中でやられると、非常に迷惑極まる。
バタバタともう一人、大広間に続いている廊下を駆け抜けて、こちらに向かってくる足音が聞こえて、倒れている龍之介の下に黒髪の生徒がやってきた。
真澄の野郎だ。
駆け付けてきた真澄は、廊下で寝転びながら、バタバタと手足を暴れさせている、龍之介を見下ろして、呆れ果てた顔で額に手を宛てた。
「龍之介君! 君は学校に何しに来ているんだ!」
真澄がそう言ってため息をついた。
「真澄には、関係ないだろ!俺の荷物返せよッ!」
龍之介は憤慨やるかたないといった風に逆キレ気味に言い返した。
「だいたい、君の荷物ときたら、ゲームと玩具しか入っていなかったじゃないか!」
「別にいいだろ! 大切なものを優先的に入れていったらそうなったんだから!」
「そういう場合は普通、日常生活や勉学に必要なものを入れるべきだろう?」
「いいから返せよ! 新型のゲーム機なんか今年のお年玉全部つぎ込んでやっと買ったんだぞおおぉぉっ!」
真澄と龍之介が廊下の真ん中でそんな言い合いをし始めて、通り道をふさがれた、運搬業者の人達が困ったような顔をしていた。
俺はとりあえず、言い合いする二人は無視して自分の寮室が何号室なのか確認することにした。
俺の寮室番号は、44号室か。
なんだかとてつもなく不吉な数字だ。
普通は4がある部屋番号抜いて数えられる物だがこの学園ではどうやら違うらしい。
で、同室のルームメイトの名前は……
佐藤博文(サトウ ヒロフミ)
と書いてあった。
兄貴の舎弟の片割れじゃないか!
ダークブラウンの特徴の無い普通っぽい短めの髪型に普通っぽい顔をしたヤツだ。
まあ、悪くない無難なルームメイトだろう。
兄貴の部屋番号も確認して、連れて行ってやらねばならんので俺はホワイトボードを確認してみる。
兄貴の部屋は39号室。
で同室のヤツの名前は……
鈴木裕二(スズキ ユウジ)
兄貴の舎弟2号じゃないか!
明るい茶髪にツンツンしたいがぐり頭に糸目のヤツだ。
兄貴は、舎弟2号と同室か。
これは考えようによってはついてるかもしれないな。
アイツなら喜んで兄貴の身の回りの世話をしてくれそうだ。
そういえば、42号室が馨と和成の部屋だったよな。
近いな……もろに隣り合わせじゃなくて良かったけど。
「あ、僕達の部屋の隣、小林君と天上院君だね!」
馨がホワイトボードを見直していて、そんなことを言い出した。
俺は嫌な予感がしてバクバクする胸を押さえて、恐る恐る、ホワイトボードに書かれた部屋番号を確認してみる。
―――43号室
小林 龍之介
天上院 真澄
と書かれていた。
俺は、愕然とした顔で固まってから、その場に膝を付いて頭を抱えた。
平穏無事に学園生活を送るというささやかな望みは、もう完全に閉ざされたも同然だった。
馨の隣で落ち込んでいた和成が、そんな俺の肩をぽんと叩いて慰めてくれた。
和成なんか馨と同室だもんな……ああ見えて腕力は馨の方に分があるみたいだし、これから、いろいろ大変だろう。
もちろん、性的な意味でな。
……だって、相手はガチホモだしな。
自分より不幸な人間を見ると人は安心するもので、俺はほんの少しだけ気が楽になって立ち上がった。
兄貴と同室じゃなかっただけでも、ありがたいと思えば俺はまだマシなほうだ。
いや、マシどころか、絶対良いに決まってる!
それはそれとして、兄貴がやけにさっきから大人しいと思っていたら、いつのまにか姿が見えない。
何処に行ったんだ?!
まずい、あいつを一人きりで野放しにしたら何をしでかすか解らない!
ど、何処に行ったんだ?!
俺は大広間を見回して兄貴の姿を探す。
あれ? 大広間に姿が見当たらない?
「……兄貴が何処に行ったか知らないか?」
俺は、すぐ隣に立つ和成に聞いてみたが、首を横に振られた。
知らないか……
「牛山君なら、さっき大広間に入ってこようとしてた佐藤君の肩を掴んで引きずって、玄関口に続いてる廊下のほうに行くのを見かけたよ!」
なんだってえええぇぇっ!!!
まずい! 佐藤の命が危ない!!!
俺は馨が言った台詞を聞くなり、玄関口に続く廊下へと猛ダッシュで駆け出して兄貴がいるところへと向かう。
頼む! 間に合ってくれえぇーーーっ!!!
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