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翼と礼二の過去【前編】

     部屋を変わったということも、佐藤が先生に伝えたし、兄貴は眠りこけたままだし、そろそろ、自分達の寮室へ行こうかと思う。  あの後、すぐに、それぞれの部屋に荷物を運び込むように頼んで、運送業者の人達が次々と台車に荷物を手際よく積んで、指定された部屋へと向かうのを見ながら、翼はそう思っていた。  ここにいるメンバー達の部屋割りを統合するとこうだ。  俺と兄貴の部屋は、44号室。  龍之介と真澄が43号室。  馨と和成が42号室。  で、佐藤は兄貴と変わって鈴木と同室になったそうだ。  佐藤と鈴木が39号室。  こうやって部屋分けを見直してみると、なんやかんやで係わり合いを持ち、知り合ったやつらの寮室ばかりがうまい具合に、密集しているなぁ。  と、改めて思った  佐藤でさえ、結局は馨たちの部屋の三つとなりだ。  結構、近い。 「それじゃ、兄貴を安静にさせておいたほうがいいだろうし、そろそろ、部屋に行こうと思うんだが……」  翼がそう言い出したのを聞いて、ボード前に集まった、顔見知りメンバー全員が頷いた。 「それじゃ、そろそろ、馨、いきまーーす!」  と兄貴を背負った馨が俺達の部屋がある方角の廊下へと早足で歩き出した。 「……おいおい、病人背負ってるってこと忘れるな。負担をかけないように、ゆっくりいけ、ゆっくり」  と和成が呆れ顔で馨のあとに続いた。   「あいよっ! ゆっくりしていってねっ! つか、いきまっす!」  和成にそう注意された馨が、ゆっくりとスピードを下げて進んでいった。  そんな彼らをみてやれやれとため息をついた真澄も龍之介の肩を抱いて、歩き出した。 「やれやれ、なにがあったか知らないが、相変わらず騒がしいやつらだ」    とそう、皮肉ったことを言う真澄を龍之介が咎めるようなことを言い返す。 「翼の兄ちゃんが倒れたらしいんだからしかたねーだろっ! お前はそういう、癪に障るような、言い方しかいちいちできねーのか」 「僕は……龍之介君以外の他人がどうなろうがどうだっていいだけさ」 「……お前、いつか夜道で刺されるぞ」 「はは、肝に銘じておくよ」  そんな会話をしながら自分達の部屋へと向かった。  前を歩く四人よりかやや遅れて後ろに続いて廊下を佐藤と翼が進んでいった。  特に会話をすることもなく、それぞれの部屋につくまでの廊下を進んでいく。  しばらくして、佐藤の寮室である39号室にたどり着いた。       「佐藤、今日は、本当に、いろいろ世話になったな。有難う」  翼は、佐藤に改めてそう礼を言って頭を下げてから握手を求め、手を差し出した。  佐藤は、その差し出された手を、笑顔で握り返した。 「いえ、それじゃ、翼君。これから大変だろうけど、頑張ってね」  と言って翼の背中を軽く叩いて元気つける。  やっぱり、佐藤は、すごく親切でいいやつだ……翼はそんなことを思う。  しかし、そんな翼を見て、佐藤は内心ほくそえんでいた。  礼二の体に散らばった、キスマークに気付いた翼が、どういった行動にでるのか。  胸の高鳴りが収まらずにいた。  これからしばらくは、退屈しない日々が送れそうだということに、気分が妙に昂ぶっていた。 「それじゃ、この制服は、僕が手洗いしたあとでクリーニングに出しておくから」 「なにからなにまで本当にすまないな……」     「いえ、気にしないでください。自分が好きでやってることですから」  本当に、好きでやっているのだ。  精液塗れの制服を翼に渡して処理をさせるなどすれば、自分が礼二にした行為がすぐに、ばれてしまう。  それじゃあ、面白くないからね。  佐藤はそんなことを思いながら、笑顔で右手を左右にふった。 「それじゃ、礼二様にお大事にって伝えといてくださいね」  そう言って39号室のドアノブを回して扉を開けて中へと入っていく。 「それじゃ、また、明日」  翼にそう言って、笑いかけてからドアを閉めた。  部屋に戻ると一足先に帰ってきていた鈴木が、ダンボールを開けて室内の整理をしていた。 「お、おかえりなさいっス! 風呂、沸いてるっすよ!」  佐藤は、鈴木に礼を言って頷くと、拭き清めはしたもののべたつく体を洗い流すために浴室へと向かった。  39号室の扉の向こうに、佐藤が消えるまでを、見届けた翼は自分達の部屋である44号室へと向かい、駆け出していった。        44号室の前に礼二をおぶさった馨と和成が先にたどり着いて、翼が到着するのを待っていた。  龍之介と真澄は44号室より手前の43号室の自分達の寮室の前に立っていた。  44号室に向かうのに通りかかった翼に龍之介が声をかける。 「翼の兄ちゃんはやく良くなるといいな! なにか、困ったことがあったら気軽に声掛けてくれよなっ! 部屋隣同士だし、改めてこれからよろしくな!」  屈託の無い笑顔で龍之介がそう言ってくれるのを見て、翼も微かに笑みを浮かべて頷いた。 「龍之介。兄貴がガラスを叩き割った件で、迷惑かけてすまなかった。それから有難う」  龍之介が職員室前をたまたま通りかかって、校長とG組担任の西野の会話を聞かなければ、礼二は生活指導室送りになって入学したばかりですぐに停学処分を受けたかもしれないのだ。  龍之介が、真澄にそうならないように頼み込んでくれたという話だ。  癪に障るけど、真澄にも助けられたのは事実である。  翼は恐々と真澄にも頭を下げて礼の言葉を述べる。 「……天上院も、いろいろ迷惑かけてすまなかった」  そう翼に謝罪されて、真澄はふっと笑みを浮かべると首を横に振った。 「僕は、特に君に何かしてあげたつもりは本当はない。 龍之介君の望みを叶えただけで別に翼君の為にしたわけじゃない」  といって翼に顔を上げるように手振りでジェスチャーして促した。 「それから、僕のことも、龍之介君と同じように名前で呼んでくれて構わないよ」  とそう真澄が翼に微笑を浮かべながら言うのをすぐ傍で見聞きしていた龍之介が、驚愕の表情を浮かべて固まっていた。 「真澄が俺以外の他人に優しく笑いかけて、ましてや親切にするなんて……もう、だめだ、明日、世界は滅亡するに違いない……」  と呟いた。    それを聞いた真澄が柔らかい微笑を浮かべていた表情から一転、口端をヒクヒクと引きつらせた怖い笑顔で龍之介の耳を掴んで、引っ張った。 「君は、相変わらず学習能力が著しく不足しているようだね、龍之介君」 「痛て痛て痛てーーッ! 離せえぇっ!!!」 「クククククッ! 今夜は寝かせないから覚悟するといい……」 「うっせー! しねよ、ばかぁぁぁぁっ!!!」  真澄が龍之介の耳をグイグイ引っ張りながら空いている方の手で自分達の寮室のドアノブを掴み、回してドアを開いた。 「それじゃあ、翼君、また明日」  真澄がそう言って挨拶に軽く手を上げてから、43号室のドアがゆっくりと閉まって二人の姿が見えなくなった。  翼は手を上げて真澄の挨拶に答えて、頷いたままの状態で固まって唖然とした面持ちで見届ける。 「龍之介のやつ、大丈夫なのか……?」  龍之介の身が心配になったが、どうすることも出来ないので考えないようにすることにした。  あの真澄に恐れずにしねと言い返せる龍之介のことだから、きっと大丈夫だろうと思い、隣の44号室のドアの前にいる馨と和成の元へと向かった。  翼がこちらに向かってくるのを確認してから、馨は背負っていた礼二を一旦下ろして、両足の膝裏に腕を通し、姫抱きにする形で再び抱えあげた。 「礼二君、このままベットに寝かせてやればいいんだよね? とりあえず部屋まで運ばせてもらうよ」  自分達の寮室の前にまでたどり着いた翼は馨の言うことに、頷いて、ドアを開いて自室へと招き入れた。  先に室内へと礼二を抱えた馨が靴を脱いで上がり、その後を和成と翼も続いた。  礼二を寝室にまで運び、真新しいシーツがしかれたベットへとそっと横たえて寝かせると、掛け布団を引き上げて、ぽんぽんっと叩いて整える。 「馨、和成。 有難う……今日は本当、いろいろ、迷惑かけて、何て言ったらいいか……」  翼は、申し訳ない気持ちに半分泣きそうになりながら、馨と和成に途切れ途切れに礼を言って頭を下げる。  馨はにこにこと笑顔でそんな彼の頭を撫でた。 「別に迷惑なんてかけられてないから、なーんにも気にする必要なんてないんだよ?」  と幼い子供をあやすときのような声色で翼を安心させるように言った。 「……美空はいちいち、気にし過ぎだ。 何かあればいつでも、馨をこき使ってやればいい」  和成も相変わらず無愛想ではあるがそういって翼の肩を叩いて元気付けようとしてくれる。  思えば、こんなに人に親切にされたことはいままでなかった。     翼は今まで、一人きりでずっと頑張ってきたのだ。  精神病を患い、手のかかる兄にばかり、かまけきりの父や母に、ないがしろにされてきたこと。  その兄が原因で、いじめにあっていたこと。  我慢の限界がきて、翼が礼二を罵倒した際に起きた事件のせいで、母に言われた言葉が今でも耳を離れないでいる。  礼二が自殺しかけたあの事件の後で、母が聞こえるか聞こえないかのようなか細い声でぶつぶつと何か言っていた。 『……しねばよかったのに』  幼い翼には、たしかに、そう、聞こえた。  それは、今にして思えば、母親の唇から、零れた、本心だったのかもしれない。  自分から自由を奪う、その存在が、母はきっと疎ましかったに違いない。  母もこの頃から、何かおかしかった。  酒びたりになり、ギャンブルに走りブランド物の服やバックを買いあさるようになって、家に帰らないことも少なくなかった。  自分を束縛する存在から、逃避したかったんだろう。  精神を病んだ息子のせいで自らもいつしか、精神を病み、爪の間が血に染まり、真っ赤になるほど、頭をかきむしり、髪を引き抜き始めた母を見て、俺は、いつかは自分もこうなるんじゃないかって、兄が怖くなって、以前よりか兄と距離を置くようになったんだ。  そんな、辛かった幼少時代の記憶が甦り、大粒の涙が溢れて零れ落ちるのを止められなかった。  堪えきれずに、溢れた涙が床へとぼたぼたと零れ落ち小さな水溜りを作った。  堰を切ったように溢れる涙を、翼は服の袖でごしごしと拭いて顔をあげる。  急に泣き出してしまった翼に、ややうろたえ気味の馨と、無愛想な中に心配げな色を含んだ表情をした和成が、涙で霞む視界の向こうに見える。 「翼君、大丈夫かい?」  馨にそう心配げに聞かれて、翼はこくりと頷いた。 「……わ、悪い、急に泣き出したりして、見苦しいところ見せた」  翼にそう言われて謝られた馨は、ぶんぶん左右に首を振ってそれを慌てて否定した。 「ぜんぜん、そんなことない、寧ろ、かわいかっ「どさくさにまぎれてなにくどいてんだ馬鹿野郎!」  馨の台詞を途中で遮り、和成のツッコミが入って、頭をグーで殴られた馨が頭を摩りながら、涙目になった。 「そんなに妬かなくっても、僕は和成君一筋なんだから心配しなくても良いのにっ!」 「……だまれバカオルがっ!」  相変わらずそんな夫婦漫才をする二人をみて、翼は微かに笑うと手を差し出した。 「今日は本当に有難う。これからも、その、よろしく頼む……」  握手を求めて差し出された翼の手を馨と和成が順番に握り返して頷いた。      「こちらこそ、よろしくねーーっ!」 「……ああ、よろしくな」  満面の笑顔で翼の肩を軽く叩いてそう言う、馨のやや後ろで、和成が無愛想な中に微かに笑みを浮かべていた。  こいつらは、本当にいいやつらだ……  ちょっと、いや、かなり(とくに馨)おかしなやつらだけど……  二人の前で泣いてしまったのが、照れくさくて顔が熱くなるのを感じる。  翼はそう思いながら、涙の跡をごしごしとさらに服の袖で拭いた。 「これ以上は迷惑になるといけないし、それじゃあ、そろそろ、僕らも引き上げるとしますかっ」  馨がそう言うのを聞いて和成は頷くと、翼に軽く手を振ってから玄関へ向かう。  その後をぶんぶんと大げさに手を振りながら 「じゃあ、翼君、礼二君にお大事にって伝えておいてねっ! それじゃ、また、明日」  と言って馨も44号室から慌しく退室していった。  騒がしかった室内がシン……と静まり返り、途端に寂しげな空気に彩られる。  翼は、ダンボールに詰められた荷物が置かれていて乱雑とした室内を見渡して、部屋を整理し始めるのは、とりあえず明日からにしようと思い持ち帰ってきた兄の学生鞄を開けて彼の携帯電話を取り出して、父親に電話をかける。  翼が、小学校低学年の頃に両親が離婚した際に分かれたきりで父親とコンタクトをとるのは随分と久しぶりだった。  コール音が七回ほどなってから電話口に相手が出る。 『礼二か? お前から電話してくるなんて珍しいな……』  久しぶりに聞いた父の声は翼が幼い時に聞いた声よりか、少しだけ年老いているような疲れているような感じがした。  登録している番号を見て、礼二からの電話だと思っているのだろう。  翼は、少しだけ躊躇いつつも、口を開く。 『親父、俺だ。翼』  礼二からかかってきたと思っていた父親はちょっと驚いたような声をあげてから、ぎこちなく話をしようとした。 『久しぶりだな……元気でやっているのか?』  と聞かれて翼は見えない相手に頷いて答えた。 『ああ。俺のほうなら何とかやっていけてるから心配いらない』 『そうか、なら、良かった……で、翼、お前が何で礼二の携帯から私に電話をかけてきたんだ?』 そう聞かれて、今日入学した学園で兄と再会したことを父親に報告する。    『なっ! 本当か、それ!!!』  驚愕して声を荒げ、さらなる詳しい事情を聞こうと焦りながら父親を問い詰める。 『あ、ああ。 二年前、夜中に目を覚ましたら、電気コードを首にかけようとした状態で礼二が私の腹の上に跨がっていてな……』 『そんな、まさか……!』  あまりの事に言葉を詰まらせる 『父さんも出来る事なら信じたくはなかったが、確かに首にコードをかけられて本気で締められたんだ。 父さんのが腕力あるし、半分起きてたから礼二をとっさに押さえ込んで、大事には至らなかったんだが……』 『…………』  翼はあまりのことに頭の中が真っ白になり、言葉を失った。  兄貴が、父さんを本気で殺そうとしただなんて……!  いまだ穏やかな寝息をたててベッドで眠り続けている兄の顔を見やる。  あどけなさを残した安らかな寝顔をしている。  実の父親をその手にかけようとしたとは、とても思えない。  翼は、額に手を宛ててショックにぐらつきそうになる体を奮い立たせて、なんとか兄が眠るベットへと腰を下ろして座り、汗ばむ手の平で携帯電話を握りなおして、心を落ち着けようと大きく息を吐きだした。     胸が苦しくなって吐き気がするのを押さえてなんとか、父親に返事をする。 『……そうか、そんなことがあったのか』  やっとの思いでそんな言葉を口にした。  思えば兄と別れたあの日に残されていた置き手紙の内容がいつかはこうなることを、予告していた。  あの手紙を受け取り、内容を知っていたのは翼だけだった。  こうなる前に兄を止めることが出来たのは自分しかいなかったのに、怖くて、自分から会いに行くことせずに放置していたことを本気で悔やんだ。  俺が、なんとかしようと、兄から目をそむけずに向き合っていれば、ここまで酷い状況にはならなかったかもしれない。  兄が、昔よりもさらに、狂ってしまった責任はきっと自分にもある。  俺が兄と向き合ってちゃんと接触していれば、ここまで、おかしくはならなかったかもしれない。  兄がこんなにまで思いつめて狂ってしまった原因は、自分だと言うことがわかるからこそ、余計に胸が痛んだ。  けど、でも、それでも、俺は、兄貴の気持ちに応えられない――  兄弟でましてや男同士だ。  どう考えても、それは普通じゃない。       『それで、父さんこのままじゃ、礼二がいつか本当に取り返しのつかないことをしでかすんじゃないかと思って、精神科へ礼二をそのまま連れ込んで、お医者様に見て頂いたんだが……かなり酷くてな……。  日常生活を一人でやっていくのは非常に困難な状態だと、そう診断を受けて入院させることになったんだ……』  実の息子に殺されかけた、父親の気持ちを考えて、余計に苦しくなった。  翼は震える手でなんとか携帯を耳に宛てて父親の話を聞いていた。  胸が詰まって上手く息ができない。 『それで、二年間、隔離病棟に閉じ込めて、様子をみることになったんだ。  入院した後の礼二は二年間、得に何も問題を起こさずに、しっかりとした生活を送っていたらしい。  何回か父さんも、面会にいったんだが、落ち着いていて、受け答えもしっかりしていた』  そうか……それで問題がないと診断されて、退院してきたのか。 『礼二が退院してきて、しばらくは父さんと二人で生活していた。  けどな、父さん礼二が帰ってきてから、夜寝付けなくなってな……  情け無い話なんだが、父さん、礼二が怖くてしかたないんだ……』  それを、聞いた翼は、手にした携帯をぎゅっと握り締めた。   

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