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花見〜新任歓迎会〜【3】
風情のある美しい光景を眺めて、楽しむ手塚の傍らで、桜の花等そっちのけで、ビールをかっくらい、すでに出来上がっている和彦に、酒を勧められて弱り顔の西野を翼は何の気無しに見ていた。
が、ふとある異変に気が付いた。
和彦の勧めを断り、西野が手にしたノンアルコールのビール缶にふと視線をやる。
缶の底をよくみてみると、ぼこぼこにへこんで一部が変形していた。
さっき西野がばら撒いて、地べたに落として転がした、缶ではなかろうかと。
……ノンアルコールとはいえ炭酸が入っているせいか、缶がほんの少し膨らんで膨張しているように見えた。
さっき缶を落とした衝撃で中身が大変なことになっているにちがいないと気付いた翼は、西野がプルトップに手をかけてその缶をあけようとしているのを慌てて止めた。
「西野先生っ! その缶は開けたらダメです……!」
「え……?」
翼に注意を促され、手を止めるも少しあけてしまった後で既に手遅れだった。
さらに、缶を向けていた方向が悪かった。
アルコール入りの酒を勧めようと西野の前に座っていた、和彦の顔面へと噴水のようにビールが降り掛かる。
頭からノンアルコールのビールを浴びせかけられた和彦が固まった。
「ああああああああああっ!すみませ……」
「くうぅたろぅおおぉーーっ!!!」
西野が謝罪の言葉を言い切る前にぶちきれた和彦が大声で叫んだ。
「おめー、俺になんか恨みでもあんのか、この野郎!!!」
「わあああぁっ! すみませんすみませんすみませんっ!」
西野の胸倉に掴みかかった和彦の肩に手を置いて手塚がそれを止めた。
「悪気があってやったわけじゃないんですから、許しておあげなさい」
と淡々と言い放つ手塚に、さらに腹を立てた和彦が不機嫌な顔をした。
「悪気がねえからよけいタチがわりーんじゃねぇかっ!」
「そりゃそうですけど、西野先生の新任歓迎会も兼ねた花見なんですから、大目に見て差し上げたらどうですか?」
手塚にそう諭されて、和彦は渋々と怒りの矛を納めた。
当初の目的を半分忘れかけていたが思い出したようだ。
「ほんとに、もう自分はどうしてこう失敗ばかり……」
西野は自身がやらかしてしまった失態を悔やんで本気で落ち込んでしまった。
彼の新任歓迎会も兼ねた花見なのだが、歓迎されるべき主賓がめそめそと泣きながら後悔の念にさいなまれ落ち込んでいるという。
和彦もそんな西野を見て、さすがに言い過ぎたと思ったのか、彼の背中をばんばんと叩いて気合を入れようとした。
「あー、もういいから、なくなっ!」
和彦にそう言われて西野がうなだれていた顔を上げた。
眼前にいる和彦は、頭からしとどにビールを被ったせいか、乱れた髪が首筋や額に張り付いて、さらには結構な量のアルコールを摂取していたせいか、頬が薄紅色に染まり、妙な色気がでていて目のやり場に困る。
和彦は酒びたしで胸元に貼り付いた黒シャツと白衣を指先で引っ張ってぱたぱたと風を送り込んで乾かそうとしているようだが、春のそよ風程度では乾きそうにない。
べたつく肌に衣服が貼り付く不快感に和彦は眉をしかめると徐に白衣と上着を脱ぎだした。
脱いで上半身が露な状態で座りなおして、西野に向かって手を差し出した。
「おめーが着てるスーツの上着貸せ」
と西野のスーツの袖端を掴んで言い出した和彦の言葉を聞いて西野は慌てて上着を脱ぐと和彦に手渡した。
和彦は手渡された西野の上着を軽く羽織ると、さっき脱いだばかりの白衣の胸ポケットにいつも常備されている煙草を取り出した。
煙草と一緒に取り出したライターで火をつけ、一服して、一息ついた。
「ふう……おめー、明日っからこんな調子で大丈夫なのか?」 と和彦に改めて心配されて聞かれて、西野は涙目になりながらも、頷いて答えた。
「せ、精一杯、頑張り、ます……!」
そう意気込んで答える西野を隣で見ていた翼は、多分、あのクラスを西野が一人で纏めるのは無理だろうと思った。
ただでさえ、変わり者だらけのあのクラスである。
何か行動をすれば、失敗ばかりが付き纏う西野にはかなり、荷が重過ぎる。
「まあ、何かお困りの時は、隣が俺のクラスですから、力になれそうなことがあれば言ってください」
と手塚が言いながら、彼も一服しようと、煙草を取り出して口に咥えた。
それを聞いていた翼は、そういえば隣のF組が手塚先生のクラスか!
と思い、明日からの不安を取り除く、一筋の光が見えた気がした。
西野先生が使えないときは、手塚先生に頼ることを視野に入れておかなければならないとそう考えた。
翼がそんなことを考えてる間に、手塚はほろ酔い状態で西野から借りた上着を軽く羽織っただけで、胸元や鎖骨や腹筋が露で、全開の状態である意味”いかがわしい格好”の和彦へとにじり寄り、彼の煙草から火を移して貰うために至近距離に顔を近づける。
「相変わらず、ライターもってねえのか」
和彦がそうぼやきながらも手塚に顔を寄せて火を分けてやり、二人して煙草を吸いはじめた。
和彦の隣に座っていて風下側にいる西野はごほごほとまたむせて涙目になる。
翼はそれを見て彼の腕を取り、煙が流れてこない場所へと移動させる。
「す、すみません」
西野がそう謝りつつ、スラックスのポケットから取り出したハンカチで涙を拭いため息を付いた。
煙が流れてこない風上側へと西野をつれて移動して座りなおした翼は、煙草の火を分けて貰ってからも、なぜか一向に保健医に密着した状態のまま離れようとしない手塚を見て、首を傾げた。
和彦の肩に手を置いて、腰に手を回した状態で密着している状態は、傍から見れば抱きしめていると変わらないように見える。
さらに腰に回された手が引き締まった腹部や白い肌の感触を確かめるようにやわやわと蠢いている。
これは……明らかに、セクハラされている状態なのではなかろうか?
と翼は思い、和彦を見やるが、うっとうしそうな不機嫌な表情をしているものの、それをどうにかしようと振り払う気もないようだった。
こういった状態で手塚に、撫で回されたり、密着されたりすることに既に慣れきってしまった、彼にとっては日常茶飯事的なことになりつつあるようだ。
ここまでされているのに保健医には、全くといって危機感がない。
こういうことに鈍感なのか、男に興味がないゆえ自分がそういった対象として見られていると全く気がついていないのか、保健医自身が強い不快感を抱き、セクハラだという認識をしていないからには、コレはセクハラに該当はしていない。
単なるスキンシップだ。
こういう性的なことは非常にデリケートかつ曖昧な定義がされており、された側が不快を感じ、自分が被害を受けた、と言う認識かつ自覚がなければ事件にすらならないのだ。
そう正常な人間であれば自分がされたことに対してどう感じたのか、不快だったか、自分の意思とは関係なく相手に行為を強要されて、自分は被害を受けたか、などを自分で考えて発言することにより、事件にすることが出来る。
だが、被害を受けた側がソレと認識できない、精神的弱者だった場合はどうなるのだろうか?
翼は手塚が和彦にセクハラまがいのスキンシップをしているのを見て、顎に手を宛ててそこまで思案した。
翼が険しい表情をして考え込んでいるのを見ていた西野が、自分がふがいないせいで翼を不機嫌にしてしまったのではないかと加害妄想気味に考えて、なにはなくとも謝りだしたので、翼は我に返り、謝るのをやめるように手振りで促し、顔を上げさせた。
「西野先生がどうとかいうんで怖い顔してたとかではないんで、気にしないで下さい」
と翼に言われて、西野は、ほっとしたような顔をした。
「本当に美空君には今日だけで、随分と迷惑をかけすぎてしまって、なんてお詫びしたらいいか解らないくらいなんですけど……」
珍しく西野が自分から語りだしたので翼は黙って耳を傾けることにした。
「自分なんかじゃ、まだまだ半人前以下で、頼りないかもしれませんが、本当に美空君が困ってるときに力になれるように、精一杯頑張ろうと思います」
西野が、そう言うのを聞いて、翼は、ふっと妙に大人びたような顔をして微笑を浮かべた。
ドジばかりで頼りない西野だが、生徒の為に親身になって一生懸命、力になろうという気持ちは人一倍強く持っているのだろう。
頼りない瞳の奥に見える微かな光は澄んでいて、よどみがないように見えた。
礼二が停学処分になる所を、今回ばかりは自分にも責任がある為、見逃して欲しいと校長に頼んで停学処分を取り下げさせたのは西野だ。
その事実だけでも、充分過ぎるくらい力になってくれている。
「いざという時は、よろしくお願いします」
翼が微笑を浮かべながらそう言って、西野の方へと手を差し出した。
西野は握手を求められているのだと気が付いて慌てて翼の手を握ってそれに答えた。
「は、はい! 自分なりに、精一杯頑張ります……!」
相変わらず一生徒に対して低姿勢過ぎるきらいがあるので、生徒達に舐められやしないかと多少、心配になりながら、翼も西野が困っている時は、なるべく手を貸してやり力になってやろうと思った。
翼と西野がそんなやり取りをしている間にも手塚のスキンシップはエスカレートしていき、いつの間にか、和彦は西野に借りたスーツの上着の右肩部分を引き下げられ、上半身がほぼ剥き出しの状態にまでされていた。
ここまでされればいい加減気付きそうなものだが、和彦は不機嫌そうな顔をするものの、それをどうにかしようという気はないようだった。
自分が見ている眼前で繰り広げられる度を過ぎたスキンシップに、翼はつい、思っていた事を直接、手塚に聞いてしまう。
「あの……手塚先生のそれは、セクハラじゃないんですか?」
翼に唐突にそうぶっちゃけて聞かれた手塚の手の動きが止まった。
が、すぐに我に返り、手塚は翼の唐突な質問に真顔で応じた。
「セクハラ? なにそれ美味しいの?」
返ってきた答えはおおよそ手塚がいいそうもない、茶目っ気溢れる返答で、翼は呆気に取られて固まってしまう。
「……と言うのは冗談で、これは単なるスキンシップでセクハラではありません」
ちゃんとした答えをいいながらも、スキンシップをする手の動きを再開した手塚に相変わらず嫌そうな顔をしつつ、和彦はされるがままでいた。
「和彦先生って抱き心地がいいんでつい……」
といいながらそこかしこを撫で回す手塚をうっとうしげに見遣りながら和彦がやっと口を開いた。
「おりゃー、敦の抱き枕かっ!」
和彦の言葉の突っ込みと共に鋭い手刀が手塚の脳天目掛けて繰り出された。
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