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花見〜新任歓迎会〜【4】

     手塚は自身に振り下ろされた手刀を、白羽取りで受け止めるとそのまま、両手で和彦の手を包むようにして握り込んだ。 「とっ、危ないですよ。 煙草の火が落ちたら火傷しちゃいますよ」 「っあーくそ! 毎回毎回、突っ込みガードするんじゃねぇよ!」  繰り出した突っ込みを、手塚に難なくガードされて、腹をたてる和彦が言う台詞を聞いて、手塚は人差し指で少しずり落ちた眼鏡を押し上げて、クッと直すお決まりの仕草をして、微笑を浮かべた。 「俺は、突っ込むのはいいんですけど、突っ込まれるのだけは勘弁ですからね」 「俺に完全なボケに徹しろといいやがるか!」  和彦がそういいながら、頬を膨らませて、さらに不機嫌そうな顔になりプリプリと怒って返すのを見て、手塚は苦笑した。  和彦には手塚が言う台詞に含まれた意味を全く理解できていないようだ。  ここまで鈍いのもいまどき珍しいのではなかろうか?  翼もさっきから保健医と手塚、二人のやりとりを見ていて、ひとつだけわかったことがある。  多分、手塚先生は保健医に気があるんじゃないかということだ。  さっきから、なにかにつけてべたべたとスキンシップしているのも、鈍すぎる保健医がまったく気がつかないせいで、どんどんエスカレートしているのではないかと。 「それにしても、頭からノンアルコールとはいえビール被ってますから大分、髪がべたついてきていますよ」  手塚はそう言って和彦の頭に手を置いて、細い猫っ毛の本来であればさらさらとしているはずの髪を梳くように撫でた。 「ああ? 嫌なら離れりゃいいだろ、 おめーまで酒臭くなんぞ」 「それは別に構わないのですけど、もう結構いい時間ですし、そろそろお開きにしましょう」  手塚がそう言い出したのを聞いて翼は時計代わりにしている自分の携帯の液晶を見て時間を確認してみる。  ――PM:8:45  やばい、もう消灯時間がせまってるじゃねーか!  翼がそう思って慌てて立ち上がろうとしたのを和彦に引き止められる。 「ちょっと待て! せめてくーちゃんの新任祝いの乾杯だけでもおめーもしてからいけ」  そういわれて手招きされたので、飲み途中のカクテルの缶を手に和彦と手塚の下へと向かう。 「西野先生、その缶を持ってこっちきてください」  西野はぼんやりと桜の古木を見上げていたが、手塚にそう促されて状況が飲み込めないまま自分以外の三人がいる場所へいき、正座で座りなおした。 「んじゃ、まあ、新米教師のこれからを祝して乾杯!」 「「「かんぱーい!」」」  互いに持った缶をカツンとあてて乾杯をしてから、缶に残っていたカクテルを飲み干した翼は帰り支度をし始める。 「それじゃ、そろそろ俺、寮に帰ります。 西野先生、明日からよろしくお願いします」 「は、はい、こちらこそ、よろしくお願いしますっ!」  翼がそう言って西野と挨拶を交わすと荷物を手に、立ち上がり、和彦と手塚に会釈をした。  消灯時間が迫っていたので、そうゆっくりもしていられない。 「すみません、遅くまで引き止めてしまって」  手塚にそういわれて翼は首を左右に振ってそれを否定した。  それなりに有意義な時間が過ごせたし、ゆっくりと花見をするのも楽しかったからいいのだ。 「いいえ、また機会があればご一緒させてください」  翼は社交辞令ではなく、そう返して、三人の教師に向かい軽く手を振ってから、寮館がある方角へと駆け出していった。 「おお、薄暗えから足元に気をつけてけえれよーー!」  去っていく、翼の背中に和彦がそう声を掛けて、大きく手を振って見送った。 □  満開の桜の古木の下に三人の教師達が残される。  自分達もそろそろお開きにしようと後片付けをし始める手塚を見て、慌てて西野もそれを手伝った。  和彦は頬に手を宛てて怠そうに短くなった煙草をふかしながらそれを何の気無しに眺める。 「それにしても、美空君はお年のわりに随分としっかりしておられますね」  手塚が後片付けを続けながらそう言うのを聞いて、和彦はそれに同意して頷いた。  兄の方が情緒不安定で危なっかしいと嫌でも弟の方がしっかりせざるをおえないのだろう。  和彦はそんな事を考えながら短くなった煙草の火を空になったビール缶に押し付けて消し、灰皿変わりにするとそれを手にしたまま立ち上がる。 「兄の方がアレだから大分無理してんだろうな」  和彦がそう言うのを聞いて片付けを済ませた西野が立ち上がると振り返って胸に手を置いて言った。 「美空君の力になれるように自分も、もっとしっかり出来るように明日から頑張ります……!」  そう意気込んでいう西野を見て、和彦は苦笑してベタつく頭をかきながら、気の抜けた言い回しで応援した。 「おー……ま、ぼちぼち、がんばれや」  根っからの天然ボケで何かすれば失敗ばかりの西野が明日から急にしっかりする等、到底無理な話だろう。 「片付けも済みましたし、俺達もそろそろ職員寮に帰りましょう」 「そ、そうですね。明日もありますし……」  手塚がそう言ってビニール袋に纏めたゴミを手にして立ち上がりつつ言うと、西野も頷いてそれに同意した。     「和彦先生。寮に戻ったら一緒にお風呂に入りましょう。背中お流ししますよ」  和彦は手塚にそう言われて肩を掴まれて見るからに嫌そうな顔をして断った。 「やだ……おめーいつもどさくさ紛れの嫌がらせで、変なとこ触ってきやがんだろ」 「男同士のただの裸の付き合いじゃありませんか」  そんな二人の会話を聞いていた西野はさっき手塚が和彦にしていた度が過ぎるスキンシップを思い出して耳まで顔を赤く染めた。 「そうだ、西野先生もご一緒にどうですか?」 「俺あ、やだっつってんだろー!」  手塚が和彦の肩をガッチリと掴んで、捕獲したままの状態で、振り返りそう言い出したのを聞いて、二人の背後をとぼとぼとついてきていた西野はハッとして顔を上げると、慌てて赤くなった顔をぶんぶんと左右に振りたくった。 「い、いえ! 自分は……!」  そう頭を振りたくって断る西野を見て手塚が、しゅんとした悲しげな表情になって俯いた。 「そうですか……折角、西野先生とも交流を深めたいと思っていたのですが非常に残念です」  手塚の整った美貌で悲しげな表情をされると余計に悲壮感がまして、とても悪い事をしているような気にさせられる。 「あう、す、すみません、でも、お二人の邪魔をしてはいけないと思いまして、そのぉ……!」  西野がしどろもどろになりながら、そうごにょごにょと言ってる最中、和彦が手塚に掴まれ、肩に置かれた腕をなんとかして振り解くと、脱兎のごとく逃げ出して先に行ってしまう。 「和彦先生!」  脱兎の如く逃げ出した和彦を追い掛けて、手塚も彼の名前を呼び止めながら、かなりのスピードで駆け出して行ってしまった。  西野一人がぽつんと取り残されて、唖然と電灯の下に佇む。  明日から、今日よりかしっかりして、もっとちゃんとして、生徒達の力になってあげられるように頑張らなくては……  そう思いながら、やけに大きく見える、青白い欠けた月が浮かぶ空を見上げた。  ふいに見上げた空に一筋の流れ星が駆ける。 「あっ……流れ星……」  空を駆ける流れ星は早過ぎて、願い事を三回言う事は叶わない。  流れ星を偶然見る事が出来たという嬉しさに、自らの顔が緩んでいるのがわかって慌てて、表情を引き締めた。  こつこつと毎日、努力を積み重ねる事でこんな自分でも少しづつ成長していける。  明日からの自分の頑張り次第で、きっと今より頼りがいのある自分になれるはずだ。  と一人、意気込み拳を握りしめて、職員寮へと向かい歩きはじめた。   □  教師三人と別れて、足早に寮館へと辿りついた翼は、玄関口を通り抜けて自室へと向かっていた。  寮館に辿りついた時には8時57分になっていて、門限の時間までにギリギリ間に合ってホッと胸を撫で下ろした。  若草学園は比較的校則が緩い所ではあるが未成年の深夜外出は禁止されており夜9時以降に外出する場合は教師の許可をへて同伴して貰わなければならないとされている。  他の校則が緩いかわりに、そういう部分はしっかりと尊守しなければ、重いペナルティーが課せられるようだ。  トイレ掃除一週間とかだ。  さすがにそれは嫌だった翼は生徒手帳にかかれた校則の部分を読んで、門限はしっかり守ろうと心に留めていた。  しかし学園生活一日目にして危うく、門限破りをしてしまいペナルティーを課せられるところだった。  ギリギリ間に合ってよかったと思いつつ自室へと辿りついた翼はポケットから鍵を取り出してドアを開き中へと入ってゆく。 「は~~ただいま」  翼は誰に言うでもなしにそう言って、靴を脱ぎっぱなしにすると、部屋に上がり込み台所にある食卓へと荷物を一度置きにゆき、すぐに寝室へと足早に向かった。  予想外に買い物に出ていた時間が長引いてしまった為、兄が途中で目を覚まして何かしらやらかしているのではないかと思っての事だ。  寝室へと辿りつき、ドアをそっと開き兄を寝かしつけたベットを見遣る。  兄は目を覚ます事はなかったようで、規則的にすやすやと寝息を立てて寝入ったままだった。  緩んで薄く開いた口端からよだれを垂らして、赤ん坊のように幼い表情で眠りについている。  翼はそれを見て苦笑するとベットのサイドボードに置かれた箱からティッシュを手に取り、礼二の口端を伝う唾液を拭ってやった。  兄の額にかかる前髪を手で掻き分けて額に手を置いて、熱がないか確かめる。  礼二の頬がうっすら赤くなっているのを見て、少し気になったのだ。  額に置いた手で確かめた彼の体温は多少、平熱よりか高めのような気もしたが、特に気にする程でもないようだ。  それだけ確かめてから翼は寝室を後にして、荷物を置きっぱなしにしている台所へと向かった。  買い込んできた品をより分けて冷蔵庫に入れて置かなければならないものを整理して入れて、明日の朝の準備をしなければならない。  台所へと辿りつくと荷物が入ったビニール袋を漁り、何も入っていなかったかわいそうな冷蔵庫の扉を開いて、卵やハム、牛乳等の精製食品の類を突っ込み、栄養ドリンクやゼリー飲料等の体力を消耗した礼二の為に買い込んできた品も入れて並べていく。  最後に冷凍食品を冷凍庫にぶち込んで、扉を閉めてから、一息つくと年寄りがするように肩をトントンと叩いて伸びをした。       食卓の上により分けて準備しておいたミネラルウォーターとスポーツドリンクのミディペットを両手に片方づつ掴むと翼は台所を後にした。  ミネラルウォーターは兄が痛み止めを飲む必要が出てきた場合に必要で、スポーツドリンクは真夜中に、喉が渇いた時に動けない礼二が、台所まで足を運ばずに済むように、用意しておこうと思って買ってきたものだ。  体調が悪い時に、キンキンに冷えた飲み物を飲むのもあまりよくないので、常温に置いておけば、ちょうどいい冷たさになるだろう。  薬を飲む時は、本当はミネラルウォーターよりか水道水のがいいようだが、弱ってる時に生水を飲んで腹を壊すかもしれない、と思ってあえてそれを選んだ。  兄が眠る寝室へと向かい、辿りつくとベッド脇にあるサイドボードの上に、両手に抱えてきたミネラルウォーターとスポーツドリンクのペットボトルを置いて、準備しておく。  すやすやと寝息を立てている、兄の寝顔を覗き込んで見てみると、目元に涙がじんわりと滲んでいた。  隣りのベッドは、未だシーツを取り替えてはいない。  ベッドメイクしなければ使用出来ない状態だ。  翼はベッド脇の椅子に腰かけると、手を握っていて欲しいとお願いしてきた兄の、不安げな表情を思い出して、彼の手を再び取り、両手で包み込んで握ってやった。  手を握ってやると礼二の表情は緩み、ホッとしたものへと変わる。  何か怖い夢でも見ていたのだろうか?  翼はそう思いながら、兄の手を握り締めたまましばらくの間、彼の様子を眺めていた。  幾分か時間が過ぎ――  不意にベッドのサイドボードに備えつけられた時計を見れば、深夜の23時に差し掛かる所だった。 「もうこんな時間か……ふあぁ、明日もあるし、俺もそろそろ寝ないとな」  誰に言うでもなく、翼はそう呟いて立ち上がると、ソファーにでも移動して眠ろうと、兄のベッドから離れようとした。  が、握ってやっていた手を兄に強い力で握り返されていて、それを引き止められた。  眠っているのに、強い力で手を握り返してくる、あどけない礼二の寝顔を見て、翼は苦笑するとやれやれとため息をついて兄が眠るベッドへと入り、兄の手を握ったままで彼の隣りに潜り込み、掛け布団を上げて整えた。  兄と二人で寄り添いあって、同じ布団で眠るなど、随分と久しぶりだった。  思えば今日一日だけでいろいろな事があった。  慌ただしく過ぎ去っていった一日がようやっと終わり、間もなく日付が変わる。 「兄貴、おやすみ」  翼は礼二の額に幼子にするようなキスを落とし瞼を閉じた。  願わくば、明日は平穏な一日でありますように。  そう願いつつ、疲れきった体を休める為に、深い眠りに落ちていった。  

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