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二日目の朝【前編】
小鳥の囀りにカーテンのスキマから差し込む日の光により、目を覚ました翼は上半身を起こして瞼を擦る。
「んーー……はぁ、昨夜は随分と良く眠れたな」
昨夜は疲れきっていて、特に夢も見ずに深く眠り込んだせいで、一回も覚醒することなく朝を迎えた。
ベッド脇に設置されたサイドボードにあるデジタル時計を見やると6時半を示していた。
――四月二日
学園生活二日目突入だ。
明日は土曜日で休みになるから残りの部屋の整理を終わらせて、やるべきことを全て片付けてからのんびり羽を伸ばそうと翼は考えていた。
翼はいまだ眠っている兄が、握り締めたままの右手を、そっと指を一本づつ伸ばして外させると、ベットを降りて、寝返りをせずにずっと同じ体制で寝ていたせいか、すっかり固まってしまった肩を、手の平で揉んで解してから伸びをした。
締め切ったままのカーテンを開けて、引き戸を開けると、桜の花びらがそよ風に煽られて、室内に舞い込んで来る。
ポカポカと温かい陽気に晴れ渡る青空。
空を彩る綿雲が、ゆっくりと流れてゆく。
満開の桜に澄み渡ったクリアブルーの空へと、そよ風に煽られ、舞い上がる桃色の花弁。
若草学園のそこかしこに植えられた桜の花が実を結ぶために咲き誇り、短い生を精一杯に謳歌している。
翼はその光景をぼんやりと眺めて、しばらくしてから室内へと一旦、戻り、脱衣所に向かった。
脱衣所にある洗濯機に洗いっぱなしにしておいてあるベットシーツと衣服類、洗面台に置かれた洗濯バサミを手に取り、水色のプラスチック製のカゴへと放り込んでいき、それを抱えてベランダへと戻った。
カゴに入れられたベッドシーツを引きずり出して皺を伸ばしながら、手すりにかけて干す。
この天気と陽気なら昼に帰る頃にはよく乾いているだろう。
シーツがぱたぱたとそよ風に煽られ飛んで行きそうになるのを押さえつつ、カゴに入れてきた洗濯バサミで数箇所挟んで止めておく。
残りの衣服類も、ベランダの物干し竿に残されたままのハンガーへとかけてゆき洗濯バサミで飛ばないように止めて、作業を手早く終わらせると、トントンと肩を叩いて、伸びをして、春の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、ベランダを後にする。
室内へと戻った翼はまだすやすやと眠りこけている、兄の緩んだ表情を見て苦笑すると、手洗いへと向かい、用を足し終えて、手を念入りに洗い、顔も水を大雑把にかけて洗い終え、ふかふかのタオルで手と顔を拭いてさっぱりとする。
ようやく完全に脳が活動しだし目が覚めたような気がする。
なにはともあれ、まずは朝食を適当に用意して、兄を起こして食べさせてから制服に着替えさせて登校だな。
翼はそう考えながら台所へと向かった。
昨夜、買出しに行って来て、手塚先生におごってもらった食材を使い朝食をこしらえる。
まず、食パンをトースターにセッティングしてタイマーをセットする。
次にフライパンを用意して適量のサラダ油を注ぎ火にかけて熱して、冷蔵庫から卵二つとハムを取り出して、フライパンの中へとハムを敷いてから、卵を割り入れる。
母親任せであまり家事はしたことがなかった翼だが、目玉焼きとカレーが作れるくらいの調理スキルは所持している。
これから毎日家事をしていく中でいろいろと覚えていきマスターできるだろう。
ハムエッグがちょうどいい具合に半熟になった頃合を見はからって火を止めて、皿に盛り付けていると、タイマーをセットしておいたトースターがチーン!という軽快な電子音を響かせ、トーストも焼き上がった。
トーストを取り出してマーガリンを塗り、それも皿に並べる。
後は冷蔵庫から、昨夜買って来て置いた野菜サラダと牛乳を取り出してトレイへとのせる。
ハムエッグとトーストが乗せられた皿とコップや箸もトレイにセッティングしてそれを両手で持ち、慎重に運び寝室まで向かう。
身動きが出来ない兄のために今朝の朝食は寝室でとることにした。
昨夜買い物に行ったときに兄が幼い頃大好きだった苺ジャムを買い忘れていたのが残念だ。
今も変わらず好物かどうかは解らないのだが……。
そんなことを考えつつ開けっ放しにしておいた寝室の扉を通り抜けて兄がまだ眠っているベッドへと向かう。
ベッド脇にあるサイドボードに朝食を載せたトレイを置いた。
すやすやと寝息をたてている兄を起こすのは忍びないが仕方ないと、彼の肩を掴み揺すって覚醒を促す。
「兄貴、朝だぞ! 起きろーー」
ゆさゆさと揺すられて翼に声を掛けられて、礼二は瞼を開いて視線を泳がせる。
翼の姿を確認すると、ホッとした表情になり、無邪気な笑顔で「おはよう」と答えた。
「朝飯作ってきたから、さっさと食べて学校行くぞ」
「うん」
翼にそう言われて礼二は頷くと上半身を起こして、瞼をグーにした手で擦る。
翼はコップを手に取り牛乳を注ぎいれて、サイドボードの上に置いた。
ハムエッグとトーストが乗せられた皿を兄の膝の上に乗せる。
礼二は朝食がのせられた皿と箸を手渡されて受け取ったが、一向に食べようとする気配を見せずにぼんやりとしている。
「兄貴、速く食わないと時間なくなるぞ!」
翼にそういわれて頷いたがやはり朝食を口にしようとはしない。
体調が優れないのか、目は虚ろ、瞼は半開きで反応が鈍く、心配になった翼は礼二の額に手の平を宛てて熱を測った。
昨夜よりか熱くなっており微熱があるようだ。
ゼリー飲料と栄養ドリンクを持ってきたほうがよかったか……
翼はそう思って兄が抱えたままの朝食がのせられた皿を下げようと手にした。
が、礼二は皿から手を離さず、握り締めたままだった。
「せっかく、翼が作ってくれた朝ごはんなのに……」
礼二はそう呟いて、食欲がない自分を嘆いて、涙目になっていた。
「兄貴……無理して食って余計に体調悪くしたら俺は余計悲しむことになるから、手を離せ」
翼にそう説得されてしぶしぶ、礼二は皿から手を離した。
礼二が食べられなかった分の朝食をまたトレイに乗せなおした。
ゼリー飲料と栄養ドリンク取ってくるか……。
「兄貴、ゼリー飲料とか取りに行ってくるから、そのまま大人しくして待っててくれよ」
翼にそう言われ、元気付けるように頭を撫でられて礼二は無言でコクコクと頷いた。
それを確認してからトレイを手にまた台所へと戻った。
礼二が食べられなかった分の朝食の皿にサランラップを掛けてから、冷蔵庫に入れて置き、多めに買い込んで、冷蔵庫の扉の一番上部分に、並べておいたゼリー飲料と栄養ドリンクを取り出した。
取り出したゼリー飲料は、10秒チャージで2時間キープとかのコマーシャルで有名な、サッパリとしたグレープフルーツ味だ。
他にも砕いたこんにゃくゼリーとかバナナヨーグルト味やりんごヨーグルト味のデザートタイプなどいろいろと買い込んできてある。
グレープフルーツ味のゼリー飲料と栄養ドリンクを持って、寝室へとそそくさと戻る。
寝室へ戻ると、また眠ってしまいそうな虚ろな表情をして、船をこいでいる礼二の肩を叩いて揺り起こす。
「兄貴、ほら、せめてコレ飲んでからまた眠れ」
礼二は開封されたゼリー飲料を手渡されて、翼の方を向き、頷いてからそれに口をつけて、ずるずると音を立てて啜りだした。
昨夜、礼二にしてもらった奉仕をする時の、啜り上げる音に似ていて、ついソレを連想してしまい、翼は頬を赤くして邪念を振り払うように、首を左右に振りたくった。
礼二は2分近く掛けてゆっくりそれを飲み干して、眠そうに瞼を手で擦った。
翼は空になったゼリー飲料の容器を受け取るとゴミ箱へと投げいれて、今度は蓋を開封しておいた栄養ドリンクを手渡した。
「この栄養ドリンク飲んだら、また横になってていいぞ」
「ん……」
礼二は受け取った栄養ドリンクを飲み干すと空き瓶を翼に手渡し、パタリとベットに横たわり、またうとうととし始めた。
「兄貴、今日は大事をとって休みにしてもらうから一人でここでお留守番、できるよな?」
翼がそう言い出したのを、聞いて礼二は慌てて飛び起きると、わあわあと泣き出して翼の腰にしがみ付いて、首を左右に振りたくった。
「やだ……一人ぼっちはやだっ!」
そう言ってしがみ付いて、泣いて駄々をこねる礼二の頭を撫でて、背中を摩ってやり、落ち着かせてから翼は優しい声で言い聞かせる。
「いいこだから、今日は学校休んでお留守番しててくれないか?」
「俺も翼と学校に行く……」
「微熱もあるし、無理したら余計、体悪くするだろ?」
「なんともないから大丈夫だもん」
言い聞かせてもなかなか聞かないのはわかっていたが、どうするべきか、と翼は弱り顔で思案した。
まず自力で立って一人で歩けるかどうかだ。
はっきり言ってアレだけ無茶をしただけに、かなり辛いんじゃないかと思う。
昨夜、シャワーヘッドを突っ込んで追い討ちを掛けた自分が言うのもなんなのだが、多分無理だ。
「そうは言っても、無理して動くと辛いだろ……」
翼がそう言ったのを聞いて、礼二は嫌々と左右に首を振って、ベッドから降りて、勢いよく立ち上がろうとした。
「う゛っ……!」
が、上手く下肢に力が入らず、腰に激痛が走り、倒れそうになったが、なんとか踏ん張り、痛みに耐えて、堪えきった。
元々、肉体的な痛みに強く、そういった部分には我慢強い礼二は、無理矢理、笑顔を作って、なんでもない風を装おうと、油汗をかいて必死になっていた。
「あ、兄貴、無茶苦茶するなって!」
「全然、平気だ、痛く、ないぞ……?」
明らかに無理をして、やっと立っているのがバレバレな事に、気付いていない礼二は、そう言いながら親指を立てて、自分は大丈夫な事を翼にアピールする。
とにかく、翼に置いてけぼりにされて一人ぼっちにされたくない礼二はなんとかして、翼と共に学校へと行けるようにまた無茶をする。
礼二にとっては翼といられるかそうでないかは、死ぬか生きるかに同等する程に重要な事であって、翼に置いていかれるくらいなら、多少の無理や無茶等はどうということはないのだ。
翼と共に登校した事により、この命尽き果ててもなんの悔いもない。
寧ろ、置いて行かれる方が怖くて堪らない。
また、翼と引き離されて逢えなくなってしまうのでは?という不安で発狂しそうになるのだ。
自分が自分でいられなくなったらそれこそ翼の事すら解らなくなり、そこで全てが終わってしまうだろう。
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