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それぞれの過去〜馨&和成編〜【6】
ポケットティッシュを使いきってしまいとっさに自分のハンカチをスラックスの尻ポケットから取り出して、牛乳を拭くのに使ってしまった。
可愛らしいクマの刺繍が施されたそれは子煩悩で親馬鹿の父がデザインして、裁縫が得意な母親に作らせたものだ。
牛乳を拭くのに使ってしまったそれを拡げてみると、床の汚れが付着して所々真っ黒になってしまっていた。
(あちゃー……よりによって今日持たされたのはこのハンカチだったか……)
ハンカチやちり紙など細かい持ち物は毎朝、母親が馨の制服に入れて準備しているため、取り出してみるまでどれが入っているかは解らない。
残念そうに汚れてしまったハンカチを拡げて眺める馨を見て和成はやっとの思いで呟くように一言だけの謝罪の言葉を口にした。
「……ごめん」
和成が悲しげな表情で本当に申し訳なさそうに震える声でそう言うのを聞いて馨は満面の笑顔で頷いて手を差し出した。
「いやいや、謝るのは僕のほうだし……じゃあさ、おあいこって事でいいよね?」
馨は手を差し出されて戸惑う和成を笑顔のままで待つ。
和成はおそるおそる差し出された馨の手を握って握手した。
初めて触れた馨の手の平は自分の手の平より大きく温かかった。
和成は照れくさくて頬を真っ赤に染めて俯いた。
和成のその反応の可愛さに馨は一瞬見とれて目の前がくらくらとした。
やっぱり、この子はかわいいっ!
そして根は優しい、いい子だ。
和成の事が好きだということを再認識した馨は、このチャンスを逃す手はないと思い少しだけ心の中でほくそえんだ。
「和成君。一つだけお願いがあるんだけどいいかい?」
和成のちょっと冷たい手を掴んだまま、笑顔でそう言い出した馨を見返して、和成は戸惑ったような顔をしたが無言でコクリと頷いた。
いよっしゃあぁーー! いける!
今日こそはいけるぞ!
馨は心の中でガッツポーズをしてひとしきり狂喜乱舞すると和成の手を両手でぐっと掴んで勢い良く立ち上がる。
頷いてくれたって事はオッケーしてくれたという事だ。
根が優しい彼だ。
約束してくれたからにはこのまま畳み掛けるように、頼み込めば絶対に放課後に屋上に来てくれると思う。
「あのさ、放課後に屋上に来て欲しいんだ!」
勢い込んでそう言う馨に和成は驚いたような表情をしながらも頷いてくれた。
「ちょっと人目のつくところでは話しにくいことだから、来てくれると嬉しい」
にこにこと笑顔でそう言う馨を見て和成は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしつつコクコクとまた頷いた。
和成に告白する下準備はこれでいい。
たとえ受け入れて貰えなくても、自分の気持ちを伝えたいときに伝えることの大切さを雪華に教えられたんだ。
どのような結果になろうとも後悔なんかしないさ。
そう思って馨は掴んでいた和成の手を離して、未開封のまま転がっているタマゴサンドと牛乳の空パックを拾いビニール袋に仕舞う。
薄汚れたハンカチとポケットティッシュも纏めてビニール袋に放り込んだ。
ハンカチは手洗いすればなんとか汚れも落ちるだろう。
まだ他にもいろいろ買ってきてあるし、このまま和成君と一緒にお昼ご飯を食べよう。
馨はそう考えてまた和成の机の上にレタスサンドとハムサンドをもう一つのビニール袋から取り出して置き始めた。
和成はそれを戸惑ったような顔で無言で見ていた。
コーヒー牛乳といちご牛乳のパックも取り出して彼の机に置いた。
また和成の前の席に後ろ向きに座った馨は彼を優しげな表情で見返した。
「一緒にお昼ご飯食べよう!」
そう満面の笑顔で改めて言う馨に和成は無言で頷いた。
「へへ、じゃあ、サンドイッチとか半分こずつにして食べようよ!」
馨はそう嬉しそうに言いながら全部のサンドイッチの包装を破いて和成の目の前に置いていった。
和成は馨のすることを目を丸くしてみていた。
「じゃあさ、和成君はコーヒー牛乳といちご牛乳、どっちがいい?」
コーヒー牛乳といちご牛乳をそれぞれの手に持って馨は和成の眼前に持っていき見せるとどっちがいいか彼に聞いた。
和成は馨に聞かれて困ったような表情になり顔を真っ赤にして黙っていた。
馨はじっと彼が返事を返してくれるのを待つ。
和成は頬を真っ赤に染めたまま照れくさそうにやっと一言だけ掠れた声で呟くように答えた。
「……い、いちご」
馨はその和成の余りの反応の愛らしさに、ごくりと喉を鳴らした。
やばい、なにこの子! 可愛すぎるっ!
馨は心の中でそう叫びつつ手にしたいちご牛乳を和成に手渡した。
真っ赤な顔でいちご牛乳を受け取る和成に胸キュンした。
二人で仲良くお昼ご飯を半分こして食べ終わり、しばらくたわいない事を話して(馨が一方的に話しただけだが)お昼休憩が終わる予鈴が鳴り、馨は和成の前の席を立つ。
「それじゃ、和成君。放課後に屋上でね!」
馨がそう言いながら大袈裟に手を振って自分の席に戻るのを見て和成は赤面していた。
いつも一人でいる和成と馨が仲良くお昼ご飯を一緒に食べて、そして今、馨の大袈裟なしばしの別れの挨拶によりクラス中のみんなの視線が和成と馨の二人に集まっていた。
「畝田君と羽瀬君ってもしかして……」
「やっぱりアレでしょ!ベーコンでレタスな間柄よ、絶対!」
特に男好きとして知られる校内一の有名人である馨と和成のやり取り、全ての一部始終を鼻息荒く見守っていた、一部の女子らが訳のわからない話をして、異様に盛り上がっていた。
そんな中、馨が座っていた和成の前の席の主が戻ってきて着席した。
「うぬぅ……生暖かい。誰か俺の席に座っていたな」
椅子に残っている温もりを自分の尻に感じたその男子生徒がそう呟いていた。
中学に入学してからこれ程までに自分が他人の注目を浴びた事がなく、人に見られるのに不慣れな和成は居心地が悪そうにして、出来るだけ気にしないようにと窓の外の景色へと視線を移す。
そうこうしているうちに本鈴のチャイムが鳴り響き、午後の授業の科目の教師が入室してきた。
クラス全員が席を立ち、委員長である生徒の号令で起立と礼を終えて着席する。
和成はふと馨が座っている斜め前の席へと視線を移した。
馨も和成の方をやや振り返り気味になって見ており視線が合った。
その視線に気が付いた馨は教師に気付かれないように和成に向かってウィンクをして小さく手を振った。
和成はそんな馨を見て顔を真っ赤にして照れて、慌ててそっぽを向いていつもどうり窓の外へと視線を戻した。
(なんだか胸がドキドキして顔が熱い……)
和成はそのまま何故か冬なのにじんわりと体が熱いのを不思議に思いながら、午後の授業をやり過ごした。
午後の授業が終わり、HRも終わって皆が帰り支度を始める中、和成は窓の外の景色をぼんやりと見続けていた。
放課後に屋上に来てほしいと馨に言われて、つい頷いてしまった事をやや後悔していた。
なんの話があるのかはわからないが人目のつく場所ではちょっと話しづらいことだからというのがなにか引っかかる。
人一倍、臆病で警戒心が強い和成は正直、馨に言われた通りに屋上へ行くかどうか迷っていた。
窓から見える空はどんよりと暗雲に覆われており、今にも雪が降ってきそうな天気だった。
この寒い中、屋上へ行こうと言う輩はさすがにいないだろう。
人目のつく場所ではないのは確かだ。
和成があれこれ 逡巡しているうちに馨が手早く帰り支度を終わらせて和成の座る席まで意気揚々とやってきた。
「それじゃ、いこうか」
そう言って馨は満面の笑みで手を差し出した。
和成は窓の外の景色にずっと向けていた視線を教室内に戻すと、差し出された手と馨の顔を交互に見て、戸惑ったような、どうすればいいのかわからないといったような表情をして俯いた。
和成の前の席に座っている男子が何事だと言わんばかりに二人の様子を物珍しげに見ていた。
「おい、畝田。貴様。新しくターゲットを変えたでござるな!」
和成の前の席の男子が馨を指差して非難するような目で見ながらそういいだした。
「ちょ! いきなり、なんのはなしっ?!」
馨は、男子生徒に言われた台詞に過剰に反応した。
「うぬぅ。まあよい。まさか新しい男が俺の真後ろの席にいるヤツとは……お遊びも程々にしておかねば、そのうち夜道で背後から刺され兼ねんぞ」
男子生徒は言うだけ言って黙々と帰り支度を再開し始める。
馨はこの学校では誰もが知っている男好きとして有名で遊び人であることでも有名だった。
このクラスでそれを知らないのは、孤立していて誰とも会話したがらない、和成くらいである。
人当たりの良さからか、コレといった修羅場になったことはなく、悪評もないのだが、あちこちフラフラとしていたのは事実だった。
その噂を聞いていたその男子生徒は、なんとなく釘を刺す意味でそう言ってみただけだった。
理由は特にはない。
しいて言えば、面白そうだったからである。
和成の前の席の男子生徒の思わぬ乱入によって二人の空気が微妙な感じになった。
馨には俯いたままの和成が心無しか眉をしかめているようにも見えた。
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