46 / 152

それぞれの過去~真澄×龍之介編~【9】

   龍之介が自力で立ち上がったのを見届けた真澄は、また寝室へと戻るために先を行く。  龍之介は先を歩く真澄の後をよぼよぼと足元をふらつかせながら追いかけた。  右へ左へぶれるたびに腰に痛みが走るが今は耐えるしかない。  家に帰ったらもうすぐにでもベットに横になって休みたいと龍之介は思いながら、やたら広い室内を見回して、千鳥足でよたよたと左右の足をもつれさせながら危なっかしい足取りで真澄の後に続く。  龍之介はなんとか自力で歩行して真澄と共に彼の寝室へ戻ると、メイドロイドのミリアがベットメイクを済ませて部屋を掃除しているところだった。  龍之介は取り替えられたばかりの皺一つなく綺麗に整えられたシーツを見て顔を耳まで赤くして俯いた。  自分が失禁して盛大に汚してしまったシーツを彼女が取り替えたのだと考えると顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかった。 「真澄様。龍之介様の制服はクリーニングに出しましたゆえ、後日、部下に届けさせます」 「ああ。気を利かせて龍之介君の着替えも用意してくれたのは君か」 「差し出がましい真似をしてしまい申し訳ありません」  真澄は、頭を深々と下げるミリアの肩を叩いて、彼女の頭を上げさせる。 「大丈夫だ。特に問題はない」 「恐れ入ります。それで、この後はどうされるのですか?」 「僕は今から、龍之介君を家まで送り届ける。ミリアは引き続き部屋の片付けを頼む」 「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ」  そう言ってまた深々と頭を下げてから、彼女は散らかった部屋の片付けの続きに戻っていった。 「それじゃあ、龍之介君、そろそろ行こうか?」  そう言って真澄が差し出した手を龍之介は見て頷いた。 「……ああ」    どうやら真澄が家まで送ってくれるらしい。  差し出された手を取らない龍之介に、多少むっとしながら真澄は彼の手を掴んで強引に繋いだ。 「天上院家の屋敷は広いから迷ったら素人では自力で外に出られなくなる」  金持ちらしいし、敷地内に森や花畑まであるような豪邸だ。  確かに慣れないうちは迷うかもしれない。  龍之介はそんなことを考えながら真澄に掴まれた手を握り返した。  龍之介は幼い頃に当時はまだ、か弱い少女だった真澄と密会するために、この屋敷の裏門にある秘密の花園へと続く、子供一人が這ってやっと通り抜けられるくらいの抜け道である木々のトンネルから、自由に(不法侵入だが)天上院家を出入りしていた。  当時からやんちゃで好奇心が人一倍強かった龍之介は゛冒険゛と称して誰にも見つからないように忍者の真似事をしながら身を潜めてあちこち探索して、見事に迷って天上院家の屋敷内から出られなくなったことがある。    歩き疲れて、途方にくれて丁度近くにあった建物へと入り、そこにあったベットで眠り込んでしまったことがある。  その時は眠り込んでいるうちに、いつのまにか朝になっていて、自分の家の自室のベットで目が覚めた。  幼い龍之介は夢でも見たのだろうと思い深く考えなかったが、実は龍之介が勝手に忍び込んだ場所は、天上院家で働いている使用人が暮らす宿舎で、使用人のベットに入り込んで眠り込んでいる龍之介を発見して彼を自宅まで背負って送り届けたのは、当時からメイド長をしていたミリアだったのだが、その事実を当人は未だに知らない。  龍之介は初対面だと思っているが、ミリアは実は龍之介と接触したことが過去にあり、その龍之介が迷子になった件を真澄に話して龍之介の存在を彼女から聞いて知っていたのだ。  真澄と将来を約束したという赤髪の少年の存在を。  か弱く小さく頼りなげな少女だった真澄がここまで成長して強くなれたのはその約束があったからこそだとミリアは気づいており、今現在、少なからずそれだけは龍之介に感謝をしていた。  ミリアは部屋の片付けの続きをしながら、横目で手を繋いで寝室を出て行く二人を見送った。  天上院家の無駄に長々しく広い廊下を通り抜けて、広間を抜けて玄関の扉を開く頃には、外はすっかり茜色に染まっていた。  初冬である今の季節は日が暮れるのは、はやくあっという間だ。  すぐに夕闇の色が空を覆いつくして夜になるだろう。  夕焼け空を見上げながら玄関の扉から外に出て長い庭園の道と噴水広場を通り抜けて、正門へとたどり着く。  正門を出て、小林家へと向かう道を先に歩く真澄の後を龍之介がよたよたと追いかける。  真澄には自宅の場所を教えてはいないはずだが、彼は迷うことなく龍之介の家へと向かう最短ルートを正確に進んでゆく。  真澄は龍之介に関することはすべて前もって下調べを済ませていて、知らないことのほうが少ないくらいだということを、知らない龍之介はなぜに教えたこともないはずの家の場所を真澄が知っているのか?と首を傾げていた。  そんなことを考えながら歩き続けて10分ほどで龍之介の家である一軒家が見えてきた。  よくあるタイプの建売りされていて、一般人が30年~40年のローンを組んで買えるようなごく一般的な家だ。  その家の前によく見知った後ろ頭が見えた。  龍之介の父親である小林龍一郎。  小さな製薬会社で働いていて忙しく、いつもはもっと帰りが深夜か明け方で、顔を合わせる機会が最近少なくなったことを寂しく感じていた龍之介だったが、家の前に珍しくいつもよりか大分早くに帰宅した父親の後ろ姿を見て、腰の痛みを押して駆け寄って隣に立ち、ぽんと肩を叩いた。 「おかえり父ちゃん!」  肩を叩かれて龍一郎が隣に駆け寄ってきたばかりの龍之介の挨拶に答えた。 「ああ、龍之介、ただいま」 「なんだ、今日は随分と帰りがはやかったんだな? やっと仕事が暇になったのか?」 「いや、本当は家に企画書の書類を一部忘れて……休憩時間を利用して取りに帰って来ただけなんだ」  申し訳なさそうに言う龍一郎に、軽くため息を付くと龍之介は自分のやや後ろに立つ真澄を振り返り、父親に彼を紹介しようと思った。  が、真澄はなぜか、龍一郎を見たまま瞬きすらせずに無言でじっと固まっていた。  まるで釘付けにされたかのように龍一郎の姿をその鳶色の瞳に映して、心なしか頬が紅潮しているように見えた。  真澄は恋する少女のように胸の鼓動が高まるのを抑えきれずにいた。  龍之介と同じ癖のある奔放に外側に跳ねた赤い髪に金色の瞳を持つ龍一郎の姿に見惚れる。  身長は真澄よりか幾分高く、龍之介と似た容姿を持ちながら、彼とは違い、知性を漂わせる落ち着きのある大人の男である。  時が止まっているかのように固まったまま動かない真澄を不思議に思いながら、龍之介は彼を指差して父親に見るように促した。 「……その子は?」  静かに佇む黒髪の少年に気がついてそう言う父親を見上げながら龍之介が答えた。 「天上院真澄っていうんだ」 「天上院?!」  龍一郎はなぜか゛天上院゛という苗字に過剰な反応を示した。 「な、なんだ、父ちゃん、真澄のこと知ってるのか?」 「いや……知っているというより、まあいい」  コホンと咳をしてそう言葉を濁して龍之介には仕事関係の話はあまりしないと心に決めている龍一郎は口を噤んだ。  家にいるときまで仕事の話をしていては妻や息子に申し訳がないと常々思っていたからだ。  龍一郎が勤める製薬会社は長く続いている大不況の例に漏れず一時期、倒産寸前までいき、経営が成り立たなくなったことがある。  その時に経営資金を援助することに名乗りを上げてくれた財閥で、天上院家の当主には現在進行形で非常に世話になっている。  新薬開発をするために必要な莫大な研究資金を援助してくれているスポンサーだ。  天上院という苗字は珍しく余り頻繁に見かけるようなものではない。 「はじめまして」  そう柔らかい笑みを浮かべて龍一郎は握手を求めて真澄に手を差し出した。  真澄は差し出された手を見てしばらく固まっていたがハッと我に返り、差し出されたその手を掴んで握手をした。      龍一郎の温かな手の平に触れて恐る恐る握り返すと、胸がさらに高まり頬が熱くなるのを感じた。  病的な潔癖症でミリアと龍之介以外に触れると嫌悪感が強くて、すぐに触れた部分を洗い流すか、拭いて消毒しなければ気がすまない性質の真澄だが、なぜか龍之介の父親である龍一郎と握手をしても、特に嫌悪感はまったく感じなかった。 「どういう経緯でうちの龍之介と知り合ったかは知らないが、よろしく頼む」  続けて笑みを浮かべながら言う龍一郎の瞳は澄んでいて、父性に溢れていて優しげだった。  心から自分の息子を大切に思っているのがとてもよくわかる。 「はい……」  真澄の胸の高まりの原因は、自分の父親もこうであればという理想や、あまり自分の家族と触れ合う機会を持てず、寂しい幼少時代を過ごしてきたため、自分の家族以外の相手に父性を見て、それを求めているからかもしれない。  自分で自分を冷静に分析しつつ、龍之介のことを頼むといわれてそれに頷いてから繋いでいた手を離した。  手を離した後もしばらくは龍一郎の温もりが残っていてそれを心地よく感じる自分を不思議に思いながら、親子で会話をし始めた二人を見ていた。 「父ちゃん、書類を取りにきたんだろ?」 「ああ、そうだった、そうだった」 「すぐに会社に戻るなら俺が取ってきてやろうか?」 「いや、休憩時間を長くしてもらってきたからしばらく家でゆっくり休んでから戻るつもりだ」  龍一郎が今夜はしばらく家族と過ごせるというのを聞いて龍之介が嬉しそうに父親の胸にダイブした。  「おっと、おいおい! ははは!」  龍一郎は笑いながら胸に飛び込んできた龍之介を抱き返して、頭をぐしゃぐしゃと少々乱暴に撫でた。  「そうだ! 母ちゃんにはやく顔見せてやれよ!」  そう言う龍之介を見て龍一郎は頷いて、自宅の門を開いた。  父子二人のやりとりを龍之介の背後で黙って見ている黒髪の少年がなぜか寂しそうに見えた。  龍一郎は穏やかな笑みを浮かべると、真澄の頭に手をやりさらさらと艶のあるその黒髪を撫でて肩を抱き寄せた。  自分の父親がいきなり取ったその行動を見て龍之介は慌てた。  真澄に気安く触ったりしたら、どんな仕返しをされるかわかったものじゃないと思っていたからだ。  が、しかし、龍一郎に軽く抱きしめられて、頭を撫でられている真澄は、そうされた瞬間は驚きに目を見開いて固まっていたが、今は大人しくされるがままになっていた。  自分よりも温かく大きな胸に顔を埋めて、目を閉じる。  優しく髪を撫でる大きな手の平から伝わる温もり、製薬会社に勤めているせいだろうか、ほんの少し薬品のツンとした匂いもする。  これが龍之介君の父親の匂いなのだと思うと、なぜか酷く安心した。  幼い頃から真澄の両親は共に忙しく、天上院家にいられる時間が極端に短く、たまに睡眠を取りに母が帰って来て、父親は愛人の家を点々としており、家に帰ることはほとんどなかった。  実の親からの愛情を満足に受けられなかった真澄は親から与えられるぬくもりにずっと飢えていた。  ただ、手を繋いで、頭を撫でて、抱きしめて欲しかった。  そんなささやかな望みすら叶えられずに、一人きりでままごとをしたり、花冠を黙々と編んだりする毎日を送っていた。  手術を受ける前は真澄は男と女の区別がしにくい体をしていて、外界のものと係わり合いを持つことが禁じられ、天上院家の外へは出してもらえず、半分軟禁状態だった。  父親が世間体を気にしてそうするように手を回したということは、母親に聞いて真澄は知っていたが、逆らうつもりもなかった。  自分の周囲にいる人間は皆、真澄の天上院家の跡継ぎという肩書きしか見ていない、甘い汁を楽して吸うために群がってくる虫のような者しかいなかったから、外の人間にも何も求めてはいなかった。  しかし、それでも深い闇に包まれた深夜に天蓋付の広く冷たいベットで寝ていると、不意に寂しさがこみ上げてきて一人で冷たい体を自分で抱きしめながら泣いていた。  誰も本当の自分を見てはくれない、必要とはしてくれない。  自分はずっと一人ぼっちでこうやって自分で自分を抱きしめて惨めに生きていかなければならないのかと考えると怖くて、悲しくて涙と震えが止まらなかった。  そんな真澄を労わるように抱きしめてくれたのは、ミリアだけだった。  彼女の存在がなければ、真澄は今、この場所にこうして存在することができなかったかもしれない。  龍之介に出会ってからは、龍之介の存在と約束だけを糧に、辛いリハビリに耐えて強い体を手に入れて手術を受けて日本に帰国することができた。  再会した龍之介には結局、新しい性別を持つ肉体を拒絶され、約束を反故にされて、真澄はかなり精神的に打撃を受けた。  裏切られたという喪失感と怒りを、龍之介へとぶつけなければ自分の精神がどうにかなってしまいそうだった。  龍一郎に今、抱きしめられて彼の胸の鼓動を聞き、温もりに包まれて、ささくれ立っていた心が静まり癒されるのを感じた。  こういう風に両親に抱きしめられたいと幼い頃からずっと心の奥底で渇望していた真澄は不覚にも目頭が熱くなるのを感じた。  鳶色の瞳から一筋の涙が頬を伝うのを感じて、それを服の袖で拭った。  とめどなく溢れる涙は拭いても拭いても留まることを知らずに頬を濡らした。  

ともだちにシェアしよう!