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それぞれの過去~真澄×龍之介編~【10】
急に幼子のように泣き出した真澄を見て龍之介が、驚いたような顔をしてすぐ傍に駆け寄ってきた。
「真澄、お前。どうしたんだ、急に泣き出したりして……!」
龍之介にそう聞かれて、真澄は涙に濡れた顔を隠すように両手で口を押さえた。
「いや……なんでもないんだ」
真澄は溢れる涙を胸ポケットにしまっていたハンカチを取り出して本格的に拭うと龍一郎の胸に埋めていた顔を上げた。
龍一郎は泣き出した真澄をを安心させるように満面の笑みを浮かべて、彼の頭に手を置いて龍之介にしたように乱暴にぐしゃぐしゃとさらさらの黒髪を掻き回すようにして撫でた。
「真澄君。君がよければ、そのうち龍之介と私と3人でキャッチボールでもして遊ぼう」
龍一郎に頭をぐしゃぐしゃに撫でられながらそういわれて真澄は頬を赤らめつつも頷いた。
いまいち状況が飲み込めていない龍之介はそんな二人のやりとりを見て首をかしげて、真澄の横にぼーぜんと立ち尽くしていた。
□
龍之介の母親である千鶴は、空気の入れ替えのために、調理中はいつも開けている台所の窓からふいに外を見やると、門前に立つ主人と息子の姿に気がついた。
もう一人の黒髪の少年には見覚えがなかったが、なにをしているのか気になり様子見に玄関へと足を運んだ。
□
小林家の玄関の扉が開いて緑がかった黒髪を切りそろえて肩ぐらいの長さのおかっぱにした女性が濡れた手の平をエプロンの裾で拭きながら出てきた。
エプロンをしたままでいるところをみると調理中だったようだ。
「あなた、おかえりなさい。今日は随分とはやかったのね」
その女性は、そう言って龍一郎から鞄を受取るために手を差し出した。
龍一郎は無言で頷いて、彼女に鞄を手渡した。
「かーちゃん! 休憩時間を利用して忘れ物取りに帰って来たんだって!」
「あら、そうなの。 じゃあ、取りにいかなくちゃ……」
「かーちゃん! いいんだって! 今日は休憩時間を長めに貰ってきたからもうしばらくは家にいられるんだって!」
「ええっ、それじゃあ、お夕飯いつもより多めに作らなくちゃ!」
龍之介と彼の母親がそんなやりとりをしている傍らで龍一郎と真澄が顔を見合わせて、話を続ける。
「せっかくだから、夕飯、食べていかないか?」
龍一郎にそう言われて真澄は、心から素直に笑みを浮かべて頷いた。
茜色だった空は夕闇の色へと変わりはじめ、緋色と紫と藍色がグラデーションを描いていた。
家事をするために自宅へと入っていく千鶴の後に龍之介がついて行き自宅の中へと消えていった。
真澄は龍一郎に肩を叩かれ、背中を押されて、小林家へと入るように促された。
「ずっと表で話していたせいで体が冷え切ってしまっているみたいだな。
何もないところで悪いが、あがってくれ」
真澄は龍一郎に促されるままに頷いて、彼と共に小林家へとあがらせてもらうことにした。
自分の家とは生活レベルからしてまったくといっていいほど違う、内装を真澄は物珍しげに眺めながら、龍一郎に食卓へと案内される。
廊下を真っ直ぐ突き進んですぐに手作り感の溢れるのれんが下がっている台所へとたどり着き、そこではやはり龍之介と千鶴がやりとりをしていた。
驚いたことに龍之介は慣れた手つきで包丁を手にキャベツを千切りにして、母親の夕飯作りを手伝っていた。
それを見て真澄が意外そうな顔をしているのに気がついた龍一郎は、やや照れくさそうに自分の息子のことを話した。
「龍之介は意外に思えるかもしれないが料理が趣味で……だいぶ前にあいつが好きなヒーローを演じている役者が料理番組に出ているのを見て影響を受けたらしくて、当時まだ6歳ぐらいだった龍之介に自分の包丁が欲しいと駄々を捏ねられてな。
その役者の包丁捌きがよほど格好よく見えたらしい」
真澄と知り合う前の龍之介の事を苦笑交じりに話しながら、龍一郎は真澄を食卓へと座るようにイスを引き出して手振りで促した。
真澄が着席したのを確認してから龍一郎は真澄の向かい側の席へと腰掛けた。
食卓には急須と湯飲みとポットが置かれていて、龍一郎は急須を手に取り、茶葉を入れて、ポットからお湯を注ぎ、蓋をしてしばらく蒸らして湯飲みへと茶を注ぎ入れて真澄に手渡した。
「安物の茶ですまないが……美味くはないが飲めば冷えた体が温まる。君の口には合わないかもしれないがよければどうぞ」
そう冗談交じりに言いながら笑顔で手渡された湯飲みを真澄は受け取って、口をつけた。
高級な茶ばかりを飲んできて味覚が肥えている真澄には、それがあまり口に合わないというのは確かだ。
けれど天上院家にいる使用人がいれたどのお茶よりもそれはあたたかかった。
人を心からもてなそうという気持ちが注がれている分、美味しくも感じられた。
「すごく、温まります。美味しい……」
そう柔らかい笑みを浮かべて素直に言う真澄を見て龍一郎も微笑んで優しげな目で彼を見て、自分の茶に口をつけた。
それからは特に話もせずに龍一郎と向かい合ってゆっくりとお茶を啜っていたが、真澄にとってはあたたかくて、くすぐったい心地のよい時間だった。
自分の父親も龍一郎のようであればよかったのにと心の片隅でぼんやりと思う。
今にして思えば、真澄の父親は真澄のために高級なもので埋め尽くされた広々とした冷たい部屋を彼に与えて何不自由のない生活をさせてやればそれで十分であるという考えだったのだと思う。
けれど真澄はそんなものは何一つ欲しくはなかった。
狭い部屋で家族が楽しそうに団欒しているホームドラマによくある風景。
映画でそんなあたたかい夕餉のシーンを見て幼い真澄はそれがうらやましくて、どうして自分にはそれが与えられないのかという寂しさと悲しさが混在した気持ちが膨れ上がり、広々とした自室の冷たいベットへと一人きりで横たわり枕を涙で濡らした。
そんな過去をふいに思い出して、それが表情にでていたのか、龍一郎が向かい側の席から腕を伸ばして真澄の頭をよしよしとあやすように撫でてくれた。
龍一郎は真澄がふいに見せる寂しそうな表情が自分の息子と重なって見えて気になっていた。
仕事が忙しくてなかなか家に帰れないと龍之介に告げたときにする息子の寂しそうな表情がなにより辛かった。
自分以外のクラスメイトが海外や国内の旅行にいったという話を龍之介はそんな表情で聞いていたのかもしれない。
しかし、龍一郎がやっている仕事は、難病で有効な治療法もないような人のために新薬を開発する仕事でおいそれと休めるようなものではなかった。
真澄は龍一郎に頭を撫でられて、照れくさそうな、けれどほんの少し嬉しそうなそんな表情になりされるがままになっている。
そんなやりとりを二人がしているうちに出来上がった夕食をトレイにのせた千鶴と龍之介が食卓へとやってきた。
二人がかりで作ったそれぞれの自慢料理が次々とテーブルの上に所狭しと並べられていった。
並べられた料理に一貫性はなく、和洋中が入り混じったなんとも奇妙な取り合わせだった。
龍一郎が急に帰宅して、さらには来客の分も作らねばならなくなったために、冷蔵庫にあった食材で作れそうなものを作ったせいもあるようだ。 野菜がふんだんに使われた具沢山の豚汁、ごはん、肉じゃが、根菜のサラダ、ほうれん草の胡麻和え、マーボー豆腐、グラタン、若鶏の唐揚げ等がテーブルの上を埋め尽くしていった。
それを見て龍一郎が苦笑しながら「おいおい、ちょっと作りすぎじゃないか?」といった。
千鶴は微笑を浮かべ、龍之介の頭を軽く小突く真似をしながら「龍之介が作れる料理のレパートリーが増えたからどうしてもあなたに食べてもらうんだって張り切って作りすぎたのよ」と答えた。
そう言い合って笑う両親を見て、龍之介は照れくさくて若干赤くなった頬を膨らませた。
「いいから黙って食えよ! ぜったい前よりうまくなってるんだからな!」
龍之介はぶつくさ言いながら席に着いた。
龍一郎の隣に座るのはいつも彼の妻である千鶴ときまっているので自然と真澄の隣に座る事になる。
龍之介は真澄の隣の席に座り、尻をイスに乗せる瞬間にぎゅっと目を瞑り、眉をしかめて痛そうな顔をした。
イスに腰掛けると真澄に無体をされた体の特に腰と尻の穴がものすごく痛かった。
しかし龍之介はイスに座る一瞬のみ痛そうな顔をしたがすぐになんでもないような笑顔に戻っていた。
向かい側に座る両親に心配をかけたくないからなのだろう。
真澄はそれを見ていて、この家族は、本当にお互いを思いあっていて仲がいいんだな、と思った。
そして、自分には欲しくても与えられなかったものを、すべて持っている龍之介を羨ましくも感じた。
「たいしたものはできなかったけどたくさん食べていってね!」
向かい側の席に龍一郎と並んで座っている千鶴に言われて、真澄は頷いて箸を手に取った。
「それじゃ、頂くとするか」
龍一郎のその言葉を皮切りに龍之介と千鶴も箸を手に「いただきます」といってそれぞれ思い思いのおかずに箸を伸ばした。
この家ではバイキング形式で自分が食べたいものを食べたいだけ自分の皿に取る形でそれぞれの料理を小分けにしては出さずに大皿のまま盛り付けて食卓に並べるようだった。
龍之介は若鶏のから揚げを口に入れて、白いご飯を掻き込んでまるでハムスターのように頬が膨らむほどいっぱいにほおばった。
「うん。はふがにほへがふくっららへふぁっれふまい!」
「流石に俺が作っただけあってうまい」と自画自賛しながら空腹を満たしてご満悦のようだ。
龍一郎も龍之介が作ったという若鶏のから揚げを一口食べて、飲み込んでから
「ははは! 喋るか食べるかどっちかにしないか?」
と向かい側の席から腕を伸ばして龍之介の頭を軽く小突いた。
「そうよ、行儀が悪いでしょ、あまりにも!」
千鶴にまでそう言われて龍之介は口の中いっぱいにあるごはんとおかずを慌てて咀嚼して飲み込んだ。
「んぐっ! はあ……そんなことより味は感想はどうなんだ? うまいかっ?!」
龍之介は身を乗り出して、自分が作った料理の感想を父親に聞いた。
「ああ、うまいよ。 随分腕を上げたな本当に」
龍一郎にそう褒められて龍之介は本当に嬉しそうに金色の大きな瞳を輝かせながら笑った。
「ふはははっ! 参ったかこんちくしょう!」
「ははは、参った参った!」
嬉しそうにじゃれあう父子を呆然と見ていた真澄だが彼の箸はまったく進んではいなかった。
それに気付いた千鶴が頬に手を宛てて、ちょっと困惑気味の顔をした。
やっぱり口に合わないのかしら?と心配げな表情で真澄を見ていた。
真澄は千鶴と丁度いい具合に目があったため、箸を一旦おいてから言おうと思っていたことを口にした。
「龍之介君の母君」
真澄にいきなり神妙な顔で話しかけられて、千鶴は驚いたような表情で、瞼を瞬かせて慌てて返事をした。
「はい?!」
「失礼ながら、自己紹介がまだでした」
「あ、ああ、そういえばそうだったわね!」
「僕は天上院真澄というものです。よろしく」
「あ、はい。龍之介の母の千鶴です。こちらこそよろしく」
お互いに自己紹介をして頭を軽く下げあってから顔を見合わせる。
「龍之介君のお母上に折り入って頼みがあるのですが……」
真澄がそう言い出したのを神妙な顔で聞いて千鶴は頷き、一体何を頼まれるのかと、緊張してごくりと唾を飲み込んだ。
「明日から僕は龍之介君と同じ学校に通う予定なのですが、彼に勉強を教えるために毎日、学校帰りに直接こちらに伺わせて頂こうかと思っています」
龍之介に毎日勉強を教えてくれるという真澄の提案に千鶴は笑顔で頷いた。
「あらあらあらあら! まあ、本当に!」
「ええ。彼の今の学力では失礼ながら、現状で受かりそうな高校がないようなので……」
「そう……そうなのよ。私もいつもいつもそれだけが心配で……」
「心中お察しいたします。今後龍之介君の事は、すべて僕に任せていただければ、僕が行こうと思っている学園に受かるくらいのレベルまでは、学力をアップさせられる自信があります。もちろん、報酬などは一切請求いたしません」
「まあ、まあっ! ありがとうございます! うちの龍之介をぜひお願いいたします!」
千鶴が二つ返事で喜んでそう言うのを聞いて、真澄は内心でほくそえんでガッツポーズをしていた。
龍之介の母親は彼が勉強嫌いなのを気にしつつも、言っても聞かない息子にいつも手を焼いていた。
勉強ができなくてもまっとうないい子に育てばいいという教育方針がいけなかったのか、龍之介はまったく勉強をすることに無関心な子供に育ってしまった。
宿題をちゃんと済ませたかと聞くと、あからさまに嫌そうな顔をする反抗期真っ最中の息子にただで勉強を教えてくれるという真澄がまるで神様のように見えた。
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