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それぞれの過去〜龍之介×虎次郎編〜【9】
龍之介は虎次郎の祖母にこういう風に嫌味を言われるのにはもう慣れているので気にせずに、箸に掴んだ寿司を一口でほおばった。
彼はいつも好物のイクラの軍艦巻きから食べる。
「りゅーちゃん、魚卵系は苦手だから僕のイクラもあげる」
「おおっ! サンキュー、コジロー! じゃあ、俺、甘い玉子焼き嫌いだから、タマゴやるよ」
お互いにあまり好きではない寿司ネタを交換するのもかなり久し振りだった。
そんな二人の相変わらずなやりとりを見て、ばあさんは口元を緩ませて笑みを浮かべる。
人付き合いが苦手で友達が一人もいなかった虎次郎にできた初めての親友で、今でも付き合いのある龍之介に密かに感謝していた。
ひねくれているので、それを口や態度には出さないが、ばあさんは龍之介の事を本当は気に入っているのだ。
「はぁ~~! 食った、食った! ごっそさん!」
龍之介は寿司を平らげると、ぬるくなった緑茶を一気飲みして、膨れた腹をぽんぽんと叩いて大きく息を吐き出した。
「おそまつさまでした」
空になった寿司桶を虎次郎が龍之介から受け取り、祖母のと自分のも重ねて、洗い場へと運んだ。
手早く綺麗に洗い流して、裏口へと立てかけておく。
こうしておけば、あとで寿司屋が桶を受け取りにくるだろう。
虎次郎が居間へと戻ると、龍之介がばあさんと共にだらだらと旅番組を見ていた。
「りゅーちゃん、そろそろ帰らなくていいの?」
洗い場から戻ってきた虎次郎に肩を叩かれそう言われて、龍之介はその場で立ちあがって伸びをした。
「そうだな! んじゃ、そろそろ帰るとすっか!」
「じゃあ、表まで送るよ」
「おう! それじゃ、ばーさんも元気でなっ……つっても殺しても死ななそうだが」
「さっさとけえれ! ばかもぉんがっ!」
ばあさんとそんなやりとりをして龍之介と虎次郎は居間を出て靴を履いて、駄菓子屋を出て、表へと向かう。
外はもう日が暮れて、すっかり暗くなり、寒さも増しているようだ。
冷たい風に吹かれて、龍之介は手の平を擦り合わせて、白い息を吐いた。
「ぐはっ! この時間帯になるとめちゃくちゃさみーな!」
「ごめんね……僕がもっとちゃんと歩ければもう少し早く帰れたのに……」
虎次郎が申し訳なさそうにそう言うのを聞いて、龍之介は首を左右に振りたくってそれを否定した。
「俺のせいで歩くのが辛くなったんだし、虎次郎はまったくもって悪くない!」
そう言われて、虎次郎は龍之介にされた行為を思い出して頬を赤く染めた。
「うん……ありがとう」
恥ずかしそうに頬を赤く染めて言う、虎次郎を抱きしめて、その唇にそっと触れるだけのキスをした。
春からは別々の学校へと通い、離れ離れになってしまう。
だけど、一生の別れではないし、合おうと思えばきっとこうやってまた会える。
唇を離してからもしばらく二人で温もりを分け合うように抱き合い、虎次郎は龍之介の胸に顔を埋めて、瞼を閉じ、大人しくされるがままでいた。
背中に回された手がすべり、虎次郎の体のラインを確かめるように撫でる。
虎次郎の事をずっと忘れずにいられるように、彼の匂いも体も声も全てを、記憶するために。
しばらく抱き合っていて、離れてから龍之介が不意に
「俺の学校は入学式が4月1日なんだが、コジローんとこはいつからだ?」
そんなことを虎次郎に聞いた。
「僕のところは5日だよ」
「そうか! うちのとこより遅いんだな。 じゃあさ、コジローんとこの学校の入学式が終わったら俺の携帯にメールしてくれよ!」
「うん……機械、苦手だからあまり長い文章は打てないけど、わかった」
名残惜しいけどこれ以上引き止めては、龍之介の帰りを待つ彼の家族にも迷惑と心配をかけてしまう。
虎次郎は龍之介を見上げて、今できる精一杯の笑顔で別れの言葉を口にする。
「それじゃあ、りゅーちゃん、またね……」
再会することを含んだ希望のある別れの言葉だ。
だから、しばらくは会えないけど、会える日を思えばきっと頑張れる。
涙を堪えて、笑顔で龍之介を送り出す。
「コジロー、元気でな!」
そう言って、歯を見せて龍之介は笑い、虎次郎の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、再度、ぎゅっと抱きしめてから背を向けて駆け出した。
龍之介のその背中がだんだん小さくなり、見えなくなるまで見送り、虎次郎は手を振り続けた。
龍之介が完全に見えなくなってから虎次郎はその場でガクリと膝を付き、俯いて声を殺して泣いた。
まったく会えなくなる訳じゃないのに、どうしようもない寂しさと不安感で押し潰されそうだ。
両手で顔を覆って、堰を切ったようにあふれ出す涙を拭う。
新しい学校で一人で頑張っていれば、いつかは龍之介に会える。
それを信じて、それだけを希望に自分の足で歩いていかなければ。
龍之介の事ばかりを考えて依存して生きてきた虎次郎にはまるで全てがなくなってしまったような、喪失感がして全身が脱力していた。
もう会えないのではないかというマイナスな事ばかり考えてしまう。
けど、龍之介に頼ってばかりではダメだ。
龍之介に釣り合うように自分も強くならなければ。
いつかは、彼に頼られるような、お互いに助け合えるような存在になりたい―――
そう密かに決意して立ち上がると、虎次郎は涙でぐしゃぐしゃの顔を服の袖で拭い、祖母を待たせている家へと戻っていった。
□
クリアブルーの絵の具を塗り拡げたような雲ひとつない空に薄紅色の桜の花びらが舞う。
ぽかぽかとして日差しも暖かく穏やかな陽気で絶好の入学式日和だ。
――四月一日。
街道の並木道に一定の間隔で植えられた桜の木々が満開でさわやかな風に揺られて花弁がひらひらと舞い踊る。
桜の木が密集して植えられている場所へと建てられた、トタン屋根の古びたバス停に、二人の真新しい制服を着込んだ少年が立っていた。
一人は燃えるような赤い髪をした少年で、もう一人は艶やかな黒髪をした青年になりかけた肢体を持つ少年。
今年から新しく通う学園へと向かうために、二人はバス停に立ち、指定時間にバスが到着するのを待っていた。
満開の桜の木の下でバスの到着を待つ二人の少年。
特に会話をすることもなく、つかず離れず一定の距離を保ちながら無言でバスを待っている。
黒髪の少年は赤い髪の少年を見つめ、見つめられている方の赤い髪の少年は無言でふてくされたような表情で彼を見返してため息をついた。
赤い髪の少年――小林龍之介は今年から通うことになっている全寮制の男子校である若草学園へと行くことを自分の意志で決めたわけではない。
いろいろあって通うことを余儀なくされたといった方が正しい。
黒髪の少年――天上院真澄とは幼い頃に知り合い結婚を約束した間柄で、今現在はなし崩し的に肉体関係はあるものの二人の関係は友達以下恋人未満の微妙な関係だった。
友達というほど親しいとは龍之介が思ってはおらず、真澄が一方的に彼を婚約者だといい自分の保護下に置いて支配しようと考えている、そういった関係だ。
龍之介には今は違う想い人が存在しており、彼とは別々の学校へと通うことになり今年の春から離れ離れになる。
龍之介が通う学園が全寮制な事もあり、おいそれと会いたいときにすぐに会えるような状況下ではなくなる。
けれど、会えないからこそ募る想いというものがあることを龍之介は知っている。
真澄ももちろん長いこと海外で暮らしていて龍之介と会えなかった数年間にそういった想いがあることを痛いほどに身に染みて理解している。 龍之介と虎次郎をこうやっていざ引き離してみたものの、龍之介の気持ちは真澄からますます離れていくばかりだ。
だが、それでも、真澄は龍之介が他の誰かのものになることが許せず、歪んだ想いを燻らせていた。
出来る事なら龍之介を真なる意味で自分だけのものにしたい。
その願望を叶えられる唯一確実な方法がある。
しかしその方法は自分にとってもっとも辛い選択だ。
それは、最終的な手段であり今はまだ実行するつもりはない。
「「…………」」
お互いに複雑な思いを抱きながら、無言で停留所に立つ二人の前に、今しがた到着したばかりのバスが停車した。
ドアが開き、真澄は龍之介の手を取り彼と共にそのバスへと乗り込んだ。
手を掴まれて半ば強制的にバスへと乗せられた龍之介の表情はふてくされたままだった。
真澄に勉強を教えられて、奇跡的に合格できた学園へと入学できることを、龍之介の両親はとても喜んでいた。
龍之介の学力では受かりそうな学校がないと常々心配していた特に母親がとても喜んで、眠りこけている息子を叩き起こして満面の笑顔で家から送り出した。
家の門前には真澄が待ち構えていて、母親の千鶴に引き渡される形で真澄の胸へと押し付けられて、今、到着したばかりのバスの一番後ろの一つ前の座席に腰掛けて二人して座っている。
真澄と龍之介の母親の千鶴は、すっかり打ち解けており、二人はグルになって龍之介に勉強をさせることに躍起になり、頼んでもいない参考書を買ってきたり通信教育の資料や教材を取り寄せたり、散々いらない世話を熱心に焼いてくれた。
龍之介は、はっきりいってそういった二人の行動や言動にうんざりして辟易していた。
こうしている間にもバスは若草学園へと向かい、時期に到着してしまうだろう。
ふてくされたままで、席に座っていた龍之介だったが、停留所を二つくらい過ぎた後に停車したバス停から乗り込んできたある少年の姿に釘付けになった。
停留所で一人で立っていた少年は、停車したバスのドアが開くと同時に乗り込んできて後部座席のほうへと歩いてきて一番後ろの座席の端に腰掛けると頬杖を着いて外の景色を眺めていた。
そうこうしているうちに停車していたバスが走り出した。
流れていく景色を気だるげに眺めているその少年の姿に、離れ離れになった想い人の姿が重なって見えた。
金髪に空色の瞳、華奢で小柄な体躯。
髪はかなり短くカットされていてその少年に頼りなげな雰囲気はなく凛としていた。
けれどそれでも、その姿に虎次郎の面影を重ねずにはいられない龍之介は、自分でも気がつかないうちに、その金髪で小柄な少年に声を掛けていた。
「そこの金髪頭のひと――」
龍之介に声を掛けられたその少年は外の景色へと向けていた顔を声のするほうへと向けた。
龍之介の金色の瞳と金髪の少年の空色の瞳に互いの姿が映りこむ。
目と目が合った。
それが龍之介と翼の、出会いだった。
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