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若草祭には誰が出る?!【1】

  □  龍之介の後先考えない発言によって彼がまた真澄の手により痛い目を見るというのが周囲の人間から見て明らかなのだが、当の本人はまったく気がついていない。  真澄が言う、龍之介を鍛えるという言葉をそのまま素直に受け止めたようで、握り締めた拳でシャドーボクシングのような動きをし始めた龍之介を見て翼はため息をついていた。  彼の身の心配はあるが、今は自分の事だけで精一杯だ。  ただでさえ、真澄に目を付けられているのだ。  これ以上、底知れぬなにかを抱えた相手の逆鱗に触れないようにと、翼は身支度を整え終わった礼二の元へと向かい手を差し伸べる。 「ほら、そろそろちょうどいい時間だし、学校行くぞ」  翼に差し出された手を嬉しそうに掴んで、礼二は彼に補助されながら立ち上がった。  足元がほんの少しおぼつかないが、誰かに支えてもらいながらであればなんとか歩ける状態にまで回復していた。  にこにこと気の抜けた満面の笑みを浮かべた礼二が翼の手を離すまいとでもいわんばかりに強くぎゅっと握り返して嬉しそうにその腕にしがみ付いた。 「あ、兄貴、ちょっと、くっつきすぎ……」  龍之介や真澄、馨に和成といったギャラリーがいる中でお構いなしで、懐いてくる礼二に人目を気にする翼が焦った声でたしなめるように言うのを聞いて馨は笑いながらソファーから立ち上がる。 「あはは、僕らのことなら気にしなくって大丈夫だから気兼ねなく兄弟の愛を深め合えばいいと思うよ!」 「……馨が言うことはどうかとおもうが、昨日みたいにふらふら一人で行動されるよりかはいいんじゃないか?」    兄弟が戯れる一部始終を見ていた、馨と和成が口々にそう言って二人して玄関へと向かい、その場をあとにする。 「龍之介君。僕らもそろそろ行こうか」  そう言って立ち上がった真澄の言葉に頷き、シャドーボクシングをしていた動きをやめて龍之介もソファーから勢いよく立ち上がった。 「うおおおおおっ! 俺は真澄よりか強くなるぜえぇぇっ!」  と叫びながら、腰とあらぬ場所の痛み等忘れてしまったかのような勢いで、駆け出していった。  そのあとをやれやれと言った風に真澄が優雅な物腰で歩き出して、彼の後についていった。  龍之介の奴、見かけによらずものすごいタフだな……  翼はそう思いながら自分に全体重をかけてしがみ付いている実の兄を見ながらそう思った。  にこにこと嬉しそうな笑顔の礼二と目が合い、苦笑した。 「翼との約束だもん!ねっ!」  えへへと小さな子供のように無邪気に笑いながら翼の腕にぎゅっとしがみ付いてくる礼二の額を軽く小突く。 礼二がこのまま翼の傍にずっといる分には、人様に迷惑がかかる事もないだろうと、翼は妙に大人びた笑みを浮かべる。  サイドボードに置かれた鞄を手に取り、慌しく玄関に先に向かった4人の後に続いて、翼も礼二を腕にひっつけたままの状態でずるずると歩き出し、その場を後にした。  鞄二つを抱えて礼二まで腕に密着させたままの状態では靴を穿くのも玄関の扉を開いて廊下に出るのもかなりしんどい。  廊下に出て扉を閉めて、鞄を脇に挟んで鍵をポケットから取り出そうとしている不自由そうな翼を見るに見かねたのか、和成が馨に目配せして、翼が抱えている鞄を代わりに持ってやるように促した。 「翼君、ちょい、鞄貸してくれる?! 僕が持つから!」  馨が挙手をしてそう言うのを見ていた龍之介もすかさず手を上げる。 「俺も俺も! じゃあ、兄貴のほうの鞄持ってってやるよ!」  そう言い出した龍之介を見て明らかに嫌そうな顔をしている真澄が気になるが、翼はせっかくの好意に甘える事にした。  二人にそれぞれの鞄を持ってもらうことにして手渡した。      真澄は龍之介が他人のものに触れることすら許しがたく感じるのだがそれを口には出さずに嫌そうな顔をするだけに留める。  そんな真澄の狂気的な愛を知るよしもない龍之介は、 虎次郎にそこはかとなく似ている翼をほっておけないという気持ちもあって、お気に入りの彼にいいところを見せようと相変わらず自分が思うままの発言や行動を取る。  翼は馨と龍之介に鞄を持ってもらいスラックスのポケットから寮室の鍵を取り出してやっとの思いで鍵をかけた。  長い廊下を突き進みホールへとたどり着くと、そこに二人の少年が待ち構えていた。  初日で礼二の舎弟にされた佐藤と鈴木の二人だ。  特に昨日、佐藤には翼の前からこつぜんと姿を消して校内をうろついていたらしい礼二を保護してもらい世話になった。 「おはようございます美空君、礼二様」 「はよっス!」  軽く頭を下げて手を振りながらにこやかに挨拶をする佐藤に、相変わらず細い目をさらに細くして笑いながらくだけた挨拶をする鈴木。  翼の腕にしがみ付いていた礼二が、二人の舎弟の姿をみるなり、笑みを浮かべた顔のまま固まった。 「兄貴? どうし……」  翼が言い終わらないうちに礼二は翼の背後へと身を隠すようにして彼の肩にしがみ付いた。  身を縮めて隠れようとしているが、翼よりも頭半分ほど背が高い礼二は隠れ切れてはいない。 「礼二様」  礼二は、名前を呼ばれて、恐る恐る翼の肩から顔を出して佐藤を見る。  明らかにおかしな態度をとる礼二を翼が見て不信がっている。  佐藤は礼二に自分がいるところにまで来るように、笑顔で手招きをした。    礼二は、嫌々ながらもそれを無視するわけにはいかず、翼にしがみ付いていた手を離してよろよろとおぼつかない足取りで佐藤の下へと向かう。  佐藤は自分の眼前にやって来た礼二にだけ聞こえるように彼の耳元に口を近づけ 「礼二様。 あからさまな態度をとるのはやめてください」  そう言われて礼二はきょとんとした顔をする。 「翼君に変に思われて困るのは、礼二様でしょう?」 「……変に?」 「そうですよ。 それにあのことばらされて翼君に嫌われるのは嫌でしょう? だから翼君に怪しまれないように、彼の前では普通に僕に接してください。初日に僕と裕二に命令した時みたく高圧的に高飛車に振る舞ってください」  佐藤にそう言われて礼二はハッとした表情になって頷いた。 「う……わ、わかった! 翼には……」  震える掠れた声でそう言う礼二を優しげな目で見て、佐藤は笑顔で頷いた。 「言いませんよ。 礼二様が僕の言うとおりにしてくれている間は……ね」  というやりとりをして佐藤は礼二を翼の元へと帰した。    翼の元へと戻ってきた礼二は素の表情のまま呆けていたが、特になんともないようだった。 「兄貴、またなにか佐藤に迷惑かけたんじゃないか?」  翼がいぶかしげな表情で言うのを聞いて礼二は首を左右に振ってそれを否定した。  佐藤が礼二に何かを耳打ちして翼の元へ返すまでの一部始終を見ていた和成が無表情だが心持ち眉をしかめているように見える。 「変だ……」  和成がそう呟くのを隣で聞いていた馨は彼の目を見て頷いた。 「佐藤君に何か言われるまでの礼二君の態度が妙に怯えていた様に見えたのは僕だけじゃないのか……。 やっぱ、和成君にもそう見えてた?」 「ああ」  和成は佐藤が怪しいと昨日のうちからずっと目星をつけていたのだが、さっきの引っかかる礼二のあからさまに怯えているような態度を見てさらに彼に対する不信感が増した。  礼二にキスマークをつけた誰か。  実際に見たわけではないが、その誰かが佐藤である可能性が高い。    はっきりと現場を目撃したわけではないから断定はできないが、佐藤が怪しいことは確かだ。    だがしかし第三者である自分がどこまで介入していいのか分からない。  下手に動けば事態をより悪化させかねない。 「…………」  和成が無言で額に手を宛てて何かを思案しているのを横で見ていた馨が彼の肩を叩いた。 「今はまだ、とりあえず、様子見するかい?」  そう聞かれて事実関係がハッキリするまでは様子見をして探りを入れる必要があると考え、和成は無言で頷いた。  翼と礼二は傍から見ていて 羨ましいくらいに仲の良い兄弟に見える。  その二人を引き裂いて不幸にするような奴がいればそいつを排除するために自分ができる限りのことをしてやるつもりだ。  今まで何もしようとしなかったせいで、行動しなかったせいで、後悔したことは数え切れないくらいにある。  ――彼にはなんとなくだが自分に近い何かを感じる。  和成は礼二の事はまだあまり良く知らないが兄思いでしっかり者で妙に大人びた笑みを浮かべる翼の事が気になって、そして自分でも思ってる以上に気に入っているのだ。  寮館のホールで佐藤と鈴木も加わりそれぞれにたわいのない話をしながら、並んで歩いて教室へと向かっていた。 「佐藤。昨日は兄貴がいろいろと迷惑かけた。……今後はなるべくこういうことがないように気をつける」 「美空君。一人でなにもかも背負い込もうとしないでください」 「そうはいっても兄貴を野放しにしたら何しでかすか分からないし……」  自分の腕にしがみ付いてのろのろと歩いている礼二を見ながら翼がそう言う。  微熱があるせいで、頬が少しだけ紅潮して、ヒューヒューと喉の奥から礼二が呼吸をするたびに音が聞こえた。  風邪……引いたのかもしれないな……兄貴は体が強い方じゃないし、本当は休ませたかったんだが……  翼はそう思いながら、佐藤が話す言葉に耳を傾ける。 「僕が礼二様を見ていてもいいですし、裕二に任せてくれてもいい」 「それは迷惑じゃないのか?」 「美空君は一人じゃないんですから、もっと僕達を頼ってください」 「そうそう! 俺、礼二様の面倒ならいつでも喜んで見るっスから!」  穏やかな笑みを浮かべて言う佐藤の隣を歩く、鈴木も親指を立てて彼の意見に同意して頷いていた。 「そうだぞ! 俺もいるし、和成も、馨もいる! 真澄は……まあ、いいや」  と佐藤の後ろを歩いていた龍之介もそう言って鞄を持った手を振る。 「こうやっていつでも鞄を持ってやれるし、翼の兄ちゃんの傍にいてやれるんだぞ!」  歯を見せて少年らしい笑顔で言う龍之介を見て真澄が明らかに不機嫌そうな顔をした。  まあいいやの一言で済まされる自分は龍之介にとってのなんなのだろうかと考え込んでしまった。    何かあった時に金と権力でごり押しして解決できるのは真澄だけで、龍之介はそういう時にだけ彼を利用するのだ。  仕置きをされてもある意味仕方ないといえば仕方ないといえる。  自分に嘘がつけない竹を割ったような彼の性格は、おおいに真澄を苛立たせ、そして傷つけるのだ。  真澄は自身の中で燻っている歪んだ想いがより重く、どす黒く染まっていくのを自覚していた。  ―――限界が訪れる日はきっとそう遠くないだろう。  徐々に自身の背後へと近づいてくる破滅の足音を聞きながら、真澄は特に何も言わずに龍之介の隣を無言で歩いていた。 「そうそう、翼君が面倒見られない時は僕と和成君が見るし、ねえ!」 「ああ……困った時は俺達のところに一番最初にこい」  馨の台詞の後に普段は大人しくあまり長い言葉は発しない和成が珍しく自分の意見を口にした。  それは佐藤に対するけん制の意味も含んでいる。 「いざというときは翼の兄貴の面倒は俺達に任せてくれ」    和成が無表情ながらほんの少しだけ鋭く目を細めてそう言うのを聞いて、佐藤は笑顔を崩さずに奥歯を噛み締めて、平静を装っていた。  (邪魔だな……)  微笑を貼り付けたままで佐藤はそう思い、和成をどうにかして排除できないかと考えた。  無表情で言葉少なで何を考えているか解りずらい男だが、これから礼二を自分だけの玩具に仕立て上げていくのに大きな障害になるに違いない。  羽瀬和成の多分恋人であるところの畝田馨。  こいつもへらへらとして軽そうに見えて、強引に事を進めようとする行動力があり、情に厚く、人の世話を焼くのが好きでおせっかいな性格のようだ。  彼と同じ中学に通っていたというF組の生徒に聞いた話によればだが……。  佐藤のそんな心中など知る由もない礼二はふらつく体を支えられなくなったのか彼の背後から抱きつく形で今や全体重を預けて歩いていた。  翼に抱きついて本当に幸せそうに嬉しそうに小さな子供のように無邪気に笑う。  翼を心から好きで愛しているという気持ちが溢れている。  相変わらず、微笑を浮かべたままでそれを見る佐藤の心中では嫉妬の炎がチリチリと燻っていた。 (ああ……美空をみてると本当に苛々する……そんな奴を好いている礼二様にもだ)  無条件で礼二に好かれているのに、彼をまるでただの重荷としか感じていないかのような今までの翼の発言も鼻につく。

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