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若草祭には誰が出る?!【7】

    龍之介に至っては真澄に無理矢理頭を下げさせられて了承させられているようだ。  礼二はなにがどうなっているのかよく解っておらず、翼と一緒だということだけは理解できているという状態で返事をしていた。  和彦は最終確認を済ませると、職員用の席に座って安静にしている西野の元へ行き、黒板に書かれた出場者の名前をプリントに書き込むように言った。 「はい……」 一年代表、司会者 〇畝田 馨 女装コンテスト出場者 ①牛山 礼二 ②美空 翼 ③佐藤 博文 ④小林 龍之介 ⑤天上院 真澄 「書き終わりましたー……」  西野がメモを取ったのを確認してから、黒板に書いた文字を消して、赤いチョークで大きな文字で【自習】と書いて和彦はさっさとG組から退散しようとした。  出場者も無事に決まり話も纏まり、自分がするべきことはすべてし終わったとばかりにそそくさと退散しようと背を向けた和彦を慌てて引きとめようと西野が席を立ってあとを追いかけた。  ふらふらともつれる足で走ったせいで、和彦の背中に勢いよくタックルする形でぶつかり、また転びそうになった西野は藁にもすがる思いで、和彦のスラックスの腰部分を掴んだ。  が体制を立て直すことは出来ずにそのまま床へと倒れて和彦がはいていたスラックスが引き摺り下ろされる形で脱げ落ちた。  額と鼻先を床にまた打ち付けて、倒れた西野の手には脱げ落ちたスラックスが掴まれたままだ。  和彦は今度は下半身を剥き出しの状態にされてしまった。  馨から借りたブレザーを着てはいるものの丈の短いそれでは下半身が隠しきれず、教室から出ようとしていたために引き戸の前で背を向けた状態の和彦は身動きが取れずにその場で固まった。  G組の生徒達からは和彦の下半身の前側はかろうじて見えない位置だった。  それでも、剥き出しにされた臀部は生徒達がいる位置からも丸出しの状態で見ることが出来る。 「ぶっ!  和彦さんのお尻があぁっ! ぐふっ!」  和彦の白くて引き締まった太股とゆるやかで形のいい双丘をもろに見てしまった馨は鼻血を噴いて慌てて鼻先を手の平で押さえて出血を食い止めようとしていた。  和彦の下着とスラックスを纏めてがっしりと掴んだままで、床へとうつ伏せに倒れ伏したままの西野の元へと翼が向かいさっきと同じようにまた彼を助け起こそうと、手を差し出した。 「西野先生、大丈夫ですか?」  翼にそう声を掛けられて、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた西野は頷き、彼の手を取りなんとかよろよろと立ち上がる。  脱げ落ちた和彦の下着とスラックスは丸まったままで西野の手に掴まれたままだ。  突然の出来事に唖然として、引き戸の前で硬直したままでいた和彦だったが、しばらくして、肩を震わせて大勢に下半身を見られるという羞恥に耐えられず、顔を真っ赤にして大粒の涙を目尻に浮かべてその場に屑折れるようにうずくまって羞恥のあまり年甲斐もなくぼろぼろと泣き出した。 「うっ……」    耳まで紅に染まり、目尻に大粒の涙を浮かばせて、わなわなと肩を震わせてなく姿は哀れで、痛々しかった。  肩を震わせるたびに目尻に溜まった雫がぼたぼたと床へと零れ落ちる。 「うっ……うぅっ……!」         翼は鈴木の席に向かい、彼に話しかけた。 「鈴木、すまないが、ジャージでいいから下穿きを貸してくれ」 「まだビニール開けてないんで、返さなくていいっスよ。差し上げます、どうぞ!」  鈴木は机の横にかけてあるスポーツバッグのチャックを開けて中身をごそごそと漁り、黒地に白いラインが入ったシンプルなジャージを取り出して翼に手渡した。  まだ未開封で新品のそれを翼は受取った。 「新品だが本当にもらってもいいのか?」 「もう2着 スペアがあるので気にしなくても大丈夫っス!」  相変わらず目が線のように細くて、表情がわかりづらいが、軽い調子でそう言ってくれたので翼はそれをありがたく頂戴する事にした。  翼の隣にしがみ付いたままの礼二は二人のそんなやりとりをきょろきょろと首を動かして見ていた。 「鈴木、有難う。」 「いいえ、どういたしましてっス!」  翼に礼を言われ、手を軽く上げながらそう言う鈴木を見て礼二も熱のせいで緩んだ表情のまま、微笑を浮かべると鈴木の頭にぽんと手を置いた。  礼二に頭を触られて鈴木は糸のように細かった目をガッと見開いて驚いた顔をした。  目を限界まで開いても細いが、何より目を見開いた鈴木はどう贔屓目に見ても不気味だった。 「正直、お前のことなんて、どうでもいいやつ、だと、思ってたけど、翼の役に立ったから、これからも、生きててもいいよ」  と礼二は鈴木の頭を撫でながら熱に浮かされているせいか、頬を紅潮させて、息も切れ切れにそう言った。  人に何かをしてもらって礼を言う時の感謝の言葉には程遠い台詞を聞いて翼は礼二を叱ろうとした。  が、翼の予想に反して、鈴木は頬を赤く染めて、感涙にむせび泣いていた。 「有難うございます! 礼二様! 俺、これからもずっと貴方についていくっス!」  両手を合わせて礼二を拝みながら、泣きながら熱く語る鈴木を見て翼はしばし、呆気に取られた。  しかし、本人が喜んでいるのだから、まあいいかと思い、翼は鈴木からもらった新品のジャージをもって教卓に向かう。  翼の腕にしがみ付いたままの礼二もそれについていき、それをむせび泣きながら手を振って鈴木が見送った。     和彦が身を隠している場所に確保したばかりのジャージをそっと差し入れてやった。 「よければ、これに着替えてください」  翼に差し出された新品のジャージを和彦は受け取ってすぐにビニールを破り、中身を取り出してごそごそと着替え始めた。  さっそくジャージのズボンを穿こうとして折りたたまれたそれを伸ばしてみたが、下着がない事に気がついた。  スラックスと纏めて脱がされた和彦の下着はまだ西野が握り締めたままだ。 「…………」  着替えようとして手を止めた和彦は、ほんの少しだけ逡巡するも、大勢の生徒がいる教室で下半身を露出させたままでいるという羞恥で耐え難い状況を速くどうにかしたくて仕方なく下着は諦めて、直接ジャージのズボンに脚を通して穿いた。  西野は手塚に慰められて何とか泣き止んで、さっきよりは幾分、落ち着きを取り戻していた。  人の力になるどころか故意にではないにしろ逆に迷惑をかけてばかりの自分が情けなくて、申し訳なくて、気を抜くとまたすぐに泣けてきてしまう。  毎回、心から相手に申し訳ないと反省しているのに同じような失敗ばかりを繰り返してしまうのだ。 「西野先生、大丈夫ですか?」  手塚がそう言いながら差し出した手を西野は掴んでよろよろと立ち上がる。  3回も額を強く打ったせいか、直立した瞬間になんだかめまいがした。  ふっと意識が薄れて全身から力が抜けて、背中から倒れそうになった西野を手塚が慌てて抱きとめた。  抱きとめられなければ今度は後頭部を強く床へと打ち付けるところだった。 「西野先生! しっかりしてください」 「…っ…あ…れ……」  西野はくらくらとする頭を手で押さえて手塚の腕の中で白む意識を奮い立たせて自分を呼ぶ声がするほうを見やる。  ジャージの上下を着込んで着替え終わった和彦が教卓から出てきて、倒れた西野の元へと駆け寄った。 「動かさずにそのままにしておいてくれ」 和彦は手塚に向かってそう言ってから、西野の手首を掴んで脈を測り、声を掛けた。 「くーちゃん、俺の声が聞こえるか?」  西野の目の前に手を翳して振りながら声を掛ける。  西野はそれを目で追いかけてから、返事をした。 「は……はい……すみませ……ん……」 「……無理に動こうとせずにしばらくそのままで、安静にしていろ」 「は、はい……」  和彦は西野に動かないように言って、教壇に上がる。 「誰でもいいからバケツに水を汲んできてくれ。後、タオルを持ってる奴は貸せ!」  それを聞いて持っている生徒がタオルを取り出して前の席の生徒へと橋渡ししていき集められたものが和彦に手渡された。  佐藤は鈴木と共に用具入れからバケツを取り出して水を汲みに廊下の手洗い場へと向かった。  なにはともあれこういう時は、安静にさせて、氷か濡れタオルで頭部を冷やさなければならない。  佐藤と鈴木がバケツに水を汲んで教室に戻ってきた。  鈴木が冷水を注いだバケツを保健医がいる場所にまで運んで置いてから声を掛けた。 「水汲んできたっス!」 「おう。 教卓にあるタオルをぜんぶ水に浸してぶち込んどいてくれ! それから、一枚絞ってこっちによこせ」 和彦にそう頼まれて、鈴木は佐藤が教卓から持ってきてくれたタオルをすべてバケツの中に浸した。  冷水に浸されたタオルの中から一枚取り出して佐藤がある程度絞ってから和彦へと手渡した。  和彦は受取った冷えタオルを西野の額にのせる。 「しばらくこのまま絶対に安静にしていろ。 無理に動くと状態が悪化する恐れがある。 明日、明後日が土日休みでよかったな。 一応大事をとって検査入院したほうがいい。 紹介状を出してやるから若草市内の総合病院へいけ」  と西野に大きな病院にいき大事をとって精密検査を受けるために入院した方がいいと進めた。 「……そ、そんな……おおげさな……」  西野はそう思い、力のない気の抜けた声で言った。 「だめですよ。 頭を打って倒れたんですから、一応、精密検査を受けてきて、なんともないというのをしっかり確認してきてください。」  やや眉を顰めて心配そうに自分を覗き込む、手塚にまでそういわれては断るわけにもいかず、西野は力なく返事をした。 「はい……すみません……ご迷惑を……おかけしてしまっ……て……本当に……」  西野が震える声で途切れ途切れにやっとそう言うのを聞いて和彦はやれやれと言った表情で笑みを浮かべると西野の頭を軽く小突く真似をした。 「本当は一発お見舞いしてやろうと思ってたんだがな。  今日のところは勘弁しといてやる。  いいから今は何も考えずに安静にしておけ。 頭痛がひどくなっちまうぞ」  和彦にそう言われて西野は目頭が熱くなり、また泣きそうになったのを堪えて瞼を閉じた。  ぶっきらぼうで口が悪いけど、やっぱり和彦先生はいい人だ……そんな彼に恥をかかせてひどい目に合わせてばかりの自分はいつか何かを返せるのだろうか?  と西野はぼんやりする頭で考えた。  確かに何かを考えると頭痛がひどくなってきたような気がする。  自分もはやく一人前になりたい。  そして手塚先生みたいまでとはいかなくても、少しでも生徒の力になれるような、和彦先生にも頼られるような教師になりたいと思った。  実現できるかどうかは置いておいて、そう言う気持ちは常に持って自分なりに頑張っているつもりが、今の状態だった。  ああ、本当に、情けないやら悔しいやらで……。  西野は瞼をぎゅっときつく瞑って、下唇を噛んでまた溢れそうになる涙を堪えた。  翼は腕に強くしがみ付いてくる礼二に寄りかかられていて、思うように動くことが出来ず、西野が倒れてから応急処置がされるまでを、緊張した面持ちで静観していた。  佐藤と鈴木が和彦に言われて、すぐに指示に従い、バケツに水を汲みに行ってくれた。  前の席にいる奴がタオルを持っている奴から、それをかき集めて、教卓へと置き、纏まりがなく、ばらばらでみな好き勝手なことを言ったり、席を立ったりしていた生徒らだったが、西野が倒れたことがきっかけで、G組がいつの間にか一つになって、みんなで協力し合って担任を助けようとしていた。  おかしなやつらばかりが集まったクラスだが、G組の連中は存外、根はいいやつらなのかもしれない。  翼はそんなことを思いつつ、西野が倒れた場所で彼が手塚に抱きかかえられたままの状態で、和彦に処置されているのを見ていた。    西野が倒れる時に気が抜けたせいか、手に握り締めていた和彦のスラックスと下着は手放され、床へと放置されていた。  クラスが一丸となってみんなが協力し合って西野に手を貸そうとして一つになっている中で明らかに一人だけ不審な動きを見せる人物がいる。  こそこそと気付かれないように西野が立っていた場所へと腰をかがめて忍び足で向かい、床に落ちている何かを拾って、ごそごそとスラックスのポケットにしまいこんでいるようだ。  翼はたまたま、その不審な金髪頭の生徒の動きが気になって目に入り、それを視線で追っていた。  その生徒は翼とふいに目があって、一瞬ギクリとした表情になったが、唇の前に人差し指を立てて、このことは黙っていて欲しいと手振りで伝えてきた。  金髪頭の変態は目的のブツをまんまと入手することができて、満足げな顔で自分の席がある場所に戻ってきて着席した。  礼二の真後ろにある席だ。 「馨……お前……まさか……」  翼にじと目で見られながらそう聞かれて、馨はそれ以上言うなと手を左右に振って身振りで黙らせようとした。 「シーッ! それ以上何も言わんといてくだしあ!」 「いや……でも、それ保健医のパンッ「言うたらあかんてえぇぇぇ!」  続きを言おうとした翼の台詞を遮って馨は慌てて翼の口を手で塞いで止めようとした。  熱があって半分寝かけていた礼二がその気配を察知して翼に伸ばされた魔手を払いのけて、馨の額めがけてきつく握り締めた拳を打ち込んだ。 「俺の翼に気安く触るんじゃねぇ、金髪豚野郎ッ!」 「痛いっ! いきなりひどいじゃないか礼二君!」 「俺の名前を気安く呼ぶなハゲ! くたばれ!」  翼は馨を本気で攻撃し出した礼二の腕を掴んで止める。 「コラ、兄貴! 約束を忘れたのか?! 人を傷つけるような真似したら保健室行きだぞ!」  馨の額や頭を拳で本気で殴る礼二を叱り付ける。 「う……わかった……」  礼二は翼とした約束を思い出して、出掛かった拳を納めて自分の席に座りなおした。 「あー……もう、みんなしてなんで額ばっか狙って……本当にハゲちゃうじゃないのさ!」 「馨、下着泥棒は窃盗で犯罪だからそれ返してこい」  翼にそう注意された馨は首を左右に振ってそれを断った。 「和彦さんが男に下着盗まれたなんて被害届け出すわけないし、せっかくゲットしたお宝を手放す気はありませーん」  馨は口笛を吹きながら、そう言って自分がした事に対する罪悪感だとかそう言うものはまったくないというそぶりだった。  お調子者で軽くて面倒見がいい馨だが、ただのいい人ではなくこういった手癖の悪い一面も持つのだ。  そんな、彼は良くも悪くも自分の欲に素直で忠実なのだろう。 「はあ……」  翼は呆れ果てた目で馨を見やり、ため息をついた。  まあ、黙っていれば多分面倒なことにはならないだろうし、言っても聞かない相手と無駄に言い合いをして神経をすり減らすのも疲れる。  相手が馨のような相手であればなおさらだ。暖簾に腕押しでのらりくらりとこちら側が言うことをうまくかわされるだけだろう。 「翼君、もしかして和彦さんにチクろうとか考えてる?」 「……いや、わざわざ波風立てるようなことは言わない」  翼が遠い目をして疲れ切った声色でそう言った。 「わあ、さすが翼君だね! 話がわかる! ありがとう!」 「礼を言われるようなことじゃない……」 「いや~これで当分ズリネタに困らないよ。出すもの出さないと病気になっちゃうからね!」  嬉々としてそう言う馨の台詞を聞いて翼は思った。  馨はある意味すでに病気じゃないのか……と。 「僕たち、若いからしょうがないよね。うん」  馨にそう言われて翼はガクリと力なく項垂れ、さらに深いため息をついた。  翼と馨がそんなやりとりをしている間に倒れた西野の応急処置が済んで床に寝かせたままの西野の額に置かれたタオルがぬるくなってきたら冷えた物に差し替えるという作業を和彦が淡々とこなしていた。  バケツに入れられたタオルは佐藤と鈴木が和彦に頼まれるたびに絞って手渡していた。  このまま額を冷やし続けてしばらく動かずに安静にしていればじきに回復するだろうか……翼はそんなことを思いながら西野を見ていた。  昨日は礼二が騒ぎを起こして、今日は西野が派手にへまをやらかして騒ぎを起こして、平穏な学園生活にはまだまだ程遠いような気がした。 幼い子供のように泣き出した和彦を見て西野はまた自分がしでかしてしまったことに気がついた。  一度ならず二度までも和彦の身ぐるみを上手い具合に剥がしてしまった。 「はあああああっ! すみません、すみません和彦先生、泣かないでくださ、ぃ……うわあああっ!」  恥ずかしさのあまり子供返りしてしまい、床にぺたんと座り込んで泣いている和彦を見て西野も猛烈にがくがくと首がもげるんじゃないかという勢いで、頭を下げまくって謝りながら、大泣きし始めた。  教師二人が号泣している光景を見ているG組の生徒達はみな唖然とした面持ちでそれを見ていたが誰一人動こうとする気配は無く、ただ黙って事の成り行きを見守っていた。  馨にいたってはポケットティッシュを取り出して大量に噴き出した鼻血を止めるべく紙縒りを作ってせっせと鼻腔に詰めていた。  その間も座り込んだ和彦の下肢に視線が釘付けになっており、目を血走らせてその光景を脳裏に焼き付けようとしていた。 「はあ、はあ……うっ! ぼかぁもうぅ!」  興奮しすぎて息が荒く、前かがみがさらに酷くなり鼻腔にティッシュを詰めた姿は情けなくてとても美形には程遠い姿だ。  G組にいる教師二人が泣き出してしまい収拾がつかない状態に陥って、翼は迷わず、引き戸を開けるとG組を出て、隣のF組に向かって駆け出した。  どうしようもない状態になって収拾がつかないときは隣のF組担任の手塚先生を頼ろうと思っていたからだ。  なんとか手塚先生に頼らずに済みそうだと思っていたのに、結局こうなったかと翼は思いながらF組の引き戸をノックした。 「つばしゃぁー……まってぇ……どこぃくのー?」  駆け出して教室を飛び出した翼の後を追って、熱があるせいか、足元がおぼつかずによろよろと歩いている礼二はとりあえず放置して泣き出して収拾がつかなくなった教師二人を手塚先生になんとかしてもらおうと思った。  このままでは保健医があまりにも不憫すぎるし、翼ではどうやって宥めたらいいのかわからない。  今日は幸い入学式の次の日で、特に授業もない日で昼前には寮に帰ることが出来る日だ。  翼はノックしてしばし扉の向こうにいる相手の返事を待つ。 「はい。どうぞ」  聞き心地のいい低音ボイスの美声で返事があった。  翼はその声を聞いてからF組の引き戸をそろそろと開いた。  ゆっくり開かれていく引き戸の端から翼が恐る恐る顔を覗かせて様子を伺っているのをF組の生徒達もまた注目していた。  自分に集まる視線の痛さに引き戸を閉めて逃げ出してしまいたくなるがぐっと堪えて黒板の前に立っている手塚に声を掛けた。 「手塚先生、ちょっといいですか?」 「美空君、どうされました?」  手塚に聞かれて何をどこから話せばいいか翼は迷ったが、あまり細かく説明する事はせず、幾分かはしょって今のG組の状況を伝えようとした。 「G組で問題が起きて……俺一人じゃとてもどうにか出来そうもなくて……手塚先生、どうか力を貸してください」  翼が頭を下げて緊張の面持ちでそう言うのを聞いて、手塚はため息を付いてやれやれと言った風な微笑を浮かべつつも頷いてくれた。  こうなることをあらかじめ予想していたのか特に驚いた様子もなかった。 「吉良君」 「へぇーい」  手塚はF組の生徒の一人の名前を呼び自分がいる場所にまで来るように手招きする。 「吉良君、F組の後のことは君に任せます。お得意のアウトドア談義でもなんでもいいので俺がいない間、残りの時間を自習にして繋いどいて下さい」  手塚に呼び出されたその生徒は深い緑の双眸に四方八方に寝癖のせいかボサボサに跳ねた緑かかった黒髪を掻いてから、不必要なほど馴れ馴れしく返事をした。 「よっしゃ! 俺っちで良ければ、任されてやんよ♪  俺っち、男女問わず美人の頼みは断らない主義だし、他ならぬアッちゃんの頼みだかんな!」  と言って自分の胸を拳で叩いて頷いたその生徒は吉良 光矢<キラ コウヤ>という名前で、若草学園に入学する以前に彼と同じ学校に通っていた生徒であれば誰もが知っている程に有名人だった。  彼は変態的アウトドア嗜好の持ち主だともっぱらの評判で、この学園に入学したばかりの初日に中央公園の森林区域にアウトドアよろしくテントを張り屋外生活をしているのだ。  学生寮があるのに寮には入らずにわざわざ公園の鬱蒼とした木々や草花が生い茂り小川が流れている場所を住処にしてサバイバル生活をしているような野生児である。  ありえないくらいのアウトドア好きとしてF組の中では既に一番の中心人物でとても目立っていた。  彼はだれにでも馴れ馴れしくあだ名をつけて気安く呼ぶのがデフォルトであるらしく、手塚のことも名前の敦<アツシ>から名づけたあだ名でアッちゃんと呼ぶのが既に彼の中で定着しているようだ。  そんな変わり者の彼を手塚はなぜかクラス委員長に任命した為、手塚がいない間の繋ぎは彼がすることになったのだ。  光矢自身はF組のクラスメイト達に゛森の人゛や゛原始人゛を始め、゛ひとりキャンプ゛や゛アウトドア委員長゛等と言うあだ名を付けられ親しまれ(?)ている。  肌が日焼けしていて浅黒く、緑かかった黒髪に緑の瞳を持ち、公園の森林区域にテントを張って屋外生活をしている事から名づけられたようだ。  そんな彼だが、クラスを纏めるのが上手く、元来の馴れ馴れしさからか、クラスメイトの誰とでも気軽に接することが出来、意外にも委員長に向いている。  黒板の前に手塚の変わりに立ち、教卓に手をついて、光矢はお得意のアウトドア談義をし始めた。 「今日は俺っちが臨海学校に参加して海で迷った挙句に無人島に流れ着いて、遭難してそこで一人きりで、一ヶ月生き抜いた時の話をしてやろう!」  光矢がクラスの生徒達の注目を集め話をし始めたのを見届けてから手塚は翼の肩を軽く叩いて 「それじゃ、G組に行きましょうか」  と声を掛けF組の教室から廊下に出るように促した。  手塚と共にG組へと向かう途中で翼の後を追ってふらふらと歩いていた礼二と遭遇した。 「つばさ!」  礼二は翼の元へとよろよろ慌てて歩いてきて、今度は離すまいと強い力でまた腕にしがみ付いた。  翼の腕にあたりまえのようにしがみ付いてきた礼二を見て手塚は少々呆気に取られたような顔をした。   「あ、兄貴、ちょ……くっつきすぎだって!」 「俺は今日、翼の傍から離れたら、だめなのに、翼がおいてった……」 「もう置いていったりしないから、そんなに強くしがみ付かなくても大丈夫だ」 「やだ……」  そんな兄弟のやりとりを見て手塚は微笑を浮かべ 「いいじゃないですか、もうこのままG組に向かいましょう」  と言って翼に先へ進むように促した。 「こうしている間にも、G組でまた何か問題が起きているかもしれないですし……」  そう言葉を続けられて翼はハッとして頷いた。  今はそれどころじゃなかったんだ。  兄貴が腕にしがみ付いて抱きついてくるのを気にしてそれにかまけている場合ではない。     翼は礼二を腕に寄生させたまま、廊下を早足で歩きG組へと辿り着き引き戸を開いて慌てて中へと駆け込んだ。  慌てて早足で駆け込んだ翼のすぐ後に、手塚もG組の教室へと入り、騒音を立てないように静かに気を使いつつ引き戸を閉めた。  手塚は大変なことになっているというG組を見渡したが、生徒達は唖然とした面持ちで静かに着席しており、特に騒ぎが起きているような状況ではなかった。  出入り口近くにいる西野は膝を付いて、ガクリと頭をうな垂れて土下座の様な状態になっていた。  手には何か青っぽい布が丸まったまま、握り締められていて、彼は肩を震わせて泣いており頬を大粒の雫が伝っていた。  手塚はまず状況を把握しようと、膝を付いてうなだれて泣いている西野に優しく声を掛け彼の肩にそっと手を置いた。 「西野先生、どうされたんですか?」  そう聞かれて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げた西野は首をぶんぶんと左右に振りたくって、嗚咽交じりに自分を責め立てて追い込むような事を言った。 「じっ……自分が、全部……わっ、悪いんですっ……ぐすっ……この世に、生まれてきたの、がっ……」  手塚はそれを聞いて、眉を顰めると、スラックスのポケットからハンカチを取り出してそれを使って西野にまず涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を拭くように促した。 「何があったかは存じませんが、とりあえずこれで顔を拭いて下さい」 「ふえっ……ぐすっ……ふぁい」  西野は手塚に手渡されたハンカチを受取って、ぐしゃぐしゃの顔を拭いた。  そんなやりとりをしている二人を横目で見ながら、翼はいつのまにか姿が見えなくなって消失してしまった保健医・・・和彦の姿を教室をきょろきょろと見回して探していた。  西野の手にはいまだ和彦のスラックスと下着が握り締められている。  ということは和彦は、下半身を露出させたままの状態で未だにどこかにいるということだ。  和彦のいる場所を探している翼に、鼻に紙縒りを詰めた状態で前かがみで、情けない格好をしたままの馨が声を掛けた。 「翼君、和彦さんなら、ここ! ここにいるお!」  馨がそう言って指差した場所は教卓だった。  翼は教壇に上がり、空洞になっている教卓の中を覗きこんだ。  そこには体育座りで蹲って、両手で顔を隠して小動物のように怯え切った和彦の姿があった。  下半身裸の状態を大勢に見られて見世物のようにされた上、馨には指差され、鼻血を出されてさんざんいやらしい目で見られて、和彦は大いに傷ついていた。  馨の脳内では実際、和彦はいいズリネタとして妄想の中でざんざん犯され捲くっているのだが……。  それを知らない和彦は中年になる年老いた自分がそういう対象に見られることに耐えられなかったのだ。  自分の異常な若作りにあまり自覚症状のない和彦は自分が性的な目で見られることに慣れていなかった。  実際は和彦に対して、邪な感情を抱く者は手塚を始め、馨や、その他の一部の生徒や同僚など、意外と多いのだが、彼はそれにまだ気付いていない。  教卓の中に引きこもって蹲っている和彦に翼はとりあえず、相手を刺激しないようになるべく柔らかい口調で声を掛ける。 「羽瀬先生……大丈夫ですか?」  翼にそう問いかけられ和彦は、顔を覆っていた手の平をそろそろと退けて、ゆっくりと顔を上げた。 「…………」  涙を必死で止めようとして服の袖か指先で拭っていたのか、泣き腫らした目元が痛々しい。 「ちょっと待ってて下さい下穿きをクラスの誰かから今、借りてきますから。ジャージでもなんでも構いませんよね?」  翼に小声でそう言われて和彦は無言で頷いた。  力いっぱい掴まれて、倒れるときの勢いに任せて、引きずりおろされた和彦のスラックスは恐らくボタンやチャックが壊れて使い物にならないだろうと翼は思いクラスの誰かからジャージの下でも何でもいいから借りようと考えた。  和彦と同じような中肉中背で背が高い似たような体型のクラスメイトを探して目星をつけた二人に声を掛ける。 「馨か鈴木、お前らなんでもいいから下穿きに出来そうな着替えを持っていたら貸してくれないか?」  翼が馨と鈴木のいる方を交互に向いて、そう言ったのを見て、和彦が慌てて、首を左右に振りたくる。 「……馨の下穿きはダメだ」  掠れた声で翼にだけ聞こえるように教卓から少しだけ顔を覗かせて言い出したのを聞いて頷いた。 「わかりました……けど、なんで馨はダメなんですか?」  翼の問いに和彦は眉を顰めて、嫌そうな顔をして答えた。 「あいつに借りたら、返してから俺が穿いた下穿きを何に使うかわかったもんじゃねえだろ……」  和彦がそう言うのを聞いて翼はなんとなく馨の下穿きを借りて穿きたくないという和彦の心情を察した。  たとえ、クリーニングに出して返したにしろ、和彦が穿いたという事実だけでも十分過ぎるくらいズリネタになるような変態が畝田馨という男だ。  実際、馨は和彦が穿いた下穿きを手に入れれば、なにか、よからぬ事に使いかねないだろう。  たとえば匂いを嗅ぐとか、自家発電をするときのおかずにするとかだ。  そんな理由で下穿きを借りる人物は鈴木に絞られた。

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