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若草祭には誰が出る?!【8】
翼は鈴木の席に向かい、彼に話しかけた。
「鈴木、すまないが、ジャージでいいから下穿きを貸してくれ」
「まだビニール開けてないんで、返さなくていいっスよ。差し上げます、どうぞ!」
鈴木は机の横にかけてあるスポーツバッグのチャックを開けて中身をごそごそと漁り、黒地に白いラインが入ったシンプルなジャージを取り出して翼に手渡した。
まだ未開封で新品のそれを翼は受取った。
「新品だが本当にもらってもいいのか?」
「もう2着 スペアがあるので気にしなくても大丈夫っス!」
相変わらず目が線のように細くて、表情がわかりづらいが、軽い調子でそう言ってくれたので翼はそれをありがたく頂戴する事にした。
翼の隣にしがみ付いたままの礼二は二人のそんなやりとりをきょろきょろと首を動かして見ていた。
「鈴木、有難う。」
「いいえ、どういたしましてっス!」
翼に礼を言われ、手を軽く上げながらそう言う鈴木を見て礼二も熱のせいで緩んだ表情のまま、微笑を浮かべると鈴木の頭にぽんと手を置いた。
礼二に頭を触られて鈴木は糸のように細かった目をガッと見開いて驚いた顔をした。
目を限界まで開いても細いが、何より目を見開いた鈴木はどう贔屓目に見ても不気味だった。
「正直、お前のことなんて、どうでもいいやつ、だと、思ってたけど、翼の役に立ったから、これからも、生きててもいいよ」
と礼二は鈴木の頭を撫でながら熱に浮かされているせいか、頬を紅潮させて、息も切れ切れにそう言った。
人に何かをしてもらって礼を言う時の感謝の言葉には程遠い台詞を聞いて翼は礼二を叱ろうとした。
が、翼の予想に反して、鈴木は頬を赤く染めて、感涙にむせび泣いていた。
「有難うございます! 礼二様! 俺、これからもずっと貴方についていくっス!」
両手を合わせて礼二を拝みながら、泣きながら熱く語る鈴木を見て翼はしばし、呆気に取られた。
しかし、本人が喜んでいるのだから、まあいいかと思い、翼は鈴木からもらった新品のジャージをもって教卓に向かう。
翼の腕にしがみ付いたままの礼二もそれについていき、それをむせび泣きながら手を振って鈴木が見送った。
和彦が身を隠している場所に確保したばかりのジャージをそっと差し入れてやった。
「よければ、これに着替えてください」
翼に差し出された新品のジャージを和彦は受け取ってすぐにビニールを破り、中身を取り出してごそごそと着替え始めた。
さっそくジャージのズボンを穿こうとして折りたたまれたそれを伸ばしてみたが、下着がない事に気がついた。
スラックスと纏めて脱がされた和彦の下着はまだ西野が握り締めたままだ。
「…………」
着替えようとして手を止めた和彦は、ほんの少しだけ逡巡するも、大勢の生徒がいる教室で下半身を露出させたままでいるという羞恥で耐え難い状況を速くどうにかしたくて仕方なく下着は諦めて、直接ジャージのズボンに脚を通して穿いた。
西野は手塚に慰められて何とか泣き止んで、さっきよりは幾分、落ち着きを取り戻していた。
人の力になるどころか故意にではないにしろ逆に迷惑をかけてばかりの自分が情けなくて、申し訳なくて、気を抜くとまたすぐに泣けてきてしまう。
毎回、心から相手に申し訳ないと反省しているのに同じような失敗ばかりを繰り返してしまうのだ。
「西野先生、大丈夫ですか?」
手塚がそう言いながら差し出した手を西野は掴んでよろよろと立ち上がる。
3回も額を強く打ったせいか、直立した瞬間になんだかめまいがした。
ふっと意識が薄れて全身から力が抜けて、背中から倒れそうになった西野を手塚が慌てて抱きとめた。
抱きとめられなければ今度は後頭部を強く床へと打ち付けるところだった。
「西野先生! しっかりしてください」
「…っ…あ…れ……」
西野はくらくらとする頭を手で押さえて手塚の腕の中で白む意識を奮い立たせて自分を呼ぶ声がするほうを見やる。
ジャージの上下を着込んで着替え終わった和彦が教卓から出てきて、倒れた西野の元へと駆け寄った。
「動かさずにそのままにしておいてくれ」
和彦は手塚に向かってそう言ってから、西野の手首を掴んで脈を測り、声を掛けた。
「くーちゃん、俺の声が聞こえるか?」
西野の目の前に手を翳して振りながら声を掛ける。
西野はそれを目で追いかけてから、返事をした。
「は……はい……すみませ……ん……」
「……無理に動こうとせずにしばらくそのままで、安静にしていろ」
「は、はい……」
和彦は西野に動かないように言って、教壇に上がる。
「誰でもいいからバケツに水を汲んできてくれ。後、タオルを持ってる奴は貸せ!」
それを聞いて持っている生徒がタオルを取り出して前の席の生徒へと橋渡ししていき集められたものが和彦に手渡された。
佐藤は鈴木と共に用具入れからバケツを取り出して水を汲みに廊下の手洗い場へと向かった。
なにはともあれこういう時は、安静にさせて、氷か濡れタオルで頭部を冷やさなければならない。
佐藤と鈴木がバケツに水を汲んで教室に戻ってきた。
鈴木が冷水を注いだバケツを保健医がいる場所にまで運んで置いてから声を掛けた。
「水汲んできたっス!」
「おう。 教卓にあるタオルをぜんぶ水に浸してぶち込んどいてくれ! それから、一枚絞ってこっちによこせ」
和彦にそう頼まれて、鈴木は佐藤が教卓から持ってきてくれたタオルをすべてバケツの中に浸した。
冷水に浸されたタオルの中から一枚取り出して佐藤がある程度絞ってから和彦へと手渡した。
和彦は受取った冷えタオルを西野の額にのせる。
「しばらくこのまま絶対に安静にしていろ。 無理に動くと状態が悪化する恐れがある。
明日、明後日が土日休みでよかったな。 一応大事をとって検査入院したほうがいい。 紹介状を出してやるから若草市内の総合病院へいけ」
と西野に大きな病院にいき大事をとって精密検査を受けるために入院した方がいいと進めた。
「……そ、そんな……おおげさな……」
西野はそう思い、力のない気の抜けた声で言った。
「だめですよ。 頭を打って倒れたんですから、一応、精密検査を受けてきて、なんともないというのをしっかり確認してきてください。」
やや眉を顰めて心配そうに自分を覗き込む、手塚にまでそういわれては断るわけにもいかず、西野は力なく返事をした。
「はい……すみません……ご迷惑を……おかけしてしまっ……て……本当に……」
西野が震える声で途切れ途切れにやっとそう言うのを聞いて和彦はやれやれと言った表情で笑みを浮かべると西野の頭を軽く小突く真似をした。
「本当は一発お見舞いしてやろうと思ってたんだがな。
今日のところは勘弁しといてやる。
いいから今は何も考えずに安静にしておけ。 頭痛がひどくなっちまうぞ」
和彦にそう言われて西野は目頭が熱くなり、また泣きそうになったのを堪えて瞼を閉じた。
ぶっきらぼうで口が悪いけど、やっぱり和彦先生はいい人だ……そんな彼に恥をかかせてひどい目に合わせてばかりの自分はいつか何かを返せるのだろうか?
と西野はぼんやりする頭で考えた。
確かに何かを考えると頭痛がひどくなってきたような気がする。
自分もはやく一人前になりたい。
そして手塚先生みたいまでとはいかなくても、少しでも生徒の力になれるような、和彦先生にも頼られるような教師になりたいと思った。
実現できるかどうかは置いておいて、そう言う気持ちは常に持って自分なりに頑張っているつもりが、今の状態だった。
ああ、本当に、情けないやら悔しいやらで……。
西野は瞼をぎゅっときつく瞑って、下唇を噛んでまた溢れそうになる涙を堪えた。
翼は腕に強くしがみ付いてくる礼二に寄りかかられていて、思うように動くことが出来ず、西野が倒れてから応急処置がされるまでを、緊張した面持ちで静観していた。
佐藤と鈴木が和彦に言われて、すぐに指示に従い、バケツに水を汲みに行ってくれた。
前の席にいる奴がタオルを持っている奴から、それをかき集めて、教卓へと置き、纏まりがなく、ばらばらでみな好き勝手なことを言ったり、席を立ったりしていた生徒らだったが、西野が倒れたことがきっかけで、G組がいつの間にか一つになって、みんなで協力し合って担任を助けようとしていた。
おかしなやつらばかりが集まったクラスだが、G組の連中は存外、根はいいやつらなのかもしれない。
翼はそんなことを思いつつ、西野が倒れた場所で彼が手塚に抱きかかえられたままの状態で、和彦に処置されているのを見ていた。
西野が倒れる時に気が抜けたせいか、手に握り締めていた和彦のスラックスと下着は手放され、床へと放置されていた。
クラスが一丸となってみんなが協力し合って西野に手を貸そうとして一つになっている中で明らかに一人だけ不審な動きを見せる人物がいる。
こそこそと気付かれないように西野が立っていた場所へと腰をかがめて忍び足で向かい、床に落ちている何かを拾って、ごそごそとスラックスのポケットにしまいこんでいるようだ。
翼はたまたま、その不審な金髪頭の生徒の動きが気になって目に入り、それを視線で追っていた。
その生徒は翼とふいに目があって、一瞬ギクリとした表情になったが、唇の前に人差し指を立てて、このことは黙っていて欲しいと手振りで伝えてきた。
金髪頭の変態は目的のブツをまんまと入手することができて、満足げな顔で自分の席がある場所に戻ってきて着席した。
礼二の真後ろにある席だ。
「馨……お前……まさか……」
翼にじと目で見られながらそう聞かれて、馨はそれ以上言うなと手を左右に振って身振りで黙らせようとした。
「シーッ! それ以上何も言わんといてくだしあ!」
「いや……でも、それ保健医のパンッ「言うたらあかんてえぇぇぇ!」
続きを言おうとした翼の台詞を遮って馨は慌てて翼の口を手で塞いで止めようとした。
熱があって半分寝かけていた礼二がその気配を察知して翼に伸ばされた魔手を払いのけて、馨の額めがけてきつく握り締めた拳を打ち込んだ。
「俺の翼に気安く触るんじゃねぇ、金髪豚野郎ッ!」
「痛いっ! いきなりひどいじゃないか礼二君!」
「俺の名前を気安く呼ぶなハゲ! くたばれ!」
翼は馨を本気で攻撃し出した礼二の腕を掴んで止める。
「コラ、兄貴! 約束を忘れたのか?! 人を傷つけるような真似したら保健室行きだぞ!」
馨の額や頭を拳で本気で殴る礼二を叱り付ける。
「う……わかった……」
礼二は翼とした約束を思い出して、出掛かった拳を納めて自分の席に座りなおした。
「あー……もう、みんなしてなんで額ばっか狙って……本当にハゲちゃうじゃないのさ!」
「馨、下着泥棒は窃盗で犯罪だからそれ返してこい」
翼にそう注意された馨は首を左右に振ってそれを断った。
「和彦さんが男に下着盗まれたなんて被害届け出すわけないし、せっかくゲットしたお宝を手放す気はありませーん」
馨は口笛を吹きながら、そう言って自分がした事に対する罪悪感だとかそう言うものはまったくないというそぶりだった。
お調子者で軽くて面倒見がいい馨だが、ただのいい人ではなくこういった手癖の悪い一面も持つのだ。
そんな、彼は良くも悪くも自分の欲に素直で忠実なのだろう。
「はあ……」
翼は呆れ果てた目で馨を見やり、ため息をついた。
まあ、黙っていれば多分面倒なことにはならないだろうし、言っても聞かない相手と無駄に言い合いをして神経をすり減らすのも疲れる。
相手が馨のような相手であればなおさらだ。暖簾に腕押しでのらりくらりとこちら側が言うことをうまくかわされるだけだろう。
「翼君、もしかして和彦さんにチクろうとか考えてる?」
「……いや、わざわざ波風立てるようなことは言わない」
翼が遠い目をして疲れ切った声色でそう言った。
「わあ、さすが翼君だね! 話がわかる! ありがとう!」
「礼を言われるようなことじゃない……」
「いや~これで当分ズリネタに困らないよ。出すもの出さないと病気になっちゃうからね!」
嬉々としてそう言う馨の台詞を聞いて翼は思った。
馨はある意味すでに病気じゃないのか……と。
「僕たち、若いからしょうがないよね。うん」
馨にそう言われて翼はガクリと力なく項垂れ、さらに深いため息をついた。
翼と馨がそんなやりとりをしている間に倒れた西野の応急処置が済んで床に寝かせたままの西野の額に置かれたタオルがぬるくなってきたら冷えた物に差し替えるという作業を和彦が淡々とこなしていた。
バケツに入れられたタオルは佐藤と鈴木が和彦に頼まれるたびに絞って手渡していた。
このまま額を冷やし続けてしばらく動かずに安静にしていればじきに回復するだろうか……翼はそんなことを思いながら西野を見ていた。
昨日は礼二が騒ぎを起こして、今日は西野が派手にへまをやらかして騒ぎを起こして、平穏な学園生活にはまだまだ程遠いような気がした。
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