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見る者見られる者そして繋がり【1】

 一時はどうなることかとひやひやしていた翼だが、西野がしばらくの間、安静にして、なんとか起き上がれるようになる頃には昼近くになっており、二日目の終業のチャイムが鳴った。  回復してすぐに身を起こそうとする西野を和彦が嗜めて、大人しく寝かせると手塚に彼を寝かせたまま保健室まで運ぶように頼んだ。 「敦、とりあえず、くーちゃんを保健室まで負担をかけないように寝かせたまま運んでくれ」  線が細く、スタイルのいい彼のどこにそんな力があるのか、手塚は西野を軽々と姫抱きにする形で抱き上げた。  手塚に抱き上げられた西野は目を白黒させて頬を赤らめて恥ずかしがっていた。  生徒達の視線が手塚に抱き上げられた自分に集中しているのが痛いくらいにわかって恥ずかしくなってしまう。  多かれ少なかれ、みながそれぞれに担任の身を案じているのだ。 「それじゃ、保健室に行きましょうか」 「おう。」  手塚に促されて、和彦は頷くと、教卓の前に立ち、生徒達に帰り支度をして適当に解散するように言った。 「若草祭の出し物に出場する奴も決まったし、適当に教室を片付けてから各自、帰り支度をして寮に帰るなり、校内を散策するなり好きにしてくれ。以上だ」  G組の生徒達はそれぞれに帰り支度をし始めて、西野を抱きかかえた手塚と和彦が教室から出て行くのを見送った。  今日は授業も無い日だ。  昼前にはあがれる予定だったがこんな形で解散することになるとは翼は予想していなかった。  とりあえずは、寮に戻って、礼二に昼食を作ってやり食べさせて薬を飲ませて寝かしつけてから、馨に話を聞こうと思う。  翼は自分の腕にしがみ付いている礼二の肩を叩いて、席を立つように促した。  今日は特に荷物もなにも入れてはいない鞄を持ってきただけだ。  翼は礼二の机の横に立てかけておいた鞄を二つ手に取り立ち上がった。  翼につられて立ち上がった礼二に自分の鞄を持たせると、背後の席にいるはずの馨を振り返り見た。  ――いない。  礼二の後ろの席にいるはずの馨の姿はすでに無く、教室を見回してみても彼の姿は見つけられなかった。  どこに行ったんだ?!  教室をきょろきょろと見回している翼の元に佐藤と鈴木がそれぞれの鞄を手にしてやってきた。  少し遅れて龍之介も翼がいる場所にやってきて、その後を追い不機嫌な顔をした真澄もついてきた。 「礼二様、途中までご一緒しましょう」 「お供させて頂きまっス!」  佐藤と鈴木にそう言われて、礼二は翼の腕にしがみ付いたまま、少しだけうろたえつつも頷いた。  龍之介は翼の元へ来るなり屈託のない笑顔で 「途中まで一緒に帰ろうぜ!」  と言い彼の肩を叩いた。  G組から出て長い廊下を突き進んでA組へと差し掛かるとよく見知った後姿が目に入った。  G組からいつの間にか姿を消したはずの馨がそこにいた。  解散と聞いてすぐにG組を飛び出してここまで猛烈な早足で向かい、出入り口に立ってA組の中の様子を伺っていた。  一分一秒でも速く愛しい彼に会いたくて大急ぎで和成を迎えに来たのだ。  馨の和成に対する溺愛振りはある意味病気といってもいいくらいかもしれない。  だが、A組はまだHR中のようだ。 「馨、ここにいたのか」  声をかけられて馨は振り向くとそこには翼と礼二をはじめ龍之介、真澄、佐藤に鈴木がぞろぞろと立っていた。   「やあ、みんな僕に何か用でもあるのかい?」  馨がへらへらと笑いながらそう言うのを聞いて翼は彼の元に近づいて耳打ちした。 「今朝、言ってた兄貴のファンクラブみたいなスレが若草学園のHPにどうとかいう詳しい話を聞かせてくれる約束しただろう?」  翼にそう言われて馨はハッとした表情になって頷いた。 「ああー……そういえばそうだったっけ……じゃあ、和成君が出てきて合流してからでいいかい?」 「ああ」  二人がそんなやりとりをするのを礼二は交互に見て不思議そうな顔をしていた。  G組の生徒達の礼二に対する態度が気色悪かった件についても翼は馨に詳しく話を聞くつもりでいた。  しばらくたわいのない話をして時間を潰して、数分後にガタガタとA組の生徒らが席を立つ音が聞こえてきた。  そのすぐ後に前方の引き戸が開かれてA組の担任である木崎が出席簿とプリントを手に出てきて馨と鉢合わせた。  出入り口のすぐ前に立っていた馨と目が合うと柔らかい笑みを浮かべて自分から挨拶をした。 「畝田君、それからみなさんも。 こんにちは」  木崎に挨拶をされて、翼たちも口々に挨拶を返して軽く会釈した。  礼二も翼が挨拶を返したのを見てから、朝、教えられた事を思い出してやや遅れて挨拶を返した。 「こんにちは」  礼二が挨拶を返したのを見て、木崎は穏やかな表情になり目を細める。 「はい、こんにちは。 どうですか? 挨拶をすると気分がいいでしょう?」  木崎に朝と同じ事をまた聞かれて礼二は頷いた。 「翼、俺は今、どうやら気分がいいらしいぞ」  自分の事をまるで人事のように言う礼二を見て翼はやれやれと言った風に大人びた笑みを浮かべた。  礼二が挨拶できるようになっただけ今までと比べればたいした進歩なのかもしれないと思った。  いままで当たり前のことすらしてこなかった礼二にいろいろと教えてやらなければならないことがこれからもきっとあるだろう。  木崎と挨拶を交わし別れてから数分ほど待ってA組の教室から和成が出てきた。 「和成きゅーーん! 会いたかったよおぉぉっ!」  嫁の姿を見るなり感涙にむせび泣きながら駆け寄って抱きつこうとしてきた馨を和成は持っていた鞄でなぎ払う。 和成に伸ばされた馨の両腕は鞄に叩かれて和成に届くことはなかった。 「あいたーっ! 和成君ひどいじゃないか!」 「いきなり、人前で抱きつこうとするな……」  馨の背後にいる翼達を見て顔を真っ赤にして和成は馨に自重するように言った。  翼達は馨の行動に特に何も感じていないが和成一人が恥ずかしがって周囲の視線を意識してしまい気にしているようだ。  現場を目撃していたA組の生徒達も特に気にした様子もなく別れの挨拶を交わして通り過ぎてゆく。 「羽瀬、また明日な」 「コンテスト楽しみにしてる」 「さよならー」  和成にそう声を掛けて通り過ぎていったA組の生徒達の背中を見送る。  なんだ、馨と和成はもう周囲にも公認されている仲なんじゃないか……翼はそんなことを思いながら夫婦喧嘩をしている相変わらずな二人を見た。  もっとも翼には、人目が気になる和成の気持ちはとてもよくわかるのだが。  初日に礼二に抱きしめられて、入学式が終わり、寝ぼけていた礼二にキスされたことも思い出した。  思い返せば、礼二が人目を気にしないせいで翼は初日からずいぶんと大変な目に合った。  馨が和成と合流したのを見て翼は口論している二人に話しかけた。 「和成、馨にちょっと用があるんだがいいか?」 「それは別に構わないが……」 「和成君、どうする? 一緒に来るかい?」  馨にそう聞かれて和成は少しだけ思案して頷いた。 「ああ」  翼が馨に何の用があるのか純粋に気になるというのもあって和成は二人についていくことにした。 「その前に、兄貴を寮まで連れて行って寝かしつけてからになるだろうから、俺の自室で話すことになると思うがいいか?」 「ああ」 「全然、それでいいよ」  翼達の会話を黙って聞いていた佐藤は鈴木と連れ立って食堂に向かう事を告げた。 「それじゃあ、僕らはこれで……翼君、礼二様、それから皆さん、さようなら」 「俺達、今から食堂に行って飯食べるんで失礼させていただくっス! さようならー!」  佐藤と鈴木はそう言って、別れの挨拶をして学生食堂がある二階へと向かう階段がある場所に向かいそそくさと去っていった。  佐藤は元々今日は礼二と無理に接触することはせずに過ごそうと決めていた。  礼二と自分が肉体関係を持った事に気付かれない為には多少、時間と距離を置くことも必要だ。  彼は今日はどうも具合が良くなかったようで、朝からずっと息が浅く不規則で、頬を紅潮させてふらふらとしていた。  慣れない行為をして精神的にも肉体的にも消耗しきったせいで風邪でも引いたのだろう。  礼二は思っていたよりも腕力も体力も強くなく、細くて華奢な体をしていた。  あまり健康な方ではなく虚弱体質気味なのだろう。  佐藤は礼二を再起不能にしたい訳ではない。  できるだけ彼に身体的に負担をかけずに無理をさせて体調を崩される事がないようにしたい。  体調を崩されてはしたいことも出来なくなり本末転倒だ。  佐藤はそんなことを考えながら、二階へと続く階段を上っていった。  佐藤と鈴木の姿が見えなくなるまで見送ってから翼は背後を振り返り、和成と馨と話している間もずっと黙ってそれを傍観していた龍之介と真澄に話しかけた。 「龍之介と真澄はこの後どうするつもりだ?」    そう聞いてきた翼の問いに龍之介が拳を振り上げて熱くなって興奮気味に答えた。 「俺は今から真澄に修行をつけてもらうんだ!」  真澄がどんな修行を付けてくれるのか龍之介は純粋にわくわくして楽しみにしているようだ。    辛く苦しい修行に耐えてパワーアップする少年漫画の主人公よろしく、ヒーローオタクの龍之介は修行とか訓練とかそういうものが好きなのだろう。 「今すぐにはしない。 龍之介君、修行をする前に昼食を取らないと身体を壊すからダメだ」 「えーー……じゃあ、ゼリー飲料でも自販機で買って飲もう!」 「まったくせっかちだな君は。 そういうことだから、僕達はこれで失礼させて頂くよ」  真澄は翼と馨、和成の三人に気持ち程度に挨拶をした。  そのまま、龍之介の肩に腕を回して彼をつれて自販機がある場所へと向かい歩き出した。 「翼、それじゃ、また明日なっ!」  龍之介が振り返って大げさに手を振りながら翼に別れの挨拶をして真澄と共にその場を去っていった。  龍之介と真澄もいなくなり、翼は和成と馨と顔を見合わせて、頷いた。 「それじゃ俺達もそろそろ寮に行こう」  礼二を休ませるために一旦寮へと帰り、彼を寝かしつけなければならない。  落ち着いて馨から話を聞けるのはそれからだ。  龍之介が真澄に付けてもらう修行の内容と言うのが多少気になったが翼は礼二の顔色を伺い見て彼の額に手を置いて熱を測る。 「……熱いな」  熱が朝よりも上がり、無理して登校したせいで病状が悪化してしまったようだ。 「兄貴、大丈夫か?」  自分の腕に寄りかかるようにしがみ付いている礼二にそう声を掛けると浅く息を吐きながらも「うん」と頷いた。 「礼二君、具合悪そうだね……また、僕が背負って連れて行こうか?」  馨にそう言われて翼は頷いたが、背負われる側の礼二が明らかに嫌そうな顔をした。  翼以外の男に馴れ馴れしくされたり触れられたりする事は礼二にとっては耐え難く精神的に苦痛に感じる事でしかない。    だからこそ、翼以外の相手――佐藤に触れられて無理矢理されたはずの行為に感じてしまって、最後には快楽に負けて自分の意思でそれを受け入れてしまったという事実に打ちのめされていた。  今の礼二は、自分自身にさえ嫌悪感を抱き始めて、精神的にかなり不安定な状態になりつつあった。  翼じゃなくても他の男にされても感じるようなだらしのない身体をしている自分が忌々しくて許せなくて、混沌とした気持ちをどうやって処理すればいいのかわからなくて、思い悩み、精神的な負荷が身体に影響を及ぼし、結果、礼二は体調を崩して熱を出してしまった。    (翼以外の人間には触れられたくない……)  礼二は掴んでいる服の袖をぎゅっと握り締めて引き離されないように翼の腕に熱で思うように出ない力を振り絞って必死でしがみ付いた。  そんな様子を見て和成が礼二を背負おうと彼に近づこうとしている馨の肩を掴んで止めて、首を緩く左右に振った。 「背負うのは諦めて、二人の鞄を持ってやれ」  和成にそう言われて馨は頷くと、翼に向かって手を差し出した。 「じゃあ、翼君と礼二君の鞄は僕が持っていくよ」 「ああ、悪いが頼む……」  翼が申し訳なさそうに言って、自分と礼二が持っている鞄を馨へと手渡した。  寮館に帰る途中の中央公園の森林区域に、ぽつんと張られているテントから煙が出ている。  なにやらパチパチと音がしており、焼ける音と、香ばしい匂いが漂ってきた。  誰かが魚を焼いているようだ。  鬱蒼と茂る木々の間からちらりと見えた緑の髪に褐色の肌をした青年に見覚えがあった。  確か、彼は手塚のクラスであるF組にいた生徒ではないだろうか?  というかこんな場所で、バーベキューなどしている者がいるという事が既におかしいのだろうが、若草学園ではよくあることなのだろうと通り過ぎた。        寮館へと着き、広間を抜けて長い廊下を歩き自室の前で立ち止まる。  熱を出した礼二を腕に持たれかけさせたままゆっくり歩いてきたせいか、思っていたよりも結構、時間がかかってしまった。

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