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見る者見られる者そして繋がり【2】

「じゃあ、ちょっと、兄貴に昼飯食べさせて寝かしつけてくる」    翼がそう言うのを聞いて、馨は手に持っていた鞄を和成に渡して持ってもらった。 「僕はちょっと自室にノートパソコン取りに行ってくるから和成君は翼君と礼二君と待っててくれるかい?」 「ああ」  和成が頷いたのを見てから馨は自室へと早足で向かった。  馨がノートパソコンを取りにいっている間に、翼と礼二の寮室へと上がりこんだ和成は手に持っていた二人の鞄を玄関にある靴箱の上に置いて、寝室へと向かう翼の後についていった。    寝室について早々に翼はベッドを整えて、掛け布団をめくって礼二に横になるように促した。  「兄貴。昼飯作ってくるから、寝て待っててくれ」  翼に頭を撫でられてそう言われて、礼二は頷いてベッドに上がって大人しく横になった。  無理して登校した疲れもあるのだろう。  礼二は布団に潜り込んで早々にうとうとし始めた。  掛け布団を整えて綺麗にかけなおしてやってから翼は礼二の頬に触れて優しく撫でてやり、安心させるように微笑を浮かべて幼子に語りかけるときのような口調で言い聞かせた。 「すぐに戻ってくるから、いい子にして待ってろよ」 「ん……」  頬を撫でられながら優しい口調でそう言われて礼二はコクリと頷いて瞼を閉じる。  不安や寂しさから、翼に整えてもらったばかりの掛け布団をぎゅっと握り締めた。  翼がほんの少し自分の傍から離れるというだけで礼二は寂しくて、目の前が真っ暗になってしまったような気がしてどうしようもなく不安になる。  幼い頃に訳が分からないまま親の身勝手で翼と引き離された過去が礼二のトラウマになっているせいもあって、もう二度と会えなくなってしまうのではないかとまで考えてしまう。  精神的にも肉体的にも疲れているせいか、礼二は不安感に苛まれながらも瞼を閉じてすぐに寝息をたて始めた。  目を覚ました時には翼がいてくれることを心から願いつつ、ゆるゆると眠りに落ちていった。  礼二が寝息をたて始めたのを見届けてから翼は少しの間、和成に礼二の傍にいて彼の様子を見ていてくれるよう頼んで台所へと向かった。  レトルトのおかゆを買い込んできてあるし、後は適当に買ってきた野菜を電子レンジで茹でて温野菜にでもして食べさせようと、冷蔵庫から根菜を取り出して、ニンジンとジャガイモを流水で外側を洗い汚れを落としてから、まな板の上にのせて一口サイズに危なっかしい手つきで刻んでいった。  玉ねぎの皮も剥いてから適当に刻む。  刻んだ野菜を全て放り込んだ耐熱容器を、電子レンジへ入れて中央へ置き、扉を閉めて、設定ボタンを押して7分加熱にした。  野菜を電子レンジで加熱している間に、レトルト粥の中身を小鍋に移し変えてコンロにのせる。  沸騰させたお湯で包装を破らずにそのまま温めてもいいが、中身を出して弱火でことこと温める方が手早くできる。  鍋を火にかける直前に玄関からインターホンの電子音が鳴り響き、来客があったことを知らせる。  ノートパソコンを取りに自室へ一旦、戻っていた馨がやってきたのだろう。  翼は玄関へと向かい、ドアを開いて馨を招きいれた。 「和成なら兄貴と一緒に寝室にいるぞ」  翼にそう言われて頷いてから馨は靴を脱いでスリッパに履き替える。 「そういや、翼君お昼ごはんどうするの? 礼二君と同じ病人食作って食べるのかい?」  馨にそう聞かれたが、翼は今朝、兄が食べられなかった朝食の残りを昼ごはんにしようと思っていた。  サラダとハムエッグとトーストが冷蔵庫の中に入れられたままだ。 「俺は……今朝兄貴が食べられなかった朝ごはんが残ってるからそれを食べるつもりだけど……」  翼がそう言うのを聞いて馨はノートパソコンを手提げ袋から取り出して、さらに他にもいろいろと持ってきたビニール袋に入れられた食材と調味料を取り出して見せた。 「僕が、これ使ってなんか作ってあげるよ。和成君と僕の昼食作るついでにだけどね!」  馨のその言葉を聞いて翼は意外そうな顔をした。 「お前、料理できるのか?!」 「えっ! そんな驚くような事かい? ぼかぁ、結構、こういうの得意だけど何かおかしいかな?」 「いや……男で料理が得意な知り合いとかいなかったから」  料理が出来る男は女にモテるという話は聞いたことがあるが実際に得意な奴にはあったことがなく中学時代の調理実習などは悲惨な有様だった。  男だけのグループで悪戦苦闘した挙句、とてもじゃないが食べられないような物体が出来た。  馨とそんな事を話しながら台所へと向かった。  台所へついて早々にレンジにかけておいた温野菜が出来たようだ。  チーン!と電子音が鳴り響いて、指定された時間になったことを告げる。  翼はレンジを開けて、慌てて容器を取り出した。 「それ、礼二君に食べさせる病人食?」 「ああ、お粥だけだと栄養的に良くないかと思って温野菜を作ってたんだ」 「味付けとかしたかい?」 「え……していない……」  馨にそう聞かれて答えつつも容器の蓋を開けて、中身を見てみる。  テーブルに用意しておいたフォークでさしてちゃんと柔らかくなるまで火が通っているかを確かめる。 「朝食の残りは?」  馨に聞かれて冷蔵庫を指差して彼に開けて勝手に見るように促した。 「一番上の段に置いてあるから勝手に冷蔵庫開けて見ていいぞ」  馨は言われて頷くと冷蔵庫の一番上に置かれた、サラダとハムエッグとトーストを取り出した。 「グリーンサラダとハムエッグはサンドイッチかなにかに使うとして固くなったトーストはオニオングラタンスープでも作ってぶち込めば……」  そうぼそぼそと呟きながら自分が持ってきた食材もテーブルへと並べて、服の袖を中ほどまでまくって、ヘアゴムをスラックスのポケットから取り出して、髪を邪魔にならないように無造作に纏めて縛る。 「翼君が作った温野菜、緑の野菜が不足してるからほうれん草とキャベツとセロリ追加ね。あと薄い味付けのスープにするから。  ついでに僕達の昼ごはんにするオニオングラタンスープも作っちゃうおうかと思うんだけどいいかい?」  馨にやや早口でそう言われて翼は多少、うろたえつつも頷いた。  料理が得意というのはどうやら本当らしい。  二品三品纏めて作ってしまえる手腕とアドリブを効かせて臨機応変にメニューを考えられる柔軟さは熟練の専業主婦のそれに近い。  馨が鼻歌交じりに玉ねぎを慣れた手つきでみじん切りにしていくのを横で唖然とした面持ちで見ていた翼だったが、おかゆを火にかけようと鍋に入れて置いたままだったことを思い出してコンロに火をつけて弱火でことこと温めることにした。 「ふんふんふふふ~ん♪」  リズミカルに手早く包丁で食材を切って、冷蔵庫からバターとベーコンを取り出して鍋を空いている方のコンロに乗せて温める。  十分に温まってからバターをひとかけと適当なサイズに切ったベーコンを放り込んでいためていく。  バターが完全に溶けかける前にみじん切りにした玉ねぎを追加して木ジャクシで掻き回しながら弱火で炒めていく。 「ベーコンとバターで玉ねぎを飴色になるまで炒めてうまみとコクを出すとあんまり調味料を使わなくてもスープが美味しく作れるよ~」  馨がそう言いながら玉ねぎを炒めているのを横目に翼は温まったおかゆを火から 下ろした。  馨が慣れた手つきで手早く数品まとめて調理していくのを感心しながら見ていた。 「うちは両親が共働きだから、仕事で疲れて帰ってくる親のためにレシピ本片手に料理し始めたのがきっかけで僕がずっと夕食の献立考えてたから自然といろいろ作れるようになっちゃってね」  聞かれてもいないことを語り出した馨の言葉を聞いて翼は「そうか」と短く返事を返して聞いていた。  翼自身は料理は母親任せだったために昨日、今日、はじめたばかりだが、破滅的に料理が下手なわけではないので、毎日作っているうちにだんだんといろんな料理のレシピを憶えて作れるようになるだろうと考えていた。  とりあえず、これからは、料理をしていて何か分からないことがあるときは馨に聞けばいいかもしれないと思った。  翼がそんなことを考えているうちにちゃっちゃと料理を済ませて完成した品を馨がテーブルへと並べた。  ハムとタマゴとレタスのサンドイッチに表面にチーズがのせられ調度よく狐色に蕩けたオニオングラタンスープ。  ココット皿に入れられたグラタンスープの中には翼がレンジで湯がいた根菜とキャベツ、ほうれん草とみじん切りにしたセロリも加えられて煮詰められていてブイヨンとバターの食欲をそそるいい香りが漂っている。  もうひとつの平皿に盛られたのは、あまり味付けをしていない野菜を潰して柔らかく煮込んだスープで礼二の病人食用に作ってくれたものだろう。 「スピード調理する裏わざと言うかスキルとかもネットで調べていろいろ覚えたから得意なんだよね」  笑みを浮かべながら完成した料理をお盆にのせて、スプーンとフォークを綺麗に並べて布巾と冷蔵庫から適当に取り出した飲み物を用意して二つあるお盆のうち一つを翼へと手渡した。    「それじゃ、礼二君が待ってるし、はやく寝室に持って行こうか?」  馨にそう言われて翼は頷くとトレイにのせられた昼食を零さないように慎重に寝室へと運んだ。  それを見届けてから馨も、もう一つ残されたお盆と飲み物を両手にそれぞれ抱えて翼の後に続いた。  昼食を作り終えて寝室に翼と馨が開けっ放しにされていた扉をくぐり入室してきたのを見て、和成はベッド脇にあるイスから立ち上がり、サイドボードの上に置いてあるティッシュ箱と小物を隅へと寄せて昼食が置けるスペースを作った。  4人前の食事を置くには少し狭いスペースへと出来立ての昼食がのせられたトレイを並べた。 「兄貴、昼飯できたぞ」  肩を掴まれてそっと揺すられて礼二は瞼を開いて眠い目を擦りながら上半身を起こして翼がいる方を見た。  霞む視界の向こうに見える翼の姿を見て安心したような顔をした。 「んん……つばしゃぁ」  翼は礼二の癖のある赤茶けた柔らかい髪を梳くように撫でてやった。 「これ食べて、薬飲んで安静にしてないと治るものも治らないぞ」 「ん……」  礼二は翼に差し出されたお粥の入った器を受取って中身をじっと見ている。 「レトルトの梅粥だけど……兄貴嫌いじゃなかったよな?」 「うん。あーんするから食べさせて……」  甘ったれた声色で薄く開いた口を指差す礼二を見て翼は背後を振り返り昼食を食べ初めている和成と馨を見た。  和成と馨の二人と目が合い翼は思わず頬を紅潮させる。 「あー……俺たちのことなら気にしなくていい……」 「僕らは僕らでいちゃいちゃするから気にせずに礼二君に食べさせてあげなよ……って、いたっ!」  ふざけた口調でそう言う馨の額に和成はチョップを食らわせて黙らせた。  頬をうっすら赤くして和成は形のいい眉を顰めてごまかすようにコホンと咳払いをした。  馨が言った台詞を聞いて照れているのが見て分かる。  こんな調子で和成は人目を気にせずに発言したり行動したりする馨にいろいろと苦労させられているのだろう。  翼は照れ臭さから頬を赤らめつつもベッドがある方に向き直るとレンゲで兄が手にしている皿から梅粥を一口分掬ってふーふーと息を吹きかけて冷ましてやり布団に零れないように空いている方の手を添えて礼二の口元へと運ぶ。  自分の口元へと翼が息を吹きかけて冷ましてくれたお粥を差し出されて、礼二は嬉しそうにそれに口をつけた。  コクリと白く濁った白液を飲み下して礼二は嬉しそうな顔をしてまた口を開けてもっと食べさせてもらおうとベッド脇のイスに腰掛けている翼を見る。  息を吹きかけてお粥を冷ましてやっては礼二に食べさせてやるという作業に翼はしばし没頭して、最後の一口を掬って彼の口元へと運ぶ。

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