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見る者見られる者そして繋がり【9】

 礼二に当たり前のことを当たり前にできるようにいろいろと教えてやって普通の生活が出来るように、自分がいなくなっても一人でも生きられるように、少しづつでもいい。  手を引いてやって、一歩ずつでも歩いていこう――弟の俺が兄の手を引いて。  それは傍から見れば滑稽な光景かもしれない。  でも、それでもいいじゃないかと思えるように最近やっとなれたところだ。  弟とか兄とかそういうものに囚われる必要はない。  自分は自分で礼二は礼二なのだから。  いろいろと兄に再会して物思いに耽り、そう考えられるようになった。    とりあえず、この後は食器を台所に持っていって洗ってから洗濯をしなければ。  部屋も整理整頓して家事をある程度済ませてから、礼二がいる寝室へと戻り、眠っている彼の様子を見て大丈夫そうなら自分も今日は早めに就寝しよう。  明日は土曜日で学校が休みだけれど特になにか用事があるわけではない。  家のことをやりながら礼二と一緒にゆっくりと過ごすのもいいだろう。  長い時間を兄弟二人で過ごすのは久し振りだ。  小学校低学年の時に両親が離婚して離れ離れになって以来始めて二人で過ごす休日だ。  馨は返されたノートパソコンを手提げ袋にしまいこんで帰り支度をしていた。  クラスの連中の態度が気味悪かった理由は、雑談板のスレを見て大体は把握できた。  馨に話を聞くまでもなく、そこを見ればよかったのかもしれない。  馨は手提げ鞄を肩にかけて、和成の方を振り返って、彼の元へといって起こさないようにそっと抱き上げる。 「それじゃ、そろそろ僕達も自室に帰るよ。 これ以上いてまた邪魔しても悪いし……」  和成を姫抱きにする形で、そっと抱え上げた馨は翼がいる方を向いてそう言った。 「ああ。今日は、その……俺の方こそ邪魔して悪かった……」 「いや、ははは……ひとんちで暴走しちゃった僕が全面的に悪いから気にしなくていいよ」  そんな会話をしながら玄関へと向かう。  玄関について和成の靴を翼は手に取ると自分の学生靴が入っていた空箱に入れてやった。  そのまま馨が肩に下げている手提げ鞄に入れてやって両手がふさがっている馨に靴を履かせてやる。  翼に足を片方ずつ預けて靴を履かせてもらって馨は礼を言って事後のけだるさにかまけて深く眠り込んでしまってすやすやと寝息を立てている和成を起こさないように気をつけながらゆっくり立ち上がる。  翼は玄関のドアを開けてやり馨が和成を抱えて出て行くのを見送る。 「それじゃ、翼君、また月曜日ね! 礼二君にお大事にって伝えておいてねー!」  馨はそう言って軽く頭を下げてから、和成を抱きかかえたまま自室である42号室へと帰っていった。  和成を抱えた馨の姿が42号室に消えるまで見送って翼は玄関のドアを閉めて鍵をかけた。  自室の居間へと戻り、開けられていないダンボールがまだ乱雑に置かれている部屋を見渡した。  制服の上着を脱いで、シャツの袖を肩辺りまで捲り上げてから、身動きできずにいて固まった腕を伸ばして、回し、身体を解してから気合を入れて、種類別に包装された生活必需品や衣類が入れられたダンボールを開封していき昨日やっとの思いで半分済ませておいた部屋の整理の続きをし始める。  部屋の整理を急ピッチで進めて、しばし整理整頓や後片付けに時間を費やして、家事に没頭した。    翼が全てを終わらせて一息つく頃には窓から見える空はすっかり茜色に染まりはじめていた。  作業途中で熱くなって開けていたベランダの窓から涼しい風が流れ込んで翼のうっすら汗に湿った短い髪をそよそよと乱した。  朝干しておいたシーツと衣服を慌てて取り込むために翼はベランダへと向かう。  すっかり冷たくなってしまったシーツを取り込んでいる翼の視界を赤い髪をした少年の姿が掠めた。 「う、うおおおぉぉっ! まだまだだあぁっ!」  赤い髪のその少年の姿には見覚えがあった。  黒い髪の長身で線の細い美しい少年の優雅で流麗な動きとは逆に赤い髪の少年は拳や蹴りをものすごい速さで矢継ぎ早にガンガン打ち出している。  一撃一撃に力が込められた攻撃を流水の動きで華麗に避けて、一切反撃はせずに全てを紙一枚すれすれでかわしている。  というか龍之介と真澄じゃないか……翼はそう思ってベランダから見下ろせる場所にある、広場でまるで少年漫画のような熱い組み手をしながら全速力で走り回っている二人を目で追っていた。  まさか、昼に別れてから今の時間までずっとあんなことをやっていたのだろうか……翼はそんなことを思いながら龍之介が真澄に拳を繰り出して避けられている姿を見る。  がむしゃらに拳や蹴りを打ち出してはいるが、力任せに打ち出されるそれは、長時間酷使したためか、動きがぎこちなくぶれがみえるように感じた。  逆に龍之介の攻撃を全てすれすれでかわしている真澄の方は、優雅で余裕のある動きで、息切れすらしていない。  化け物かあいつは……翼は猛スピードで突進してくる龍之介よりも素早く動き、彼の攻撃全てを避けていて息切れのひとつすらしていない真澄を見て戦慄した。 「はあああぁーーっ!」 「クックッ! こんな攻撃じゃいくら数打っても僕に指一本触れることすら不可能だね」 「ほざけえぇあぁっ! 俺は絶対にお前よりか強くなる! 絶対にだああぁっ!」  龍之介はそう叫びながら握り締めた拳を次々と高速で打ち出しているが全て紙一重で避けられている。     攻撃を避けながらも徐々に龍之介に近づき距離をぐっと縮めて不敵な笑みを浮かべて、真澄は彼の頬へと強烈な平手打ちを一撃だけ食らわせた。  不意打ちで思いっきり張り手を食らい龍之介はバランスを崩してよろめき、地べたへとぺたんと尻餅をついた。  真澄から初めて反撃を受けた龍之介は彼を見上げて、真っ赤に腫れているだろう、ひりひりとする頬を抑えて、ふるふると肩を震わせて涙目になった。 「今日はもうお開きにしよう」  真澄はそう言って溜め息を一つ吐いて、龍之介に手を差し出し、立つように促した。  龍之介は差し出された手を軽く払って立ち上がることを拒否しつつ、ぜえぜえと荒く息を弾ませて真澄を強い眼差しで見返した。 「はあ、はっ……ま……待て! 俺は……まだお前に……一撃も食らわせてない……」 「今の君の実力ではまだ無理なんだよ、今日はもういいだろう」 「俺はまだまだやれるぞ!」 「いや……もう、いい加減相手するのが、面倒くさい」  形のいい眉を顰めて額に手を宛てながらそう言う真澄の台詞に、すっかりやる気をそがれた龍之介はガクリと肩を落として、そしてそのまま芝生へと背中からばたりと横になって大の字になって寝転がった。  ゆっくりと雲が流れる茜色の空を見つめる。  真澄より強くなるにはまだまだ相当修行する必要がありそうだ・・・こちらが本気で繰り出した攻撃全てを軽々と紙一重で避けて、息ひとつ切らせることなく、ただ面倒くさいという理由だけでこちらに攻撃を食らわせられるような化け物が相手だ……道のりは果てしなく長く遠いのかもしれない。  真澄と肩を並べられるレベルに到達するまでにあとどれ位掛かるのだろうか――?  しかし自分は負けるわけにはいかない。  真澄より強くならなければ、いつまででも彼にいいようにされるのに甘んじていなければならない。  虎次郎のためにも、強くなっていつか真澄を負かして、彼を納得させて綺麗サッパリ過去の過ちをちゃんとした形で終わらせなければならないのだ。  虎次郎は5日から龍之介とは違う共学の学校へと入学する。  別々の学校へと行き、離れ離れになってしまったが、次に会えるときはいつになるだろうか?  そんなことを考えて流れる雲の上に離れ離れになってしまった幼なじみの頼りなさ気で可愛らしい笑顔を重ねて思い浮かべた。  物思いに耽り空を眺める龍之介の視界を黒髪の美しい少年の姿がふいに覆い尽くした。  真澄が龍之介を押し倒しているような体制でいつのまにか覆いかぶさっていて、 吐息が掛かるほどに顔を寄せられ、そしてそのまま唇を塞がれる。  疲労した身体を休ませるために大の字に横たわった龍之介の熱い吐息は真澄の唇に塞がれて彼の咥内へと飲み込まれてゆく。 「んふ……ふぅ……んぅ……っ」  口で息ができなくなり苦しくて龍之介はくぐもったような鼻に掛かった掠れた声をキスの合間に漏らす。  真澄の舌が龍之介の咥内を縦横無尽に動き回りかき回す。  くちゅくちゅと水音を立てながらぬめる舌先が龍之介の舌を絡めとり、味わうようにねっとりと表面や裏側、根元まで丹念にしゃぶられて、じわじわと煽られて感じてしまい龍之介の全身の力が抜けてゆく。  真澄にこうやってキスをされるのはもう何回目だかとっくに憶えていない……が毎回不思議と嫌悪感はなく自然に受け入れてしまう。  器用に動き回る真澄の舌技に翻弄されていつもされるがままになってしまう。  真澄は、そう……きっと、キスが上手いほうなのだろう。  龍之介はそんなことをぼんやりと考えながら真澄の口付けに答えるように舌先を伸ばした。  真澄の舌に自らの舌をくっつけて、ぺろぺろと舐めたり押し付けたりする。  一方的にされるばかりでいるのは癪だから自分でも舌を懸命に動かして、真澄の舌へと絡めて彼の咥内へと負けじと舌を差し入れる。  まるで競い合うように、互いの舌を押し付けあうような激しい口付けにしばし没頭する。  自分の寮室にあるベランダに出てシーツと洗濯物を取り込もうとしていた翼はまたも同じクラスの友人二人の情事を目撃してしまいそのまま動けずに愕然とした表情で固まっていた。  みていてはいけない、立ち去らなければ……そう思えば思うほどに足が地べたに貼り付けにされたように動かず竦んでしまった。  距離が離れている分、気付かれる危険性は薄いとは思うのだが想像を絶する化け物並みの身体能力を持つ真澄だったらもしかしたら気づくかも知れない。  そう思うと蛇に睨まれた時の蛙のように硬直してしまい、足が重くなって動けないのだ。  翼にとっての真澄はまさに天敵に相違なかった。  怖くなって身動きが取れずに、額に嫌な汗を滲ませながらも二人の情事を見ているしかできない。  実際のところ、真澄も龍之介の゛お気に入り゛である翼のことを余りよくは思っておらず、というよりは敵視している。    目を瞑っていようかとも翼は思ったがなんとなく怖くてそれもできなかった。  真澄の化け物じみた動きを見ていて、余計に彼が恐ろしく感じるようになってしまった。  瞼を閉じていて、開けたときには目の前にまで真澄が迫ってきていて自分の首をガッと両手で掴まれて締め上げられるんじゃないかという恐ろしい想像までしてしまう。  強がっているが根が臆病な翼にとって、真澄は畏怖の念を抱かずにはいられない相手なのだ。  動けずに龍之介と真澄の二人の情事までも、見届けるハメになった自分の不運を呪うしかなかったのである。  翼に見られていることを知らない龍之介は、無我夢中で真澄に負けじと激しいキスに答えて舌と唇を動かして、合間合間に熱い息を吐き出してくぐもった喘ぎを漏らしていた。  口端から首筋へと二人の唾液が混ざり合い泡立ったものが、伝い落ちて龍之介のシャツにまでシミを作っていた。  熱くてブレザーを脱ぎ、ネクタイも解いていて、龍之介の上衣は地肌に直接着ている白シャツ一枚きりだった。  長時間真澄と組み手をしていたためかじっとりと汗ばんで素肌にシャツが張り付いており、うっすらと桜色の胸の粒が透けて見えていた。  真澄はキスを続けながら、シャツの上から龍之介の薄い胸板をまさぐり、かすかに突起している粒を見つけ出して親指と人差し指で摘んでぐりぐりと押し潰すようにこね回した。 「ふぁっ…くぅ…んんっ…ぁ、んん……」  薄い布越しに乳首を弄られるいつもとは違った感覚と刺激で、龍之介が甘い声をキスの合間に漏らした。  深く差し入れていた舌を抜いて、真澄の唇がふいに離れてゆく。  真澄の舌を追いかけるように伸ばされた、龍之介の舌と真澄の舌の間を、粘性のある唾液が糸を引き、名残を惜しむように橋を作って途切れた。  真澄の舌の動きに負けじと息を継ぐのも忘れて、口付けに夢中になって没頭していた龍之介は、薄い胸板を呼吸に合わせて上下させて、荒く息を吐き、口端を伝う二人分の唾液を無意識に舌で舐め取り、自分を見下ろしている黒髪の少年の顔を見上げる。  正直にいえばもう既に真澄とこういった行為をするのはあまり嫌ではなくなっていた。  最初は不慣れで快感よりも苦痛の方が大きかったせいで、真澄に行為を強要されるたびに億劫に感じていた。  けれどそれでも行為を繰り返しているうちに要領を覚え、苦痛の中からでも快楽を拾って置き換える術を憶えた。  彼を怒らせるようなことさえしなければいきなり突っ込まれるようなことはなかったし、手先が器用で細やかに手業を使って龍之介の快感を引き出して、じっくりと愛撫を施し、その気にさせてから受け入れさせる、テクも十分に発揮して、悦ばせてくれる。  毎日でなければこれくらいのことは、どうということはない。  男女間でするのと、男同士だという違いこそあれ、やることはさしてかわりない。  たかがセックスだ。  しかも男同士でするセックスだ。  何も生み出さないし、すること自体にきっと意味や理由なんてないのだろう。  快楽を得られればいい。  ただそれだけだ。

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