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翼と光矢【1】

「テントがはってある裏側に机とテーブルがあっからちょっち、そこで待ってな。すぐに朝飯用意してやっから……」  光矢はついて早々に翼に素朴な木で出来た机と椅子に腰掛けるように促して席に付かせた。  2時間近く経過している為、ちょうどいいくらいの温度になっているかとは思ったが、一応、火傷防止の為に、軍手を装備して飯ごうを釜戸から下ろして、蓋を開けた。  蓋を開けた瞬間に、炊き立ての白飯のふんわりと甘い香りが漂い、食欲を刺激された翼の胃が収縮して腹の虫がぐうと音を立てた。  恥ずかしさから顔を赤くして腹を抑えて俯いている翼を見て、光矢は苦笑しながら、大きめの葉を組み立てて皿の様にした器にご飯をよそって翼に手渡した。  余熱で蒸らしていたらしいその白飯は一粒一粒が立っていて、艶があり見ただけでもすごく美味そうに見えた。  塩焼きにして立てておいた焼き魚の串を抜いて、同じように木の葉で出来た皿に乗せて翼の眼前のテーブルへどんと無造作に置いた。  焼き魚の香ばしい匂いに翼は思わず口の中に溜まった唾液を飲み下した。  釣ったばかりの新鮮な魚はその場で塩焼きにするだけでも、すごく美味しくて、それだけでもかなりのご馳走だ。  家族で遊びにいった数少ない思い出で、鱒釣りに父親と一緒に行ってその場でバーベキューにして鱒をホイル焼きにして食べたがすごく美味しかったのを憶えている。  味付けは塩だけでことたりる。  翼が座っている机と椅子は廃材で作られたもののようで、特に椅子なんかは遠目に見てただの切り株のように見えていた。  光矢は、最後に豚汁が入れられた鍋をそのままテーブルまで運んできて、竹で出来た器に注ぎいれた。 「ほい! これ、つばっちゃんの分な!」  光矢はそう言って豚汁が入れられた器を翼の眼前へとおいた。 「あ、ありがとう」  翼は顔を赤らめつつ礼を言って豚汁が入れられた器を見る。  豚肉に茸に大根、人参、あとはなんだかよく分からないものが具として入っているようだ。  見た事のない食材が使われているようだが匂いは悪くない。  味噌の香りと茸の香りがふわりと漂って食欲を刺激する。  さらに翼の眼前に用意されたコップと箸も良く見ればすべて竹で出来ていて、手作り感溢れる素朴なものだった。  竹を切り出して作られたらしい箸をためしに手にして構え、持ってみたが、意外にも手に馴染み、とても使いやすかった。  食器は全て自然の物で作られた手作り感溢れるものばかりで翼は光矢の異常なアウトドア嗜好に呆れつつ、感心していた。  ここまで徹底していると、いっそすがすがしいような気もする。     作れるものは全て自分で作って自然にあるものを取り入れて、自給自足で本当に昔の人間がしていたような原始的な生活で、それを楽しんで本当に心から満喫しているようだ。    何か好きなことにここまでのめり込んで打ち込んで、夢中になれるものがあるという事は幸せで、充実しているといえるかもしれない。  翼はまだそこまで夢中になれるものが自分にはない事に多少の寂しさを憶えていた。  趣味でも恋でもいい。  なんでも、一つの事に我を忘れて夢中になれるような経験を若いうちに一つくらいはしてみたいものだ。  自分の好きなことを見つけて、一つのものに夢中になって打ち込める、光矢を少しだけ羨ましく思う自分に気が付いた。  彼は誰にでも馴れ馴れしくて、人によっては失礼な態度だと嫌われる事もあるが、根は悪い人間ではない。  翼も自身の名前をあだ名で呼ばれた事が今までなかったせいで最初は驚きと戸惑いがあったのだが、今はもう光矢がそういう奴だと思えば受け入れられるような気がした。  まだ慣れないが呼ばれているうちにそのうちなんともなくなりそれが自然になっていくだろう。 「俺っちあんま、他人に自分が作った飯、振舞ったことがないからつばっちゃんの口に合うかどうかはわかんねーけど、まあ、それでもよければ遠慮なく食ってくれ」  歯を見せて笑い、ほんの少しだけ照れくさいのか鼻の頭を人指し指で掻きながら翼に朝食を食べるように促した。  光矢も翼の前の席について、箸を手にとって手を合わせて瞼を閉じてしばらくの間黙ってそのままの状態でぶつぶつと何かを呟いていた。 「いただきます……吉良、食べないのか?」    翼は箸を手に取って、魚を突付いて骨を外しながら箸を持って手を合わせたまま瞑想のような状態でぶつぶつと呟いている光矢に聞いた。 「ああ、悪い。俺っち、いつもメシを食う前はこうやって山の神様に祈りを捧げるんだ」  光矢が言うその台詞を聞いて翼は箸で摘んでいた魚の骨を取り落としそうになった。 「山の恵みの一部をこうやって頂いて、自然に感謝する。  いろいろなものを恵んでくださり空気を清涼にしてくれる自然は偉大だ。  人間以外の生き物は全て自然の摂理に逆らわずありのままに生きている。  全てが絶妙でそして奇跡的なバランスで保たれていて、やがて全ては自然と一体となり土に帰っていく。  そのサイクルから外れてしまった人間に生まれた俺っちはせめてもの感謝の気持ちを森が活性化するために山を整備して管理する事で返す。  もちろん常に感謝の気持ちは忘れない。  これが俺っちの人としての生き方でもあり生き甲斐だ。  俺っちは最終的に大地に帰化する時まで多くの自然と触れ合ってそして共に生きて行きたいと思う」  光矢の自然に対する思いは翼が思っていた以上に深く、そして都会で楽をすることになれた現代人が忘れている気持ちが言葉の端々から感じられて、翼は彼が長話をするのを箸を止めて黙って聞き入っていた。 「…………」  とてもためになる話だ。  自分も例に漏れず当たり前の事に感謝をすることを忘れていた現代人で、光矢の言葉はとても大切な事を思い出させてくれたような気がする。 「わりぃ! 自然に関する事だとつい熱くなっちまうのが俺っちの悪い癖だ……ちょっち、長話しすぎちまったな! さあ、遠慮なく食ってくれ!」  光矢がちょっと照れくさそうにそう言った。  翼も光矢がしていたように手を合わせ、目を瞑り、祈りを捧げて自然に感謝した。 「…………」  光矢は祈りを捧げて瞼を閉じ、手を合わせている翼を見て、一瞬だけあっけに取られたような意外そうな顔をしたが、照れくさそうで嬉しそうな表情で目を細めて黙ってそれを見ていた。  今あるものに、感謝をする気持ちはめまぐるしく過ぎ去っていく日常の中でつい、忘れてしまいがちだけど、実はとても大切な事だ。  翼はしばらく目を閉じて山の神様に祈りを捧げる。   そんな中で静寂をふいに破るまぬけな音が翼の腹部から  ぐうぅぅぅ  と響いてきて、光矢は口を押さえて笑いを堪えていた。 「ぶふっ!」  光矢が口を押さえて噴き出しそうになるのを堪えている様子を見て、翼は顔を真っ赤にして慌てて腹を押さえて空腹をうったえる胃を鎮めようと必死になっていた。 「もう充分、山の神様にゃ、つばっちゃんの感謝の気持ちは届いてっから、さっさと朝飯くって腹の虫を黙らせた方がいいぞ」  笑いを堪えていたせいで、目尻に浮かんだ涙を、人指し指で拭いながら、そう言う光矢の台詞に、顔を真っ赤にしたままで翼は頷き、骨を外したばかりの焼き魚を箸で摘んで口へと運ぶ。  ちょうどいい塩加減で、身が引き締まっていてそれでいて、みずみずしくて、釣りたての魚でしか味わえない美味しさに舌鼓を打つ。  塩焼きの魚と米の一粒一粒が立っている艶のある白飯を一緒に食べるとより美味しく感じる。  空腹だったせいもあってあっという間に、焼き魚と白飯を翼は平らげてしまった。  翼が美味しそうに自分が作った朝食を夢中になって食べている様子を光矢は目を細めて嬉しそうに見ていた。 「こうやって、誰かに作った飯をたまに振舞うのも結構、気分がいいもんだな♪」  そう言いながら上機嫌で頬杖をついて翼が汁物を啜っている様子を見ている光矢と目があった。  食べている姿をこうもじっくり鑑賞されると、照れくさいというか、恥ずかしさがこみ上げてくる。     翼は顔を赤くして口を押さえて俯いた。 「つばっちゃん、どうした? その豚汁、口に合わなかったんか?!」 「いや……その……そんなに見られてると、食べにくいというか……」  顔を真っ赤にしてそう言う翼を見て光矢はきょとんとした表情で一瞬、固まったがすぐにまた笑い出した。 「ははははっ! いや、悪い悪い!  美味いかまずいかつい気になっちまって。つか豚汁本当にまずかった?」 「あ……いや、うまいよ……すごく」 「そっか、そりゃ、よかった!」 「なんかあまり見た事がないような具が入ってるけど……」 「見た事がないような具?」 「いや、なんか緑の……」 「ああ、それ、そこいらに生えてた汁物にして食える山菜ぶち込んであっからな。  風味もよくなるし」 「そうなのか……あまり食べた事がないからよくわからないが……」 「ウドとかタラの芽とか天ぷらにしても美味いぞ、昨日の朝食は竹の子ごはんに山菜の天ぷら、けんちん汁だったしな」 「竹の子ご飯……天ぷら……」 「秋には自然薯もきのこも取れるし、豊かな自然に囲まれた森暮らしもいいもんだぞ」 「そうだな……森で暮らすのもいいかもな」 「ただ夏はやぶ蚊に食われまくるし、蛇とかムカデとか他にもいろいろ出てくるし遭遇するけどな」 「うげ……俺、蛇とかムカデは苦手なんだ……やっぱり、やめておく」 「ははは! ま、したくなったら、くればいい。つばっちゃんだったら、いつでも俺っちは大歓迎だかんな」  光矢と会話が弾み、やりとりをしている間に豚汁を飲み干してしまい翼は、コップに用意されている水に口を付けた。  すごく冷たくて、ほんのり甘い……美味しい……水を飲んでこんなに美味しいと感じたのは初めてだった。 「美味しい……」  翼が水をのんで意外そうな顔でそう言うのを見て、光矢はおかわりの水をかなり大きいサイズの水筒から注ぎいれてくれた。 「その水は今朝、湧き水がある場所まで汲みにいってきたやつだ。  つか、ここを寝床にしてからは、毎朝、汲みにいってるんだけどな」 「湧き水まであるのか……随分と綺麗なままで自然が残されているんだなここは……」 「みたいだな。夏には蛍も見られるぞ。ここら辺は」 「蛍……蛍がいるのか?!」 「おう。ここらあたりは6月中旬から7月上旬あたりが見ごろの時期だ」  翼はテレビでしか見たことがないが、それでも闇夜に蛍の光がポツポツと舞う幻想的で美しい光景を見て、なぜだかすごく感動して、いつか生で蛍を見てみたいと思っていたのだ。  礼二に短い生を謳歌する小さな命の灯火を見せてやりたい……そう思った。

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