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翼と光矢【2】

「6月か7月くらいにまたここにきてもいいか?」 「んあ? つばっちゃんならいつでも、来たい時に来ちゃっていいぞ」 「礼二に……礼二に見せてやりたいんだ、蛍を……」 「そっか……こんな、兄貴思いな、いい弟を持ってクレイジーちゃんはすげー幸せだなぁ……」  光矢が目を細めて笑い、翼の頭をさわさわと優しく撫でた。  思えば幼い頃から礼二を宥めるために兄である彼の頭を撫でてばかりいた翼だったが、この学園に来て初めて家族以外の誰かに自分の頭を撫でて貰う経験をした。  一回目は馨に、そして今は光矢に―― くすぐったいような、照れくさいような、でもほんの少しだけ嬉しいような変な気持ちになり、頬を赤く染めた。 「俺っちは……ぶっちゃけ広く浅く人付き合いするタイプだから、あんまり人間を好きになることはないんだよなー……ここまで込み入って、お節介焼いたの実は初めてだったりすんだ……」  頭を撫でながらそう言う光矢の台詞に翼は意外そうな顔をした。  光矢の事を、困ってる人であれば、手を差し伸べて、誰にでも親切にしてやり、自ら進んでいろいろと手伝ったりしているような、世話好きな人だと翼は思っていた。  だから自分たち兄弟にもここまで親切にしてくれたのだと、そう思っていた。  だが、実際の彼は、表面的な付き合いで、馴れ馴れしく誰にでも親しげに接するが、あまり深く込み入って人と関わり合いにならないように気をつけていた。  誰にでも踏み込んでいい領域とそうじゃない領域があって、あまり深く込み入って、人に関わりすぎる事は避けていた。  だから、翼に対してここまで世話を焼いたのは彼にとって異例のことだった。 「どうしてだか、自分よりでかい兄ちゃん抱き抱えてつばっちゃんが横切るの見かけた時、要らん世話かと思ったけど、ほっとけなかったんだよなぁ~」  翼の頭を撫でていた手を止めて、光矢は少しだけ照れくさそうにぼさぼさで緑がかった自分の髪をくしゃりと掻き乱しながらそう言った。 「……そうだったのか……ありがとう」  翼が口を押さえてほんの少し涙目になって頬を赤く染めて礼を言ういたいけな姿を見て光矢の心臓がドキリと跳ねた。  若草学園に来る前はあまり人に親切にしてもらった事はなく、兄の病気の関係で、影でイジメにあったりしていた翼の幼少時代は寂しいものだった。  実の両親に愛されているという実感を得られた事はなく、物心ついてからはずっと礼二の面倒を見させられてきた。  赤の他人にこんなに親切にしてもらえるようになったのはこの学園に来てからだった。  翼が知り合って親しくなった生徒らも変わり者しかいないが心根はあたたかい奴等に恵まれている。  真澄とは未だ打ち解けられずに一方的に敵視されているため、まったく親しくはないので論外だったが……。  変な奴等ばかりだけど、いい仲間に恵まれている今の自分が幸せだと思う。  こんな気持ちになったのはこの学園に来てからが初めてのことだ。  礼二と初めて遭遇した時はいろいろと過去の事もあって戸惑いと迷いがあり、彼の事を受け入れられずに逃げてばかりいたように思う。  ちゃんと向き合って共に生きていこうと心に決めたものの、不安がないわけではなかった。  そんな翼をあたたかく見守り、迎えてくれて、心配してくれる仲間がいる今はきっと恵まれているのだろう。 「つばっちゃん……今まで一人でいろいろ抱えてきたんだろ?  兄ちゃん抱えてるつばっちゃんの小さい後ろ姿みててなんとなくだけどそう思ったんだ。 で、余計な世話だと思いつつほっとけなかった……」 「……うん」  翼は光矢が言う言葉に涙を手の平で拭いながら静かにコクリと頷いた。  背が低い事を気にしている翼だったが光矢に悪気はなく自分のことを心から心配してくれているというのが分かり、それ以上は何も言わずに光矢の言葉に耳を傾ける。  周囲に理解者がいなくて、礼二の事で学校でイジメにあっていたことも両親には言い出せずにずっと一人で耐えて我慢してきた。  礼二にもそれだけはずっと黙っていた。  これからも言うつもりはなく、胸の中にずっとしまっておくつもりだ。  光矢は淀みのない深緑色の瞳で翼を見つめ、肩を抱き寄せて彼らしくない、真剣な面持ちで言う。 「俺っち……つばっちゃんの事が好きなんかもしれん」  光矢がほんのり頬を紅潮させて、掠れ気味の声でそう言うのを聞いて、まさか告白されるとは夢にも思っていなかった翼は、茹蛸のように耳まで赤くなって俯いてしまった。  心臓がドキドキと早鐘を打ち息がつまりそうになる。    こんな風に面と向かって礼二以外に告白されたのは初めてで自分自身でもどうしたらいいのか分からないくらいにビックリして頭の中が混乱していた。  異性ではなく同性に告白されたという事は、この際、気にしない事にして光矢の気持ちにどのように、答えたらいいのか混乱した頭で考えるが、気の聞いた台詞は何も思い浮かばなかった。  顔を真っ赤にしていきなりの事に混乱して戸惑っている翼の様子を見て、光矢は少しだけはやまったことを言ってしまったかもしれないと思った。 「今すぐに答えが欲しいとかそういうんじゃなくて……俺っちの今の素直な気持ちを知ってもらいたかったというか……なんつーか、兄貴が大変な時にこんなこといっちまって、すまんかった」  そう言う光矢の言葉を翼は俯き加減で頬を染めて黙って聞いていた。     ドキドキと高鳴る鼓動を抑えようと胸に手を宛てて深呼吸した。  光矢は今の素直な自分の気持ちを包み隠さず伝えてくれた。  だから、翼も正直に今、思っている事をそのまま彼に伝えようとおずおずと口を開いた。 「……ごめん、気持ちはありがたいんだが……今はまだ礼二の事しか考えられなくて……」  翼のその言葉に特にショックを受けた風もなく光矢は頷いて答えた。 「うん。まあ、そうだろうとは思ってたけどな……まあ、俺っちが言った事はすっぱり忘れちまってもいいし、頭の片隅にでも置いといてくれてもいい」 「本当にごめん……」 「いや……つばっちゃんのそういう兄貴想いな所が好きなんかもしれんし、実は俺っちも自分で自分の気持ちがどういう好きかまだよくわかってないというか・・・だから気にするな。混乱させるような事言っといてこう言うのもなんだが……」 「うん……」 「つばっちゃんみたいな弟がいたらいいなあとはすごく思う」 「吉良と俺は同い年だろう」 「ははは、でもいたらいいなって本気で思う。 正直、クレイジーちゃんが羨ましいな」  なんともない様子で明るくそう言って、笑う光矢を見て翼は安堵のため息を付いた。  朝の森の清涼な冷たい空気を吸い込んで、息を吐くと幾分落ち着きを取り戻せたような気がした。 「吉良……ありがとう。いろいろ世話になった上に朝飯までご馳走になって……」 「つばっちゃんがあんまりうまそうに食ってくれるから嬉しかったし、またいつでも食べにきてくれよな!」 「うん……ごちそうさま」 「お粗末さまでした」  光矢が翼に改めてよろしくという意味を込めて手を差し出して握手を求めてきた。  翼はそれに応じて差し出された日に焼けた褐色のごつごつとした大きな手の平を掴んでぎゅっと握り締めた。  少しだけカサカサとして硬い皮膚をしているのは趣味で家具や食器を竹や廃材からつくったり、土いじりをしたりしているせいだろうか。  男らしく筋張って血管が浮き出ていて日に焼けたその自分の体温よりも温かい手をしばらく掴んで握り返してから、そっと離した。     「近いうちにまたくる。お礼に何か差し入れしたいんだが、吉良は何が好物なんだ?」  翼がそう言うのを聞いて光矢は満面の笑みを浮かべて、頷いた。 「俺っちの好物はアンパンだな。ごくありふれた普通の」 「アンパン……そっか……甘いもの苦手そうなイメージがあったんだが……」 「普通になんでも食べるぞ」 「とりあえずわかった。どこか美味そうな店のアンパンを買ってくる」 「おお、さんきゅー! すっげ、楽しみにしてるわ!」  そんなやりとりをして、翼はそろそろ帰ろうかと身支度を整え、徐に席を立った。    光矢は翼が席を立つのを見て慌てて、飯ごうにまだ残っている白飯を竹筒で出来た容器の中に詰めて、豚汁も同様に竹筒に注ぎいれてそれを両手に持ってきた。 「これ、よかったら持っていってくれ。クレイジーちゃんが戻ってきたら、腹空かしたときにでも食べさせてやってくれ。」  そう言って、白飯と豚汁がいれられた竹筒を手渡された。 「吉良……ありがとう」  翼が手土産を受け取って、愛らしくそして柔らかな微笑みを浮かべた。    それを見て光矢はまた胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。 (なんだろう・・・すっげドキドキしてなんか胸が苦しい……?)  光矢はそう思いながらぼさぼさの髪をさらにぐしゃぐしゃとかき回して、上ずった声で照れくさそうに言う。 「それから、できれば、吉良じゃなくて光矢って下の名前で呼んでくれ」 「わかった……えっと……こ、光矢」  翼は上目づかいで頬をほんのり桜色に染めて、光矢の名前をおずおずと口に出して呼んだ。  翼に下の名前で呼んでもらえた嬉しさからか、光矢は自分でもよく分からない高揚感を抑えきれず、そのまま彼を引き寄せて力いっぱい抱きしめたい衝動にかられた。  さすがにそれをする訳にはいかないと自身を自制して、ついだらしなく弛んでしまいそうな表情を慌てて引き締めた。 「そっちのが呼ばれててしっくりくるわ、やっぱ」 「そうか?」 「おう! んで、これからつばっちゃんはどうするんだ?  クレイジーちゃんの診察が午前中いっぱい掛かるらしいけど、空いた時間はこれから何して過ごすんだ?」 「ああ……荷物を置いてから、これからショッピングモールに行くつもりだ」 「そっか。なんかいるもん買いにいくんか?」 「いや、明日、礼二の誕生日だからケーキとプレゼントを買いに行くんだ」 「明日?! 4月4日がクレイジーちゃんの誕生日か!」 「うん。誰かを招待して大々的にやるとかじゃないけど、祝ってやろうかと思って」 「そっか……うん。 俺もなんか今からプレゼント、こさえるわ!」 「いや、そんな気をつかわなくていい……」 「俺っちがしてやりたいんだ。気にすんな」 「そ……そうか……ありがとう」 「明日までには完成させるようにすっからちょっと今から材料を探しにいってくる!  それじゃ、つばっちゃんまたな!」  光矢は道具箱をテントから引きずりだして、慌しく翼の前から去り、森の奥へと駆けていった。  翼はあっけに取られながら、光矢の背中を見送り、彼に持たされた手土産を手に、その場を離れ、一旦、寮へと荷物を置きに戻る事にした。  

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