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約束~守るべきもの~【2】

    眠り込んだ礼二を乗せた車椅子を押して、森林公園と噴水広場を通り抜けて、来た道を戻り、寮館にある自室へと向かう。  特に誰かに声を掛けられる事はなかった。  寮館へと無事に辿りつき、正面玄関を抜けて廊下を突っ切り、ホールを抜けて、また廊下を突き進み、無事に自室の前にまで辿り付けて翼は内心ホッとしていた。  ズボンのポケットから取り出した鍵で自室の扉を開けて、玄関へと上がる。  段差に気を付けて車椅子を押して中に入れてから、自分も入り、扉を閉めて鍵を掛ける。  靴を脱いで自分が先に板間へと上がってから礼二を抱き上げて、姫抱きにして寝室へと向かう。  寝室へとついて早々に、礼二がいない間にシーツを取り替えて綺麗にしておいた、ベットへと彼をそっと横たわらせて寝かせてやる。  掛け布団を引き上げて、ぽんぽんと叩いて整えてやって、一息ついた。  礼二が目を覚まして症状が落ち着いているようなら、昨日からほったらかしにしてしまい、すっかり汗臭くなってしまった彼の頭を洗ってやらなければ……。  そう思いつつ、ぽかぽかとした春の暖かい陽気に誘われて、眠気に襲われ足元がふらついた。  自分で思っている以上に精神的にも肉体的にも疲れているようだ。  翼は隣のベットへとうつ伏せにダイブしてそのまま疲労感に任せて深い眠りの海の底へと落ちていった。  □  疲労感に任せて寝落ちしてしまった翼は、ハッと目を覚まして飛び起きるとベットのサイドボードの上に設置されたデジタル時計を見て時間を確認した。  ――PM:5:46  もう少しで夕方の6時にさしかかるぐらいの時間帯だった。  そろそろ夕飯を作る準備をしなければいけない時間帯だ。  とはいえ、光矢から貰った手土産の白飯と豚汁を温めるだけなのだが……。  礼二は点滴を受けているから食べる必要はないのだが、少なめにでもいいから折角、光矢の厚意で貰った手作りの食事を食べさせてやろうと思いベットから降りて、瞼を擦りながら欠伸をした。  まだ完全に疲れが取れていないのか、体がだるい……。  隣のベットで寝ているはずの礼二の姿を確認しようと彼がいる場所を見やる。  隣のベットはもぬけのからだった。  どこにいったんだ?!  翼はパニックになりそうな頭をどうにかして落ち着けて、礼二がいそうな場所を探す。  寮室をまさか出て行ってはいないよな……。  バクバクと激しく脈打つ心臓を落ち着かせるように胸を押さえて深呼吸した。  寝室を見渡して、探せるような場所は探し終えて、一応、クローゼットの中も確認してみる。  ――いない。  寝室を飛び出してリビングへと向かうとベランダの引き戸が半分だけ開いていて、カーテンがそよ風に煽られて、靡いていた。  ここは一階だから飛び降りたところでたいした怪我にはならない。  礼二が飛び降りていたとしても命に関わるような事はないはずだ。  翼はそう思いながら外に出て、辺りを見回す。  礼二はベランダにいた。  裸足で外に出て、たどたどしい手つきで洗濯バサミを外して、干されたままの乾いた洗濯物を取り込んでいた。  翼が礼二がいない間に干しておいた洗濯物が夕方になっても、干されたままだった。  翼よりも先に目を覚まして起きて来た礼二は、リビングにきてふいにベランダを見やり、たまたま干されたままの洗濯物に気が付き、目に留まった。  礼二は、乾いた衣服を一生懸命取り込んでいた。  礼二が少しでも翼の役に立ちたいと思いたってしたことだ。  今まで家の事等何も手伝った事はないが、ここで暮らし始めてから礼二は、翼が一人で家事しているのを見て、自分もそれを手伝いたいと思っていた。  母親や父親が家事をしていて大変そうでも一切、手伝った事がない礼二にしては大した進歩だ。  礼二がいずれは自立して一人でも生きていけるように、翼もいろいろ料理の仕方や、食器の洗い方、洗濯機の操作の仕方、洗濯物の干し方、畳み方。  その他にも家事をいろいろと一から全部、手取り足取り、出来るようになるまで少しづつでも憶えさせて、礼二にゆっくり教え込んでいくつもりだった。  だけど、今はまだそれをすべき時ではない。  風邪が治りかけで弱っている身体を休ませて、少しでも早く怪我が治るように礼二を安静にさせなければならない。  弱っている身体で外に出て夜風にあたっていては、折角、下がった熱が上がり、治りかけていた風邪が、またぶり返してしまうかもしれない。    礼二は自分の体が弱っていて、安静にしていなければならない状態であると言う事に全く、自覚がないようだ。 「礼二!」  洗濯物を両手いっぱいに抱えて取り込もうとしている礼二に翼は声をかけた。 「あ……つばさぁ」  礼二が甘えたような声色で翼の名前を呼んで振り返る。 「礼二! そんな身体で夜風にあたったりしたらまた具合が悪くなるだろう!」  語気を荒げて、礼二が腕に抱えている洗濯物を奪うようにして取り上げて、そう言う翼の怒ったような声色に、ビクリと肩を跳ね上げて、目を見開いて礼二は固まってしまう。  目尻にはじわりと涙の粒が浮かび今にも零れ落ちそうになる。 「うっ……」  泣き出しそうな礼二の様子に翼はハッとして慌てて彼を宥めようとした。 「大丈夫、怒ってないから泣くな」 「うぅっ……つばさぁ……」 「怒鳴ったりして、ごめん……でも具合が悪いのに無理してそんなことしてたら治るものも治らないだろう?  洗濯物は俺が取り込むから、礼二は部屋に戻ろうな」 「……うん」  翼にそう言い聞かせられて促されて、礼二は短く返事をして頷き、しょんぼりとした様子でとぼとぼと室内へと入っていく。  残りの洗濯物も手早くかき集めて取り込み、室内へと無造作に放り込んで投げ入れる。  翼も室内へと慌しく戻り、ベランダの引き戸を閉めて鍵をかけて、礼二が居るほうを振り返った。  礼二がリビングのソファーにちょこんと正座して待っていた。  振り返った翼の顔色を伺うように見て、礼二は深々と頭を下げて謝った。 「ごめんなさい……」  まだ怒っているかもしれないと恐々と立っている翼を見上げる礼二の赤い瞳が不安げに揺れていた。 「礼二、家事を手伝ってくれるのはありがたいけど、今は自分の身体を治す事に専念してくれ」 「どこか悪いのか?」    不思議そうな顔をしてそう聞き返してくる礼二を見て翼は、額に手を宛てて呆れたような表情で深いため息を付いた。  自分の体がボロボロなのに礼二はその事にまったく気にも留めていないようだ。 「左胸の傷が酷く腫れてて出血してただろう?  風邪も治りかけだし、今は栄養を付けて礼二は安静にしていなくちゃいけない状態で弱ってるんだ」 「そうだったのか……すごい痒かったから引っ掻いただけなのに」 「ごめんな……礼二……それは俺のせいなんだ」  翼が申し訳なさそうにそう言うのを礼二はきょとんとした表情で聞いていた。 「礼二に口移しで飲ませた市販の風邪薬……  解熱剤が礼二の身体に合わなくて、拒絶反応が出たせいで痒くなったんだ」 「翼にくちうちゅししてもらったお薬のせいだったのかー」 「ごめん。礼二は薬局に売ってるような薬は医者に相談しないで飲ませたりしたらいけない体質だって知らなかったんだ……」 「翼は悪くないから謝らなくてもいい」  礼二はきっぱりとそう言いきって、首を左右に振りたくる。  翼はそんな礼二を抱きしめて自分の腕の中に閉じ込めた。  ソファーで正座したまま翼に抱きしめられて彼の胸の中に顔を埋めて礼二が満足げな吐息を吐き出した。 (翼の匂いだ……)  礼二はそう思いながら嗅いでいるとなぜか落ち着く翼の体臭を胸いっぱいに吸い込んだ。  愛しい人の胸の中で瞼を閉じて彼の背中に腕を回してぎゅっと抱き返した。  

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