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約束~守るべきもの~【7】

 空虚になってしまった龍之介の生気の感じられない輝きを失った瞳に能面のような無表情。  その変わり果てた姿を見て、独占欲のみで相手を束縛して傷付け続けた結果が、目に見えてわかって恐ろしくなった。  今は自分も真澄に近い感情を持っているという自覚があるだけに彼の二の舞は踏まないように心に留めて置く必要があると思う。  それでも真澄に対する、苦手意識と彼に対する畏怖の念は払拭することが出来そうに無い。  ――同属嫌悪というやつだろうか?  けれど、そんな自分と真澄の決定的な違い――それは独占欲の根底に愛があるかどうかだ。  翼はまだ自身の気持ちにハッキリとした答えを見つけてはいない。  真澄と出合ったばかりの頃、翼は彼と礼二が同じような闇を抱えた者同士だと言う印象を抱いていた。    真澄と礼二は確かに心の奥底に深い闇を抱えている。  けれど真澄と礼二は似て非なる者同士だ。  深い闇を抱えていながら、カードの裏と表、闇と光ほどに対極に位置する存在だ。 礼二は翼を深く愛し、片時も傍を離れたくない。  ずっと一緒にいたい。  そんな想いを抱いている。  けれどそれが翼にとって辛い事で、苦しい事であるなら、自分が身を引く事で幸せになれるなら、躊躇うことなく自身の存在を消す事さえ厭わない。  心から翼の幸せだけを願っている。  自分の想いを貫く為ならば、好きな相手を傷つける事ができる真澄と、自分の想いが好きな人の障害になり苦しめる物であるなら自身が傷つき、自分という存在自体を消し去っても構わないという礼二とでは大きく異なる。  純粋にただ真っ直ぐに翼だけを見つめ返す礼二の澄んだ瞳を見ていると、罪悪感で胸が締め付けられて苦しかった。  自分自身の心の平穏の為に礼二を忘れようと切り捨てようとして、自分の事しか考えていなかった。  そんな自分とあまりに彼は違いすぎている。  それでも礼二はまっすぐな瞳で翼を見つめ、好きだという言葉を何回も口にする。  礼二は自分が全て悪いのであって翼は何も悪くないと言う。  言いながら、目尻に涙を滲ませて、二度と放すまいとでも言うように、翼にしがみ付く腕に力を込める。  礼二の細い肩が微かに震えている。  翼は幼い頃に礼二と離れ離れになってから、自分の意思で故意に礼二に会おうとはしなかったと言う。  ずっとずっと会いたくて、でも会えなくて、翼に再会出来る日がいつか訪れる事を夢見て、それだけを心の支えに生きてきた礼二には辛い事実だったが、それでも翼が悪いとはまったく思わない。  自分はずっと寂しくて、翼に会いたくてその日が来る事だけを信じて生きてきたが、彼はそうではなかったというだけだ。  自分がいなかった間、翼の生活が、幸せなものであったのならそれで構わない。  礼二は本気でそう思っている。 「俺は……ずっと……ずっと……翼に会いたかった……」  掠れた涙声でしがみ付き、肩を震わせてそう言う礼二を抱きしめながら翼も頬に伝う涙を拭う事もせず、ただ彼の言葉に耳を傾けていた。 「けど、俺がいない間、翼が幸せだったなら……それでいい。 ……翼の幸せが俺の幸せだから……っ……だから……」 「礼二……っ……うっ……うぅっ……」  涙が決壊したダムのように溢れだして止まらなかった。  涙でぐしゃぐしゃの顔で洗ったばかりの礼二の綺麗な髪を濡らしてしまうのも気にせずに、翼は彼の髪に顔を埋めてただ泣いていた。 「……俺は……俺は……生きてて……も……いい……の? 翼の……傍に……今は、居ても……いい?」  涙声で途切れ途切れに礼二が呟く言葉に翼は頷いて、折れてしまいそうな彼の細い体を力一杯抱きしめた。 「ああっ……うっ……うわああっ! ごめん……ごめんなっ……礼二……礼二……これからは……ずっと……傍に、いて……いぃっ……から……っ」  翼は礼二の首筋に唇を寄せて、嗚咽交じりに言葉を続けた。 「俺が死ぬまで傍にいて……俺の死を見届けてくれ……俺がいなくなった後も、俺は……礼二に生きていて欲しいんだ……っ」  翼が言う台詞に礼二は静かに頷いた。 「ずっと一緒にいよう……死が別つまで……俺が先に死んでも礼二は生きてくれ……俺の分まで……」 「…………」  翼が続ける言葉を瞼を閉じて礼二は無言で聞いていた。  離れ離れで暮らしていた時は、たとえ今は翼に会えなくても同じ空の下で彼が生きているという事が支えだった。  いつか会えると信じていたからこそ今まで生きてこられた。    引っ越した先の自室のベランダから雲や星を眺めて、翼も今、この空を見上げているかもしれないと想像しながら寂しさを紛らわせていた。    問題を起こして父親に施設へと連れて行かれて白い部屋に閉じ込められた後は空を見上げる事すらできなくなってしまい途方にくれたが、寂しい時はたった一枚きり、持ち込む事を許された写真を眺めて、退屈でつまらない、気が狂いそうなほどに長い長い時をなんとかやり過ごしてきた。  幼い頃に遊園地に連れて行って貰った時の写真のなかで幼い頃の礼二の肩に手を置いて、Vサインをして歯を見せて無邪気に笑っている金髪の少年。  ベットで横になり、ただじっと日がな一日、施設から出してもらえるまでの2年間をその写真を眺めて過ごす事だけに費やした。  それもいつかは本当に翼に再会できるかもしれないという希望があったからこそ耐えられた。  翼が存在しない世界に取り残されて一人きりになっても生き続ける……それはとてつもなく寂しくて、孤独なものになるだろう。  施設に閉じ込められていた時よりも遥かに辛くて苦しい思いをするに違いない。  けれど、翼がそれを望むなら受け入れようと礼二は思う。  溢れる涙を拭う事もせずに抱きついてくる翼の背中をあやす様にそっと撫でた。 「翼が……翼がそれを望むなら……俺は翼がいなくなった世界で生きていく……」  それはきっと何も見えない、一筋の光りも差し込まない、真っ暗な場所にたった一人きりで取り残されて、孤独に生きて行くのと変わらない。  礼二にとっての全ては翼だから、彼がいなくなったら生きていけないし、生きている意味もないとずっと考えていた。   だけど、翼の望みが自身がいなくなっても、礼二が生き続ける事だと言うのなら、それを受け入れようと思った。 「だから……俺が先にいなくなっても、俺の分まで翼に生きて欲しい」  礼二が続ける言葉を聞いて翼は涙の雫を弾けさせながら頷いた。   「……ああ……約束する」  呟くように言って翼は礼二に触れるだけのキスをした。  約束を守るという意味を込めた誓いのような口付け。  翼に口付けられて、礼二は瞼を閉じて、それを受け入れた。  本当の意味での別れの時が訪れるその日まで、二人で手を取り合って生きていこう……そんな想いを込めて口付けて、少しだけ唇を離して、翼は至近距離で、そっと開かれたばかりの礼二の赤い瞳を見る。  額と額をくっつけて触れ合いそうな距離で見つめあって、互いの涙で滲んだ瞳の中に映る自分の姿を眺める。 相手の瞳の中に自分が映りこんでいるのを確かめられる今はきっと幸せなのかもしれない。  自分の気持ちにどのような答えが出ようと、礼二がたった一人の兄で大切な家族である事に、変わりはない。  そして自分が先にいなくなった場合、礼二が一人になっても自立できる様にこれから、いろいろと教えてやらなければならない事もあるが、少しづつでも教えてやって、憶えていってもらわなければとも思う。  今は家事の全てや礼二の身の回りの世話など自分がしてやっているがいつまでしてやれるかもわからない。  翼がそんな事を考えている間に、礼二は甘えるように翼に擦り寄ってきて正面から身体を密着させてきた。  明らかに翼の背にしがみ付く腕により力が篭っている。  今まで離れ離れだった時が長かっただけに、またいつ翼がいなくなるか不安で仕方がないのだろう。  翼はそんな礼二を抱き返して、彼の頬をそっと撫でてやる。 「四六時中は傍に居てやれないけど、これからは、礼二がいる所にちゃんと帰ってくる……だから、俺の帰りをここで待っててくれるか?」 「うん」 「自分の身体を傷つけるような真似や他人に迷惑かけたり傷つけたりするような事もしないって約束できるか?」 「うん。しない」  礼二がしっかりと首を縦に振って頷いたのを確認して、翼は人差し指を差し出した。  自身の眼前に差し出された翼の人差し指を見て礼二はきょとんとした顔をして不思議そうに眺める。 「約束のゆびきりしよう」 「ゆびきり?」 「人差し指に人差し指を絡めて、切るんだ、こうやって……」  翼は自分の人差し指に礼二の手を持っていって人差し指を絡めるように言って促した。  絡めあった指を数回振って、解く。  歌を歌うのは照れくさくてはしょってしまったが、約束をしたという確かな証が欲しくて子供じみているとは思ったが礼二と指切りをした。  礼二はゆびきりをして約束事をするのを知らないのか始終、不思議そうな顔をして指が絡められて切られるまでを眺めていたが、なんとなく嬉しそうだった。 「俺がいない間、お留守番していい子で待っていてくれたら、礼二がして欲しい事をひとつだけ叶えてやるから」 「なんでも?」 「抱っこしてやったり、キスしてやったりくらいしかしてやれないけどそれでもいいならな……」  翼がそう言うのを聞いて礼二は、頬をほんのり赤く染めて嬉しそうに目を細めた。  礼二がいる場所に翼はちゃんと帰って来てくれると約束してくれた。  待っている間は寂しいけど、ゆびきりをして約束を形にしたことで礼二もなんとなく嬉しくて、そしてホッとしていた。

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