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前途は多難?【1】
幼い頃に離れ離れになってから翼に再会できる日だけを夢見て今まで生きてきた。
今、目の前に翼がいて、向かい合って互いの瞳の中に映りこんだ自分の姿を見ている。
ベットに横たわったままで抱きしめ合って、時折、戯れるように口付けを交わす。
礼二は翼に甘えるように擦り寄っては唇を寄せて何回もキスを強請る。
今日は朝から身体の調子がおかしくて翼に診療所に連れて行かれ、そこで治療を受けながら彼の帰りを待っていた。
途中、薬で眠たくなってきて、次に目を覚ました時には翼がいなくなっていてまたあの白い部屋に閉じ込められているかもしれないという不安で胸がいっぱいになって、妄想が現実になるのではないかと怖くなった。
ふいに目を覚ました時に礼二は自室のベットの上に横たわっていた。
瞼を擦りながら霞む視界を凝らして翼の姿を真っ先に探してきょろきょろと辺りを見回した。
隣のベットを見やると、そこにうつ伏せになって深く眠り込んでいる翼の姿を見つけた。
礼二はベットからそろそろと降りて翼が寝ているベットまでゆき、彼の寝顔を眺めていた。
規則正しく呼吸に合わせて上下している背中に触れて、そろそろと撫でて、翼が本当にここに存在しているのかを確かめた。
頭を撫でたり、頬を撫でたり、深く寝入っている翼の身体に掌でぺたぺたと触れて目を覚ますまで寝顔を見ていようと寝ている彼を起こさないように、気をつけて、ベットにそっと腰掛けた。
翼の額や頬を撫でながらしばらく寝顔を見下ろしていた礼二だったが、急に尿意を催して我慢が出来なくなってきた。
もじもじしながら我慢して、翼の隣に腰掛けたままでいたが、限界が来てしかたなくベットから立ち上がってそろそろと寝室を出てトイレへと向かった。
用を足し終えて、手を洗って、翼が寝ている寝室に戻ろうと思ってリビングを通りかかり、ふとカーテンが半開きになったままの外を見た。
洗濯物とシーツがはたはたと風で靡いているのを見て、礼二はベランダへと向かった。
どうやら翼が干したままで取り込むのを忘れていたらしい。
礼二は翼のかわりに洗濯物とシーツを取り込もうと引き戸を開けて、裸足でベランダに出て、風で飛ばされないように、洗濯バサミできっちりと止められて干された洗濯物を外して回収するのに悪戦苦闘していた。
洗濯物を取り込んで、綺麗に畳んで、翼の手伝いをしようと一生懸命になっていた。
取り込まれて、綺麗に畳んである洗濯物を見て翼が褒めてくれるかもしれないと邪な気持ちも多少あったものの、自分に出来る精一杯の事をやろうと礼二なりに一生懸命だった。
夢中になって洗濯物を取り込んで、回収していたらふいに背後から声を掛けられて名前を呼ばれた。
翼の声だ――
そう思って彼の名前を呼びながら振り返った。
振り返った礼二が見た翼は眉を顰めて明らかに怒ったような声色で夜風にあたったら具合が悪くなると言いながら礼二が回収して手にしていた洗濯物を奪うように取り上げて語気を荒げた。
褒められようと思ってしたことで、怒られた……礼二の眦にじわりと涙が浮かんで零れ落ちそうになった。
翼に部屋に戻っているように言われて、礼二はベランダから部屋の中へと入り、リビングに戻っても落ち着かずにそわそわしていた。
嫌われるような何かいけないことをしでかしてしまったのではないかと不安になってどうすれば許してもらえるだろうと自分なりに考えた結果、ソファーに座って正座をして翼が戻ってくるのをじっと待っていた。
ベットで横になったまま、向かい合って翼に擦りより身を寄せて口付けをしながら、今日あった事を礼二は思い返していた。
ちゅっちゅっと触れるだけのキスを何回も何回もしてもらって、寂しさが薄らいでいき礼二は満足げに息を吐いた。
この幸せな時間がずっと続けばいいのにと思った。
翼に擦り寄って抱きついて、キスを強請って甘えても、彼は優しげな目でこちらを見返して、応えてくれる。
額に頬に唇に、首筋に、キスをして貰えて、くすぐったくて、嬉しくて、胸がドキドキして高鳴って頬が熱くなるのを感じた。
大好きな人に抱きしめられて、触れるだけのキスをしてもらえる事が、ただ嬉しくて、すごく幸せで、満たされたような気持ちになる。
頬を桜色に染めて、うっとりとした表情で、しがみ付いてくる礼二を抱き返しながら、彼のその表情を見て、体温と甘い吐息を至近距離で感じて、翼も胸が高鳴って、自身の体が熱を帯びている事に気がついた。
これ以上密着していたら、自分がもたないかもしれない。
翼はそう思って、最後に礼二の唇に啄ばむ様なキスをしてから、そっと身を離した。
急に起き上がってベットから降りた翼の上着の端が掴まれて引っ張られた。
礼二が翼の上着の裾をぎゅっと掴んだまま、少しだけ眉根を八の字に寄せて寝転がったまま、翼を上目遣いで見上げていた。
翼は名残惜しそうな様子の礼二を見て、宥めるように彼の柔らかい髪をそっと梳かしながら撫でてやった。
「いい加減、夕飯食べないと」
「翼、お腹空いてるのか?」
「ああ。さっきから本当は空腹で仕方がなかったんだ」
「そうだったのか……じゃあ俺も、ごはん食べる」
礼二がそう言いながらもそもそと上半身を起こして足を崩した状態でその場に座り込んだ。
トレイに乗せられたままサイドボードの上に放置されていた夕食はすっかり冷め切っていた。
冷たい茶碗とお椀を手に取り礼二が座っている場所に近いボードの上へと置いてやった。
ベットの上でも食事が出来る様な組み立て式の机を買わないと流石に不便だった。
礼二は幼い頃から身体が強い方ではなく、体調を崩しがちだった事を考えればこれからの生活をしていく上で必要になっていくだろう。
箸を手にとって礼二に渡すと彼はそれを受け取って、当たり前のようにご飯の真ん中にグサリと突き刺した。
小さい頃に砂山に棒を立てて翼と遊んだ記憶からなんとなくそうしただけだった。
「礼二……それは縁起が悪いらしいからやめたほうがいい」
翼がそれを見て言うと礼二はきょとんとした顔で不思議そうにこちらを見返してきた。
やはり礼二は普通の人であれば身に付いている様なマナーもよく知らないらしい。
根気良く何回も教えてやるしかないが、分かってくれるまで繰り返し注意するのも、大変だ。
怒らないように自分の気持ちを抑えて、相手を怖がらせないように、気を付けつつ出来るだけ優しい声色で注意をするのは結構、精神的にもキツかったりする。
そんなことを考えると実際に礼二と共に生活していくという事がどれだけ大変な事か身に染みてわかってくる。
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