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前途は多難?【2】

   ご飯に箸を立てることがどうしていけない事なのか実のところ翼もあまりよくわかってはいない。  ただ多くの人がそれをするのはいけない事だと言っているのを聞いたりしてきて、自然とそれがしてはいけない事なのだろうという認識を持つに至っただけだ。  翼的にはなんとなく線香を立てるようなイメージもあるし、縁起が悪いんじゃないかという結論に達したのだが実際はどうなのかまでは、調べたことがなく、結局は今までわからないままだ。 「そうだったのかー」  なんで駄目なのかと聞き返す事はせずに、礼二は一度、突き刺した箸をご飯から引き抜いた。  疑問を聞き返すまでもなく翼がしてはいけないと言ったことには礼二は素直に従うようだ。  翼に嫌われたくないという思いからだが注意すればちゃんと言う事を聞いてくれる。  礼二は今のところは、翼の言う事であれば、素直に聞いてくれるし、なんとかやっていけそうだと思いなおし、翼はホッとため息をついて自分の分の箸を手に取った。  掌に箸を挟んで、手を合わせてから、瞼を閉じる。  食事をするまえに食べられる事に感謝をしてほんの少しだけ祈りを捧げる。  掌に箸を挟んだままでじっと目を瞑っている翼を礼二は箸の先を口に咥えながら不思議そうな顔をして見ていた。  しばらくして翼が瞼を開いて 「それじゃ、そろそろ食べようか?」と言った。  礼二は言われてすぐに、ご飯茶碗を手に取ろうとして翼に声を掛けられてそれを中断した。 「礼二。いただきますはちゃんと言ったか?」 「あ……言ってない」 「ご飯を食べる前にいただきます。食べ終わったらごちそうさまだろ?  ほら、今はなんていったらいい?」 「いただきます?」 「そう。よくできました。ちゃんと面倒くさがらずに言う習慣を身に付けられるようにこれから頑張っていこうな?」  優しげな声色で褒められてそう言われて、翼に頭を撫でてもらって礼二は幸せそうに緩んだ表情で「うん」と返事をして頷いた。  これからは翼と一緒にいられる時間がいっぱいだと思うと礼二は嬉しくて仕方がなかった。 「いただきます」  改めていただきますといって茶碗を手にとり、中身のご飯をどぼんと豚汁が入れられたお椀の中にぶち込んだ。  勢い良く冷めたご飯が汁を飛ばしながら、お椀の中へと移し変えられた。  翼は目を丸くしてそれを見ていたが、礼二は特に気にせずに、右手にグーで握り箸をして、ご飯がぶち込まれた豚汁を、箸でぐるぐると掻き回して、中身をぐちゃぐちゃにこね回していた。  翼は慌てて礼二のその手を掴んで、止めさせる。      やっぱり前途は多難かも知れない……  翼はそう思って呆れ顔でため息をついた。  とりあえず、まずは箸の持ち方から教えてやらなければいけないと思い礼二の右手に握り込まれた箸を抜き取った。 「礼二……ねこまんまして食べるのは今日のところは目を瞑るとして、箸の持ち方が違う。  教えてやるから憶えようか?」 「うん……?」  頷きつつ、不思議そうな顔をしてこちらを伺い見てくる礼二の右手を掴んで、箸の持ち方を教えてやる。 「こうやってまず、下側の箸を親指と人差し指に挟んで、ぎゅってしてごらん?  そう、ちゃんと挟んだままでじっとしてろよ」 「うん」 「で、上側の箸を親指の第一関節くらいのところに挟んで、人差し指と中指で上側の箸を固定して、中指で持ち上げられれば、慣れたら、そのうち豆粒とか細かいものでも、箸で簡単に掴める様になる」 「う……ううん?」  翼が言う事を聞いて戸惑いつつも翼にしてもらったままの形で、中指だけで上側の箸を動かしてみる。  口をあけたり閉じたりする時のように箸の先が動きコツコツと音を立てた。 「そう! それでいい!  やればできるじゃないか!」  礼二が箸を開いたり閉じたり出来ているのを見て翼が嬉しそうな声色で興奮気味に語気を荒げながら礼二を抱きしめて頭をぐしゃぐしゃと撫でた。  翼に盛大に褒められて、礼二は嬉しそうに赤い瞳を輝かせていた。 「下側の箸は動かさないようにして、力をいれずに軽く持つようにすると動かしやすいぞ」 「うん」 「そう、上手に出来てる!」  出来なかった事が出来る様になり、翼に褒められて礼二はすごく嬉しくて目を細めて口元を綻ばせた。 「ふふっ」  嬉しそうに幸せそうに目を細めて笑う礼二のその緩んだ表情に翼は胸の高鳴りを覚えた。  なんというか、何も出来なかった子供が何かを出来る様になった親の心境というか、愛しさのようなものがこみ上げてくるような気がした。  愛とか恋とかそういう意味で礼二の事を可愛いと感じているのかそうじゃないのかは分からなかったが、妙に自分の気持ちが昂ぶっているのを感じた。    せっかくちゃんと箸が使えるようになったというのに、礼二は豚汁の中にご飯をぶち込んでかき回して、ねこまんまにしたものが入れられたお椀に、口を付けて、箸でお茶漬けを食べる時のように、さらさらと掻き込んで食べている。  既にご飯は豚汁と混ざり合い箸で挟んで食べられるような代物ではなくなっていた。  ねこまんまをズルズルと音を立てて掻き込んで、もぐもぐと2、3回咀嚼して飲み込んでゆく。  翼はそれを横目で見つつ、「いただきます」と言って自分の分のご飯茶碗を手に取り箸を付ける。  米の一粒一粒に艶があって立っているご飯粒を一口分、箸で摘んで口へと運び、良く噛んで口の中でかみ締めるように味わった。  すっかり冷め切っていたが、それでも炊き方がいいのか米自体がいいものなのか噛めば噛むほどにほのかな甘みが増して美味しく感じられた。  一口飲み込むまでに30回~50回ほど良く噛んで、唾液と混ざり合ったものを飲み込んでゆっくりと食事をする。  満腹中枢を刺激してちゃんとお腹一杯食べたような満足感を得るためには、出来るだけ良く噛んで食べた方がいい。  唾液とよく混ざり合った食物は消化の助けにもなる。  明らかに噛む回数が少ない礼二を黙って見ていたが、結局、見過ごす事が出来ずに声をかけた。 「礼二」  ねこまんまを掻き込んでいた箸の動きを止めてお椀から口を離した礼二が、翼に名前を呼ばれて不思議そうな顔でこちらを見返してきた。  口の周りにご飯粒と豚汁の具が貼り付いて汚れているのを見て、翼は苦笑してサイドボードの上に置かれたティッシュ箱から数枚ティッシュを引き出して礼二の口の周りの汚れを綺麗に拭い取ってやる。 「んんっ……」  口の周りを翼にティッシュで拭き取られて礼二は瞼を閉じて、くぐもった声を出しつつも、されるがままになっていた。

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