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前途は多難?【3】  

「ご飯は良く噛んでから飲み込まないと駄目だ」  礼二の口の周りを拭き取るのに使って汚れたティッシュを丸めてベット脇に置かれたダストボックスに投げ入れながら翼が言った。   「うん? ちゃんと、噛んでるぞ……?」  確かに2、3回気持ち程度に噛んではいるようだがその程度ではあまり噛んでいる事にはならない。  食物を噛まずに丸飲みするのは消化器官にもよくないし、身体を余計に悪くする。  ただでさえ身体が強い方とはいえない礼二は健康な人よりも余計に気を使わなければならないはずだ。 「さっきから見ていたけど、礼二は2、3回くらい噛んですぐに飲み込んでただろ?」 「うん」 「もっとよく噛まないとだめだ。  最低でも30回は噛み締めてから飲み込むようにしないと胃腸を悪くする」 「そうなのか?」 「ああ。それに良く噛まないとお腹一杯食べた気にならないんだぞ」 「そうだったのか……」  翼が言う話をうんうん頷きながら聞いて納得したような顔をしてそう言う礼二の頭を撫でてやった。 「ふぁぁ……」  頭を撫でられて嬉しそうな顔で満足げに息を吐く礼二を見て、翼は穏やかな笑みを浮かべていた。  ひとしきり翼に撫でてもらった後で礼二はまたお椀に口を付けてねこまんまを掻きこんだ。  口の中に入れてから、うんうん唸りながら噛んでいる回数を数えているようだ。  うんうんと30回唸りながら頷いてちゃんとよく噛んでからご飯を飲み込んで、またお椀に口を付けた。  注意すればちゃんと言う事を素直に聞いてくれる礼二の様子を見て、翼はこれからの事に思いを馳せる。  大変な事は数え切れないくらいあるけど、礼二と二人で頑張っていこう――  そう思いながら、冷めた豚汁が入れられたお椀を手に取り口を付けた。     夕食を食べ終わり、空になった食器を翼は重ねて一纏めにしてトレイの上へと乗せる。  一緒に用意してきたウーロン茶のペットボトルの蓋を開封して、礼二に手渡した。  手渡されたウーロン茶を受け取ってこくりと飲んでいる礼二にデザートのチュロスを紙袋から一本引き出してそれも手渡した。  細長くて、砂糖をまぶしてあるその食べ物をはじめて見るのか、礼二はチュロスのにおいを嗅いで確かめたり、ブンブン振り回したりして一向に口を付けようとする様子がなかった。  そんな礼二を横目で見つつ、翼は自分用の飲み物であるミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開けて口の中を軽く濯いで飲んでからチュロスを一本取り出して先端に噛り付いた。  長時間放置されていたせいでそれはすっかり冷めて少々固くなっていたが食べられない事はなさそうだった。  外側がカリカリさっくりとしていて中はしっとりとしていて、千太朗が若草学園のスイーツ店にあるチュロス目的で入学してきたと言っていただけはあると思った。  ものすごく甘くてくどいのかと思っていたが、上品な甘さで、癖がなくて食べやすい。  油も軽めのものを使用しているのだろう。  見た目よりかあまり重たく感じない軽い口当たりだ。  翼がチュロスを黙々と食べ出したのをじっと見ていた礼二も、振り回していたそれに恐る恐る噛り付いて、うんうん唸りながら30回噛んでから飲み下した。 「礼二、それ、うまいか?」  翼に味はどうかと聞かれて礼二は「うん」と短く返事をして頷き、二口目を頬張って噛み千切っていた。  礼二は甘いものが割りと好きなほうだったからまあ、口に合わないと言う事はないだろうとは思っていたが、夢中でもぐもぐと口を動かして集中して食べている姿を見るに、このチュロスというお菓子が結構、気に入ったのだろう。  礼二の好きな食べ物は苺ジャムくらいしか知らなかった翼の頭に礼二の好物リストに苺ジャムの他にチュロスが追加された。  これからは買い物に行ったついでに、たまにチュロスを土産にかって行ってやろうと思った。  そうこうしているうちに礼二が一本目のチュロスを食べきり、ウーロン茶に口を付けて飲んで一息ついていたので二本目を差し出してやった。 「もう一本食べるか?」 「うん」  二本目を受け取って礼二が黙々とまたチュロスに噛り付いて食べ出したのを見つつ、翼は自分の分を食べ終わり、ミネラルウォーターを飲み干して、口の端に滴る雫を手の甲で拭い取る。 「ふう……」  それ程、くどくはないとはいえ、甘いものが物凄く好きというわけでもない翼は一本食べただけであとはもう口にする気にはなれなかった。    幾ら、美味いとはいえ揚げ菓子等は、一つ食べれば充分だった。  翼は、チュロスを大人しく食べるのに夢中になっている礼二を横目で見つつ、ベットに散らかったままのノートや筆箱を拾い集めて礼二の鞄の中へとしまい込み片付けをし始めた。  ベットに置かれたままだった礼二がいらないプリント用紙の白い部分に描いた一枚の絵を拾って手に取り、改めてそれを眺める。  目元が緩み、その絵を眺める翼の表情は穏やかで、そして優しげだった。  兄弟がまだわだかまりなく仲が良かったあの頃に帰りたいという礼二の願いが込められたその絵を、そっとなぞる様に撫でて、ベット脇に置かれた自分の学生鞄の中から、セロハンテープを取り出して、適当な長さに切って、端部分の4箇所に貼り付ける。  その絵が皺にならないように軽く伸ばしながら壁へとセロハンテープでぺたりと貼り付けて飾っておいた。  礼二は翼が絵を貼り付けて飾っているのを不思議そうな顔で眺めながらチュロスを黙々と齧っていた。 「せっかく、礼二が描いてくれた絵だから、こうやってここの壁に飾っておこうか」  翼が柔らかい笑みを浮かべてそう言うのを礼二は黙って聞いていた。 「あんまりうまくかけなかった……」  口にいっぱい頬張っていたチュロスを飲み込んでから礼二はしゅんとした表情でそんな事を呟いた。  それを聞いて翼は軽く首を左右に振って否定した。 「すごく、上手に描けてると俺は思うぞ」  礼二の頭にぽんと手を置いてくしゃくしゃと撫でながら翼は目を細めて笑みを浮かべ、優しげな表情で礼二を見返した。  翼に褒められて頭を撫でられて、礼二は嬉しそうに笑い、眦に涙を浮かばせた。  眦に浮かんだ涙の粒がぽろぽろと頬を伝い、零れ落ちてベットのシーツへと吸い込まれて消えてゆく。  (あれ……おかしいな……すごく、嬉しいのになんでだろう……涙が止まらない)  礼二はそう思いながら幸せそうに笑みを浮かべたままで頬に伝う涙をパジャマの袖でゴシゴシと拭った。  そんな礼二の様子を見て、翼は彼を自分の胸へと抱き寄せてあやすように背中を撫でた。  幸せそうな笑みを浮かべてぽろぽろと涙を零す礼二のいたいけな姿に胸が締め付けられるようだった。

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