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決心【1】

 礼二は翼の傍にいられて彼の為に何かを出来る事に至福を感じていた。  ずっと会いたくて一人ぼっちで寂しい夜を過ごして来た。  いつかこんな日が訪れる事だけを夢見ていた。   白い部屋に閉じ込められていた時は、日がな一日ずっと翼が映っている写真を眺めて、寂しさを堪えて泣いて泣き疲れて、ウトウトとまどろみ、眠りについた時にだけ夢の中でだけ彼に会うことが許された。  夢の中で会える翼は別れる前の小学生時代の小さな彼で、礼二もまた幼い頃の小さな少年の姿に戻っていた。  翼は写真の中の彼そのままで屈託のない少年らしい笑顔で歯を見せて笑い礼二に手を振っている。 「お兄ちゃん! 今日は少し遠くまで遊びにいこうよ!」 「うんっ……!」  翼に差し出された手を握り二人で手を繋いで歩き出す。  翼は片手にプラスチックで出来た小さなバケツと手作りの釣竿を手に持って礼二に得意げに見せてきた。 「俺たちの学年で工作の時に釣竿を作ったんだ。 これでザリガニを釣りにいこう!」 「うん。ザリガニ……」 「知らないのか? 赤くてなんか海老みたいな奴だ。海老じゃないらしいけど、でかいハサミがついてる奴だ」 「食べるの?」 「食えない事もないだろうけど泥臭くて身も少ないし、釣った後は逃がしてやるんだ」  「そっかぁ……」  結局ザリガニのハサミで、翼が作った釣竿の糸の先に巻きつけられた餌だけが切り取られ、餌を持ち逃げされるばかりで、ザリガニを捕まえる事は出来なかった。  日が暮れ始めるまで礼二は翼の隣で、彼が釣りをしている様子をにこにこと笑顔で無言のままずっと見守っていた。  ただ、彼の傍に居られるだけで幸せだった。  礼二にとって翼の隣に自分が居られる事が一番の幸せで全てだった。  彼が楽しそうにして笑っている顔を見ていられることが礼二にとってかけがえの無いなによりの宝物だった。     翼と離れ離れになって新しい家で父親と二人で暮らすようになり、施設に閉じ込められる少し前に翼とザリガニを釣りにいく夢を見た。  二人の関係がまだわだかまり無くギクシャクとし出す前の翼と仲が良かった頃の夢を、施設に閉じ込められてからは特に良く見るようになっていった。  泣き疲れて浅い眠りについた時に幸せだった頃の夢に落ちて、幼い頃の翼と再会することが出来た。  礼二はその夢の中で自身も愛しい彼と同じようにまた幼くなり、翼と再会して、そしてしばらくして目が覚めては彼と別れるという事を繰り返していた。  目が覚めかけて夢がだんだんとぼやけていき見えなくなってかすんでいく翼の笑顔を見た時、いつも涙を流していた。  夢の方が現実であればいいのにといつも思っていた。  礼二は狭く無機質な白い部屋のベットで目を覚まして、自分がひとりぼっちで、孤独である事を痛感して枕に顔を埋めて声を殺して泣いた。  涙と鼻水が枕へと染み込んでぐしゃぐしゃになってしまうのも気にせずに、気が済むまで泣いて泣き続けて、そして疲れて眠りに落ちればまた翼に会うことができる。  礼二はそう考えて、流れる涙を拭う事もせずに、泣き続けた。  とめどなく溢れ続ける涙が涸れる事はなかった。  涙の海に溺れて窒息してしまいそうだった。  幸せだった夢から覚めた時の現実の厳しさと辛さに打ちひしがれて途方にくれた。  翼に会えない寂しさが、溶けない雪のように降り積もり、礼二を凍えさせて、苦しめる。  元々不安定だった礼二の精神はそんな日々を繰り返していくうちに、徐々に磨耗し蝕ばまれていった。  礼二が自宅のマンションの屋上から、飛び降りようとしたあの事件を起こしてから、翼は実の兄に対して以前のような態度ではなく、まるで腫れ物を扱うようなよそよそしい態度になり、学校にいる時に一緒にいる時間が減り、遊びに連れて行ってくれることもなくなった。  でもそれでも翼がいる場所で寝起きをして共に生活できていただけでまだ幸せだった。  よそよそしい態度で礼二に接するようになった翼だったが、礼二と共に父と母と家族4人で暮らしている頃はなんだかんだで礼二の面倒は彼が見ていた。     事件の後、精神的に不安定になり頭部に怪我をしてしばらくの間病院に入院することになった母親の変わりに翼が礼二の面倒をみていた。  大人がいない時に火を使ってはいけないと父親に念を押されていた。  食事は父親がいつも買って来ておいてあるコンビ二弁当で済ませていた。  父親は有給が切れてからは、母の看病をしながら仕事を遅くまでしていていつも帰ってくるのは明け方近くだった。    そんな日々が半月以上続いて元々食が細かった礼二がコンビ二弁当に飽きてきて、それを口にしなくなり、日に日に痩せていくのを見ていた翼は彼になんとか何かを食べてもらおうと、初めて料理をしようと考えた。  けれど、料理をしようにも家には買い置きの食パンの塊くらいしか、いつも置いていなくて、翼がその食パンを食事をする時に使うナイフで切り分けて礼二に手渡して食べさせていた。  いつも大きな瓶に入れられた苺ジャムが冷蔵庫に常備されており、それを取り出してきて、固くしまっている蓋を何とかしてこじ開けて、翼は歪にスライスされた2枚の食パンにそのジャムをたくさん塗って挟んでくれた。  母親が作ってくれたどんな料理より、父にごくごくたまに高級な店に連れて行ってもらった時に食べたステーキよりもずっと美味しかった。  翼が一生懸命作ってくれたジャムパンが礼二の好物だった。  だから礼二の好物は苺ジャムだと翼は思っていた。  苺ジャムを塗って挟んだだけの切り口が汚いぐちゃぐちゃのパンを嬉しそうに幸せそうに頬張る礼二を見ていて、翼はそれは彼が苺ジャムが好物だからだなのだと思った。  実際には礼二は好き嫌いはなく食は細いが何でも食べる。  これといった好物も特に無い。  ただ翼が作ってくれた食べ物を口に出来る事が嬉しくて、そして幸せだったのだ。  礼二はそのジャムパンと翼が入れてくれた牛乳を飲んで夕食を済ませて、二人でソファーに座ってテレビを見て、寝る時間まで過ごした。  翼が宿題をしている隣でクーピーで絵を描いたりして過ごした。  そんな日々がずっと続いていくのだろうと何の疑いも無く信じていた。  母親がなんとか正気を取り戻して怪我も治り回復して退院して帰ってくると父親に聞かされたその日。  唐突に別れが訪れた。  父親は翼に何度も謝って、母親と離婚したことを告げた。  今から礼二を連れて行き、新しい家で二人で暮らすと打ち明けた。  礼二の面倒を全て妻に押し付けていた責任を取るために、彼女の重荷を少しでも軽くしてやりたいが為の苦渋の末の選択だった。  父親と翼が話している言葉を聞いて、交互に二人の顔を見て、きょとんとしていた礼二の肩を父親が叩いた。 「礼二、翼にお別れの言葉をいいなさい」  そう言われて礼二はなにがなんだか分からないというような顔をした。

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