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決心【2】
父親は翼と離れ離れになって暮らすと事を言い聞かせて、礼二にも分かるように説明した。
礼二は首を左右に振るばかりで決して「うん」と頷く事をしなかった。
大好きな翼と離れ離れになって遠い所で父親と自分と二人で暮らしていくなんて礼二にとってそれはシネと言われているのと同じだった。
聞き分けのない礼二の両肩を掴んで自分の方を向かせて父親は語尾を強くして礼二を叱り付けた。
「わがままばかり言うんじゃない! 礼二、お前のせいで母さんは……」
そこまで言いかけて父親はハッとした表情で口を噤んで苦々しげな顔をして押し黙った。
父親は翼にかかる精神的な負担を考えて、母親と別れて離れ離れになって暮らすという事だけを伝えて、それ以上の詳しい事情は伏せてこの家を去るつもりだった。
母親と父親が離婚する事になった本当の理由は翼が高校にあがる直前になって母の口から明かされて初めて知る事となる。
父親に語気を荒げて叱りつけられた礼二は目尻に涙を一杯に浮かべて、父親の腕の中をすり抜けていき居間へと逃げていった。
居間へとついて礼二はいつもお絵かきをする時に使っていたクーピーの黒色を使ってたどたどしい手つきで翼に手紙を書いた。
翼と離れ離れになって会えなくなるのはぜったいに嫌だけど、父親に無理矢理連れて行かれたら、父親の方が力も強いし、今の自分では太刀打ち出来ないということは分かっていた。
だから礼二は翼に手紙を書いて、父親に連れられて、出て行くときにこっそり書き置きを靴箱の上に折りたたんで残しておいた。
父親に手を引かれて、仕方なく玄関を出て行く時に翼にこの家の住所を聞こうとした。
「てがみおかくから、こっそりじゅうしょをおしえてくれ!」
翼にそう耳打ちをしたら、呆れ顔で
「長年暮らしてた、自分ちの住所くらい覚えとけよ、カス」
と冷たい答えが返って来た。
礼二は翼に冷たく突き放されるような事を言われて涙ぐんだ。
翼も彼に冷たくしたくてしているわけじゃない。
父親に礼二にわざと嫌われるような態度を取るように言われたからだ。
未練が残らないように、そうしてやってくれないかと頼まれた。
母親が奇跡的に精神崩壊から脱して回復できたのは入院して彼女の精神的な負担となっていた礼二と離れて生活をしていたおかげだった。
礼二が二度とこの家に戻ろうという気を起こさないように、わざと礼二に冷たく接して突き放すように頼まれた。
母親が礼二の影に怯えずに穏やかに安心して暮らしていけるようにするために。
翼は胸に痛みを覚えつつも礼二に冷たい態度で接して、彼を突き放し、涙ぐんで茫然自失となった礼二の手を引いて父親が出て行く背中を見送った。
出て行った二人を見送った後で、靴箱に書置きが残されている事に気が付いた。
翼はその折りたたまれた紙切れを開いて内容を確認する。
それは礼二からの手紙だった。
書いてある内容が物騒すぎる手紙だったから読んだ後ですぐにビリビリに破いて玄関の靴箱の横にあるゴミ箱へと読めないようにして捨てた。
胸が痛んだが、今日、母親が退院してこの家に帰ってくる。
礼二が書き残した手紙は母親の目に付かないようにして処分した。
手紙の内容も自分の胸の中にだけしまっておくつもりで母やましてや父に連絡をするつもりもなかった。
へたな心配をさせるような事は両親には言わないほうがいい。
翼はそう思って手紙を読めないように細かく破いて捨てた。
礼二がよれよれの字で内容はともかく一生懸命に書いただろうその手紙。
まさか本気だとは思っていなかった。
数年の時が過ぎて礼二のその置き手紙に書かれた事が、悪い冗談ではなく、彼の本気だったという事が発覚した。
礼二の携帯を借りて翼が彼が若草学園に入学してきた理由と事情を把握するために父親に電話をかけた時に初めて知った。
父親の口から直接、礼二に殺されそうになったという話を聞いて、目の前が真っ白になり、足元がふらつくほどのショックを受けた。
礼二と離れ離れになった日に読んだあの手紙の内容が頭の中を駆け巡った。
自分の心の中にだけ留めておいたあの手紙の内容が、いつかはこうなるだろう事を示していた。
礼二に一回も会いに行こうとせずに、彼を放置していた自分の責任だと思った。
なんとかしようと思って行動していればここまで最悪な事態は避けられたかも知れない。
礼二がいつか父親をその手にかけようと計画している事を知っていたのは翼だけだったのだから……。
最悪の結果を回避するために何の行動も起こさずに、のうのうと暮らしていた自分に腹を立てた。
礼二は昔、住んでいた自宅の住所すら知らなかった。
彼はいつも一人で出歩いては迷子になり両親の悩みの種だった。
礼二の方から翼が住んでいる場所にやって来る事は一回もなかった。
翼もあえて分かれる去り際に礼二に聞かれた住所を教えずに伏せたままで居た。 住所を知っていれば誰かに聞いたりして方向音痴な礼二でもなんとかして自力でこの家までやってくる恐れがあったからだ。
住所を言って誰かに頼んで連れて来てもらう可能性もあった。
母親の心労を考えれば礼二に会わせるのは絶対に良くないと翼もそれだけは分かっていたため礼二がもし一人でこの家へとやってきた場合は母親に会わせない様にして自分が相手をしてやるつもりだった。
けれど翼は、自分の方から会いに行こうとは一回もしなかった。
母と二人で暮らすようになってから、たまに礼二の夢を見る事があったが、何事も無く生まれて初めて自分のためだけにすごせる時間が出来て、彼が居ない寂しさよりもホッとした気持ちのほうが正直大きかった。
物心付いてある程度自分の事が出来る様になってから翼は常に礼二の傍に居て彼の面倒を見続けてきたように思う。
長男にかまけきりの両親に蔑ろにされ続けて、次男でありながら長男である礼二の面倒を見る事が当たり前のようになっていき、母親が見ていられない間は翼が礼二の傍に居て彼の様子を見ていた。
そんな生活を続けていくうちに自分の心がどんどんとささくれ立ってヒビだらけになっていくのを感じた。
両親に面倒ばかりかけている礼二がいたせいで翼は一切両親に甘える事が出来ずにずっと我慢し続けていた。
自分までわがままを言って両親を困らせるのは良くないと、自分の事も見て欲しい、寂しいと叫び出したいのをぐっと堪えてきた。
さらには学校では礼二がいない時を狙われてイジメの被害にあっていた。
イジメをしていた主犯格である少年は元々は翼と仲が良かった生徒で、軽口を叩き合ったりする程度には親しい間柄だった。
翼に馴れ馴れしく近づく生徒を片っ端から礼二が闇討ちしたせいで両親が学校に呼び出されて、怪我をさせられた生徒の親に頭を下げさせられていた。
学校の備品は破壊する、2学年下の生徒には怪我を負わせる等、問題ばかりを起こしていた悪名高い礼二の名前はあっという間に学校中に知れ渡る事になった。
年頃の少年にありがちな強いものに抱く憧れからか、礼二の周りには愉快目的や野次馬目的で頻繁に他クラスの男子や下級生の男子等が代わる代わる様子を見にやってきたり、まるきり珍獣扱いだった。
舎弟が何人も出来て、礼二は鬱陶しそうにその生徒達を追い払ったり、何かを命令してパシリに使ったりしていた。
一部の生徒に恨まれてはいたものの、なぜか礼二の周りには沢山の人が集まり輪を作っていたように思う。
平凡で外見以外何の特徴も無い面白みにかける自分はイジメの標的にされるくらいが関の山だった。
昔から本人がそれを望まないにせよ、人を惹きつけるカリスマ性のような何かが礼二にはあったのだろう。
そんな礼二と共にいる自分の存在が酷く惨めでちっぽけなような気がした。
――無意識に礼二を羨ましく思い、彼に対する劣等感を感じていた。
翼は礼二と別れて、初めてなんの気兼ねなく自分だけの時間が持てるようになった。
ただゆっくりと穏やかに過ぎていく時間が何よりかけがえの無い物のように思えた。
相変わらず、付き合い下手で友達と呼べるような友達は中学に進学しても出来ずに一人で図書館で本を読んで過ごす事が多かったように思う。
本の中の物語の世界に入り込んで没頭できる時間はとても充実していた。
自分が主人公になった気でいろんな世界を飛び回り、沢山の仲間と冒険を繰り広げ、常に登場人物達の中心に自分
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