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Birthday【1】
翼はひとしきり礼二の髪を撫でてやり、彼の状態が落ち着いているのを確認してホッとした様な顔で微笑を浮かべた。
礼二は情緒が不安定でいきなり何をしでかすか分からないところがある為、状態が落ち着いているか常に気にかけてやら無ければならない。
この状況からくるストレスが原因で、母親は気が滅入ってしまい、だんだんとおかしくなっていったのだろうと翼は思った。
幸い母の時とは違い礼二は翼の言う事は比較的素直に聞いてくれる。
翼は礼二の腰に手を宛てて、右手を掴んで補助してやり席を立つように促した。
「礼二、手伝いはもういいから先に寝室に戻って休んで、俺が戻るまで安静にして待っててくれ」
残りの家事は、洗濯物を畳んで掃除機をかけるだけだ。
急いでやれば30分も掛からない。
家にいる間中、翼の傍にいたいという礼二の気持ちも分からない事は無いが病み上がりの身体であちこち連れまわすのも気が引ける。
翼に寝室に先に戻って待っているように言われて礼二は無言で首を左右に振って服を掴んでいる手に力を込めた。
「15分。15分で戻るから」
「本当に? いなくなったりしない?」
礼二は翼とまた離れ離れになるかもしれないという不安に常に苦しめられているようだ。
幼い頃に親の都合で唐突に引き離されてずっとひとりぼっちで寂しい思いをしてきただけに翼がほんの少しいないだけでとてつもない不安と絶望感に押し潰されそうになる。
紅い瞳が不安げに揺れ、瞬きもせずにじっと翼を見返している。
「ああ。絶対に戻るから、いい子にして待っててくれ」
翼も茶化すことはせずに真剣な表情で礼二を見返して、彼の背中を押してやり寝室に戻るように促した。
礼二は何度も寂しそうな目で翼を振り返り見ながらとぼとぼと台所を出て寝室へと戻っていった。
家にいる間中、礼二に後を付いて回られるのは構わない。
けどそれは完全に風邪と怪我が治ってからの話だ。
病み上がりの身体で無理をさせるとまた状態が悪化するかもしれない。
皿を拭く手伝いをさせてやったし礼二も少しは満足しただろうと思う。
15分で戻ると約束したからにはさっさと残りの家事を済ませて礼二が待っている寝室に戻らなければならない。
翼は足早にリビングへと向かい、部屋に散らばっている乾いた洗濯物をかき集めて手早く畳み、ソファーの上にそれを置いて、壁際に立てられている掃除機を引っ張ってきて、電源を入れて机の下やテレビの周り、ソファーの周辺の細かいゴミを吸って大まかに掃除機を掛け終わって一息ついた。
さほど汚れてはいなかったおかげで割りと早く掃除を終わらせる事ができた。
15分ぎりぎりで掃除を終わらせて翼は畳んだ洗濯物を手に寝室へと向かう。
寝室の扉の前で立ち止まり扉をほんの少しだけ開けて中を覗きこんで様子を伺う。
扉の隙間から礼二がどうしているか少しだけ様子を見る。
礼二はベットにペタンと足を崩して座り込んで、サイドボードの上に置かれたデジタル時計をじっと見ていた。
15分で戻ると言ったが翼が寝室に戻る頃にはほんの2、3分過ぎていた。
礼二が大人しくベットに座っているのを確認してから翼はそっと寝室のドアを開けて中へと入り礼二に声をかけた。
「礼二、ごめん、ちょっと遅れた……」
声を掛けられて振り返った礼二は翼の顔を見るなり眦に涙を浮かべて大粒の涙をぼろぼろと零して泣き出してしまった。
「うっ……うぐっ……ううっ」
翼は手に持っていた畳んだ洗濯物をサイドボードの上に置いて、泣き出した礼二を自分の胸へと抱き寄せる。
「うあっ……ううっ……もう……戻って、こないっ……かと……おもっ……」
翼にしがみ付いて泣きながら切れ切れにそう言う礼二を見下ろして髪を梳くように撫でた。
「ごめん……15分過ぎてたな……でも、礼二がいるところに戻ってくるって言っただろ?」
「うん……」
泣きながら頷く礼二の額に口付けて彼の両頬に掌を宛てて上向かせて自分の目を見るように引き寄せた。
「約束は必ずしも守られるとは限らない」
至近距離で翼に言い聞かせるように言われて礼二はハッとした表情で相手の顔色を伺うように見返した。
「約束の時間に少し遅れる事もあれば、心変わりすることもある。
急用が出来て約束を守れなくなるかもしれない。事故や事件に巻き込まれて約束を守りたくても守れない場合もある」
「…………」
翼にそう続けられて礼二は無言で頷いた。
「それでも礼二がいる場所に帰ってくるから、待っていて欲しい。
俺は無責任だし馬鹿だから平気で゛絶対戻る゛とかいうけど、なにがあっても礼二がいる場所に帰るつもりだから」
「うん……」
瞼を閉じて礼二は落ち着きを取り戻したのか指先で涙を拭いながら静かに頷いた。
礼二は約束した事は必ず守られるものだと思い込むようなところがある。
昔から融通がきかない事がよくあったりした。
ほんの少し約束した時間に遅れると癇癪を起こして泣き出したり、錯乱状態に陥ったりして手が付けられなかった。
情緒が不安定だからというのもあるだろうが、いい加減予定が変わることもあると言う事を憶えさせなければ駄目だと翼は考えた。
幼い頃は子供特有の我が侭で許されるが、礼二は明日にはもう18歳にもなるような大人と呼べるくらいの年齢になるのだ。
物心付いたばかりの子供がよく玩具を買って欲しいと我が侭を言って泣き出して、その場を離れずにテコでも動かなくなり、仕方なく親の方が折れて、子供に玩具を買い与えているような光景を目にした事がある。
そうして我が侭を聞いてやってばかりいると子供は泣き喚いて我が侭を言えば願いは叶えられるものだと思い込むようになる。
子供の我が侭を全て聞いてやって言いなりになるような親はダメだ。
うちの両親も例に漏れず礼二を腫れ物を扱うように接していて、彼が何かを壊したり、どこかで誰かに迷惑をかけて問題を起こした時など、自分達が謝ればそれでまるく納まると思っていたような節がある。
下手なことを言えば何をするか分からない礼二をどう扱ってよいのか分からなかったのだろう。
礼二を強く叱ると言う事が殆どなかった。
幼い頃の礼二は自分がしでかした事の責任を自分自身で負った事が一度もない。
幼い子供のうちはすべてが親の責任になるからまだそれでも許される。
しかし、礼二は明日で18歳になる。
まだ未成年とはいえ自分がした事に自分で責任を持たなければならない年だ。
約束事が必ずしも守られるとは限らないと言う事も少しずつでもいいから理解していってもらわなければ。
この学園の寮で同じ部屋で寝起きを共にして、二人で生活を共にしていくのに、こちらが先に精神的に疲れてしまい、すぐに気が滅入ってしまうだろう。
予定通りに行く事ばかりじゃないと思うし、予想していたよりも長い時間礼二を待たせるようなことになる時もきっとある。
出来るだけ約束を守れるように努力はするがそれが叶えられなかった時に待ちきれずに、自らの足で翼を探しに外に出て迷子になって帰れなくなり挙句の果てに大問題を起こして退学にさせられる。
と言う事もありうるかもしれない。
翼のクラスの担任である西野に事情を話せばなんとか許してもらえるように校長に話を付けてくれるかもしれないが彼にも限界がある。
窓ガラスを割る程度の問題であればなんとか大目に見てもらえるが、礼二が問題を起こした先で誰かを巻き込んで怪我を負わせるとか大事になれば対処しきれないと思う。
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