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Birthday【3】

自分自身を主人公に当てはめて、空を海を山を飛び回って世界中のあちこちを冒険しているような気になって空想していた時間がとても楽しかったのを思い出した。  物語に集中して頁をめくり続けて中盤に差し掛かった頃、何かが挟まっている事に気がついた。  茎部分が茶色く変色しているが葉の青さはまだ残っている。  本の間に栞代わりにして挟まれていたそれは、幼い頃に礼二に貰ったあの四つ葉のクローバーだった。  本に挟んだ記憶はあるがどの本に挟んだか分からなくなってそのままにしていたが、一番気に入っている一番ボロボロな本にそれはひっそりと挟まれていた。  思えばこの小説を読むのは小学生の時以来だったっけ……そんなことを思いながら、その四つ葉のクローバーを壊さないようにそっと指先で摘んで、電灯の光りに翳してみた。  翼の為に礼二が一生懸命にひしめくシロツメクサの絨毯の中からやっとの思いで見つけただろうそれ。    すごい懐かしさが込み上げてきて、思わず目頭が熱くなってしまう。  元々、涙腺が強い方ではない翼だったが礼二と再会してこの学園に来てから余計に涙もろくなったような気がする。  少し前までの自分はずっと我慢して泣かない様にと強がっていたものだが、箍が外れたように涙がこぼれてしまいそうになる。  ここ数日の間にこの学園で知り合いになった生徒数人の前で無様に泣いてしまった事も思い出して翼の頬が熱くなった。  馨と和成の前では特にみっともなく泣いてしまったように思う。  泣いている翼の事を馨は可愛いと言ってくれたが全然、嬉しくなかった。  眦に浮かんで零れ落ちそうになっている涙を掌で拭って、干からびた四葉のクローバーをまた本の間にそっと挟んで戻しておいた。  押し花を栞にするためのキットが雑貨屋に売っていたはずだ。  それを買いにいって、この四つ葉のクローバーを大切に保管しておこう。  透明な薄いセロファンみたいなシートで挟んで押し花を長期保存することが出来ると書かれていた。  小学生時代はそんなに金を持っていなかったせいで買えずに裏に書いてある説明だけ読んで戻しておいたが、いまでもどこかの雑貨屋に行けばきっと売っているはずだ。    この学園の雑貨屋に売っているかどうかはわからないが、また明日、ショッピングモールを散策してみるのもいいかもしれない。  礼二には少しの間、留守番してもらうことになるだろうがこの学園で長い間生活を共にするのだ。  家で大人しく留守番して待っていられるかどうか様子見する意味でも数時間程度外出しようかと思った。  食料は冷凍してあるものも含めて一週間は買い込まなくても大丈夫そうだったが、料理のレシピ本や、初心者向けの基礎から学べる料理本も欲しい。  手探りで適当にカンだけで料理が出来るほど、まだ手馴れてもいないし上手くは無い。  節約のためにも調理に失敗して食材を無駄にしたくない。  礼二と翼。二人分の生活費と学費を毎月、振り込んでくれると言う父が、仕事のしすぎで過労で倒れやしないか、翼は今この時ですら気が気じゃなかった。  父は過去に自身が犯してしまった過ちを悔いていた。  二人の息子に金銭的な面でだけでも不自由させたくないと強くない身体を奮い立たせて頑張っているのだろう。  父は母と翼と別れて、離れ離れで暮らすようになってからも、生活費と養育費を母の口座に振り込み続けていたらしい。  そのせいで父が貯金して大金を持っているという事は多分ないと予想できる。  きっとギリギリの貧しい生活をしているに違いない。  電話で話して通話口ごしに久し振りに聞いた父の声は若かった頃のようなハリと威厳はなく、弱々しく疲れが出ているような声だった。  父の負担を軽くしてやる意味でも、翼はなるべく早く当初はするつもりだったバイト先をこの学園内で見付ける予定だった。  ちらほら、コンビ二や喫茶店なんかでバイト募集の張り紙を見かけていた。  社会勉強もかねて、この学園の生徒はバイトしたいと言う者や、家庭の事情で学費を自分で支払わなければならない生徒などはバイトをする事が許されている。  翼はそもそもはその部分にのみ着目して、この学園に入学して寮で生活することを決めたのだ。  明日、散策がてらどこかバイトをさせてくれるような場所を見て回って、店員に話を聞いたりしてみよう。  翼はそう考えて、クローバーを挟みなおした頁の次を開いて小説を読む事に再び集中していった。  お気に入りの冒険活劇の小説をしばし読み耽り、読み終わる頃にサイドボードの上にある時計を見て時間を確認してみるとちょうど日付が変わる頃にまで夜も更けていた。  3日目が終わりを告げて4日目へと日付が変わるのを翼は見届けてから読み終わったばかりの小説を閉じた。  ――AM 12:00  午前0時。4月4日。礼二の誕生日だ。  17歳から18歳になった礼二はもう自立していてもおかしくないくらいの年で大人だ。  翼の肩に寄りかかったままの体制で眠り込んでいる礼二の安らかな寝顔を見て翼は微笑を浮かべ、彼の耳元でそっと囁くように祝いの言葉を贈った。  「礼二、誕生日おめでとう」  膝の上に置いたままの小説を手に取り片腕を伸ばして、サイドボードの上へと置いた。  すっかり深く眠り込んでいる礼二を起こさないように彼の背中と膝裏に腕を回して抱き上げて、体制を変えさせてベットの上にそっと横たわらせて寝かせてやる。  掛け布団を引き上げて整えてやり、一息ついた。     ベットに横たわる礼二の額に掛かる髪を梳くように撫でてやる。  礼二の寝顔をしばらく眺めて、起きる気配が無いことを確認してから、玄関に置きっぱなしのクマを取りに行く。  目を覚ました礼二の目に付くところに誕生日プレゼントを置いておこうと考えた。  玄関へと移動して靴箱の上に置きっぱなしにしていたプレゼントの包みを手に取り、寝室へと戻る。  すやすやと穏やかな寝息をたてている礼二の枕元にプレゼントを置いてから部屋の明かりを消す。 「おやすみ」  眠っている礼二の額に口付けをして、隣のベットへと移動して横になった。  目を覚ました礼二がそれを見付けてどういった反応をするのか多少楽しみに思いつつ、翼も眠気に誘われるまま横になり就寝した。  いろいろと疲労が溜まっていたせいかあたたかい布団にもぐり込むと同時に眠りの海へと落ちていった。  礼二に貰った四葉のクローバー。風船。ささやかなプレゼントだったけどとても嬉しかった。  思えば翼は幼い頃から今まで、礼二に何かをプレゼントしたということが一度も無かった。  そう思い返してみて、礼二に誕生日プレゼントを買ってやる事にした。  これからは毎年、礼二の誕生日が来るたびに何かプレゼントを贈ってやろうと思っている。  そもそもうちは昔から誕生日をするほどにいろいろな意味で余裕があるような家ではなかった。  誕生日を祝うと言う習慣自体が無かったようなものだが、翼は特にそれを気にした事は無かった。  両親から何かを買い与えられるのはいつも礼二だけで自分には何か玩具を買ってもらったという記憶が無い。  それだけに礼二がくれた四葉のクローバーや風船なんかのプレゼントが印象深く記憶に残っている。  どの本に挟んでしまいこんだか分からなくなってたものが一番お気に入りの小学生の頃に読んでいた本の間から見つかってとても感慨深かった。  兄らしいことをろくに出来ないような兄だったけど翼を喜ばせようといつも一生懸命だった。    今も彼は彼なりに翼の為に手伝いをしようと一生懸命だ。  礼二は昔からずっと変わっていない。  礼二に深く愛されていると言う事に気付かずにいた自分はなんて愚かなのだろう?  ずっと一人きりで孤独だと思い続けてきた。  自分の事を一人の人間として愛し、必要としてくれる者などいないと思いこんでいた。  幼い頃にずっと傍にいたのにそれに長いこと気が付かなかった。  本当に大切なものは足元に転がっているという歌の歌詞を思い出した。  確かにその通りだと思った。  近すぎて当たり前すぎて気付かない大切なものは自分が思っている以上にきっと沢山あるのだろう。

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