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Birthday【5】

さすがに量的に厳しかったが、せっかく母が作ってくれたものを残す事はできなかったし、なによりもったいないと思い、なんとか胃の中へと納めて、最後の一口はお茶で流し込んで飲み下した。  食べ終わった食器を重ねて集めて、後片付けをする。  洗い場へと運んで、水が溜めてあるプラスチック製の桶に浸けておいた。  こうやってしばらく水に浸けておけば汚れも落としやすくなる。  リビングにいた母が食卓へと顔を出し、翼と礼二の着替えとバスタオルを持ってきて手渡してくれた。 「ご飯食べたんならはやくお風呂に入ってきなさい。  あんたたちが帰ってくるまで保温にしておいたからちゃんとあたたまるまで、湯船に浸かって100数えなさいよ?」  翼は母の言葉に頷いて「うん」と素直に返事をしたが礼二はむっとした表情をしていた。  礼二は一人で風呂に入ると髪が良く洗えてない時や、よく身体を流していなくて泡が付いたままの時が多い。  翼が一緒に入って面倒を見るのが習慣になりつつあった。    礼二を連れて風呂場まで向かう前に子ども部屋に寄り、パーカーの胸ポケットに大切にしまっておいた四つ葉のクローバーを取り出した。  なくさないように大切にどこかに保管しておこう。  どこにしまうか少し悩んで、自分が一番お気に入りの小説を手に取り、頁を開いてそこへと挟んでおいた。  この本は一番のお気に入りで、最近は毎晩寝る前に読んでいるし、どこにしまったかわからなくなるという事も無いだろうと考え、クローバーを間に挟んだその小説を勉強机の横に置かれた棚へと戻しておいた。  まだ幼い頃は当然のように二人で一緒にお風呂に入っていたが、今になってまた一緒に風呂に入ってあまつさえ礼二の事を意識するようになるとは思いもしていなかった。  数年の月日が過ぎて、礼二から貰ったその四葉のクローバーが読み古した本の間から見つかった。  茎がほんのすこし干からびていたが、ちゃんと綺麗に押し花になっているそれを、電灯に翳して眺めて、貰った時の事を思い出した。  翼はふいに夢から覚めて、ゆっくりと瞼を開けると眼前に礼二の顔があった。  隣のベットからいつのまに移動してきたのか彼は翼のすぐ隣で息が掛かりそうなほど近くで横になっていた。  腕の中に包装紙が未開封のクマのぬいぐるみが抱えられている。  翼よりも先に目を覚ました礼二が、自分の枕元に置かれていたそれを見つけて、持ってきたのだろう。    翼よりも先に目を覚ました礼二は枕元に置かれている包みを見つけて首をかしげた。  包みごと両手で掴んで握り締めてみるとふかふかとした柔らかな感触がした。  この包みは何か翼に聞こうとして、礼二は起き上がり、自分のベットを降りて翼の元へと向かった。  翼はまだ目を覚ます気配はなくすやすやと規則正しく寝息をたてていた。  寝入っている翼が起きるまでベット脇の椅子に腰掛けてしばらくの間、待っていたがまだ薄暗い早朝の冷えた空気に肌寒さを感じ、耐え切れずに翼が寝入ってる隣にごそごそと潜り込んだ。  翼の体温で布団の中はあたたかくて心地が良かった。  翼の隣へと身を丸くして落ち着けてから、愛しげに安らかなその寝顔をずっと見続けていた。  翼が目を覚ましてゆっくりと瞼を開き、眠そうな声で 「礼二……先に起きてたのか……おはよう」  と微笑を浮かべて声をかけた。  礼二は嬉しそうに笑みを浮かべて 「おはよう」  と朝の挨拶を返して、手に持っている包みを翼に見えるように彼の眼前へと翳した。「ああ……それな、礼二の誕生日プレゼントだ」  そう言われて礼二はきょとんとした顔をして、銀色の包装紙と赤いリボンで綺麗にラッピングされているそれを眺めた。 「今日は……俺の誕生日だったのか……」  案の定、礼二は4月4日が自分の誕生日であると言う事をすっかり忘れていたらしい。 「はは、やっぱり覚えてなかったんだな。この分じゃ俺の誕生日も覚えてないだろ?」 「9月6日」  即答だった。  自分の誕生日はすっかり忘れていたが、翼の誕生日だけはしっかりと礼二は記憶していた。  翼の誕生日こそ自分の誕生日でもあると礼二は思っていた。  翼が生まれてきた日。  なにより誰より大切な愛しい存在に初めて出会って、ガラス越しに、小さな小さなその姿を見ることが出来て、自分も初めて生きているんだと実感した。  礼二は翼に夢中になり、何をする時も翼の面倒を見ている母親の後を付いてまわった。  翼が生まれる前はまったく表情が無くて人形のようだった礼二が愛らしい笑顔を見せるようになり、母親も内心悪い気はしていなかった。 「自分の誕生日も覚えてないのになんで俺の誕生日は覚えてるんだ?」 「翼が出てくるまでずっと待ってたから、憶えてる……」  翼に聞かれて礼二は当然のように答えた。  母が身ごもって、ある日、お腹の中に礼二の妹か弟がいると話した。  その時の母のお腹はぺったんこでまだ幼かった礼二はそう言われても意味が分からなかった。  けれど一ヶ月二ヶ月と日が経つに連れて彼女のお腹はだんだんと大きくなっていって、掌でそっと触れると何かが動いているのが分かるようになっていった。     礼二はおっかなびっくりしながらも、お腹に掌で触れたり、耳を付けて鼓動を聞いたりして、その小さな命が育まれて行く様をずっと見守っていた。  だんだんとその存在に夢中になっていき、出てくる日が待ち遠しくなり、いつ会えるのか楽しみにして待っていた。  翼が生まれてきて初めて対面した時に礼二は恋に落ちた。  自分は翼に出会うために生まれて来たんだと今になって改めてそう思う。  誰より何より愛しい存在がこの世に生まれて来た日を忘れるわけがない。 「俺にとっては翼に初めて会って好きになった日だから……」  翼は礼二が何気なく言ったその言葉に頬を紅く染めた。  面と向かってそう言われると流石に照れくさい。 「気に入るかどうかは分からないけど、その包み、開けてみな」  翼にそう言われて礼二は嬉しそうに頷いて、大きな赤いリボンを解いて銀色の包装紙をガサガサと剥がして中身を取り出した。  中から出て来たそれを眼前へと抱え上げて眺めてみる。  それは翼の髪と瞳の色と同じ配色のテディベアだった。  艶があってさらりとした毛並みが触っていて気持ちいい。 「これ……貰っていいのか?」  礼二が翼にどことなく似ているクマのぬいぐるみに目が釘付けになった状態で聞いた。 「当たり前だろ。礼二の為に選んで買ってきたんだから」 「うん……」  眦にうれし涙を浮かべながら頷く礼二を見て、翼は優しげな笑みを浮かべ目を細める。 「うれしい……うれしい……」  礼二はそう呟くように繰り返しながら翼の髪と同じ金毛の青い瞳をしたクマをぎゅっと抱きしめた。  翼から貰った初めての誕生日プレゼントだ。  嬉しくないわけが無い。  今まで礼二の大切な宝物は引っ越す時にアルバムから抜き取って持ち出した幼い頃に遊園地で撮った翼と自分とのツーショット写真一枚きりだった。  寂しい時はいつもそれを眺めて過ごして、孤独感を紛らわせてただ過ぎていくだけの退屈な時間を潰した。  その写真と、今日、翼に貰ったクマのぬいぐるみを合わせて礼二の宝物が二つに増えた。

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