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Birthday【9】
アルコールの入っていないシャンパンをちびちびと飲んでいる礼二を見ながら翼はケーキに刺されたロウソクを全部外して、チョコレートプレートを小皿に避けてからナイフを手に取った。
6等分に切り分けて礼二と自分の分を小皿へと乗せる。
「礼二君誕生日おめでとう!」とチョコペンで文字入れされたチョコレートプレートを礼二が食べる分のケーキに飾り付けてやった。
残りの分のケーキはタッパーにいれてサランラップをして冷凍しておくという手もある。
食べたい時に自然解凍させて常温に戻してから食べればいい。
ケーキを冷凍して持つのはだいたい一週間ぐらいだがそれくらいの期間があれば食べきる事ができる。
小皿に取り分けたケーキを礼二の眼前へと置いて、フォークを手渡した。
「ほら、礼二の好きな苺ソースがいっぱいかかったケーキだぞ」
礼二は翼に手渡されたフォークを受け取って、生地が見えないほどにいちごがぎっしりと盛り付けられたタルトケーキの上に乗せられたチョコレートプレートに書かれた文字を見ていた。
「ああ、それか? せっかくだから店員さんに礼二の名前書きこんでもらったんだ」
「翼と半分こにして食べる」
そう言ってチョコレートプレートを摘んで礼二は半分に割って翼のケーキに突き刺して返した。
礼二君お誕生日おめでとう!の文字が「礼二君お誕生」と「日おめでとう!」の真っ二つに割られて、翼のケーキに乗せられたチョコレートには「礼二君お誕生」と書かれていた。
「礼二の名前がはいってる方を俺が食べてもいいのか?」
翼が苦笑しながらそう聞くと礼二は嬉しそうに頷いた。
ケーキに乗っている苺をひとつフォークで突き刺して礼二は翼に向かって差し出した。
「はい翼、あーんして」
礼二が翼に口を開けるように促して待っている。
翼におかゆを食べさせて貰った時の事を思い出して、礼二はケーキを翼に食べさせてあげようとした。
「俺に食べさせるよりも礼二の誕生日祝いに買ったケーキなんだから自分で食べろよ」
翼は頬を赤く染めて、照れくさそうに眉根を八の字に寄せて困ったような顔をして口を閉ざしたままだった。
それを見て翼に拒絶されたと思って礼二は悲しそうな顔をした。
「うっ……」
礼二が短く嗚咽を漏らして眦にじわりと涙を浮かべるのを見て、翼は慌てて「いただきます」と言ってから口を開けて、礼二のフォークに突き刺された苺に食いついた。
翼がぱくっと苺を口に含んだのを見て、礼二は泣きそうだった顔をほころばせた。
「おいしい?」
礼二にそう聞かれて翼は顔を真っ赤にして照れつつ口の中にある苺を咀嚼して嚥下してから頷いた。
「ああ。うまいよ」
翼がそう答えたのを聞いて礼二は嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべて幸せそうに目を細めた。
翼とこうして二人で過ごす事が出来て、彼の為に何かをしてあげられる幸せを礼二は噛み締めていた。
食べさせてもらったお返しに翼も自分のケーキの苺にフォークを突き刺して礼二の口元に差し出した。
「ほら、礼二にも食べさせてやるから口開けて」
翼が照れくさそうに言って礼二に口を開けるように促した。
「んっ……」
礼二が嬉しそうな顔で口を開けてフォークの先にある苺を口に含んで咀嚼してから飲み込んで満足げにため息をついた。
「はぁ……」
「うまいか?」
翼に聞かれて礼二は「うん」と返事をして頷いた。
翼に食べさせてあげられた事がすごく嬉しくて、食べさせてもらったのも嬉しくて、礼二の顔の筋肉は緩みっぱなしだった。
礼二の機嫌が良くて、体調もよさそうで、血色のいい頬はうっすら赤く染まっている。
気分が高揚しているのか礼二は片手にクマを抱えたまま両足をテーブルのしたでぷらぷらとしきりに動かしていた。
ウキウキしているのが表情や体の動きに出てしまって、相手から見てもそれがよくわかる。
礼二はフォークに突き刺した苺を翼に向かって差し出して「はい、あーんして」と言いまた口を開けるように促してきた。
このままいくと二人がケーキを食べきるまでこの繰り返しだ。
翼は照れくささから、差し出されたフォークを礼二の手から取り上げて、彼の口へと向け返して口を開けるように言った。
「それは礼二の分のケーキだろ? ほら、全部俺が食べさせてやるからくち開けて」
翼に食べさせられなくて礼二はほんの少しがっかりした様子だ。
差し出されたフォークの先についた苺をぱくっと口に含んでよく噛んで味わってからこくりと飲み込んだ。
翼に食べさせてもらった苺は酸っぱくて、カスタードクリームが付いてる部分が甘くて美味しかった。
苺の酸味を程よい甘さで包んでいるカスタードクリームとソースが絶妙なハーモニーを醸し出している。
バニラービーンズの粒が弾けてバニラの香りが口いっぱいに広がってさわやかな後味でくどさはなく、小食の礼二でも一切れをあっという間に食べきる事ができた。
礼二にケーキを食べさせ終えて翼は自分のケーキを3口ぐらいで頬張り咀嚼してさっさと食べ終えてしまう。
(翼の分のケーキは俺があーんして食べさせてやりたかったのに……)
そんなことを思いながら、礼二は自分の皿の上にぽつんと残されたままのチョコレートプレートを見ていた。
チョコレートプレートを食べようとしてフォークで突き刺したら、割れてバラバラに砕け散ってしまった。
「あー……」
礼二が砕けてしまったチョコレートを見て残念そうな声を上げるのを見て翼は口に手を宛てて笑いを堪えていた。
固いチョコレートの板をフォークで突き刺せばそうなるに決まっているのに……離れ離れになるまえから礼二は本当に変わっていない。
図体ばかりがでかくなって、肝心の中身。精神が成長しきれていないのだろう。
礼二は砕けてしまったチョコレートのカケラを指先で摘んで、仕方なく手で食べ始めた。
皿の上に乗せられたチョコレートの最後のひとかけらを礼二が摘んで食べ終わるのを見届けてから翼は食後の後片付けをし始める。
食べ残したケーキをタッパーに詰めてサランラップをして冷凍しておく事にした。
甘いものが好きとはいえ少食の礼二にケーキばかり食べさせるのも栄養的によくないし、翼自身はそれほど甘いものが好きというわけでもない。
朝昼晩と3食ケーキというのはキツイかもしれない。
食器とコップを重ねて洗い場へと運び、プラスチック製の桶に浸けて、手早く洗剤を染み込ませて泡立てたスポンジで綺麗に汚れを落として、水で洗剤を洗い流して、食器立てに立てかけておく。
後片付けをしている翼の後ろ姿を見ながら、礼二はクマを両手に握り締めて、椅子に腰掛けたまま身体を揺すり、そわそわしながら待っていた。
さっきからどこか落ち着きのない礼二の気配に翼はタオルで濡れた手を拭きながら振り返り、「礼二、どうかしたのか?」と聞いた。
「おしっこいきたくなってきた……」
礼二がもぞもぞと両足を動かしながらそんなことを言い出した。
「ばっ! 我慢してないで、はやくいかないと漏らしちまうぞ!」
翼は慌てて礼二の手を掴んでトイレまで引っ張って連れて行く。
トイレに行くくらい黙って行けばいいものを翼が後片付けを終えるのを待ってから言い出した。
邪魔になると思って翼が後片付けを終えるまで尿意を我慢していたようだ。
礼二の手を引いてトイレ前までやってきて立ち止まり、
「トイレに行くくらい一人でできるだろ?」
翼はそう言いながらドアを開けて、個室へと礼二を押し込める。
礼二が両手に抱いたままのクマをこちらに寄越すように手を差し出して促して、預かってから翼はトイレのドアを閉めた。
「つばさ……つばさー!」
「な、なんだ?」
「そこにいる? どっかいったりしてないか?」
「いいからさっさと用足し済ませろよ!
本当に漏らしちまうぞ!」
翼に強い口調でそう言われて、やっと便器の蓋が開けられる音がガタンとして、チョロチョロと尿を排出する音が聞こえてきた。
少しの間も翼の傍を離れたくないという礼二の気持ちもわからないでもないが、四六時中こんな調子では、こっちが先に精神的に参ってしまいそうだ。
礼二が尿を排出する音をドア一枚隔てて聞いている翼の頬は赤くなって動悸が激しくなっていた。
(俺は誰かが排泄している音を聞いて興奮するような、そういった特殊な趣味は無い……はずなのに、なんでこんなに心臓がバクバクしてるんだ……)
翼はそう思いながら、自分の胸を押さえ、落ち着きを取り戻そうと深呼吸をした。
しばらくして、用足しを終えた礼二が流れる水音と共にトイレから出てきた。
翼はトイレのすぐ横にある洗面所へと礼二を連れて行ってそこで手を洗わせる。
包帯をしている左手は仕方ないにしても右手はしっかり洗わせないと衛生的に良くない。
本当に普通の人であれば当たり前の事すら身に付いていない礼二を目の当たりにして、共に暮らして行く事の大変さを痛感した。
なにをしでかすかわからない礼二に何も言えずに野放し状態で放置していた両親にも責任の一端はある。
あるにはあるが、翼以外の人間の言う事をまったく聞かない礼二相手ではどうしようもなかったというのが事実で、両親はそれぞれに礼二と向き合おうと努力はしてきたのだろう。
そんな両親を翼が責める事など出来ようはずもなかった。
父親も礼二と二人きりで生活していて、さぞかし大変だっただろう。
それが身に染みてよくわかった。
礼二と実際にこの学園の寮で同居して二人で生活しはじめてからというもの、礼二の独特な思考を理解することは困難で、突拍子の無い行動や言動には驚かされてばかりだ。
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