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第3話
まずはじめに話さなければいけないこととして、おれはΩである。
しかもその中でもちょっとした変わり種で、出生時の検査ではおれはβということになっていた。
Ωの中には、ごくごくまれに完全に成熟しきるまでΩの身体的特徴が発現しない者がいる。おれがまさしくそれで、一七歳の時に最初の発情期を迎えるまで、おれは自分がΩであるということにまるで気付いていなかった。
最初の発情が起こった時、おれはまだ王立貴族学院の学生だった。学院の男子寮で突然に、おれは無防備にΩのフェロモンを発し始めてしまったわけである。
αβに関わらず、年頃のオスがうじゃうじゃいる場所に発情期のΩを放り込んだら一体どんなことが起こるか、簡単に想像できると思う。
おれの場合はまず、同室のルームメイトに襲われた。おれは必死に逃げ、廊下でたまたま顔を合わせた上級生に助けを求めたけれど、Ωのフェロモンは馬鹿には出来ないもので、そいつにもやっぱり襲われた。
けれど結論からいえば、おれはその時は奇跡的に貞操を失わずに済んだし、事故的に誰かの番にされるなんていうことも起こらなかった。決定的なことが起こってしまう前に、運良く番持ちのαの教員に助け出されたのだ。
βのはずの生徒がΩであったことが突然に判明し、学院もおれの処遇については随分と悩んだようだった。
表向きにはΩにも人並みの権利が認められているから、学院でも特にΩの入学を禁じているというようなことはない。
しかし現実には高等教育を受けることを許されたΩなどほとんど存在せず、学院にももちろんΩの生徒など一人もいなかった。
そもそも教員や保護者は貴族の子息ばかりが集う貴族学院にΩなど相応しくないと考えているものが大多数のようだったし、Ωが一人いれば一体どこでいつ集団強姦事件が発生するかわからないという現実的な懸念だってある。
多分学院側はおれを自主退学させようとしていたのだと思うけれど、しかしそこをどういうわけかまたもや救ってくれたのがヴェレドリルさまだった。
正義と公平さを愛する彼は、きっと目の前で堂々と差別的な行為が行われていることが生理的に耐えられなかったのだと思う。たとえそんな目に遭っているのがどうでもいい下々 の、しかもあまつさえ昔嫌っていた男だったとしても、見過ごすことができないのがヴェレドリルさまなのだ。
発情期のフェロモンは、病院で処方される抑制剤を飲めばほとんど影響の出ないレベルまで抑えられる。つまりきちんと服薬さえしていれば、これまでと変わりない学生生活が送れるということである。Ωであることを理由に退学などさせれば、未だ貴族学院は前時代的な性差別意識に囚われているのかと世間から批判を受けかねない。
学院長室で遠回しに退学を宣告されていたおれの前にやはり颯爽とあらわれたヴェレドリルさまは、そういったことを理路整然と並べ立てて役員たちを説得してくれた。生徒会長と寮長の両方を務め、さらに大貴族の子息でもあるヴェリドリルさまには学院内でもそれなりの発言権があり、彼の抗議のおかげでおれは無事学院に留まれることになった。
そのうえ、思春期の男子が共同生活を送る寮内においていつトラブルの火種となるかわからない厄介者のおれを、ヴェレドリルさまはルームメイトとして自室に引き取ることまでして下さった。
寮長であるヴェレドリルさまには、寮内の秩序を維持する責任があるからだろう。寮長室には本来寮長の身の回りの世話を命じられた下級生が侍従として間借りする決まりになっているのだが、その役目を彼は一時的におれに任せてくれたのだ。
どういうわけか突然にΩであることが判明し、その上気がつけばヴェレドリルさまと同じ部屋で生活することになっていて、おれは急激過ぎる環境の変化になかなかついていけずにいた。
Ωだったということのショックよりも、遠くから見守るスタンスで崇拝してきたヴェレドリルさまと、突然に共同生活を送ることになったことに対する戸惑いのほうが正直大きかったように思う。
秘密裏に行動記録をつけるにも、盗撮するにも近すぎる距離感。模範的なファンは、こういう時どんなふうに崇拝対象と接するものなんだろうかと、おれは能天気にもずいぶん悩んだりしていた。
けれど、そんな日々は長くは続かなかった。というのも、ヴェレドリルさまの尽力を裏切って、少しも経たないうちに結局おれは学院を自主退学することになったからである。
なぜそんなことになったかと言えば、おれの父さんがどのつくクズだからだ。
もっと具体的に言えば、おれは実の父親に売られたのである。
ネウロア王国はそれなりに治安も良く、それほど階級間の格差も大きくはない豊かな国だけれど、それでもやっぱり奴隷なんてものが存在する。
人を売り買いする商売がいつまで経ってもこの国からなくならないのは、やはりΩという特殊な性をもつ人々の存在が大きいのではないかと思う。
単純に子を産む装置として、フェロモン耐性を得るための番として、あるいは性欲処理の道具として。ただの商品として、物として扱える奴隷身分のΩを求める人は、実はこの国には結構多い。
αやβは表向き、劣等種であるΩとの接触を常に避けている。そこには根深い差別意識があり、Ωが正式な妻として上位種の血筋に迎えられることはほとんどないし、αと番になったとしても愛人としての立場を得られることすら少ない。
けれど同時に、世間からは隠した形でΩを手元に置きたいと望む人はとても多かったりする。Ωは一番弱く、穢れた存在だとされているのに、同時に一番求められ、愛されている性でもあるのである。
Ωたちは本質的に、強いオスたちを魅了し、惹きつけるように出来ている。
だから本当は力あるオスの誰もがΩを求めているし、気軽に愛したり孕ませたりしたいと思っている。何の責任を負う必要も誰に責められることもなく、ただ愛玩動物のように扱える奴隷のΩは、そういった欲求をもつ人たちにとってとても都合のいい存在なのだ。
おれがΩであることが突然に判明した時、偶然にも父さんはポーカーで破産寸前の借金をこしらえていた。一族の財産をすべて手放してもとても返せないようなその借金は、しかし若くて未貫通のΩを一人奴隷商に売ればお釣りがくる程度の額だったらしい。
これは神の恵みに違いないと本気で思ったらしい父さんは、さっさとおれに学院を退学させ、そしてあっさりと奴隷として売り払ったわけである。
「大丈夫、お前はネガティブが一周回って変に打たれ強いところがあるやつだから、どんな環境でもたくましく生き抜いていけるさ」
別れ際、まるでいい父親のような顔をして父さんはそう言っていた。
入り婿のくせに家の財産をさんざん打つわ買うわで浪費して、その心労のために母さんを早死にまでさせているというのに、それでもおれの父さんは妙に憎めない人だった。いつでもへらへらして、どんなに最悪な失態をやらかしても「いやあ、ごめんね」の一言で済ませてしまおうとするのだ。
けれど今回はその「ごめんね」すらなかった。さすがに死んだら末代まで呪ってやると思ったけど、悲しいことに考えてみればこの末代にはおれも含まれている。クズの身内を持つと徹底的に損しかしないわけである。
そんなわけで奴隷の身分となったおれは、家柄だけはいいらしいけど控えめに言ってもド変態なαに買い取られ、そして彼のいわゆる”性奴隷”というやつになった。
おれの元ゴシュジンサマがどうド変態だったのかといえば、彼は重度のNTR愛好者だった。
NTRと書いて寝取りと読むらしいが、つまりおれのゴシュジンサマは、すでに誰かのものであるΩじゃないと興奮できない困った性癖の持ち主だったのである。
しかもそこにはさらにめんどくさいこだわりがあって、同時に彼は処女専でもあった。
ゴシュジンサマは、『愛しいただ一人の男に貞操を捧げることを夢見る貞淑な処女のΩ』ばかりを買い集め、そしてそのうなじに無理矢理に噛みついて、最終的に愛する男も忘れるくらいにゴシュジンサマとのセックスに溺れるまで調教するのを生きがいにしている危ない人だったのだ。
そして彼はどういうわけか、おれもまたその『愛しいただ一人の男に貞操を捧げることを夢見る貞淑な処女のΩ』だと思って買い求めたらしい。おれを一目見て、他の男の匂いを感じとったのだとか気色の悪いことをゴシュジンサマは言っていたが、しかしそれは多分ひどい勘違いだった。
他の男、とはおそらくヴェレドリルさまのことだろうが、おれは断じて彼に貞操を捧げることを夢見てなどいないからだ。
おれはヴェレドリルさまを愛しているし、そのそもそもの始まりは恋愛感情だったと思うけど、おれはけして彼と恋人になったり、体の関係を持ったりということを望んではいない。妄想の中ですら、そういったことを考えることをおれはおれ自身に禁じてきた。
ヴェレドリルさまはアイドルで、空に輝く星で、神様で、おれにとってはただ崇め奉ってだけいるべき存在。おれの下賤な欲求のはけ口にするなんて、けして許されないことなのである。
「いやちょっと待て、お前は本当にそれでいいのか」
「何がですかぁ。やるならさっさとやることやればいいのに」
ゴシュジンサマとの初夜の夜、早々に全てを諦めて素直にゴシュジンサマに抱かれようとしていたおれに、ゴシュジンサマはそう突っ込んできた。
嫌がる処女を無理矢理に番にする、というイベントは調教の初期段階においての最大のハイライトらしいのだけれど、それを最初からおれがぶち壊そうとしていたからだろう。
「お前、好きな男がいるんだろ?そんなにあっさり好きでもない、金でお前を買ったような男に体を自由にさせていいのか?」
「えぇ、なんで今更そんなこと聞くんですかぁ。だってもう仕方ないじゃないですか。それにおれ、確かに好きな人はいるけど、その人と具体的にどうかなりたいとか考えたことないですし」
「いやいやいや、そこは考えろよ。好きなんだろ?ならいつか両想いになりたいとか、キスしたいとか、最終的にはセックスしたいとか考えるもんだろ」
「はあ?……わかってないなあ。『あの人』はそういうのじゃないんです。もっと崇高かつ神聖な存在なんです。そんな穢らわしいことを考えてはいけないんです」
「いや、何だそれ。お前の好きな男って何なんだ、神様か何かか」
「はぁ、まあそれは、そうですね」
素直にこくりと頷くと、ゴシュジンサマは心底理解できないという顔をして、しつこくおれとヴェレドリルさまの関係性について聞いてきた。
一体どのように出会い、ともにどのように過ごし、そしてどのように別れたのか。
「おい、ちょっと冷静に考えてみろ。その男、どう考えてもお前の事が好きだろ。昔お前にひどいことを言ったのはお前が他のαと親しくするのに嫉妬したからだし、最近は他のαに手を出されないようにお前を自分の部屋に囲いまでしてたわけだろ?」
「ええぇ。何言ってるんですかゴシュジンサマ。あの人はずうっと昔からおれを路傍の石より無価値なものとしか思ってないですよぉ」
「いや、お前はどうしてそんなに自己評価が低いんだ。ちょっと冷たくされたくらいで屈折しすぎだろ」
だってあの人は誰より正しいことをする人だから、どんなときでも大切な人には優しくすると思うんです。突き放したり酷いことを言ったりは絶対にしないと思うんです。
そう真顔で答えると、ゴシュジンサマは「お前は男心が全然わかってない」などと呟きながら頭を抱えていた。
「いいだろう、その男はお前のことが少しも好きじゃないのかもしれない。しかしそうだとしたって、好きな男がいればそいつに貞操捧げたいと思うのが人の情ってもんじゃないのか?好きな男がいるのに、違う男に抱かれるのは嫌だろう。奴隷に身を窶(やつ)し、他の男に体を穢された自分にはもう彼を慕う権利はない、とか落ち込んだりするもんじゃないのか?」
「貞操を捧げる?本当に何を言ってるんですかゴシュジンサマ。おれの貞操に一体どんな価値があるっていうんです?いいですかゴシュジンサマ、この世で価値があるものは、つまり全てあの人にとって価値のあるものなんです。そして真のファンというものは、崇拝する対象が何を望んでいるかを常に把握し、それに見合った貢物を用意するものなんですよ。あの人に何かを捧げることはやぶさかじゃないけど、でもそれがおれの貞操なんて一体なんの冗談ですか。そんな不気味なもの捧げられて、あの人が喜ぶわけがないでしょう。おれは確かにストーカーじみたこともしてきたけど、絶対にあの人の迷惑になるようなことだけはしないようにしようっていつも気をつけてきたんです。だからそんな嫌がらせみたいなこと、おれは絶対にしませんよ。あの人に捧げるべきは美しい花や高価な本であって、おれの貞操なんてそこらの犬にでも食わせておけばいいんです」
「……俺、お前の言ってること半分も理解できないわ」
お前みたいな頭のおかしいのどうして買っちまったんだろう、とゴシュジンサマは遠い目をして後悔していたが、最終的には「でも処女だし、少なくともお前の男は血の涙を流しているだろうから」などと訳のわからないことを言って予定通りおれの首筋を噛み、おれを抱いた。
おれは無事、ゴシュジンサマの愛も情もないビジネスライクな番となったわけである。
しかしその後、ゴシュジンサマがおれの”調教”を続けたかと言えばそんなことはなく、ゴシュジンサマはもっぱら彼いわくおれよりもっとまともで素直なΩたちを可愛がるのに忙しいようだった。
「まあ顔と体は好みだから」と週に一回くらいはおれのことも抱いたけど、基本的にゴシュジンサマはおれに屋敷の雑用ばかりをやらせていた。
性奴隷としてはとんだ期待はずれだったらしいけど、しかしおれにはΩとしては珍しくそれなりの学歴があり、また上流階級の作法も心得ていた。こいつは単純に労働力として使いみちがあると気付いたらしいゴシュジンサマは、おれに執事の真似事や、屋敷のお客の性接待なんかをやらせていたのである。
せっかく高い金を出して買ったんだから使わないと勿体無い、という貧乏くさい性根からマルチな方面にいいようにこき使われて、おれは奴隷らしくそれなりに荒んだ毎日を過ごしていた。
ところでヴェレドリルさまは、そうしておれが奴隷の身分になったことについて、ずっと責任を感じてくれていたらしい。
おれが奴隷として売られたらしいという噂を耳にしてから、彼はずっとおれを探してくれていたのだと言う。というのも、おそらく売られる直前まで、おれは彼の管理する寮の寮生だったからだと思う。
再会したばかりの頃、よく彼はひどく申し訳なさそうに「俺が守ってやるつもりだったのに、本当にすまない」とおれに謝ってきた。
つまり寮生の身の安全の確保もまた、寮長の役目であるとヴェレドリルさまは考えていたということだろう。寮内で誘拐されたというならまだしも、おれはしっかり退学までした上に実の父親に売られたわけだから彼に責任なんてないと思うのに、本当にヴェレドリルさまは律儀な人である。
ゴシュジンサマに買われて数年が経った、ある夜のことだった。その頃にはほとんどおれには興味を失って手を付けることもなくなっていたゴシュジンサマが、突然におれを彼の寝所に呼びつけたことがあった。
何の用かと訝しみながら言われるままに寝台に上がると、ゴシュジンサマは下卑た笑みを浮かべて言った。
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