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第3話
「のどかでございますなぁ~」
「そうだね。思っていた場所と違って何だか静かだね」
平安の地からまだ見ぬ土地へと足を踏み入れて数刻。狩衣姿のコンちゃんと共に師匠(仮)はのんびりした様子で森の中をさまよっていた。
塁玄堂に行くには、別の世界への入り口とされる『喰う木』と呼ばれる太い木の幹を探さなければたどり着く事は不可能とされている。その木が何処にあるのか分からない為、二匹は永遠と木だけを見ながら歩いていたのだ。
「それにしましても、何だか不思議な感じが致しまするなぁ~」
「え?」
「あの千早殿が姿を変えてここまで大きくなられるとは・・何だか不思議な感じが致しまする・・」
「ふふっ・・私もだよ。どうしてかな。不思議な話なんだけどね。この姿になって言葉がスラスラと出て来るんだよ。湧き出るというのかな。言葉が出るんだ」
ふしぎだよね。と言いながら、にっこりと師匠(仮)が微笑む。その表情を見ながらコンは気持ちよさそうに髭を揺らした。
「無理もございませぬ。あのような事があったのでございますから・・」
ふと、千早の足が止まる。その様にコンの動きも止まった。
「・・・・・ねえ。コンちゃん」
「・・・なんでしょうかな・・」
そう話す彼の声は優しい。
「・・私、着いて来ても良かった?」
「・・・千早の君・・」
「勢いでついて行きたいと思って無理を言ったのは・・分かってるんだ・・」
「・・・迷惑など・・誰が思いますか・・」
「・・コンちゃん・・・」
「私どもも、晴明様も皆、千早の君様を疎ましくなど思ってはおりませぬ」
「・・でも・・本当に・・?私は殆ど何も知らない。朝や夜があるなんてことすら、私は知らなかった・・最初。鬼丸の話す言葉だって・・私は・・」
そう話す師匠(仮)の肩が段々と下がっていく。
忘れたわけじゃない。
雨音の止まないその先で繰り返される罵倒も、けたたましい爆音を響かせながら唸る雷も。
最初は温かいと思った雨が段々と冷たさを増していくその温度も。
『こんな・・!誰が・・!誰があなたにこんなことをしたんだ!』
はじめて出会った鬼丸の言葉は時折霞んで見えてしまう。塗籠という空間の中でしか私は世を知らなかった。キャッキャッと笑う私とは対照的に鬼丸の表情は歪んでいて、私の足を見て項垂れて肩を落とした。
鬼丸以外、誰もいない。誰も来ない場所で、何をするでもなくただ、じっと砂を見ていた。
砂を見る先を歩く蟻に触れた瞬間、その指を乗り越えるように歩いて行く様も。
すべて、すべて、覚えている。忘れたわけじゃない。
はじめて、太陽を知った。雨を見た。闇を見た。暑さと寒さがある事を知った。
言葉を知らなかった自分に、皆は何とかして笑わせようとしてくれた。
私の熱が高く、何も受け付けないことを知った晴明様は、藤原の貴族様を通じて医者を呼んできてくれた。
『嗚呼・・こんなに熱が高くては・・お命が持ちませぬ・・』
『水と湯を早く・・!お着物を重ねなくては・・』
『・・・・・ぅ・・』
『どうなされました?どこか痛むのですか・・?』
不意に聞こえた優しい声と、優しい指に。
『・・・・ぅぇ・・・は・・は・・ぅ・・』
無意識で、ただ伝えた。
あの姿が母で。あの目が最後だと思いたくはなかったから。
『・・・ぁあ・・・ああ・・・ああぁ・・・』
手を握られるその感触に気付いて、うっすらと眼を開けた先に見えた光景。
それは、自分の手を握りながら顔を歪ませて涙を落とす知らない誰かの顔だった。
だからこそ、温かいこの屋敷が。皆が、優しいからこそ痛く辛い。
「・・・・・・・・・・・・・」
視界がじわじわと潤んでいくのをどうしても止める事が出来ない。
ツンと痛む喉の奥から絞り出された声は、驚くほどに弱々しいものだった。
コンは何も話すことなく、被っていた市女笠を脱いだ。
「・・・千早の君・・」
「・・・私は本当に・・・迷惑をかけていないのでしょうか・・・」
サクサクと土を踏む音がする。がっくりと肩を落として佇む師匠(仮)の手をやんわりと握りながら、コンは開いた手で彼の手のひらを優しく擦った。
「かけてなど、おりませぬ。朧夜少将殿も、屋敷の者達も晴明様も皆、千早の君を大切に愛しく思っておりまするよ。勿論、私も」
そう話すコンの声は何処までも優しい。手にフワフワと温かい熱が伝わって来る。
瞳の奥から零れ落ちる涙を拭い、時折、げほっとせき込みながら「うん・・うん・・」と師匠(仮)はただ頷いた。
・・・ずっと気になっていた。気にしていても伝える術が見つからなかった。
あの姿では生まれなかった声が、言葉が、次々と湧き上がるように生まれて来る。
「・・・・私はっ・・・ただ・・・くて・・」
「・・ええ。・・ええ・・」
「・・・・・っく・・」
「・・・焦る必要など、無いのでございますよ。千早の君。焦らなくとも良いのです。病なく、健やかに今はお育ちになって頂ければ・・それで・・」
「・・・・・・」
「・・・私の出張の任が終わりましたら、共に屋敷へ帰りましょう」
「・・・うん・・」
「今は新しい景色を見るのも・・・おや・・?」
師匠(仮)に寄り添っていたコンの耳がピンと立つ。その耳を見た師匠(仮)がぐすぐすと鼻をすすりながらコンを見た。
「・・コンちゃん?どうし―・・!」
コンの視線を辿る師匠(仮)の表情が険しくなる。
先ほどまで泣いていたはずの表情が一変し、拳を前に構える姿勢を取りながら師匠(仮)は顎でコンに下がるように促した。
砂を踏む浅沓(あさぐつ/浅いくつの事)の踵が小石に触れる。それを構う事もせず、師匠(仮)はただ前を見据えている。その姿にコンは心地良さそうに目を薄く開いた。
「おや?戦えまするかな?」
「・・・ああ。ごめん。もう、大丈夫。外がどれだけ変わろうとも中身は私だ。問題ない。この足で足りないなら弐号と参号(千早の式神)も表に出すよ」
「ほほぅ・・ではお手なみ拝見いたしまする」
「ああ。下がって」
ギリリと眼前を見据える師匠(仮)の表情を眺めながらコンは気持ちよさそうに髭を揺らしている。と、周囲をぐるりと見渡すように細長い目をうっすらと開きながら、前に立つ千早を見た。
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