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第7話

「・・・ごめんくだされ~」 高く間延びした声が遠くに聞こえる。先生は絽玖の手をパシッと払いのけると何も話さずに席を立った。彼の背中を眺めるように立っていた絽玖の首が少しばかり傾き「おや?」といった表情で声の主を見ている。 「やぁやぁ。お久しぶりにござりまする~」 「ああ。長旅ご苦労だったな。コン」 「いえいえ。あなた様からのご依頼でございますれば、いつでもどこでもお暇なときに馳せ参じまするよぅ~」 市女笠を無造作に置きながら、ふさふさした毛並みをそのままに狩衣姿のコンがぽてぽて歩いて来る。その後ろをついて来るように歩く銀色の髪の青年に絽玖の瞳が大きくなった。 足が不自由なのか、片足を引きずるように歩いているようにも見える。 『もしや・・片足が動かないのでは・・?・・ふむ・・』 そんな絽玖の思惑を他所に先生は卓上に乗せたままになってしまっていた湯のみを隣の卓に乗せた。 「まぁ、まずは座ってくれ。そちらにはもうずっと行っていない。何か変わったことはあったか?」 「いえいえ~。ああそうにござりまする。これは土産の品にて」 そう話しながら、布に包まれた品をコトンと卓に乗せた。布を外すと組み紐が添えられた布が見える。その布を静かに外すと中からは白檀の香木がちょこんと顔を覗かせた。 「・・・これは」 やや神妙な面持ちでコンはその様をジッと見守っている。 先生は瞬きを数回繰り返すと、穏やかな表情で笑みを浮かべながら、また丁寧に白檀を布に戻した。 「・・お気遣い、痛み入る」 「・・・・・・」 その声にコンは何も話すことなく、ただ頷いた。 「ちゃんと添えて焚いておくよ。晴明殿に感謝の意を述べておいてくれ」 先生のその言葉には、少し重みがあった。 「分かりましてござりまする」 「良かったら、参ってくれるとありがたい」 「・・・・私のような獣の身でもよろしいのでしたら、是非に」 「ああ。お茶を淹れようか。今、秌を呼ぶから。君も座ると良い」 そう言って先生はコンの後ろに控えている師匠(仮)に声をかけた。 「あっ、ありがとうございます」 「見ない顔だな」 「ええ。そうでございましょう。晴明殿のお屋敷にて共に過ごしておりまする。名をー・・・・」 そうまで話しかけたコンの口が、一瞬。止まった。 「・・名前は・・?」 先生も首を傾げている。それは絽玖も同じだった。 「あー・・えっとですねーそのー・・」 「え・・っと・・・し・・・」 「し?」 「・・・・・・師匠・・といいます・・」 そう話す師匠(仮)の声が段々と小さくなっていく。 「妙な名前だな・・」 「あなたがそれを言うのですか?」 そう言って絽玖が微笑む。 「晴明様が私の名は師匠でいいと・・その・・おっおっしゃられていて」 「・・・・・はん」 前髪をかきあげながら鼻で笑う先生のその声は、何処か嫌味を含んでいるようにも思える。 「大方、あの狐狸(こり/先生の通称のひとつ。晴明が主に悪意を込めて彼の事をそう呼んでいる)野郎が先生ならお前は師匠で十分だとか何とか言われたんだろ?」 「うっ・・」 師匠(仮)とコンの声が重なった。それがどうにも可笑しくて、絽玖の鼻から息が漏れた。 「良いではありませんか?ねえ。先生?」 「・・・お前にその名を言われると、どうしてか掻きむしりたくなるな」 「おや?そうなのですか?」 そう話す絽玖の表情は実に楽しげで。からかっているのだと頭では分かっていつつも、それに乗せられそうになる自身をグッとこらえながら、先生はコンを見た。 「見た所、連れの彼は足が良くないようだが・・・大丈夫か?まぁ。君も座ってくれ」 「ありがとうございます。走る事は出来ませんが、ゆっくりでしたら歩けますしー・・・」 椅子に近付こうと歩く彼の顔にふっと影が差す。その影に何かと思った師匠(仮)がふと顔を上げると、優しく微笑む絽玖と視線が重なった。 「・・・・・?」 首を傾げつつも、師匠(仮)の透明な空色の瞳が僅かに揺れる。 「・・え・・?・・・んっ・・!?」 晴天の霹靂。 予想すらしていなかった光景に卓がガタンと鳴り、コンは石のように固まったのだった。

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