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4 明日を待つよ

 買ってしまった。  黒ねこの縫いぐるみ。抱っこするのに丁度良い大きさで、のほほんとした顔のつくりも、あたまの形も手の丸みも、身体全部が猛烈にかわいい。  お店の人が紙袋に入れてくれたから、職場の人には俺が個人的に何を買ったかはばれていない。早く宿舎に帰って紙袋から出し、眺めまわしてなでなでしたくてしかたがない。家に帰るのが楽しみだ。 「君、ものすごく分りやすい性格だね」  仕事中にもそわそわして、紙袋を眺めてはにこにこしていたからだろう。帰り際、レアルさんに呆れたように言われてしまった。  その日の仕事終わりは、宿舎へいそいで帰ったつもりだったけれど、ラグレイドはすでに帰宅していた。  いつものエプロンを着けていて、夕飯の準備に取り掛かっている。 「ラグレイド、早いね」  いつもだったら、今頃帰り着くくらいの時間なのに。夕飯の材料を買って帰るのだったら、もう少し遅い時間になるはずなのに。  俺の帰宅に気が付くと、ラグレイドはすぐに料理の手を止めて、まっすぐに俺の目の前にやって来た。 「すまない。シオ。実は今夜も夜警を頼まれてしまって」 「・・・・え、」 「どうしても、今日の夜警担当の者が都合悪くて。他の者もそれぞれ用事があるらしくて」 「・・・・」  騎士の仕事は、きっと大変なんだろう。  ラグレイドは責任のある立場だから、多少の無理も受け負わざるをえないのかもしれない。 「・・・・わかった」  本当はイヤだと駄々をこねたかった。今夜は一緒だから安心していっぱい眠れると思っていたから。  だけど俺は残念な気持ちをぐっとこらえて頷いた。きっとラグレイドだって、やむを得ずいろんな気持ちを押し殺して言っているんじゃないのかな。  自室に籠ってすこしぼんやりしているとノックの音がした。「ごはんだからおいで」とラグレイドの声がする。ドアの向こうからはかすかに美味そうな匂いが漂ってくる。  俺は「今いく」と返事をして、紙袋の中から黒ねこの縫いぐるみを取りだした。やはりかわいさが半端ない。抱っこするとふわふわしていて、能天気な表情に癒やされる。    ラグレイドはカップにお茶を注ぎながら、今日はシオの好きな白身魚だよと教えてくれる。  ソテーされた白身には濃厚な甘めのソースがたっぷり乗っかっていて、絶対美味しいやつだと分かる。  目の前には、見上げるように大きな背中。腕まくりしたシャツからのぞく日焼けした逞しい腕。健康的な浅黒い肌には艶やかな黒髪が良く似合っていて、頭部には立派な豹耳がある。重たげな長いしっぽも、艶やかな毛並に覆われていてかっこいい。  男らしい黒豹獣人の騎士は、俺のために温かいお茶を淹れてくれている。 「ラグレイド、頼みがあるんだ」  俺は優しげに振り返った騎士の胸元に、黒猫の縫いぐるみを押し付けた。 「これ。だっこして」 「?? ずいぶんと可愛らしいネコさんだなぁ」 「仕事に行くまでだっこしてて」 「かまわないが、これは何かのゲームなのか?」  騎士は黒ネコを受け取ると、両手でぽむぽむと撫でまわしながら笑みを含んだ眼差しをする。 「俺、今夜はそれといっしょに寝るから、・・・・匂いを、つけておいてほしくて」  ラグレイドの匂いがしないと意味がない。物足りない。俺はきっと耐えられない。    騎士の顔からはおどけた笑みが一瞬で消えた。どこか苦しげに切なげに、琥珀の瞳がゆらりと揺れる。 「・・・・すまない。シオ。寂しい思いをさせてしまって」  ぐいと両腕で引き寄せられたと思ったら、あっという間に大きな胸の中に抱き込まれた。  帰ったらいっぱい一緒に寝るから。今夜が済んだらしばらくは絶対に夜警を控えるから。明日はシオの好きなデザートを買って帰って来るから。  必死に言い募るラグレイドに、俺は何度か頷いて、ぎゅうっと強くその身体にしがみ付いた。  体熱や、肌の匂いや、強くて優しい腕や声が、離れがたく思えてしまってやるせない。  他人の存在にこんなにも強い切望を抱くだなんて、2か月前には全く想像もしなかった。俺は大丈夫だろうかと不安になる。心が変になってはいないだろうか。  だけど、俺の体を抱き締めてくるこの人も、ひどく苦しそうだと思う。まるでしがみ付くみたいに俺のことを離さないから、たぶん変になっているのは俺だけじゃない。  2人で一緒に道を外れてゆくのならば、怖くはないのかもしれない。  唇を交わし舌を擦れ合えば、互いの魔力が混じり合って、甘い熱と化して体内を循環してゆく。この魔力も、伝わってくる体熱も、もはや自分にとってはなくてはならないものとなった。  失くしたら、怖いな。  いっそうぎゅうっとしがみ付いたら、苦しいくらいに強い力で抱き返された。  デザートには、あの時街で食べた、小麦粉生地でクリームやあんこを包んだおやつをリクエストした。 「いってらっしゃい」  ぶかぶかのシャツを着て、ねこの縫いぐるみを抱え、俺は玄関先で手を振って見送りをした。 「行ってくる」  イケメン騎士はそう言った後もドアを出ず、なぜか困ったように髪を掻き上げ俺を見下ろす。  そうして「まいったな」と呟くと、もう一度俺をやさしく抱き寄せてきた。何度も小さなキスをする。 「帰ったら絶対に、・・・・」 「・・・・ん?」  騎士は琥珀の瞳を艶やかに煌めかせると、そっと俺の髪をひと撫でし、ゆっくりと夜の中へと出動して行く。  「・・・・」の部分が今日もうまく聞き取れなかった。  だけどたぶん「ぐちょぐちょにする」って言った気がする。それとも「べちょべちょにする」?   どちらにしても、帰ってきたら大変なことになりそうな予感がする。最近のラグレイドはベッドの中でのスキンシップの変態度が増している。本当に喰い付きそうな勢いで、俺の身体を舐めたり食んだり撫で回したりする。  ただ、ラグレイドもストレスとかいろいろ溜まっているのかもしれないし、俺も別に嫌なわけじゃないから付き合うけれど。さいわい俺は明日が休みで、ちょっとくらいの無茶ならば全然平気だし。 「一緒に待っていような」  俺は黒ねこをむぎゅむぎゅと抱きしめながら、のんびりと夜が明けるのを待つことにした。  【シオの書いた報告書】 『獣人地区に来てから2か月が経過しましたが、周囲の獣人たちはみな親切で気の良いひとたちばかりです。みなそれぞれが真面目に自分の役割りに取り組んでいて、尊敬できる部分がたくさんあります。毎日が平穏なうちにすぎてゆき、王都にいた時となんら変わらない、人々の真摯な生活の営みを感じます。  話は変わって紫豆ですが、こちらでは砂糖と少しの塩で柔らかく煮詰めて潰し、おやつとして食べられています。とても美味しくて食べやすくて人気があります。「あんこ」と言うそうです。おすすめです。』            

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