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5 野菜の誘惑

 緑豆はとても育てやすい植物だ。  三日月形の鞘のなかに小さな豆が3つくらい実るのだ。  俺は今日、緑豆の収穫の仕事を手伝っている。もちろん仕事でだ。  実は職場である出張所には、ちいさな畑がある。表向きには「研究緑地」と呼ばれているけれど、はっきり言って「家庭菜園」と呼んだ方がしっくりするようなこじんまりとした畑だ。緑豆とか丸芋とか手軽な野菜がいろいろ植えてある。  畑仕事の手伝いは以前はクタさんがよくやっていたそうだが、クタさんは今長期休暇を取っているので、俺にその役目が回ってきたという感じだ。  俺は王都にいる時には畑仕事とか土いじりとかほとんどしたことがなかったけれど、ちょっとずつ教えてもらいながら最近ようやく慣れてきた。  作業の指導をしてくれるのはうさぎ獣人のレアルさんだ。レアルさんは実は「研究緑地」の管理者もしている。  畑作業と言っても俺がやるのは、水をやったり草を引いたり収穫を手伝うなど、簡単な仕事ばかりだ。だけど慣れてくると案外楽しい。 「君、結構素質があるよ」  間違えてまだ小さい鞘を採ってしまったり、関係ない葉っぱまでちぎってしまったりもしたんだけど、バレていなかったみたいだ。 「緑地での作業には向き不向きがあるからね」  こんな簡単な作業でも、苦手な人がいるらしい。俺はあまり器用でないから畑仕事には向いていないほうだろうなあ、と思っていたら、 「シオは向いているほうだよね。向いていない人は、苗に上手く触ることすらできないからね」  とのことだった。大げさな冗談としか思えない。 「まさか、そんな不器用な人がいるなんて、野菜たちも戦々恐々ですね」  冗談を返すつもりで笑いながら言ったのだけど、レアルさんは冗談を言っている風ではなかった。 「野菜に欲望はつきものだからね。欲望をコントロールするのは難しいことがあるしね」  言っている意味がいまいち理解できなかったけれど、獣人のなかには植物が極端に苦手な人がいるということなのかもしれない。なにしろ獣人地区には多種多様な獣人たちが、様々な個性を合せ持って暮らしているのだ。ちょっと変わった獣人だっているだろう。  作業終了後には摂れたて野菜を少し分けてもらえることがある。今日は緑豆とピーマソを少し分けてもらえた。  もらった野菜はかならずロッカーの中にいれておくように、と毎回注意される。 「仕事場に野菜は禁物だからね。でないと余計な欲望を巻き起こすことになるからね」  縁なし眼鏡をクイと指先で押し上げて、レアルさんが真面目に言う。  つやつや光る、新鮮でおいしそうな緑豆やピーマソたち。 「......これが、欲望を巻き起こす......?」  手に持った野菜たちが、まるで急に卑猥で猥褻なナニかのブツであるかのように思えてきた。 「そっ、そういうこともあるという例えだよ。君、ヘンな想像しすぎだよ」  白衣のうさぎ獣人の青年は、ちょっと焦ったように赤面し眼鏡をクイクイと押し上げた。  だけどいちおうなにかあったら怖いので、もらった野菜はいつものようにロッカーの中にしまっておいた。  畑の手伝いを終えて自分の机に戻って来ると、隣りの机のゴロゴさんに難しい表情で迎えられた。  ゴロゴさんは産休に入ったクタさんの代わりに今月から配属された、三十過ぎの馬系獣人の男性だ。 「君、畑の手伝いなどよくやるな。オレならば絶対に断る」  ゴロゴさんはムキムキの男らしい体型をしていて、若干の馬面だ。そうしていつも仏頂面でいる。  性格は几帳面らしく、机の上は整然としている。時間通りに仕事を始め、時間になったらきっちり終わる。作製した書類には一分のミスもなく、仕事ぶりは完璧で無駄がない。  机の上でたまにペンや書類が迷子になったり、文字や数字を書き間違えたりする俺とはずいぶん違う。  なんとなく取っ付きにくい雰囲気だし、苦手なタイプの人だなあと思ってしまう。 「人の仕事を手伝っていたら、自分の仕事がおろそかになる」  たしかにそれはその通りだ。一時間畑の作業をしていた分、俺はこのあと大急ぎで自分の仕事を進めなくてはならない。  だけど野菜を見ていると楽しいし、畑の作業は嫌いじゃない。手を掛けたぶん成長するし、想像以上に立派な実がなる。外はとても気持ちがいいし。 「それに畑にいると誘惑が多いだろう」  ゴロゴさんは眉間の皺を一層深めながら、一心不乱に書類にペンを走らせている。 「つい意味もなく触ったり、匂いを嗅ぎたくなったりだりするだろう。熟れたのばかりじゃなくて、まだ若いのにも手を出したくなるし、触るのみにとどまらず、口を付けたり舐めてみたり、あわよくば奪い取って味見をしたり......」  ぼたり。  と大事な書類の上に涎が落ちた。 「ゴ、ゴロゴさん?」  なんの話をしているのだろう? 畑の野菜の話をしていたはずだった、けど·····。  ゴロゴさんはハッと我に返ると、急いでハンカチで涎を拭った。 「と、とにかくオレには畑の仕事は向いていない」  野菜のことは嫌いじゃないんだが。畑仕事も嫌いなわけじゃないんだが。ぶつぶつとしばらくゴロゴさんの独語が続いた。  畑仕事には向き不向きがあるのだと、さきほどレアルさんが言っていた。けれど、まさかあれは、そういう意味で向いていない人のことを言っていたのか?  そういえば、と思って、俺はズボンのポケットの奥に入れたままでいたピーマソのことを思い出した。ひとつだけロッカーの中にしまい忘れていたピーマソが、ポケットの中にあったのだ。 「あの、このピーマソ、よかったらどうぞ? ゴロゴさん、もしかして野菜がお好きですよね?」  実は俺はそんなにピーマソが好きじゃない。せっかくだからゴロゴさんにあげてみようと思ったんだけど。  するとゴロゴさんは、ハッとした表情でピーマソを凝視した。 「こ、これは......、」  太い眉毛がひくひく動いた。  ............ま、まずかっただろうか? 仕事場に野菜を持ち込むのはやはり良くないんだったかな? 「いただこう」  ゴロゴさんは低い声でそう言うと、すばやい動作でピーマソを内ポケットの中にしまった。そうして立ち上がると、若干前のめり気味に部屋を出てトイレの方へと足早に歩き去った。  10分後、ゴロゴさんは戻ってきた。出て行ったときの紅潮した顔色とは違い、やけにすっきりとした晴れやかな表情となっていた。 「とても旨かった......」  ぼそりと呟いたゴロゴさんの眉間には皺がなく、賢者のような穏やかさが見られた。  世の中にはいろんな性癖の人がいるのだなあと、俺はひとつ勉強をした気分だった。      宿舎の部屋へ帰ると、ラグレイドもちょうど帰宅したばかりのようだった。 「ラグレイド、お土産があるよ」  キッチンで手を洗い、エプロンを着けようとする黒豹の同室者に、俺は今日畑でもらってきた野菜たちを見せた。採れたての緑豆やピーマソたちだ。 「美味しそうな野菜ばかりだなぁ」  ラグレイドはいつもの優しげな、惚れ惚れするような笑顔で喜んでくれる。 「これ、一番のおすすめだよ」  ひとつだけ紅く色づいていたプチトマプ。今期の初物だとレアルさんが言っていた。特別にともらって、本当はその場で食べてしまいたかったんだけれど、絶対美味しいやつだから是非ラグレイドに食べてほしくて、大事に持って帰って来たんだ。 「食べて」  ラグレイドの口元へトマプを差し出すと、騎士は俺を見つめたまま少しだけ笑顔を引込め瞳を眇める。 「......俺のために?」 「うん」  一番にラグレイドに食べて欲しいと思ったから。 「一緒に食べよう」  黒豹獣人の青年はそう言って俺の手からトマプを咥えると、そのまま両腕で俺の腰を引き寄せてきた。そうしてトマプに歯を立てながら、俺の唇を塞いでくる。  甘みのある野菜汁が弾けて互いの口腔から溢れそうになる。それを零さないようにふたりで必死に齧り合い啜り合って味わった。  シオが一緒だとなんだって美味いな。  ラグレイドが俺の唇を舐めながらそう言う。 「うん。トマプ、おいしかった」  俺もラグレイドの唇を甘く食みながら、うっとりと幸せな気分で肯いた。  またラグレイドにおいしい野菜を食べさせたい。  野菜たちの世話の仕事が、また一段と楽しみになった。        

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