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11 コロコロとミルク屋さん

 俺は宿舎の部屋にいる時は、掃除を担当することが多い。  料理の腕では絶対ラグレイドに敵わないけれど、掃除だったら俺にでもなんとかできるからだ。  床を箒で掃いたり、シャワールームをシャボンで磨いたりする。  俺が今一番気に入っている掃除は「コロコロ」だ。  「コロコロ」というのは、ペンキ塗り用ハンドローラーのような形状をしたお掃除グッズだ。ローラー部分は紙製のでっかい粘着テープとなっていて、粘着面が表にきている。  絨毯やソファなどの掃除に適していて、掃除したい場所でローラーを「コロコロ」ころがすと、粘着面にほこりがくっ付く。ラグレイドの黒い毛がいっぱい取れる。  ......面白い。  汚れた粘着面はぺりっと剥がして捨てればよい。下から新たな粘着面が現われる。 「シオはキレイ好きだな」  ラグレイドはいつも感心したようにそう言ってくれるけど、ソファーを熱心にコロコロしながら、俺の本当の目的は掃除ではなく、粘着部分にいかにたくさんの黒豹の毛を集められるかということだった。いっぱい取れるとなんか嬉しいのだ。  あまり毎日行っていると、取れる毛の量が少なくなるからつまらない。だから、少し日数を空けてからコロコロをするようにしていた。 「そろそろ換毛期に入るから、掃除が大変になると思うが、」  朝食後のお茶を淹れながら、ラグレイドが憂うような表情をする。 「カンモウキ?」 「毛の生え変わりの時期のことだよ」  ほとんどの獣人には換毛期というのがあるらしい。夏毛と冬毛が入れ替わる時期のことをいうらしいのだ。  そういえば最近は、日中にも涼しい風が吹くようになった。汗ばむほどだった日差しも和らいで、ずいぶんと過ごしやすくなっている。だけど王都にいた時の夏は、もっと暑かったような気がする。獣人地区の夏は意外と涼しくて短いものらしい。    抜け毛が悩みの種だ。ラグレイドはまるで薄毛に悩む中年男性のような発言をして溜め息を吐く。ラグレイドの黒髪は艶やかでふさふさとして、薄毛とは縁がなさそうだ。  これから来る冬に向け、獣人の毛はさらにもふもふになるという。  ラグレイドは、獣耳と尻尾以外の部分はわりと普通の人っぽい。けれど、服の下の胸や腕には黒豹の毛がそれは綺麗に生えている。それがさらにグレードアップするのだな。 「............楽しみ」  思わずそう呟いたら、騎士はとても複雑な顔をした。    休日は風のない穏やかな良い天気だった。  ラグレイドもこの日は非番で、朝からのんびりと部屋にいた。  俺達は、午前中は散歩に行ったり買い物をしたりして一緒に過ごし、午後はお互い好きなことをして過ごそうと決めていた。  ソファのコロコロ掛けは3日間ほど我慢している。  そろそろ良いコロコロ掛け具合となっているはずだ。昼食後はゆっくりとコロコロ掛けをして過ごそう。と、俺は楽しみにしていたのだが、目を離した隙にラグレイドがソファをコロコロし始めていてショックを受けた。 「あーっ! それっ! 俺の仕事!」 「ああ、だけどいつも落ちているのは俺の毛ばかりだろう。たまには俺が」 「駄目なの! 俺がやるったらやるの!」  もう、楽しみにしてたのにっ。  俺はぷんぷんしながら獣人の手からコロコロを奪い取った。  これは俺の楽しみなの。こうやって毛を取るのがすごく好きなの!  ソファをコロコロしながら説明すると、呆然とした様子で俺のことを見守っていたラグレイドは、 「なるほど、毛を......」  と、考え深げに頷いた。  あ、あれ。もしかして、俺の行動はちょっと我儘だったかな?  俺はちょっとだけ我に返って反省した。コロコロを楽しみにするあまり、ラグレイドが良かれと思ってやってくれていた行動を、無下に阻害したかもしれない。というかラグレイドも、コロコロ掛けを楽しみにしていたのかもしれない。 「......ごめん、やる?」  俺がおずおずとコロコロを差し出したら、 「いや、いい」  ラグレイドに両手を振って断わられた。  それで俺は、安心してソファを隅から隅までコロコロし、集まった黒豹の毛を眺めて満足することができた。 「シオ、......シオは毛が好きなのか?」  俺がコロコロで採れた黒い毛を眺めて、その採れ具合を堪能していたら、後ろからそんな風に声を掛けられた。  どうやら俺の行動を、まだ背後から見ていたらしい。 「好きというか」  いっぱい集められるのが面白いというか。 「......毛を堪能したいのなら、ここにもあるんだが」  振り向くと、ラグレイドがおもむろにシャツの前ボタンを一つ、二つ、外し始めるところだった。 「え」  このイケメンは、何故突然に脱ぎ始めたのだろうか。  正直、若干たじろいだのだけど。シャツの下から現れた肉体に、すぐさま俺は釘付けとなった。  そこには、獣人の見事に盛り上がった立派な胸筋と、それを彩る艶やかな黒い胸毛があった。それはとても格好良くて、とてつもなく魅惑的に思えた。  と言っても、就寝時には毎回べたべたと触ってくるのだから、ラグレイドの胸などその時にいくらでも触ることができるのだ。が、こんなに明るい昼間に、リビングダイニングで目にできる機会は滅多にない。レアものだ。  窓から差し込む陽光に、黒い胸毛はきらきらと輝いていて美しかった。 「......触っていいの?」  俺はコロコロをソファに置いて立ち上がった。  コロコロで集めた毛なんかよりも、本物の毛並みの方がずっと良いに決まっている。  俺は吸い寄せられるようにしてラグレイドの胸板に近付いた。騎士は何も言わずに、俺に肉厚な胸を晒している。まるで、好きに触っていいのだと言われているかのようだ。  俺は微かな興奮を覚えながら、両手でそっとそこに触れた。  わぁぁ、すごい。良い毛がいっぱい生えている。  思わずさわさわと撫でるように触ってしまう。それから、頬を寄せてすりすりと筋肉に頬ずりし、腕をまわしてぎゅうと抱きついた。  温かくて、いい匂いがする。熱いくらいだ。強い鼓動が伝わってくる。胸筋の膨らみは弾力があって、分厚くて、男らしくてかっこいい。  毛艶もすごく良い。触り心地が満点で、触れていると癒やされる。  いつの間にか、ラグレイドの両腕も俺の背後に回されていて、時おりゆっくりと撫でられた。ラグレイドの胸の中はとても居心地が良い。  黒豹でこの触り心地の良さなのだから。たとえば羊系の獣人とか、毛の長い種類の獣人とかだったら、一体どんなにすごいもふもふ加減だろう? 「シオ、言っておくが、他の獣人に同じことをしてはいけない」 「分ってるよ」  ちょっと想像しただけだ。他の人になんかするわけがない。  不意にそこにある、赤銅色の突起に目を奪われた。  それはラグレイドの乳首だった。  なんてカッコイイ乳首だろう。触ってみたい。舐めてみてもいいだろうか?  俺はちろりと舌を出して、そっと舌先で触れてみた。男の乳首なのだから、何にも出ないことは分っている。けれど、つい吸い付きたくなってしまうのは本能のようなものだろうか。  口先で咥えて舌で絡める。そうしてちゅうちゅうと吸ってみた。  ふっとラグレイドの吐息が漏れた。ちらりと見上げると、少し困ったように見下ろされた。 「......シオ」  ため息とともに、抱き締めてくる腕の力が強まった。のだけど。 「あっ」  そういえば。俺は大事なことを思い出していた。ラグレイドの乳から顔を上げる。 「ミルクやさんっ」 「ミ、......ミルクやさん?」 「そう! ミルク屋さんの時間だ!」  休日の15時ごろに、ミルク屋のおじさんの荷車が、すぐそこの道を通りかかる。  新鮮なおいしいミルクを売っているから、是非買いたいのだけど、おじさんは音もなく通りすぎて行ってしまうからよく買い逃す。だから今日という日は、15時を絶対に忘れないようにしようと気を付けていたのだった。  壁の時計を見ると15時の5分前を指していた。 「ありがとう、ラグ! 思い出せて良かったよ!」  俺は獣人の腕の中から飛び出すと、いそいで財布をポケットにつめ、キッチンの棚から空のミルク壜を取り出して抱えた。 「おいしいミルクをゲットして来る!!」  胸部を露出させたまま呆然と立ち尽くす同室者を部屋に残して、俺は新鮮なミルクを購入するべく部屋の外へと駆け出した。  本当に、ミルク屋さんのことを思い出すことができて良かった。    

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