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12 甘いお菓子の日
先日通りかかった商店街で、チラシをもらった。
『大切な人へ、ショコラのお菓子を贈ってみましょう!』
ポップないろどりのチラシには、そんな飾り文字が踊っている。チラシによると、今週末は「大切な人にショコラをプレゼントする日」なのだそうだ。
『ショコラと一緒に感謝や愛を伝えれば、お互いの絆がより一層深まります』
そんな風に、もっともらしい一文が添えられている。
だけど残念ながら、ショコラを贈るイベントは、獣人たちにはあまり浸透していないようだ。
職場ではショコラを贈るという話題など欠片も聞かないし、ラグレイドにチラシを見せた時も、「これはショコラ会社が売り上げを伸ばすもくろみでやっているのだろう」という淡白な返事が返ってきただけだった。
おそらく獣人地区の人々は、感謝や愛の言葉ならば日ごろからちゃんと相手に伝えているのだ。だから、あえてショコラなどに頼る必要はないのだろう。
チラシはとても可愛かったのだけど、獣人地区のショコラ屋さんはもうひとひねり創意工夫が必要なようだ。
日にちは違うのだけど、王都でもそういう日はあった。
『セント・バレント』と呼ばれる日で、向こうでは大変盛り上っていた。恋人や片思いの相手に対し、花やプレゼントや菓子を贈るのだ。
とはいっても、俺にはまったく縁のない行事だった。好きあう相手などいなかったし、発情期の来ない地味なΩだったから、誰かから慕われるようなこともなかった。
盛り上がる人々を横目に見ながら、内心「いいなあ」とうらやましく思う日だった。
いや。
そういえば一度だけ、プレゼントをもらったことがあったかもしれない。
一昨年のセント・バレントの日のことだ。
いつものように職場へ出勤し、事務所の自分の引き出しを開けたら、小さな可愛らしい菓子の包みが入っていて、簡素なカードも付いていた。
『愛するキミへ』
差出人は全く知らない名前だった。
俺に?! プレゼント?! いったい誰??
思わず叫び出しそうになる気持ちを鎮め、一旦引き出しを閉めて、そうしてもう一度開けてみる。やはりプレゼントはそこにあった。
叫び出しはしなかったけれど、心の臓はバクバクだった。初めてもらったセント・バレントのプレゼント。嬉しい。嬉し過ぎて舞い上がりそうな気分だ。
だけどその時、後から出勤してきた隣のデスクの職員が、「あ~あ」と盛大なため息を漏らしたので我に返った。
「今年はヨーレからプレゼントをもらっちまったよ」
え。
俺はそのぼやきの内容に驚いて、隣のデスクに目をやった。
「ヨーレ」という名前は、俺がもらったプレゼントの、カードに書かれている名前と同じ名だった。
隣りのデスクの職員は、俺がもらったのと全く同じ小さな包みを手に持って、ひどく不満そうにしている。
「ヨーレの奴、毎年モテなさそうな奴に安物のプレゼントを配りまくって、運良く引っかかったのをつまみ食いしようって算段だからな。どうせこれも安物の菓子だろ」
がっかりし過ぎた。
その日は一日、周りの景色が曇って見えた。職場のごみ箱には、同じような安物菓子の包み紙が、たくさん打ち捨てられていた。
ヨーレという男は、どうやら本当にいろんな人に菓子を配っていたらしい。
方々に愛を振りまいて愚かな獲物を釣り上げようという魂胆か、それとも、ぬか喜びする独り者をどこかで面白がって眺めているのか。案外、寂しい輩に少しでも愛を配ろうと、善意でやっているのかもしれない。
どちらにしろ、落胆したことには変わらない。一瞬期待してしまった分、がっかり度は大きかった。
残念に思いながらも、プレゼントを無為に捨ててしまうことはできなくて、俺は包みをそっとカバンに仕舞い込んだ。そうして、部屋に帰ってから一人でひっそりと、メッセージカードや包みを眺めた。
これが本物の、想い人からのプレゼントだったならば、どんなにか嬉しくてしあわせだったことだろう。
いっそ、戯れであったとしてもかまわない。俺だけの為の贈り物が欲しい。嘘や冗談だとしても、俺は喜んで騙されてしまうかもしれない。
中身のショコラはとても小さくて、ただただ甘ったるかった。
それでも「おいしい」と思えた。ほんの小さな、おこぼれのような愛であっても、ショコラの甘さは、心を一時慰めてくれる。メッセージカードだって嬉しかった。たとえ大勢に配ったおざなりの言葉だったのだとしても。
ショコラの甘味は、後味にほんのわずかな苦みを残した。
いつか誰かから、ちゃんとプレゼントをもらったり、贈ったりする、そんな日々が来ればいいのに。
ひとりの部屋でそんな風に、ほんのりとしたショコラの余韻に浸っていたんだ。
仕事の帰りに菓子屋へ寄った。
ポップな飾りに賑やかないろどり。イベントはやはり人気が無いようで、お菓子屋さんの店内には親子づれの姿がわずかに見られるだけだった。
買うお菓子はもう決めていた。
この間、職場のおすそ分けで一個だけもらった小さなお菓子が、とても美味しかったんだ。白くてまるいマシュマロの真ん中に、ふわりとした食感のショコラが隠されている菓子だ。是非ラグレイドにも食べてほしい。それに、一緒に食べたらきっとすごく美味しいと思う。
マシュマロ菓子をいくつか買い求めると、店員はそれを可愛らしい桃色の紙袋に入れてくれた。そうして、「想いが伝わりますように」と、にっこり笑顔で手渡してくれる。
ちょっと気恥ずかしくなってしまった。
宿舎の部屋に帰ると、ラグレイドはもう帰宅していた。今日は早出勤の日だったから、早くに仕事が終わったのかもしれない。いつものグレイのエプロンを着け、キッチンで洗いものをしている。
俺の帰宅に気が付くと振り返り、「おかえり」と耳に優しい穏やかな声を返してくれる。
俺は手を洗い、上着を脱いでキッチンへと向かう。ラグレイドにショコラのプレゼントを手渡したい。
けれど、あらためて手渡すとなると、なんだか急激に緊張してきた。
こんな子どもじみたイベントに浮かれ、ショコラまで買ってきて、自分は何だか随分と滑稽なことをしているのではないか。
一瞬、足を止めてしまいそうになったのだけど、
「シオ、おいで」
黒豹獣人の同室者は、洗い物の手を止めて、タオルで手を拭きながら俺を呼ぶ。
だけどなぜだろう。その姿はいつもと少しだけ違って見えた。わずかに緊張しているような?
ラグレイドは俺のダイニングチェアを引いてくれて、腰掛けるようエスコートしてくれる。
俺は後ろ手に持った紙袋を渡すタイミングを逃してしまって、内心困っていたのだけれど、
「......?」
辺りの空気が、やけに甘い匂いに満ちていることに気が付いた。
すごく良い匂いだ。バターとバニラエッセンス、それからほんのり甘くてほんのり苦い、心が疼くような美味しそうな匂い。
「......実は、作ってしまったんだ」
ラグレイドは、はにかむようにして目を逸らし、ダイニングテーブルの方へと目を向けた。 テーブルの真ん中には、大きな銀色のクロッシュが載っていた。
ラグレイドが、その持ち手をそっと持ち上げ、クロッシュを退かすと、そこには、大きなショコラケーキの立派なホールが現われた。
ショコラ色のそのホールケーキは、木の実が豊富に混ぜ込んであるらしい。ところどころナッツの色が覗いている。濃厚で艶やかな生地の色合い。てっぺんには細かな白い雪砂糖がかけられていて、はっとするほど美しい。
「すっ、すごい! すごい......っ!」
俺は身を乗り出して覗き込んで、濃厚なショコラの匂いを胸いっぱいに吸い込みラグレイドを見上げた。
獣人は、わずかに目元を染めていて、もしかして、照れているのかもしれなかった。俺が驚きの声を上げるのを、表情を緩め嬉しそうに見る。
この前は、ショコラ会社の陰謀だとかなんとか言っていたから、こういったイベントには興味がないのかと思っていた。予想外にこんな凄いものを作ってしまうなんて、ずるい。格好良すぎる。
「実は俺も、プレゼントがあって」
俺も桃色の紙袋を出して渡そうと思ったのだけど、なんだか自分の用意したプレゼントが随分と安っぽく感じられて恥ずかしい。こんなことならば、もっと豪華なお菓子を買うのだった。
けれど、
「シオ......っ」
......うれしい............!!
獣人は、胸の中に俺をぎゅうと抱き込んできた。
「これを、俺に? 俺のために?」
俺を強く抱き込んだまま、震えを抑えるかのように聞いてくるから、
「うん。そうだよ。このお菓子ね、この前食べたら、すごくおいしかったから」
俺も一生懸命に答えた。
ショコラの贈り物をもらう願いを叶えられた。同時に、渡す願いも叶えられた。プレゼントを渡すのは、すごくドキドキして不安になるものなのだと分かった。
けれど、それ以上に、相手がこんなにも喜んでくれるのだから、用意して、勇気を出して渡して良かった。
ふたりで一緒に食べるショコラの味は、想像以上においしかった。
心地の良い優しい甘さに包まれて、
(......幸せだなあ)
そんな風に、思ったんだ。
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