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14 幸運がいっぱい
俺はすこしだけ包丁使いがうまくなった。
いちょう切りとか、みじん切りとか覚えた。
芋汁作りの手順や当日の段取りは、職場のミーティングや時系列表で何度も確認したから、それぼど不安はなくなった。
祭り前日の夜。
「シオ、明日はこれが必要だろう」そう言ってラグレイドが出してきたのは、オレンジ色のエプロンだった。
初めて目にするエプロンだ。ラグレイドのエプロンだったら灰色で、もっといい感じにくたびれていて、ラグレイドの匂いが染みついている。
オレンジ色の新しいエプロンは、よく見ると胸のところに大きく『シオ』と刺繍があった。
着けてごらん、とラグレイドが言う。その場で着てみせたら、俺のサイズにぴったりだった。
だけど俺は、こんなに明るいオレンジ色を身に付けるのは初めてだ。似合っているんだろうか。
ラグレイドはというと、食卓椅子に脚を組んで腰掛けたまま、口元に手をやり俺のエプロン姿をじっと見ていた。一見するととてもクールな雰囲気である。だけどよく見ると、その口角はにやりと笑みの形をとっている。
......嬉しそうだなあ。
すけすけのパジャマを着た時も、ネコ耳を着けて見せた時にも思ったけれど、ラグレイドはこういう「コスプレちっく」なことに興奮する性質なのかもしれない。
「シオは何を着ても良く似合う」
俺に見られていることに気が付くと、騎士は一つ咳払いをしてそう言った。
そうして口元の笑みを隠そうともせず俺を掴まえると、膝の上に難なく抱き上げ、唇を甘く寄せてくる。
「本当によく似合っている。明日はこれを着ていくといい」
俺はラグレイドの膝の上でいっぱい口付けをされて肌を吸われ、それは俺が「ギブアップッ」と叫ぶまで続けられた。
「分かった! ちゃんと着ていくからっ」
油断するとキッチンで全裸にされそうになる。
翌朝は、穏やかな秋晴れの日となった。
青空が高い。風もなくて、絶好のお祭り日和だ。
現地集合とのことだったので、俺は集合時間の三十分前には店舗スペースに到着した。
ちょっと早いかなあなんて思っていたけど、すでにほとんどの職員が集合しているようだった。そうして芋汁作りの準備をしている。
出張所が借りている売り場は、商店街の中心部からは少し外れたところだけど、周りを賑やかな店に囲まれ、なかなか良い立地だと思う。
通りに面した売り場スペースの奥が広い調理場となっていた。
大きなお鍋がふたつ、壁際にあるでっかいコンロの上にいて、作業台の上にはイモやネギやその他の野菜が山のように積み上がっていた。職員達はみなそこにいた。
「まずは野菜を洗うんだ!」「出汁を取るのは俺がやるぜ!」「ネギより芋が先だ! 煮えにくい物から手を付よう!」「つまみ食いは厳罰だからな!」
なんだか殺気立っている。
お客さんが商店街に押し寄せるのは、もう少し先の時間だと思うけれど、これだけの野菜をさばき、大量の芋汁鍋を作るのだから、予想通り大変そうだ。
いつも白衣のレアルさんは、今日は白いエプロンを着けていた。そうして立派な垂れ耳を揺らしながら、てきぱきと作業の指揮を取っていた。たしかレアルさんが今日の調理現場責任者となっている。
「シオ! いいところに来た!」
手洗い場で手を洗い、皆のいる作業場にそそくさと合流しようとしていたら、そう言ってレアルさんが、俺の目の前に大股でずんずんと近づいてきた。そうして俺の両肩を掴み、おもむろに真剣な顔をする。
「シオ、ひとつ確認させてほしい」
「はあ、」
異様な圧に押されながら、俺はなんとか返事をした。確認? こんな時に一体なにを確認しようというのか。
「......皮を、むいたことはあるか」
皮をムいたこと......?
この場合の、皮、とは、やはり野菜の皮のことを言っていると思って良いのか。なにしろ世の中には、様々な種類の「皮」が存在するものだ。だけど、いや、まさか、こんな場でそんなコトは聞かないだろうし。
「ある。と思います」
俺が正直に答えたら、
「じゃあこれを」
ピーラーを手渡された。
作業台の上にある大量の芋の皮を剥いてくれとのことだった。それからは、地獄のような皮むき作業の始まりだった。
所長さんと事務長さんはというと、売り場のポップや看板を、ああだこうだと言いながら、楽しそうに飾り付けをしている。
カウンターにある、あの原色カラーの妖しげなジュースは何だろう。
「かんぱーい」
二人で乾杯しだした。
「所長! 事務長! そのジュースはなんですか!」
とうとうレアルさんが、眼鏡をクイクイ押し上げながら怒りだした。
「うへへへ、そこのお店でもらっちゃったのよ~」
二人はすでに赤ら顔だ。
「みんなも飲んじゃう?」「お酒でいいよね?」「なんか食料調達してこようか~?」
駄目だ。あの二人は当てにならない。
所長と事務長は、仲良く肩を組んで商店街へと繰り出していく。
奥の調理場では、あたふたと汗にまみれて作業が続いた。
「シオ、そこのイモを取ってくれ!」
「シオ、ネギをきざむのも一緒にたのむ!」
普段あまりかかわりのない職員さんとも声を交わした。おそらく俺の名前を覚えていなかったであろう人も、俺の派手なエプロンの胸元の文字を見て、俺の名前を呼んでくれる。
「シオ、ほら、それはもう後でいいから。こっちに来て」
皮むき作業やネギ刻み作業の後、俺は洗い物を担当していた。だけど気が付くと周りが静かになっていて、どうやらいつの間にか芋汁の試食タイムに入っているようだった。
作業場内には湯気と美味しそうな汁の匂いが充満している。
「ほら、食べな」
あつあつのお椀とスプーンを手渡された。
手渡してくれたのは、先程まで酔っぱらっていたはずの事務長さんだった。お椀にはたっぷりの芋汁が入っている。
「これを食べれば、この冬は風邪を引かずに過ごせるからね」
芋汁はとても美味しかった。野菜のいい味が出ていて、食べたら体がほっとする。
芋汁屋さんは大盛況だった。
大勢のお客さんが訪れて、喜んで芋汁を食べていってくれる。
俺も店番の手伝いをした。
「オレンジのエプロンの兄ちゃん、俺達にも芋汁をくれ!」
「こっちにも一杯頼むよ、シオ!」
普段俺は、商店街を歩いていると「耳なし」だとか「ニンゲンの兄ちゃん」とか呼ばれることが多かった。けれど今日はちっともそんな風に呼ばれなかった。きっとこの派手なエプロンのおかげだろう。
警備の騎士らのすがたも何度か見かけた。休憩がてら立ち寄ってくれる騎士もいた。
俺はラグレイドが来ないかなあと期待していたんだけど、黒豹騎士の姿は見かけなかった。「山の方で魔物処理の仕事が入っている」と立ち話をしている騎士がいたから、たぶんそちらの仕事に回ったのだろう。
日が傾く頃には芋汁は完売して、俺はなぜかエプロンのポケットに、いっぱいの食べ物を詰め込まれていた。訪れる人や他の職員達がくれたのだ。俺は「こんなに食べられない」と何度か遠慮したのだけれど、「頑張っているから」と、みんなどんどん俺のポケットに詰めてくれた。
店番の合間に休憩をもらって、少しお店めぐりをすることもできた。気になっていた食べ物をいくつかゲットすることができた。焼肉一切れ券やわたあめ無料券も使用することができた。嬉しい。
お祭りの食べ物には幸運が詰め込まれているのだよ、と誰かが言っていた。「どれもこれも、真心を込めて作られているのだからね」
帰る頃にはへとへとに疲れていたけれど、心とお腹は幸運でいっぱいになっていた。
ラグレイドにも、お土産をたくさん食べてもらおう。
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