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15 騎士団静養室

 お祭りは夕暮れとともに終焉を迎え、賑やかだった人の群れもいつの間にかまばらになった。茜色に染まる商店街を、秋の深まりを感じさせる風が吹き過ぎてゆく。  職場の人たちとは盛大に労いの言葉を掛け合った。あの大量の芋汁を、無事完売することができたのだ。達成感でみんな笑顔だ。それぞれが「お疲れ」を言って手を振って帰ってゆく。俺もみんなと手を振り合って、たくさんのお土産と共に宿舎へ戻った。  部屋の中は薄暗くて、しんとしていた。  ラグレイドはまだ帰っていないようだった。  きっと魔物の処理だったり、祭りあとの街の巡廻だったりでいろいろ忙しいのだろう。  部屋のところどころに置いてある小さな灯り石が、うっすらと橙色の明かりを燈しはじめる。  灯り石は魔力で明るさを調整できる。けれど、なにも手を加えないでいると、こうして夜の訪れとともに自然と発光しはじめる。  楽しかったなあ。  本日の戦利品は、食卓テーブルの上に積んでみた。一口大の食べ物が多い。様々な食材、味付けの賑やかな食べ物たちが、華やかにラッピングされ、或いは大事に紙に包まれて、食べられるのを待っている。  ラグレイド、早く帰ってこないかなあ。これを見たらきっとすごく驚くだろう。  俺はラグレイドを待つ間、少しだけ窓辺のソファに身体を預けた。昼間の立ちどおしの作業のせいで、意外と疲れが溜まっていたのだ。  ほんのちょっと目を閉じただけのつもりだったけど、知らないうちに眠りに落ちていたのかもしれない。  呼び鈴の音で目が醒めた。お客さんが来たことを知らせる音だ。  誰だろう? ラグレイドだったら呼び鈴なんて押さない。「ただいま」と言いながら、普通に鍵を開けて入ってくる。 「はい」  俺がそっと玄関ドアを開けると、立っていたのは紺色の制服の電報配達屋さんだった。 「騎士団からの知らせです」  電報配達屋さんはかしこまった声でそう言って、折り畳まれた白い紙を差し出してくる。  電報? 俺に? 騎士団から?  俺が紙を受け取ると、配達屋は一礼し、踵を返して帰ってゆく。  電報だなんて珍しい。よほど急ぎの知らせだろうか。普通の用件だったなら、普通の手紙で良いはずなのに。ラグレイドを通じて手渡してくれたって良いのだし。  俺はドアを閉め、その場で紙を広げてみた。 『ラグレイド副隊 長負傷せり  番いであるシオ殿は 早急に騎士団医務室に来られたし』  音を立てて、血の気が一気に引いてゆく。  ラグレイドが、負傷......? ウソだ。だって、あんなに強くて頑丈で、冷静で優秀な騎士なのに。怪我なんて絶対にしなさそうな獣人なのに。  気が付くと、財布と上着を引っ掴んで部屋を出ていた。  まさか、とは思うけど、もしかしてということもある。騎士には怪我がつきものだというし。  確かめなくては。ラグレイドの無事を確認したい。傍に行って、いつもの穏やかで優しい笑顔を目にしたい。  階段を駆け下り夜の路地に飛び出すと、風はずいぶんと冷たかった。俺は上着をはおりながら、黒くそびえる騎士団建物を目指して走った。  宿舎から騎士団正門までは、歩けば15分ほどの道のりだ。だけど、全力で走るとなると息が切れる。  正門の横には、小さな門番詰め所があった。窓口からは薄く灯りが漏れているから、門番は中にいるのだろう。俺はその窓口にへばりつくようにして駆け寄り、握り締めてきた電報を見せた。  ぎぎぎ。と、詰め所横の小さな通用扉が開いた。 「入場を許可する」  詰め所の中から重々しい声が言う。  俺はぺこりとおじぎをして、急いで通用扉をくぐった。そうしてまた走る。 「おーいっ、入るのは手前の建物の東口からだぞー!」  慌てたような声が投げられ、俺は走りながら手前の建物の東口を探した。  騎士団敷地内には、今までに1、2回しか来たことがない。しかもこんな夕闇のせまる中じゃ、方向なんてよくわからない。だけど小路沿いにある灯りのおかげで、辺りの景色はわりとよく見えた。  たぶんこちらだろうと思われるほうへ、小道沿いに走った。  「東口」と書かれた扉を開けると、すぐ目の前の部屋が簡易事務所となっていた。  開けっ放しのドアから中に声を掛けると、若い騎士が出てきて「ご苦労さまです」と言って敬礼された。そうして医務室までの通路を案内された。  等間隔で明かりの灯る暗い廊下を、ひたすら真っ直ぐ先へ進んだ。  案内してくれる騎士は、俺より2つ3つ年上だろうか。随分と落ち着いた雰囲気の、真面目そうな騎士だった。 「よかったです」  と騎士は、ちらりと俺に視線を向ける。 「副隊長は今まで番がおられませんでしたから、怪我をしても一人で耐えていらっしゃったけど、」  騎士は犬系獣人のようだ。茶色い三角の耳をしている。  犬獣人の若い騎士は、今度はしっかりと俺を見た。意外なほど真っ直ぐな瞳を向けられる。 「今はあなたがいてくれる」  俺は、なんと返したら良いのか分からなくて、ひとつ頷くだけにした。  ラグレイドの番として、俺は誇れるようなことをしているだろうか。いつもラグレイドに甘えきりで、朝はいつも起こしてもらっているし、ごはんだって、朝晩作ってもらっている。  それよりも、やはりラグレイドは怪我をしているのだろうか?   とても不安で、ちゃんと聞きたかったけど、怖くて尋ねることができなかった。  通されたのは医務室のさらに奥にある、『静養室』という札の掛かった部屋だった。そこからは、若い騎士に代わって看護師が案内してくれた。  静養室にはベッドが6台並んでいた。そのうちの一つのベッドだけが、カーテンをひかれ、目隠しされている。 「怪我はひどくはないのですよ。ただ、魔力の消耗がはげしかったのでしょうね。......副隊長、同室者様がご到着ですよ」  看護師がベッドを囲うカーテンを開けた。  ベッドの上には、はたしてラグレイドが横たわっていた。  浅黒い肌の、屈強で美丈夫な黒豹獣人騎士は、俺を見るとわずかに表情をゆるめたようだ。 「すまない、シオ」  いつもより若干張りのない声だった。けれど、いつもとそれほど変わらない、丈夫で優しくて頼りがいのある、獣人騎士の姿がそこにあった。  良かったぁ。俺はすこし安堵した。包帯ぐるぐる巻きの瀕死な姿だったらどうしようかと思ったけれど、そんなに悪い状態ではなさそうだ。  ただ、顔色はあまり良くないのかもしれなかった。眉間に少し皺が寄って、やはり本調子ではないのだろうか。 「それでは私は、医務室の方で控えておりますので」  看護師はそう言って、そっとカーテンを閉めて出てゆく。 「......シオ」  ラグレイドは布団なのかから右手を出すと、まるで「おいで」をするかのように、大きな手のひらを俺に向けた。  俺はその手のひらに吸い寄せられるようにして、ラグレイドの傍に近寄った。 「ラグ、ラグ大丈夫なのか? どこも痛くないのか?」  その手はいつもよりひんやりしていた。 「痛くはない」  ラグレイドは琥珀の瞳をわずかに眇めた。冷えた手が俺の手をそっと握り返した。 「少し魔力を使いすぎた」  魔物処理の途中で別の魔物に遭遇したのだと、短い言葉で話してくれる。  魔物について、俺はあまりよくは知らない。ただ、おぞましい蟲の形をしていることは知っている。子どもの頃に図鑑で読んで、しばらくは怖くて、一人でトイレに行けなかった。 「......シオ」  掠れた声には、わずかな躊躇いが含まれているようにも感じた。  だけどその手は、いつの間にか強く俺の手を握りしめる。  俺は握ってくるその冷えた手を、さらに強い力で握り返した。  そうしてベッドに片膝を付き、ラグレイドの上に慎重に身体を乗り上げた。  この半年の間、俺たちは幾度も幾度も魔力を交流させてきた。  ベッドの中で、ソファの上で、唇を合わせ、口腔粘膜を擦れ合わせ、魔力を行き来させる方法を、身体で覚え、慣れさせられて。  魔力を欲するときのラグレイドの瞳ならば、もう知りすぎるぐらい知っている。  俺はラグレイドの上に覆いかぶさり、その唇に自分の唇を重ね合せた。 「......ん......、」  静かな室内に、唇と唇、舌と舌とが擦れ合う濡れた音が小さく響いて、だけどそんなささいな音はすぐに互いの呼吸音にかき消された。  甘い果実を汁ごと貪り啜るように、いつもより執拗に舌を絡められた。呼吸が速い。平気なふりをしているけれど、やはり本当は辛いのかもしれない。つられるようにして、俺の呼吸も忙しなくなった。少ない魔力をラグレイドに移譲している。  やがて唇が離れると、俺はラグレイドの横に突っ伏して、必死に息を整えた。疲労を感じる。魔力を消費する行為には、体力を大きく奪われる。俺は元々魔力が少ないから、一方的に吸い取られるとダメージがでかい。 「シオ、」  今度はラグレイドが身を起こす。強い腕が俺の身体をゆっくりと引き寄せてくる。きっと魔力がまだ足りないのだ。  俺は求めに応じて唇を受け入れた。回された腕はいつもより強くて、少し苦しいなと思う。  今度は、ラグレイドの魔力がわずかに流れ込んできた。  一方的に奪われるのとちがい身体は楽だ。ただ、流し込まれる力と奪われる熱が入り乱れて、眩暈にも似た酩酊感に襲われる。 「副隊長、もし帰れるようならば、自宅へ帰っていただいてかまいませんよ。もう少し休んでいたいのであれば、私は朝まで医務室で控えておりますし」  カーテンの向こうから、さきほどの看護師の声がする。 「いや、大丈夫だ。宿舎へ帰ることにする」  ラグレイドの声は冷静で、いつもの屈強騎士の様相に戻っていた。 「シオ、起きられるか?」 「うん」  俺はラグレイドに支えられるようにしてベッドから降りた。  ラグレイドはもう平気なんだろうか? 見上げるけれどよく分からなかった。恐るべき回復力の成せるわざか、それとも、もともとそんなに酷い状態ではなかったからか。  手を引かれ、俺たちは一緒に部屋を出た。   「すまなかったな。世話をかけた」  ラグレイドが看護師に声を掛ける。 「いえ、回復されて良かったです。どうぞ明日は自宅でゆっくり静養してください。お疲れ様でした」  看護師は俺たちに丁寧な会釈をする。               

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